第 28 話 《 勇者 》
お待たせしまして申し訳ないです。だいぶ空いてしまったので前回までのあらすじから。
女王誘拐を阻止するべく聖堂に潜り込んだ飛鳥。イオスを止め、何故だか囮の怪盗に手を貸していたイラも止める。しかしどういう訳かルカまでもが聖堂へとやって来た。連れ帰ろうと動き出した飛鳥を妨害する者が現れる。それはなんと使徒だった。使徒から聞き出した情報に困惑する飛鳥は……。
今回はソニア(フィリラ王国の元女王)の視点になります。いつもより長いのでごゆっくりお読み下さい。
彼女はソニア・エム・リーヴスにとって掛け替えのない友人だった。
ソニアが生まれる前からそこにいて、物心がついた頃には家族以上の親しみを覚えていた。
幼い頃は姉のように慕い、ソニアが成長していくにつれて妹のように可愛がるようになった。1000歳を超えていながらも人族で言うところの10歳程度の容姿である彼女を、60歳を超えて12歳の容姿であるソニアがそう思うのも無理はない。長寿であるハイエルフの彼女は不満をもらしていたが、二人の仲は年を重ねるごとによりいっそう深まっていった。
最寿族の血を色濃く受け継いだソニアも長寿である。だからこそ彼女、エリス・フェザー・フロージともずっと一緒に暮らせると思っていた。しかしそのささやかな望みはある日突然奪われた……。
神災という名の厄災が、フィリラ王国を襲ったのだ。空を覆い尽くす白銀の艦隊は月明かりよりも明るく街を照らすと、一瞬で地上を火の海に変えた。
窓辺でその様子を見ていたソニアは、悲鳴をあげることすら忘れてただ呆然と立ちつくしていた。
「ソニア、逃げて!」
部屋に飛び込んできたエリスの切迫した叫び声を聞いて、ようやく事態を飲み込んだソニアはその場に膝をつき、震える体を抱きしめて、気づけば嗚咽をもらしていた。
「……ごめんね」
優しく抱きしめてくれたエリスは場違いなほど穏やかな顔で謝罪する。
「きっとあたしを追って来たんだと思う。あたしがもっと早く出て行けばこんなことにはならなかった……本当にごめんね」
ソニアも宮廷内の噂を聞いて知っていた。黙示録の生き残りをリーヴス王家がかくまっていると。決して外に出ることなく、幽閉されているかのような生活を送っていたエリスが、ただの客人とはソニアも思ってはいなかった。
だがそんなことはソニアに関係のないことだった。そんな仕打ちをしている父に反発して外に連れ出したこともある。思えばあれがいけなかったのではないかと今にして思う……。
エリスはソニアの体からそっと離れると「ちょっと遅くなったけど出発する」と告げた。空は神の軍勢に支配され、地上は火の海となり燃えさかっているのに、いったいどこから出て行くというのか?
そんなソニアの疑問にエリスは笑顔で答えた。
「あたしはこう見えてもスキーズニールの艦長なんだからね。あんな連中すぐに蹴散らして空の彼方まで飛んでやるわ!」
エリスが妖精艦と呼ばれる飛空艦を所有していると、こっそり教えてもらったことがある。いつか乗せてほしいとせがんだこともあった。しかしエリスには頑なに拒まれていた。
あれは戦争をするためのものでソニアを喜ばせてあげられるものじゃないと悲しそうな顔をしたので、それっきりその話題を蒸し返すことはしなかった。エリス自身ももう乗ることはないと言っていたはずなのに、よりにもよってあの悪夢の中に飛び込むと言っているのだ。
そんな無茶当然止めた。しかしエリスは……。
「ソニアのお父さんが王国軍を動かして迎え撃つ気なの。そんな暇があったらさっさと逃げればいいのにね。義理堅いおっさんだわ……」
「お父様が……」
エリスを塔に幽閉して外界から遮断していた父はエリスのことを疎ましく思っていたはずだ。それなのに何故?
「全てはあたしを守る為の処置よ。本当に疎ましく思っているのなら、大切な娘を毎日のように遊びに行かせたりしないわ」
そうだ……エリスに引き合わせてくれたのは誰であろう父だった。
「あのおっさんいくら言っても聞いてくれないから、あたしから出て行くことにしたわ。連中の狙いがあたしなら追ってくるはずよ。だからソニアは心配しないで地下壕に隠れていて」
エリスが笑顔でそう言うと、ソニアは駆け込んできた衛兵たちに連れていかれた。足に力がはいらず、抵抗することもできずに引かれていく。エリスは「あとグリムのことよろしくね。それから……今までありがとう。楽しかったよ」と言ったエリスの頬に、涙が流れるのを見たソニアはたまらず彼女の名を叫んだ。
それがエリス・フェザー・フロージとの最後の別れとなった。
夜が明け、地下壕から出たソニアは焼け野原となった王国の現状と、両親の死を知らされた。そしてエリスの行方も知れないと……。
それから数十年、ソニアは悲しむ暇もなく祖国の復興に力を注ぐ日々が続いた。女王となり泣き言をいうことも許されない状況は、ある意味幸せだったのかもしれない。でなければ弱い自分はずっと悲しみに伏せていたと思う。
その証拠に今こうして王の座を退いた自分は、過去ばかり振り返り悲しみにくれている。救国の英雄などともてはやされてはいるが、実体はこんなものだ。
自分は弱い……。
彼女が側にいてくれればといつも思っていた。しかしその願いはもう叶わない。エリスはもういないのだ……。ずっとエリスを探し続けるグリムに何度も打ち明けようとした。だけどできなかったのは自分が弱かったからだ。そんな自分と決別する為に宗教裁判に臨むことにした。負けるとわかっている戦いに臨むことで彼女の後を追えるような気がしたからだ。そう決めたとき、自分は思いの外、彼女に依存していたのだと気づき久しぶりに笑った。妹とばかり思っていたのに、やはり彼女は自分にとって姉であったのだと……。
ふと、昼間現れたエリスの家族の仲間を名乗る男の声を思い出す。思わずエリスは生きていると言ってしまった。そう望んでいたからだろう。はたしてその家族に伝わっただろうか? 期待を持たせるようなことをしてすまないと思う。それにしても彼は……。
「テイトク……」
ソニアがまだ小さかった頃、エリスがよく話して聞かせてくれた勇者の名前だ。エリスは「提督はすっごくすっごく強いのよ!」というのが口癖だった。いつもお姉さんぶるエリスが彼のことを話すときは年相応にはしゃいでいた。「強くてかっこよくて、それから……優しいの」と口にする彼女はいつも頬を紅く染めていた。そして最後に決まって「困ったことがあったらね、必ず提督が助けに来てくれるの! だからきっといつか迎えに来てくれるわ」と結んだ。
ソニアはそのたびに何も言えなかった。何故なら勇者が人族であると聞かされていたから……。その寿命の短さはエリスも知っているはずなのに、彼女はそのことにふれることはなかった。まるで夢でも見ているような、そんな顔をしていたから、ソニアはいつも黙って頷いていた。
だから昼間の男がその名を口にしたときは驚きもしたが、落ち着いた今ならその名に意味がないこともわかる。エリスの喜ぶ顔が浮かんだから、こんなことを思い出してしまったのだろう……。
思い出に浸りながら窓辺で夜風にあたっていたソニアの元に、衛兵が駆け込んできたのはそのときだ。
「失礼いたします!」
衛兵は教会敷地内に賊が侵入したと報告すると、安全な場所に案内すると言ってソニアを部屋から連れ出した。
きっとイオスだろう。幼少の頃より近衛として守ってくれた騎士の忠義はうれしくもあり悲しかった。願わくば裁判が終わるまで捕まらないでほしい。誇りを穢されようとも殺されるわけではない。終われば国返される。イオスは悲しむだろうが自分を連れ出したばかりに罪を負わせたくはない。聖騎士として成長したイオスの力は王国にとって掛け替えのないものだ。万夫不当のその力は国を守る力となる。自分にはないものだった。その力で多くの人を守ってほしい。自分にできなかったことを……大切な人を守ってほしいと思った。
宮殿から連れ出されたソニアは、衛兵に囲まれたまま礼拝堂へと連れてこられた。ここは教皇選挙がおこなわれるほど重要な区画で、ソニアも中に入るのは初めてだ。天井は高く、2000人は収容できそうなほどの広さがある。そのまま奥の祭壇へと進むと、更に奥の扉からソニアの知る人物が顔を出した。
「ご無事でなによりです。ソニア殿」
なんと出迎えたのはインサニア・クーラだった。幾度となく裁判の非正当性を説き、ソニアを逃がそうとした枢機卿だ。
そういうことか……。
ここに連れてこられた理由に察しがついた。イオスと面識のあるクーラならば手引きしていてもおかしくはない。イオスに引き合わせる為に連れてこられたと考えるのが妥当だろう。
ソニアは静かに歩みを止めた。
「どうされましたかな?」
「なぜクーラ枢機卿がこちらに?」
「なに……あなたを迎えに来たのですよ」
やはりか。クーラは祖国の復興に尽力してくれた恩人ではあるが好きになれなかった。なぜなら彼の好意の全てが自分の神格にあると知っていたから……。だから彼の善意を受け入れることを拒んだソニアは後ろ足を踏んだ。
「おや? 何か考え違いをされておりませんかな?」
「どういう意味でしょうか?」
「おおかた賊に引き渡す……とでも考えられたのでは?」
「違うとおっしゃるのですか?」
クーラが静かに笑う。
「わたしはあくまで案内役にすぎません。あなたが来るのをお待ちになっておられるのは……使徒様ですよ」
「…………ご冗談を」
「冗談などと罰当たりですよ。使徒様はわたしの元に現れて使命を与えて下さった」
クーラの瞳は真剣だった。よく見れば周囲の衛兵の顔にも動揺がない。まさか本当に使徒が現れたというのか?
もしそれが真実なら――。
「そんな下らぬ妄想で女王を連れ出したのか――クーラ」
その声はソニアの背後から聞こえてきた。衛兵を引き連れて入って来たのはサピエン・タースだった。
「なんと罰当たりな! 貴様の信仰心が紛い物であるとは思っていたが……そこまで愚かだったのとは見損なったぞ!」
憤りを見せるクーラにタースは侮蔑の視線を向けていた。
「賊を侵入させただけではあきたらず、使徒の名を使う貴様こそ神に対する冒涜だ」
クーラが高笑いをあげた。そして見たこともないような笑みをうかべる。その笑顔はどこか歪んでいて、とても正気には見えなかった。
タースはクーラに冷ややかな視線をおくると、衛兵たちに指示を出す。するとソニアの周囲にいた衛兵たちが剣を抜いた。
「なんのつもりだ……クーラ」
「それはこちらの台詞だ。これ以上使徒様の御意思に背こうものならわたしが代わって神罰を下すことになる!」
どこか異様な雰囲気の衛兵から離れようとしたソニアの腕が掴まれた。痛みを訴えても離すことなく、それどころか更に力を加えられる。非力なソニアは振り払うこともできず捕まってしまった。
タースとクーラが睨み合っていたのもわずかな時間だった。左右の扉から雪崩れ込んできた祭服の集団がクーラの元に集まると、形勢は一気に傾いた。
「クーラにそそのかされた者たちか……」
タースが罵ろうとも顔色ひとつ変えない不気味な集団だった。なかには見覚えのある枢機卿や大司教の顔もある。これだけの人物が動いたということが事の重大さを物語っていた。まさか本当に使徒が現れたというのだろうか?
タースの顔色からも余裕が消えていた。同じ考えに至ったのだろう。使徒の力は万の軍勢をも凌駕すると言い伝えられている。そんな怪物を相手にする戦力などこの国にはない。つまり例え使徒を否定しようともタースには止められない。もしも止められる者がいるのならばそれは使徒を超える神か或いは悪魔か……。
突如として轟音と共に礼拝堂が揺れた。まるで空襲にでも見舞われたかのような事態に誰もが動揺の色を見せる。そのときだった!
ステンドガラスを破り大きな黒い影がソニアに向かって落ちてくる。ソニアが咄嗟にできたのは、ただ目を瞑ることだけだった。数瞬――潰される恐怖は足裏に感じた振動で消えたが、その後の悲鳴がソニアを再び恐怖させる。しかし――。
「ソニア、助けに、きた!」
聞き覚えのある声を耳にして目を開けたソニアの前に、大柄の黒犬が四本の足で立っていた。
「グリムッ!」
その黒犬はエリスから預かった妖精だった。主人を探しに行っては手がかりをつかめずに戻ってくる。そんな時を三十年続けていたグリムとは、さよならも言えずに別れてしまった。そのグリムが自分を助けに来てくれたことが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。感謝よりも謝罪を口にしようとしたソニアは、グリムの側にいた少女の顔を見て絶句する。
似ていたのだ。親友と……。まだソニアが小さかった頃の記憶の中にいるエリスにそっくりだった。昼間の出来事を思い出す。エリスの家族を捜していた男の言葉を……。
ソニアは記憶の底から彼女の妹の名を思い出して……口にした。
「ルカ……ちゃん?」
周囲を警戒していた少女がソニアの呼びかけに反応すると、場違いなほど元気に返事をした。
ソニアの瞳から涙が流れ落ちる。エリスから家族は死んだものと聞かされていたから……。エリスに教えてあげたい。妹は生きていたと……。
「賊がこんなところにまで入りこむとはなんたることか……嘆かわしい」
「自分で招き入れておいて被害者面とはどこまでも勝手な」
駆けつけてきたタースと衛兵たちがソニアの前に出る。加えて牙をむいた黒犬の存在に恐れを感じたのか、取り囲んでいた兵たちが下がっていった。
「賊と手を組むとは……ガラにもなく焦っているなタース」
「やむを得まい……これも貴様の暴走を止める為だ」
「ふん。平行線だな。よかろう……あの世で神に謝罪するといい」
その言葉が合図となり、双方の衛兵たちに突撃の命が放たれた。数十人がせめぎ合う。兵士の数はほぼ互角。だが控えている魔術師の数が圧倒的に違っていた。
「ソニア以外は殺してもかまわん」
クーラの言葉に呼応するように、四元素の魔術が入り乱れて放たれる。仲間もろともこちらの衛兵たちを吹き飛ばし、その牙はソニアの眼前まで押し寄せた。しかし――ッ!
「馬鹿な……マジックシールド……いや、マジックフィールドだと?」
魔術の牙はソニアたちに届く前に拡散して、その威力を大幅に削いでいた。その魔法が小さな女の子の手から展開していることに気づいた誰もが驚愕する。
「子供が……一人で……ありえん。妖精族……いや、エルフとてそのような芸当できはしないはず」
ぶつぶつと呟いていたクーラの目が急に爛々と光り出した。
「そうか……そういうことか。これも使徒様のお導きか……ふふふ、あはははは、あーはっはっはっはッ!!!!!!!!」
「気でもふれたかクーラ?」
「失礼。あまりの幸運に我を忘れてしまったよ。よもや……ハイエルフの生き残りにお目に掛かろうとはなあ」
タースがぎょっとする。その種族はアース教徒にとって悪魔に等しい存在だったからだ。だがルカはそんな視線を気にすることなく、だらりと垂れた腕に力をこめて息を整えると、次の攻撃に備えていた。
「タース殿、この少女は味方です。どうか――」
「わかっている。その少女はその細腕で我々を守ってくれたのだからな」
ソニアの言葉にタースが頷く。その様子を見つめていたクーラが悲鳴をあげた。
「タース! 悪魔としってもなお手を組むというのか! この罰当たりめが!」
「悪魔のような残虐をおこなおうとしていたのは貴様だろう――クーラ!」
「ええい、殺せええええええッッッッッッッ!!!!!!!!!」
傷ついた衛兵たちが立ち上がり、再び攻めてきた。魔術師たちも詠唱をはじめる。こちらは衛兵たちの傷を魔術により癒している最中で動ける者は――グリムだけだった。
黒犬が吠え、衛兵たちに襲い掛かる。素早い動きで翻弄しながらも、分厚い鎧に牙をたてる。鎧を噛み砕くほどの強靱な顎により一人、また一人と敵を減らす。その姿はソニアが見ても恐怖を感じるものだった。なのに衛兵たちは怯まない。味方の屍すら盾にするようにグリムに突撃した。
グリムは強い。が、敵の数が多かった。次第に動ける範囲を狭められ、白刃が黒い体を切り裂いていく。
「グリム――ッ!」
ソニアの叫びも詠唱を終えた魔術師からの攻撃で掻き消される。直接狙われていないソニアですら魔術の熱と衝撃でよろめくほどだ。ルカが守ってくれていなければ、死なないまでも大けがを負わされていたに違いない。
しかし回復した衛兵たちもすぐに魔術の波に押し返される。ほどなくして攻撃が止んだ……。
ソニアが見た光景は絶望すら感じるものだった。味方の誰もが膝をつき、立っていたのはグリムとルカだけだった。そのルカも肩で息をして両腕をだらりとたらしている。対する敵は……全員が立っていた。後衛の魔術師は当然のこと、傷だらけの衛兵までもが回復魔術に支えられて立ち上がっている。
このままでは……負ける。
うなり声をあげるグリムの姿も虚勢を張っているように見えた。しだいに体を支配してくる恐怖に耐えられずに肌が震えはじめる。ゾンビのように復活した衛兵たちが一歩一歩近づいて来ると逃げ出したい気持ちに襲われた。しかし目の前に立つ少女の小さな背中を見て、急にその気持ちがしぼんだ。
この子だけも守らなくては……エリスの家族を守らなくては!
「ルカちゃん逃げて!」
ソニアはなりふり構わず走り出すと衛兵に飛び掛かる。しかし――ッ!
華奢な体は衛兵の腕に当たっただけで吹き飛ばされる。口の中に広がる鉄の味が痛みと共に現実を知らしめた。
「悪あがきを……。かまわん。ちょろちょろを動かぬように足の腱でも切っておけ」
衛兵は意思のない瞳でクーラの命令を実行にうつそうと剣を振り上げるた。殺されるわけではない。這ってでも逃げればいい。それであの子の逃げる時間が稼げるのならばとソニアが覚悟を決めたそのとき!
「うおおおおおおおおおっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!」
雄叫びをあげて駆け込んで来た人影は重い鎧をものともせずにソニアの前に飛び出すと――一閃! 剣を握った衛兵の腕が肘から斬り飛ぶ。立て続けに――一閃! 兜を割られた衛兵はその場に崩れ落ちた。
「遅くなりました……陛下」
「……来るなと言ったのに」
こんなときだというのに膝をつき礼をとったのはフィリラ王国の近衛隊長イオス・カーゴだった。
「伝言はたしかにお聞きしました。ですが……なんと言われようとも私は陛下をお守りいたします!」
強い意志を秘めた瞳はソニアにも有無を言わせないものだった。傷だらけになりながらも窮地にかけつけてくれた聖騎士……。幼い頃より変わらない忠誠心にソニアは笑顔を見せるしかなかった。
「ありがとう」
頭を下げる律儀な騎士に助けおこされて立ち上がる。その姿を待ちわびたようにクーラが微笑み――号令をかけた。
魔術の波がソニアに向けて放たれる。その身をていして庇おうとしたイオスが前に出た。が、風も炎もイオスまで届かずに拡散する。ルカが魔法範囲を拡大したのだ。しかしそれでも爆風まで散らすことができずにソニアたちは吹き飛ばされた。
イオスが庇ってくれた為、ソニアはすぐに立ち上がることができた。イオスも呻き声を抑えながら立ち上がる。入れ替わるようにソニアを守ってくれていた少女が膝をついた。
「ルカちゃん!」
荒い息を吐き出すだけで精一杯の少女は痛ましい姿なのに笑顔で答える。なんて強い子なのだろう……。
「もう限界のようだな……そろそろ終わりにするとしよう」
クーラは満足そうな顔で自ら詠唱し光の矢をルカに向けた。
「滅びよ! 悪魔の子よ!」
光の矢がルカへと迫る。刹那――壁に岩でも叩きつけたような音と共に、よこやりでも入れられたかのように矢の軌道がそれていく。しかし不可視の衝撃をこえた数本の矢は目標を見失うことなく襲い掛かった。
ソニアが叫び、クーラがニタリと勝利を確信したそのとき、少女の影から這い出た人影が、ルカの体を抱えて飛び上がった。その残映を光の矢が通りすぎる。
着地した人影は味方と呼ぶには奇妙な格好の女だった。黒いレオタードにマントを羽織った色黒の女だ。しかし丁重にルカをおろす姿を見た限り敵ではないのだろう。ルカの安心した顔がその証拠だった。
「ご無事ですか、お嬢様?」
「はい! ありがとうございます!」
「当然のことをしたまででございます。どうやらあの方を追い越してしまったようで恐縮ですが……」
「あの方?」
少し考える素振りを見せたルカの顔がぱっと明るくなる。
「迎えに来てくれましたか!」
「はい。先ほどお会いして……きっついお仕置きを頂きました……ふふっ」
明るかったルカの顔が急に青くなる。
「お留守番するの忘れてました……」
「まあ、それは大変。しかしご心配には及びません。お嬢様への罰はこのイラが代わって引き受けましょう……ぐふふっ」
ソニアは二人のやりとりを見て呆然としていた。それは周囲も同じで、こんな殺伐とした状況でありえない会話だった。その不可解な空気を破ったのもまた奇妙な格好の女だった。イラと名乗った女と同じ格好だが、こちらは一回り小さくアッシュブロンドの髪をなびかせて駆け寄ってくると――。
「おい。空気読めよブス! あちらさんカンカンだぞ。あと聖騎士のにーさんも勝手に突っこむなよな! 段取りめちゃくちゃだぜ!」
最後の言葉はイオスに向けられたものだった。視線を送ると「味方です」と短く答えて油断なく敵を見据えた。場の空気が元に戻っていくのを感じる。
「ロニー、退路の確保はできたのか?」
「できるわけないだろ! 致命傷を与えても蘇ってくるような連中だぞ! アンタとそこのブスが飛び出して行ったせいで絶賛追われ中だよ! ほら!」
投げやりに背後を指すロニーと呼ばれた少女の言葉通り、入口には衛兵や魔術師たちで溢れていた。黙って見ていたクーラが薄ら笑いを浮かべる。これを狙っていたのだろう。
「イオス君、きみにはガッカリさせられたよ」
「それはこちらの台詞だ。この状況、いったいどういうおつもりか?」
「きみがさっさと連れ出していればこうはならなかった……まあ、きみがぐずぐずしていてくれたおかげで彼女はチャンスを頂けたのだがね」
「どういう意味だ?」
「光栄に思いたまえ。ソニア・エム・リーヴスはワルキューレ復活の生贄に選ばれたのだよ!」
クーラは両腕を広げて喜びをあらわにした。だが当事者であるソニアもイオスたちも理解できずに反応することができていない。唯一……タースだけが険しい表情をつくりクーラをなじった。
「いい加減にしろクーラ! 妄想にしても酷すぎる。とても教皇の座を目指す者の言葉ではない!」
「貴様のように権力を欲するが為に教皇を目指す俗物と一緒にするな。そんなものほしければ貴様にくれてやる。わたしは使徒に、そして神に殉ずるのみ!」
ソニアを見つめるクーラの瞳孔は大きく開かれていた。
「恐れることはない。きみの魂は神のゆりかごの中で永遠となるのだ。さあ、わたしと共にゆこう!」
イオスが無言のままソニアの前に立った。ルカとグリムも立ち上がりクーラを見据える。そのなかにイラとロニーも加わる。タースと従える衛兵も身構えた。
「愚かな……。実に嘆かわしい。恐怖のあまり状況が判断できないのかね?」
答える者は誰一人おらず、クーラはやれやれと首を振った。
「よかろう。わたしも幼少の頃に経験した……試練とは、痛みと苦しみを伴うものだと」
残忍な笑みを浮かべたクーラが合図すると――一斉に襲い掛かってきた。
イオス、イラ、グリムが三方に散り、突進してきた衛兵たちを迎え撃つ。イオスとイラの剣が敵の数を確実に減らす。グリムの牙と爪も敵を押し返す。弓を構えたロニーと腕を突き出したタースが詠唱をはじめると、前衛を抜けてきた敵に魔法と魔術を放った。次々に倒れていく敵。援軍はそれほどに強かった。だが……。
「たく! ほんとなんなんだよアイツら! 倒しても倒してもきりがねー!」
ロニーが叫んだとおり、敵は傷をつけられたはしから回復魔術をかけられて蘇ってくる。苦痛も恐怖も感じていないかのように、むしろ喜んですらいるように見えた。
「きみたちとは覚悟が違うのだよ。我々は神に殉ずることを恐れない。たとえ我が身が引かされようとも、その魂は神の元へと導かれる!」
クーラの言葉に鼓舞された者たちが勢いづく。ソニアたちは徐々に押されはじていた。
このままでは……全滅する。
力無い自分が歯がゆかった。段々と攻撃の手数が減り、守りに転じはじめている。そして守りの要であるルカの力が弱まってきているのを感じていた。魔術の波状攻撃をたった一人で防いでいる少女の顔には明らかな疲労の色が見てとれる。限界が近いように思えた……。
ソニアは自分にできることを考え……決心した。
「クーラ殿、おやめ下さい!」
ソニアが声を張り上げる。女王として生きた経験がソニアの言葉に重みを与えていた。クーラがそれに応えて攻撃を手をゆるめる。
「私は貴方と共にまいります」
「ふむ……素直で結構。では――」
「ですがその前に皆さんを解放して下さい!」
「なるほど……本来ならば聞いてやる道理はないが……まあ、よかろう」
クーラが指示を出して部下たちを下がらせると退路が確保できた。知らぬ間に巻き込んでしまったルカたちに対するせめてもの罪滅ぼし。生贄というのが言葉どおりならおそらく殺されることになるだろう。だが自分の命と引き替えに家族に等しい人の妹を守れるのならば本望だ。
ソニアは恐れを顔に出さずに進み出た。が――。
「ルカちゃん……離して」
少女の細腕がソニアの左手を掴んでいた。ルカは首を振り瞳を潤ませる。
「行っちゃだめです。使徒は危険です」
満身創痍だというのに少女の手から伝わってくる力強さを感じてこみ上げてくるものがあった。この手を振り払うことに罪悪感を覚えていると……。
「その娘の言うとおりだ。クーラの言葉が真実ならば手を貸してはならない。ワルキューレの復活など……災い生むだけだ」
「タース殿……しかし――」
「どのみちクーラが我々を生かしておくことはないだろう」
タースがクーラを睨み付けるが返事はなかった。沈黙は金……。
ソニアの決意が鈍る。ではどうすればいいのか? 躊躇うソニアの心の問いに答えたのは、長年付き添ってくれた騎士だった。
「姫、お気持ちは嬉しく思いますが俺たちはそんなこと望んじゃいません」
幼かった頃、まだソニアが姫と呼ばれイオスが騎士見習いだったその頃の口調で話す。それは建前もなく本心をぶつけてくれていたころの口調だった。
「絶体絶命の窮地に見えるでしょうが俺は実のところ心配なんてしていません。なんせここには……嬢ちゃんがいる。だろ?」
イオスはルカを見て返事を待つ。するとルカは疲れなど忘れたかのように笑顔で頷くとソニアを見据えた。
「大丈夫です。きっと提督が助けに来てくれますよー!」
ルカの笑顔がエリスと重なる。その信頼しきった表情を鮮明に思い出して、こみ上げてきたものが目尻に溜まっていく。
ソニアはその足をとめて少女の手を握り替えした。
「まったく……時間の浪費だったか」
クーラが冷たく言い放つ。
「残念だ……ソニア・エム・リーヴス。神格をもちながら俗世の言葉に惑わされる愚か者よ……使徒様もさぞガッカリなさることだろう」
クーラは溜息をつき顔を上げた。その瞳からは色が消えているように見えた。
「せめて最後まで美しく散らせてやろうと思っていたが……やめだ。その愚か者たちと共にここで……死ね」
クーラが両手を掲げて何事かを呟くとタースの顔色が変わった。
「いかん! 奴を止めろ!」
タースが無詠唱で光の矢を放つが、その矢は庇うように前に出た魔術師の胸を突く。クーラは顔色一つ変えずに詠唱を続けた。
「タース殿、いったい?」
「禁術だ! 奴は礼拝堂ごと焼き付くすつもりだ!」
禁術という言葉意味はソニアでも知っていた。上級魔術を凌駕する極めて危険な魔術。優れた魔術師でも扱いが困難で、一度ふるえば制御できずに敵味方ともに大損害を与える。ゆえに禁止された術。
イオスとイラとグリムが走り出すが、衛兵たちが我が身の傷もおそれずに斬りかかってくる。間違いなく禁術に巻き込まれることを知りながらも、その数も勢いも増していく。
タースやロニーの攻撃も、人の壁によって届かない。そうしている間にもタースの掲げた腕のなかに、禍々しい魔力がふくれあがり溢れ出そうとしていた。そしてその魔力が紅く変貌をとげると、人一人呑み込むほどの火球が生まれた。
「全ての愚かなる者たちに灼熱の裁きを与えん――インフェルノ」
無表情だったクーラの顔に邪悪な笑みが浮かんだ。そして打ち上げられた火球は放物線を描きながら迫ってくる。この広い礼拝堂において拍子抜けするほど小さな火だねだったそれが、唐突にはじけると一瞬で眼前を炎の海と変えた。室内に収まりきらないほどふくれあがった灼熱がソニアたちに襲い掛かる。
咄嗟に離れた小さな手を突き出したルカが魔法による障壁を展開するが、その光の壁は些細な抵抗にもならずに呑み込まれた。
絶望――。
あがなうこともできずに蹂躙されるそれは、恐怖を通り越して諦めを感じさせた。それでもソニアはルカを引き寄せて抱きしめた。こんなことでどうにもならないことは触れてもいないのに肌を焼く熱風が物語っている。呑み込まれればひとたまりもないだろう。それでもこの子だけは守りたかった。華奢な体を抱きしめて、信じてもいない神に祈る。その瞬間によぎったエリスの顔は……笑っていた。
ごめんね。エリス――。
最後の瞬間を覚悟したそのとき、疾風が背後から吹き抜ける。そして――。
灼熱の炎が真っ二つに切断された。それだけでは終わらず炎は裁断でもされうかのように細切れにされ――消滅した。
それはありえない光景だった。しかし肌を焼く熱はもうない。消えた炎の中から人影が浮かび上がる。その影はまるで木の葉が舞い散るかように空から地上に降りてきた。
焼けこげたローブを脱ぎ捨てると、そこに立っていたのは黒髪の青年だった。そして振り向いた青年はソニアを安心させるかのように……優しく微笑んだ。
腕の中でもぞもぞと動き出した少女が「ほら」っという顔をしていた。ソニアはいつの間にか涙を流してエリスの笑顔を思い出していた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
それでは皆様、よいお年をm(_ _)m




