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第 2 話 《 エルフと提督 》

「お邪魔します……」


 船の中へと入った飛鳥は思いのほか明るいことに驚いていた。


 壁に沿って続く左右の通路には、等間隔で天井から明かりが灯されている。非常用の明かり程度だが数もあるし足下がおぼつかないということはない。


 未だに照明が健在とはさすがはファンタジー。これも魔法的な力で維持しているのだろう。これなら内部を探索することもできそうだ。

 

「せっかくだし……ね」


 ファンタジーな異世界に来たのだからダンジョンの一つも潜ってみたいと思うのは無理からぬことだ。薄暗い迷宮なんかよりは難易度の低そうな廃船だしビギナーにはもってこいだろう。と、勝手に納得してズンズンと踏み込んでいった。


 しかしいくら歩いても部屋らしい扉は見あたらなかった。

 全長百メートル以上なので仕方がないのか? あるいは区画が違うのか?


 いい加減探索に飽きはじめた頃、ようやく階段を見つけた。もちろん上ってみる。しかし期待したほどの変化はなかった。変わったところがあるとすれば少し通路の幅が広くなったぐらいだ。もう少し探索してみて何もなければ引き返そうと思っていた矢先に開けっ放しの扉を見つけた。 

 ようやく苦労が報われたことにホッとして中へと入る。すると真っ先に目に飛び込んできたのは床に倒れた少女の姿だった。


 飛鳥の短い悲鳴を聞きつけたかのように突如として警報音が鳴り響く。そして開いていた扉にシャッターが降りた。突然の出来事に混乱しながらもともかく人命第一という意識に体が動く。少女の元に駆けつけた飛鳥の足が止まる。その姿を見て唇を噛みしめた。


 すでに少女の両目は閉じられ、口元から伝う赤い液体が床に広がる凄惨な光景だった。

 見知らぬ異世界の少女とはいえ、年端も行かない女の子の哀れな姿には同情を禁じ得ない。


「可哀想に……」


 せめて綺麗な死に顔をと思い、口元の血をぬぐってやろうとして覗き込んだ頃になってようやく気がついた。


 警報音に混じって穏やかな寝息が聞こえる……。

 赤い液体からは何やら甘い匂いがする。よく見れば小さな手に瓶のような筒を持っているではないか。


「紛らわしいわッ!」


 飛鳥のツッコミに呼応するかのように少女の体がビクリと震えたかと思うと、小さな呻き声を上げながら上体を起こし――。


「うるしゃいッ!」


 激昂して拳を振り下ろした。と、警報音がパタリと止む。まるで見えない目覚まし時計を乱暴に止めたようだった……。


 気づけば少女の瞳が飛鳥を見上げていた。


「や、やあ、大声出して、その……ごめんね」


 あきらかに警報音の方が大きかったと思うがタイミング的に罪悪感を抱いてしまう。少女は何も言わずに口を半開きにしたままじっと見詰めていたかと思うと、突然顔を歪ませる。そしてあっという間に目尻に溜まった涙を流して――泣き出した。


 やばい……逃げ出すべきか?


 しかし泣いている子供に背を向けるなど男としてどうなのか?

 とはいえここは異世界だ。不法侵入の分際でこの状況を弁解する自信はない!


 飛鳥が立ち上がろうとしたそのとき、少女が組み付いてきた。

 逃亡は困難か? と、思われたがそうではなく、力一杯抱きしめられているようであったので、恐る恐るだが優しく抱き返した。少女は安心したのか少し力が弱められたが離してはくれず、しばらくそのままじっとしていることを余儀なくされた。


 どれぐらい経ったか……。


 少女が泣き疲れたあたりでチョコレートを食べさせてやると、びっくりするほど美味しかったらしく、泣いていたことなど忘れたかのように笑顔を見せてくれた。

 ホッと胸をなで下ろすもまだ解放されたわけではない。

 無理矢理引きはがしてもいいのだが、こう屈託のない笑みを向けられていると実力行使は躊躇われる。


 可愛らしい容姿の女の子なので悪い気はしないが、生憎とロリコンではないのでいつまでもこの状態でいたいとも思わない。しかし、まあ、端正な顔立ちをしている。


 両目は大きく、青い瞳がキラキラしている。マシュマロのように柔らかそうなほっぺは思わず触れたくなるほどだ。ほっぺに劣らず細く柔らかな金髪も素晴らしい。ハーフアップしたアクセントも実に可愛らしい。やたら好意的だしこんな美少女が側にいたら人生狂いそうだ。しかし自分は大丈夫……のはずだ。

 撫でていた手を下ろそうとした瞬間、耳のあたりで違和感を覚えた。意識して見たことで髪の隙間に突起物を見つける。それは柔らかそうな耳だった。


「まさか……エルフ?」

「そうだよー」


 少女特有の甘ったるい声の返事は肯定だった。


 なるほど。どおりで人間離れした可愛さだったわけだ。

 それにしてもまさか異世界に来て早々にエルフと出会えるとは……感無量である。ファンタジー冥利に尽きるというものだ。


 飛鳥がウキウキしているとエルフもニコニコと笑顔を返してくる。本当に可愛いな、この子。


 さて、いつまでもこうしているわけにはいかないので、少女の腕をそっとほどいて立たせてやる。脇の間に手を入れるときに見せたくすぐったそうな顔がまた可愛いかった……。


「君、何歳?」

「えっとー……812歳です!」


 合法だなと一瞬考えて首を振った。いくらなんでも倫理的にアウトだ。

 しかし信じがたい。見た目は7歳か8歳といった感じなのに800年以上も生きているとは……。


 エルフが長寿だとは思っていたが800年も生きていられるものなのか?

 元の世界で得た知識とは差異があるのかもしれない。それにしてもこの子がエルフだとして、視界に文字が浮かび上がらなかったのは何故だろう?


 あれは魔物限定なのだろうか?

 そういえば名前も聞いていなかったことに今更気づいて、大人として反省する。


「俺は……アスカ・カミジョウ。君の名前は?」


 少し考えてステータスにのせられていた通りにファーストネームを先に読み上げた。すると少女は何度か飛鳥のファーストネームを呟いて飲み込むように頷くと、何故だか軍隊式の敬礼をした。


「ルカ・トゥルーデ・フロージです。ぴしッ!」


 擬音を口にしているあたりがまた可愛い。


 しかしなぜ敬礼? この世界の挨拶なのだろうか? 


 とりあえず返礼しておくとルカは歓心して微笑んだ。満足したのか下ろした手を飛鳥へと差し出す。握れということか?

 すると自分の手が赤く汚れていることに気がついたルカは慌てて服で拭った。ついでに涙で流れたとはいえ多少残っていた口元の汚れを指差して教えてやると、白いワンピースのようなスカートをたくし上げてゴシゴシと顔を拭きだした。


 見えてる見えてる、丸見えだ。

 少女の可愛らしい下着から視線をそらす。歳は食ってるがやっぱり子供だなと再認識した。


「とれましたかー?」

「とれたとれた。次はハンカチ使おうね」

「?」


 まだ恥じらいの気持ちは芽生えていないのか? エルフの精神的成長はかなり遅いようである。

 再び差し出してきた手を握ると、ルカは満足そうに微笑み、飛鳥の腕を引っ張った。


「ご案内します!」

「案内というと……この船の中を?」

「はい! ささやかながら歓迎会の準備もしてありますのでどうぞ!」


 歓迎会の準備? まるで客でも待っていたかのようではないか。


「待って、ルカ。人違いしてないか?」

「?」

「俺は、その……雨宿りさせてもらおうと入ってしまっただけで、その……勘違いさせちゃって……ごめん」


 感極まって泣き出すほどの相手と間違われるとは……悪いことをした。

 しかしルカはブンブンと首を振ると、強い眼差しを向けた。


「勘違いなんかじゃありません。ずーーーーーーと、お待ちしてました!」

「いや、でも……」


 今日、別の世界から偶然やって来た自分を待っていただなんてありえないのだ。子供相手にどう説明したものかと悩んでいると、少女とは思えない力で引っ張られた。


「証明します! ついて来て下さい!」


 飛鳥はルカの真剣な眼差しを拒むことができず、黙ってついて行くことにした。

 きっと大人もいるだろうから会ったときにでも説明しようと思う……。


 通路を進み更に階段を上ると、目的の場所に到着したようだった。しかしそこは飛鳥の想像していた光景とは違っていた。

 船であることをルカは否定しなかったので、道すがら位置関係を確認して歩いていた。だからその部屋がブリッジだと目星はついていた。なのにだ……。


「ここ、ブリッジ……だよね?」

「はい……少々お待ち下さい」


 ルカは申し訳なさそうな顔で飛鳥の手を離すとトコトコと奥に入って行った。飛鳥もその部屋に足を踏み入れる。


 圧巻である。壁一面に歓迎の言葉を綴った紙らしいものが胸焼けするほど大量に張られていた。他にもお誕生日会よろしく的な折り紙で作ったような輪っかやら、クリスマスツリーの飾り付けのようなものがところ狭しと飾られている。もしも中央の舵を見なければ、この部屋が艦橋だと言われても信じられなかっただろう。


 ルカを見ると腰に手を当て床に倒れていたメイド服を着た妙齢の女性を見下ろしていた。


 近づいてみると褐色の肌と、ルカよりも長い耳が目についた。ひょとするとダークエルフなのだろうか?

 それにしても何故このエルフも床に寝ているのか? 

 もしかして床に寝る文化でもあるのか?


 気持ちよさげに寝ているダークエルフをルカが乱暴に揺り起こす。


「ふへへ、倍プッシュや……」


 かなりの美人なのに百年の恋も一瞬で冷めるほどだらしない寝顔だった。


「おきてー! ねえ、おきてー!」

「ふへへ、へ? あへ? お嬢しゃま?」


 ダークエルフはのろのろと起き上がるとルカに深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんお嬢様。つい張り切ってしまい、夜通し飾り付けをしていたら力尽きてしまいました」

「それは……しょうがないねー」

「恐れ入ります」


 スラリとした体で深々と頭を下げる姿は実に様になっている、見た目通り本物のメイドなのだろうか?

 あちらの世界の知識だと、闇のエルフと呼ばれるだけあって、光を象徴するエルフと敵対関係にあると思っていたのだがどうも違うようだ。二人とも俺の想像していた高貴なイメージから大幅に外れているので、考えを改める必要があるのかもしれない。


「それでは引き続き準備の方を――ッ!」


 ようやく俺の存在に気づいたダークエルフがルカの笑顔を見て額を抑えた。


「……お嬢様、何度も言いますが薄汚い人族など拾ってきてはいけません。厚かましい種族ですゆえすぐに調子にのって――」

「拾ったんじゃないよー!」


 憤慨した少女の身振り手振りをまじえたつたない説明で、どうやら飛鳥の人権が侵害されずにすんだようなのだが、ダークエルフの矛先は俺に向けられ……ヤクザかとツッコミを入れたくなるほどのメンチを切られた。自分より長身だしすんごい怖い。


「勝手に他人様の家にズカズカと上がり込むとはどういう了見でございましょうか? ああんッ!」

「いえ、その、少し雨宿りをさせてもらおうかと思いまして……」

「はあ? この神聖なる妖精艦に入り込んで雨宿り? なめとんのか我ぇ! 下手に出てりゃあつけあがりやがってッ! さっさと出てかんかいッ!」


 飛鳥が後ろ足を踏むと胸ぐらを掴まれて引き寄せられた。


「まだ話しは終わってねえだろうがッ! どうやってこの艦に潜り込んだかは知らねえが、この艦のことは一切口外するなッ! もしもバラしてみろ……ダークエルフさんの呪いで殺害すんぞッ!」

「は、はい。ご、ご迷惑をおかけしました。すぐに出て行きますので――」

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!」


 オロオロしていたルカが激昂する姿を見て威勢のよかったダークエルフがたじろいだ。


「お、お嬢様? 何故このものをかばうのですか? 服装も妙ですし危険な臭いが――人族など飼っても百害あって一利なし――」

「そうじゃないの! お告げの話しはしたでしょー!」

「き、聞きましたとも。ですから徹夜で歓迎の準備をしていたのでござます。だからこそです。今日は大切な日でございますので人族などにかまっている暇などございません。ですから丁重にお帰り頂くように――」

「もう! 違うのー! この方が提督なの!」


 場の空気が固まった。ダークエルフは言葉を忘れてしまったかのように口を開けたまま白目をむいていた。しかし驚きで言葉を失ったのは彼女だけではない、飛鳥もその一人だった。なぜルカに自分の職業がわかったのか?


 飛鳥がルカに質問しようとすると、石化の解けたダークエルフの笑い声が遮った。


「またまたご冗談を! だってこいつ人族ですよ? 栄光ある妖精艦隊を率いる提督になれるわけがないじゃないですか? この艦はお嬢様のような選ばれしハイエルフのみが操れる至高の戦艦ですよ? それをどこの馬の骨ともしれぬ人族風情に――」


 まだ話しは続いていたのだが、飛鳥はルカに引っ張られて一段高い艦長の席とおぼしき椅子に座らされた。

 職業を看破されたことも気になるしこうなったら最後まで付き合おう。


「ルカ、どうすればいい?」

「おい、貴様! お嬢様に対してなれなれしいぞッ!」

「イラは黙っててッ! 提督はその椅子に座ってるだけでいいよ。あとは――」


 言われなくともわかった。


『 ようこそリンフルスティへ 』


 例の文字が浮かび上がると、提督登録という文字が続く。名前を入れるのだと直感で理解した。

 見たこともない文字が羅列していたにも関わらず、飛鳥は難無く名前を入力した。それを終えると――。


 薄暗かったブリッジに明かりが灯り、眠っていた周囲の機器に命ともいえる光が宿る。


『 アスカ・カミジョウ提督を承認しました 』


 ルカは得意げな顔をしてダークエルフを見た。ルカの明るい笑顔とは対照的に、ダークエルフの顔は真っ青に染まり、涙を浮かべてガタガタと震えだす。そして飛鳥と目が合うと、バク転して着地する。同時に額を床にこすりつけた。


「も、もももももももも、申し訳ありませんでした、提督様ッ!」


 あまりにも華麗に手の平を返す姿を見せられて、言葉が出なかった。


「か、かかかか、数々のご無礼、ど、どどどど、どうかお許しくださいッ!」


 額をこすりつけるだけでは飽きたらず、ガンガンとぶつけだすダークエルフの姿に狂気を感じる。


「わ、わわわわ、わたくしはどのような処罰も受けますので、両親、兄妹、親戚、一族一同への処罰はどうかご勘弁くださいッ!」

「わかったから落ち着いて」

「何卒ッ! 何卒ッ! お願い致しますッ!」

「処罰なんてしないから、頭打ち付けるのをやめてくれ!」


 ようやく狂気な音が止む。顔を上げたダークエルフは意外にも額を腫らしただけだった。この世界のエルフは頑丈らしい。


「お許し頂けるのですか?」

「ああ、別に気にしてないから」


 多少腹は立ったが一族を処罰する規模なんて……異世界の常識はよくわからないことだらけだ。


「寛大なご処置、ありがとうございますッ!」


 ダークエルフはもう一度床に額をこすりつけると、上半身を起こして慈しむような瞳をルカへと向けた。


「お嬢様、イラは貴女様におつかいできて幸せでございました。ほんの50年ほどではありましたが、イラは果報者でございます。後任の者が来るまで不自由されるかもしれませんがご容赦ください。それから……おやすみになられる前に甘いものをとるのはお控え下さい。お嬢様は満足するとすぐに寝てしまわれる癖がござますゆえ……あと、冷蔵庫に今晩のデザートをしまっておきましたのでお早めに――と、よく見ればその格好は……もう食べてしまわれたのですね。ふふふ」


 なんだろうこの空気は……。死に際の遺言のように聞こえるのは気のせいだろうか?


「では、お嬢様。イラはアルフハイムでお待ちしております」


 三つ指揃えてお辞儀をすると覚悟はできたと言わんばかりの顔でこちらを見てきた。


「さあ、どうぞ処罰をッ!」

「だからしないよ!」

「やはりわたくしの命だけでは――」

「命どころか怪我すらさせる気ないからッ!」


 ようやく理解してもらえたのかダークエルフは沈黙した。しかし――。


「わかりました……そういうことでしたら」


 どういうことかわからないが、とりあえず服を脱ごうとしたので急いで止めた。


「気が利きませんで……破るのがお好きなのですね」


 そんな趣味はない。ところで何故、頬を染める?


「婚期を逃した350歳の生娘ではございますが、提督様にご満足いただけるように性心性意――」

「だから処罰とかしないってばッ!」


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