第3話 ~仲間と共に歩む道~
「ふむ、一応の馬としての装備品はこんなものか?」
「ですかね。鞍に荷物を載せて置ける台と、これだけあれば一応馬として機能出来るでしょう」
「な、なんか背中に色々乗せるとちょっと違和感ありますね」
「その鎧を纏っていてそんな事を言うか?」
「いや、これは体の一部みたいなものなんで」
あ、そうだったのか。一晩経ったら昨日のダメージが殆ど治っていたり飛べたりと、魔獣とは本当に能力の多い生き物だな。
現在我々はフォーカナルにある馬具を売っている店に来ている。日時としては、杖を探してゼームの家に行った翌日だ。
あの後、メリアに乗って街道に出て、そのフォーカナルに戻って来た。……流石に街道に直接出るのは不味いだろうと思って、近くの森で降りたが。
そしてその足で魔道士ギルドに杖を突きつけに行き、魔道士ギルドの魔道士も相当に驚いていたが、杖から出ている魔力でそれが本物だと認めたようで、観念して賞金を渡してきた。無論、私とロウガッファの依頼書を突きつけて、両方の依頼に報酬を支払わせたぞ。
故に旅の資金は相当に潤った。で、全員が疲れていたので一泊して現在に至る、という訳だな。
「まぁ、これから荷物はメリアに任せるのだし、これで随分旅は楽になるな」
「そうですね。どうせなら荷馬車を買ってしまっても良かったと思うのですが……」
「商人でも無いのにそれはな? それに、メリアがデカくて普通の荷馬車では傾いてしまうし、引くのも窮屈そうだったから致し方ないだろう」
「基本的に、私は馬ではなく魔獣ナイトメアですし、そこはご理解頂けてありがたいです……」
ま、喋れる時点で普通の馬では無いしな。一応戦闘もこなせるのだから荷馬車なんて付けてると邪魔になるだろうし、鞍と荷台で十分だろうさ。
メリアの旅支度はこれでいいとして、後はこれに荷物を積んでフォセル登山を始めるだけだな。いやぁ、良い荷物番が出来たのは良かったと言うべきだろうな。
かなり重い物でも運べて、いざとなったら乗る事も出来る。おまけに飛べる。なんて高性能、そこらの馬ではこうはいかない。そもそも馬じゃない。
「……遠い目して固まってるけど、トゥアン大丈夫?」
「いや、この旅は何処へ向かっているのかと思ってな……」
「? いや、王都ですよね?」
「そういう意味の向かっている方向じゃない」
もっと、もっと普通なメンバー構成の旅は出来なかったものだろうか。出会いが珍奇なものに偏っている時点であれなのかもしれんが。
今更嘆いても仕方が無い。こうなれば、開き直って王都を目指すだけだな。……そう言えば、王都に着いたらメリアはどうすべきだろうか? ついて来る以上、私が面倒を見る事になるわな。当たり前か。
まぁ、居て困る存在……とも言えなくもないが、気質は穏やかなようだし、運び屋の旅の共としては優秀だろう。その後も一緒に旅をするんでも問題は無いだろう。
「気にしていても仕方ないか。よし、旅支度をしてフォセル山に挑むとしよう」
「フォセル山も、何事も無ければ一日もあれば超えられる筈です。まぁ、流石にこれからとなると、向こう側のセルファに着くのは夜分近くになるかもしれませんがね」
「むぅ、仕方ないだろう。宿が無ければ、今夜は野宿だな」
なんにしても、今日の行程は基本的に山歩きだ。疲れ具合によっては、山の向こう側にある町、セルファに一泊して行ってもいいしな。
まずは宿に戻って私達の荷物を持ってこよう。それから、野宿をする可能性もあるのだから食料も少し多めに買っていこう。
さてさて、今日もまたのんびりと王都への旅路を楽しむとするか。……流石に、連日で何か起こるなんて事は流石に無いだろうし、なぁ?
平地の緑が薄くなっていき、道は石と、それから山に生える植物等が目に映るようになってきた。フォーカナルはフォセル山への入口も兼ねた街なのだから、まぁ当然だな。
地面も土ではなく硬い岩盤になっていっている。こういったところで無理をすると足を痛めるのでな、そういった無理をしなければならない事案が起きない事を祈るばかりだ。
「へぇ~、皆が歩いてるから、そこだけ道が白っぽくなってるんだね」
「一人の人間が歩いた程度ではこんな事にはならないが、荷馬車や馬も通るし、それの積み重ねがこの道を作り出しているのだよ」
「言わば、この道もまた歴史というものですね。この道をかつて英雄と呼ばれた者達も歩いていたと思うと、なかなか感慨深いものではないですか」
「どっちかと言うとその英雄さん達に退治される側の私としては、なんかモヤモヤする感じがしますけどね」
魔獣視点の考え方ならそうなるだろうな。そりゃ、複雑な心境にもなるか。
魔獣は基本、その能力は猛獣の比ではなく、普通の人間が出会ったら間違い無く死を覚悟させられる存在だ。基本として、人とは相入れぬと言われている存在でもある。
そんな魔獣の一匹であるナイトメアがこうして傍を歩いているというのも、かなり考えさせらるものがあるな。魔獣も十人十色と言ったところか。
「そう言えばメリア、お前はゼームと共に暮らしていたんだよな?」
「はい、そうですが……」
「言葉等はゼームから教わったものなのか? 随分流暢に喋っているが」
「そうですね。ご主人に出会った頃は魔法で話せるようにしてくれていたのですが、何時の頃からか、魔法無しで喋れるようになっていました。慣れ、ですかね?」
「ふむ、何故魔獣のあなたが大魔道士と共に暮らしていたかというところも気になるところですね。大魔道士と言えども、人間である事に変わりはありませんし」
「その……実は私、ご主人に退治される筈だった魔獣なのです。ナイトメアって、他人に悪夢を見せる魔獣ですから、昔の私もその例に外れる事が無かったというかなんというか」
メリアの話をかい摘んで纏めるとだな、人様に悪夢を見せる魔獣を倒して欲しいと頼まれたゼームがこいつを退治しに来たのが出会いで、その時メリアはゼームに完全に倒されたそうだ。
が、ゼームはメリアに止めを刺す事なく一つの質問をした。『何故人に悪夢を見せるのか』と。
メリアは、自分がそういう存在だからと答えたそうだ。なんでもナイトメアは、夢や悪夢から生まれる感情を糧にして生きているらしい。で、ナイトメアが主に糧にしているのは悪夢だった、という事だそうな。
それを聞いたゼームは、一つの提案をした。ならば、自分の悪夢を食べてくれないか、とな。あの手記にあった通り、まだ人の中に居た頃のゼームは相当に苦労していたようだからな、それこそ、悪夢も見ていたのであろう。
最初は迷ったメリアも、殺されるよりはマシだと思ったのだろう。それが、ゼームとメリアが一緒に暮らしていた要因だそうだ。
「厳密に言えば、私は悪夢を食べる魔獣ではないのですけど、それでも私が傍に居る事をご主人は喜んでくれました。だから、最期まで一緒に居られたのかもしれません」
「ふむ、自分の悪夢を知り、傍で支えてくれる者をゼームは求めていた、という事でしょうか?」
「さてな。どうにしろ、ゼームとメリアは上手くやっていたんだろう? それならそれでいいと思うがな」
「……あなたって、結構さっぱりとした性格ですよね。なんでも受け入れてしまうその器量は魅力ですが」
「なんでも否定しているだけでは詰まらんだろうに。まぁ、その生活のお陰で今のこうしたメリアが居るのならば、それはそれでありだったのではないか?」
「はい、人と一緒に居られるようになったのは、間違い無くご主人のお陰です。私を魔獣ではなく、共にある者として接してくれましたから」
偉大なる魔道士は懐も広い、か。魔獣と共に暮らすなんて事、早々は出来んだろうしな。それがメリアを変えていったのかもしれん。
魔獣と人、か。こうして実際に一緒に居ると、魔獣も同じ生物であると感じるものだな。戦ってる時は本当に戦りあいたくない強敵だが。
それは魔獣側から見ても同じなのだろうな。自分達の命を率先して狙ってくる退治屋なんかは、相当出会いたくない奴等だろう。
「? どうかしましたか?」
「いや、難しいものだと思ってな、他の種族と共に歩けるようになると言うのは」
「……私達のように、何かしらの互いを知る機会がなければ、このように歩める事は無いのでしょうね。その点から言うと、メリアとあの場所で出会ったのは天の巡り合わせと言ったところでしょうか」
「かもしれん。もう敵対したくはないものだな」
「私もリープ君の竜魔法をもう受けたくないですぅ、あれは本当に反則な火力ですよ」
「そう言えば……リープ、あれは一体なんなんだ? ドラゴンだけが使える魔法だと言っていたが」
「あんまりはっきりとは覚えてないんだよね。なんかまだ色々あった気がするんだけど、思い出せたのは炎龍の真炎だけかなぁ。なんでか、トゥアンが危ないと思ったら、声みたいのが聞こえたんだよね。この力で、守りたい者を守れって。それで思い出した感じ?」
? うーむ、リープについてはまだまだ分からない事が本当に多い。その声とやらについても聞いたが、聞いた事があるような気はするが思い出せないそうだ。
そもそもあれは火竜の力と言っていたよな? ならばリープは火竜なのか? と思ってロウにファイヤドラゴンとやらの特徴を聞いてみたら、色からして違った。ファイヤドラゴンは赤い竜だそうだ。
青であるリープではその特徴にそぐわない。成体になれば赤くなるのかも分からないし、正体は以前として分からないままだな。
「……僕って結局、なんなのかな? 色々思い出してるのに自分の事は全然思い出せないし、よく分からなくなってきたなぁ」
ふむ……私と出会ってから数日、リープがあの球体から開放されてから大分経った訳だから、そろそろそんな疑問を自分に感じ始めるかもしれんとは漠然と思っていたが、別におかしな事ではないな。
今私が言ってやれる事は、私と出会ってからのこいつの事だけだが……気休め程度にはなるかな。
「お前の名はリープ。私と契約とやらをしたチビのドラゴンで、博識で竜魔法とやらを使える」
「え? トゥアン?」
「お前がなんであれ、今まで私が見てきたお前は言った通りだ。なんであろうと、その部分は変わらんだろう」
「そう、だけど……」
「別に迷うなとは言わんが、あまり気にするな。今のお前の事は私達が見ている通りだろうし、色々思い出しているのだから、自分の事も時期に思い出すだろう。気楽に行けばいいさ」
そう言ってやると、歩きながら頭の上に後ろ手に組んだ腕にそっとリープが乗ってきた。誰であろうと、自分の事を知っている奴なんて早々は居ないさ。
だから、誰かの目から見た自分で補うしかない。他の誰かが見ている自分は、確かにそこに居るのだからな。
まぁ、これは私の持論のようなものだから、皆が一様にそう思っているかは知らないがな。だが、的を外してはいないと思うのだよ。
「今の自分は誰かが見ている通り、ですか……」
「少なくとも、他者がそう見ている自分が居るのは確かだろう?」
「ふふっ、その通りですね。でも、自身の本質とその他者の視点との相違に悩まされる、という事もあるのでは?」
「? 何故だ? それも自分だと括ってしまえばいいではないか」
「……何というか、私はあなたに適わないという事が分かりましたよ。やはり、いつでも自然体で居られるあなたは素敵です」
うーん? ロウガッファの奴は何が言いたいのだ? 何かおかしな事を言っただろうか?
首を傾げて疑問を表している私を、ロウの奴は微笑みながら見ている。なんとなく不愉快な感もあるが、捨て置いてやるか。
さて、山も大分登ってきたところ、と言ったところかな。振り返ってみると、上からフォーカナルの町並みを見る事が出来る。
その先の森に目をやると、フォーカナル周辺の森が見える。あ、ゼームの家がある場所も一応見えるな。
「ん? どうしたのトゥアン」
「いや、こうして山から風景を見るというのも悪くないじゃないか。気分が良いぞ」
「そうですねぇ。……やっぱり結界魔法を戻したから、ご主人の家の場所は分かりませんね」
「……一応聞いておきますけど、あなたにはやはり、見えているのですか?」
「ん? うむ、あそこだろう。森にぽっかりと開いているから目立つな」
「な、なんでトゥアンさんにはご主人の結界魔法で生み出した木々が見えないのでしょうか? ご主人の魔法、大抵の生き物には実際にあるように感じさせられる筈なんですけど?」
ふぅむ……魔法なんてものにこれまで関わった事が無いので、いまいちどのような効果があるとかそういうのが分からないのだよな。
以前魔道士を相手にした事があったが、大抵の攻撃は避けていたから魔法自体を受けた事も無い。つまり、私は魔法という物をあまり認識した事が無いと言えるだろう。
故に、何故そんな事態に陥っているのかという事もさっぱり分からない。あそこは開けた草地でしかなかったからな、私には。
「私にもその理由は分からん。そもそも結界魔法とはなんなんだ? 他者に幻覚でも見せる魔法なのか?」
「確かにそういった事も出来ますけど、結界魔法の効果はそれだけじゃありません。考え方としては、魔力で特定の効果を持たせた空間を作り出す魔法、と考えて頂ければいいと思います」
「特定の空間を作り出す?」
「そうです。例えば、外部からの侵入を不可とする空間を形成出来たりするんですよ。ちょっと待って下さいね」
メリアはそう言うと立ち止まり、目を閉じた。何が始まるんだ?
「其は此方と彼方を隔つもの。何人をも拒む拒絶の壁なり」
!? な、なんだ!? メリアの周りを白く光る薄い壁のような物が包んだぞ? これが結界魔法という奴か?
一緒に見ていたリープが驚いたような顔をしながら発生した壁に触れると、確かにそこには明確に触れられる壁があるようだ。なかなかに不思議なものだな。
「これが結界魔法では一番初歩の、『拒絶の壁』っていう魔法です」
「はぁ~、凄いものだな」
私も触れてみたが、壁というより触れようとする力を反対方向に向けようとする力が働いているようだな。反射、と言ってもいいかもしれん。
「驚きましたね……メリア、あなたは結界魔法を?」
「はい。と言っても、そこまで使いこなせる訳ではありませんけどね。ご主人からどんな魔法があるかと、初歩は教わってます」
「ほう、となると、ゼームも結界魔法を使えたという事か」
「というより、結界魔法を作ったのがご主人なんです。結界の大魔道士、それがご主人の呼ばれていた通り名ですから」
なんと、魔法を作ったとな? いや、大魔道士なんて言われる者なのだからそれくらいの偉業はしていてもおかしくはないか。
しかし便利そうだな結界魔法。野宿をしなければならない時は、世話になれると警戒しつつ眠らねばならない事が減ってありがたいんだがな。
「結界魔道士ですか……世界でもそう居る魔道士ではないですよ。そもそも、知られている結界魔法自体が少ない筈です」
「確かご主人のお弟子さんが結界魔法を伝える為に世界中に居る筈ですけど、お弟子さんにも伝えてない結界魔法もかなりあるようですよ。ご主人が言う通りだと」
「まさか、それもあなたは知っている、とか?」
「……はい。ご主人は、私に自分の魔法を覚えていてほしい、と。ご主人の結界魔法の全てを知ってるのは、私とご主人が使っていた杖だけだと思います」
「あの杖が?」
「ご主人、あの杖に自分の魔力と魔法を封じていた筈です。その封を解ければ、あの杖を持っている人はご主人の魔法を使えるようになる筈です」
なんと、あの杖にはそんな秘密があったのか。まぁ、だからこそその魔力を追って、私達はあの杖を見つけられたという事になるんだが。
それは、魔道士ギルドの連中も欲しがる訳だ。世の中でもあまり知られていない魔法なんて、如何にも食いつきそうなものじゃないか。
「きっと、誰かに自分が生み出したものを覚えていて欲しかったんだと思います。ご主人はずっと、自分の作った力で世界を少しでも良くしたい、したかったって言ってましたから」
「したかった、か……。私では夢にも見ない大層な願いだな、世界をどうこうするなんて」
「そんな事が出来るのは、神ぐらいなものですよ。大魔道士と言っても人です、人が出来る事なんて、たかが知れてるでしょう……」
「ふっ……神、か。そんな都合の良い者が居れば、会ってみたいものだよ」
「ふふっ、まったくですね」
「神様かぁ……うん、トゥアンの言う通りだよね。居れば会ってみたいよ」
ん? リープ? 何か、今の物言いに違和感を感じたんだが……気の所為か?
特に変わった様子も無く、ぱたぱたと羽を動かして飛んでいる。気の所為……だったのだな、きっと。気にし過ぎても仕方ないか。
フォセル山も頂上付近か。横に長いような形でこのフォセル山はあるからこうして山越えをしなければならないんだが、この辺りまで来ると山の向こう側が見えてくるのだよな。
うむ、セルファの町とその先に広がる平地がようやく見えた。日は頭上を超えて西へと向かい始めている。下山、間に合うか?
「この感じだと、セルファに着く頃には真っ暗かもしれませんね」
「そうだなぁ……ん? あそこは?」
「あれ、なんだか人が集まってるところがあるね。集まってるって言うか、皆で休憩してるような感じだけど」
確かにな。複数の旅人達が適当に集まり、敷き布を敷いて寛いでいるようだ。なんでまたこんな山の山頂で?
不思議に思ったので、話を聞いてみる事にした。それくらいの寄り道は別にいいだろう。
「もし! このような山の上で何かあったのかい?」
「ん? おや、あなたは!」
「うん? あ……確か、フェルガドで別れた……」
「はい、行商人のカブラス、カブラス・フェッツと申します。あの時は本当にお世話になりました」
見知った顔だと思ったら、フェルガドへ行く為に乗った荷馬車の商人じゃないか。まさか、こんなところで出くわすとはな。
今は馬車も止め、馬とも繋いでいないようだ。この状態で逃げないのだから、なかなか懐いてる良い馬じゃないか。
「で、何故こんなところで歩を止めているんだい? 今からなら、馬車ならばまだセルファへ十分行けると思うのだが」
「それがですね、どうもセルファの門が閉じられているようなのですよ。昨日までは昼間は開いていたそうなんですが……」
「確かセルファとその周辺では、度々狼のような魔獣の群れに襲われるといったような話があった筈です。その所為でしょうか?」
なんと、そんな話があったのか。狼型の魔獣、それも群れとなると少々厄介だな。相手にすればだが。
ただの狼以上に賢く、それでいて素早い。おまけに体の大きな個体等も生まれるそうで、その大きさは人の5倍、それ以上にもなる個体も居ると聞く。そんな物には出会いたくもないぞ。
「いえ、そうでもないようなんですよ。なんでも、町の中の方で何かあって、門が閉じられてるようでして……」
「町の中で、だと? どういう事なんだ?」
「詳細までは私にも。ただ、町の近くまで行った旅のお方の話では、争うような声と、花火のような爆発音が門の向こうから聞こえて来たそうです。で、触らぬ神に祟りなしという事で、ここでしばらく様子を見ようかと逗留している次第なんです」
「ふむ、そうだったのか」
改めてセルファの町の方を見ると……確かに、派手にでは無いが煙が昇っているようだ。
「なるほど、あれは近付かない方がいいかもしれませんね」
「でしょう? これからフォーカナルに引き返して、山を迂回して向こう側に行くにしても片や川によって遮られ、片やこの道とは比べ物にならない程長い行程を行かねばならなくなると思うと、ここで待つ方が得策かと思いまして」
「それも言えるかもしれんな。この山道を通らない道で行くと、確かセルファに着くのが一週間程伸びるんだったか?」
「えぇ。その道中には滅んだ村や毒の沼地等もあるので、よっぽどの事が無ければ行くのはお勧め出来ませんよ」
そう、山越えをするよりも平地を行く方が危険だからこそ、この山道は切り開かれたのだ。沼地の方は言わずもがな、川の方も流れが急な所為で、下手に渡ろうとすると川に飲まれるなんて事故もありえる程だ。死にたく無かったらこの道を行くのが無難なのだよ。
因みにその沼地を更に迂回して進むという事も一応は可能だが……まぁ、何かしらの毒を持つ魔獣や猛獣に襲われるのは覚悟した方が良いだろうな。まったく、何故に不浄の地なんて言われる場所がこんなところにあるんだか?
「となると、私達もここで足止め、だな」
「そうなりますね。麓のセルファ周辺はさっき言った通りの危険がありますし、この山頂の方が、下手をすれば安全でしょう」
「? ねぇトゥアン、どうしてこっちの方が安全なの? 狼魔獣は怖いけど、やっぱり町の近くの方が安全じゃない?」
「確かに。と言いたいところだが、現状ではそうも言えないな。町の門が閉ざされているという事は、町に入ることはまず出来ない。そして、町から何かしらの援護を受ける事も出来ない。するとどうなるかな?」
「……そっか、町の近くに居ても、何かあったら自分達でどうにかするしか無いんだ」
「その通り。その場合、下手に傾斜のある麓よりも、こうして平らな足場で対処出来るここの方が利はあると言えるだろう。まぁ、石ころについてはどうしようも無いがな」
「なるほどなー。ロウもトゥアンもそれをすぐに考えたって事だよね? どっちも凄いなぁ」
「ま、この辺は慣れだな」
カブラスはロウと話しているから、私とリープが話をしているのには気付かなかったようだな。まぁ、気付かれたら説明するだけだが。
そういえばさっきからメリアが一言も発していないな? どうかしたのか?
「メリア、何かあったか?」
「ちょ、ちょっとトゥアンさん、私に話しかけるのは不味くないですか? そもそも私は馬って扱いで今ここに居ますし……」
「? 何を言っている? 別に話せるのだから話していいだろう。それに、別に馬のフリをしろと言った覚えは無いが?」
「え、だって、私の正体が分かるのは色々不味いんじゃ?」
「不味いかもしれんが、まぁなんとでもなるだろう。今はお前も私の、私達の仲間だ。魔獣だろうがなんだろうが関係無いさ」
「トゥアンさん……あ、ありがとうございます!」
そんなに感激されても困るのだがな? 私は何も特殊な事は言っていないし。当たり前の事を言ってそんなに感激されるのも反応に困るぞ。
何やらリープの奴も嬉しそうにくるくると私の周囲を回っているし、そんな大げさに受け取られてもこっちは困ってしまうな。
「セルファ側から誰か人が来れば……うん? 何かあったんですか?」
「まぁ……適当に話をしてただけだ」
「あ、ここに逗留するのなら、夜は私が結界魔法で一応防壁を張れるから、それなりに皆さんに安心して過ごして頂けると思いますよ」
「!? う、馬が喋った!?」
……うん、早速説明をする事になったか。ま、これから必要になる事だろうし、私の事を知っているカブラスは丁度良い練習相手くらいに思っておくとするか。
流石に驚いているが、それまでと現在が大人しいメリアの様子を見てとりあえず警戒は軽減されたようだ。まぁ、警戒を解かせる事は出来ないだろうな。なんと言ったってメリアは魔獣、それは覆しようの無い事実だしな。
「ま、魔獣……ナイトメア……」
「驚くのは分かる。私達も最初は魔獣として戦ったしな」
「ご、ごめんなさい……あの、やっぱり怖いですよね……」
「うぅん、確かに魔獣と聞かされると恐ろしいものを想像してしまいますが……」
同時に周りに居た旅人達も驚き動揺しているようだが、いきなりメリアに襲いかかるような相手が居なかったのは救いだな。ここで一戦交えるのは嫌だったから助かったと言うところだな。
メリアに視線は集中するも、それは恐怖というより好奇な視線なように感じる。実際、こんな風に魔獣を傍で見られる事なんて、恐らく魔獣に襲われた者が最期を予期しながらでないとならないだろうしな。
「実際にこうして目にして、生きていられるのが不思議なものですね……」
「ベテランの退治屋ならば、これと戦って生きているのではないか?」
「そ、そうかもしれませんが、ここに居るのは大抵普通の旅行く者ですからね……」
「ぜ、絶対に、絶対に皆さんに危害を加えないと約束します! なんだったら私だけでも離れていますし! だから、あまり嫌わないでください!」
必死にそう言うメリアの様子に、聞いていた全員が面食らった状態になった。そりゃあ、自分達をいつでも亡き者に出来る者からこんな懇願をされれば、誰だって戸惑うだろうさ。
「な、なんと言うか……魔獣にも色々居るのですね」
「それは、人間でもな。現に山賊に殺されそうになった君ならば、奴等よりよっぽどメリアの方が害は無いと思えるのではないかな?」
「確かに。えっと、メリアさん、でいいんですよね?」
「は、はい!」
「その……過度に驚いてしまい失礼しました。私達に危害を加えないというさっきのお言葉、信じさせてもらっていいですか?」
「えぇ! お願いします!」
ほう、なかなか話の分かる商人じゃないか、カブラス。こうして皆の前でメリアに近づいて話しかけてくれたのは大いに助かる。
仲間だと言っている私達ではなく、顔見知りとはいえ他人であるカブラスがメリアを信じて話掛けてくれたというのには大きな意味がある。魔獣ではあるが人を襲わないという一つの指標になるしな。
カブラスがもう一度確認したのを切っ掛けに、メリアに話しかける旅人は一人、また一人と増えてきた。魔獣と話すなんて経験、滅多に出来るものではないのだから物珍しいのだろう。
「……どうやらこの場は、なんとかなりそうですね」
「だな。何処でもこう上手くいくとは言えんが、話の分からん奴等ばかりではないという良い指標だな」
「えぇ。出来る事なら争いなんて、起きないのが一番でしょうからね」
「全くだ」
メリアが、自分が結界魔法を使える事を話したのか、それを私達に披露したように今一度使っている。この力があれば、ここで一晩過ごす事も可能だと皆に知らせる為に。
でなければ、それぞれが夜通しで見張りをする事になるしな。集まっているとは言え、それぞれが他人の集まりだ。そう他者を信じ切れるものでもないだろう。
メリアの結界魔法があれば、少なくとも更に外部から襲われる心配は無くなる。少しでも負担を減らしたいのは総意なのだろう。
では、我々もここに逗留する準備をするとしようか。明日もセルファ側に行けそうにないなら、一度フォーカナルに戻る事も考えておこう。
仮のキャンプ地となったこの場所に、フォーカナルから来た旅人達は自然と立ち寄っていく。まぁ、こんな山の上に人が集まっていればこうなって当たり前だろう。
我々も敷き布を敷いて休む場所を確保した。ついでに、昼食を食べていなかったので調理中だ。
「おぉ~、トゥアンってご飯作れるんだ」
「もの凄く失礼な物言いだなリープ? 嫌なら別に食べなくてもいいが?」
「あぁん、そんな事無いよぅ。だからご飯頂戴よ~」
「ははっ、分かった分かった。さて、切る物は切ったから後は炒めるだけなんだが、火を点けるマッチは何処だったかな」
普段から火種になるマッチ等は常備しているんだ。火を起こせるというのは、それなりに多くの局面で重宝するのでな。
む、むぅ? おかしいな、いつもは上着のポケットに入れている筈なんだが……無い。リュックの中に入れただろうか?
既にリュック自体はメリアから下ろしているので探すのは容易なんだが……不味い、こちらにも無い。焚き付けの薪はあるのに火種が無いとは。とんだ失態だ。
「しまったな、マッチが無い。流石に鮮度の落ちた魚を生で食べるというのも辛いものがあるよな」
「え、トゥアン火を起こしたいの? それなら別に心配する事無いよ~」
「ん? リープ、何か……あぁそうか。頼めるか?」
「うん! ちょっと待っててね」
そうだった、今は良い火種があるのだったな。リープが目を閉じると、私の右手の甲に証紋が浮かんだ。そう、火種とはあれだ。
目を開いたリープの口からは、あの時の言葉が紡がれる。魔法を使う為の呪文か、言わないと魔法が発動しないというのが面倒なところだよな。
リープの前に赤い魔法陣が浮かび、組んだ薪の下にも同じものが浮かんで……いるのだろう。薪で見えないが。
うむ、薪の下から炎が上がった。メリアを倒した時はもっと大きな炎が吹き出したが、これはリープによって調節出来ると見た方がいいようだな。
「うん、こんな感じかな」
「上出来だ。便利なものだな、炎の魔法とは」
「一応竜魔法って凄い魔法だから、こういう事に使っていいのか疑問だけどね~」
「そうなのか? まぁ、自分達の使える力をどう使おうと誰かに咎められる事もあるまい」
「それもそっか。それじゃあご飯作る続きをどーぞ」
「うむ、そうしよう」
では、魚の切り身と野菜の入ったフライパンをリープの点けてくれた火の上で熱してと。良い音がしてくるまで我慢だな。
「おや、随分と本格的に調理をしてますね」
「おぉロウか。したければ味見くらいさせてやるぞ」
「それは素晴らしい。干し肉とパンしか用意してなかったから助かります」
「なんだ、お前は作って食べたりしないのか?」
「生憎、料理の腕はあまりよろしくないもので……下手に食材をダメにするよりは、そのまま食べられるものを買った方が経済的なのですよ」
なるほど、そういう考え方もあるのか。しかし干し肉等は実のところ、加工の手間が掛かっている分高上がりになってしまうのだよな、買い過ぎると。まぁ、補給の出来ない長旅では世話にならざるを得ないのだが。
よし、こんなところだろう。後は味を整えて、出来たこいつをパンに載せる、と。こうすれば皿を汚す事も無いから楽が出来ると言うものだ。
まずは出来上がった一つをリープに渡す。もう一つを私が、残ったフライパンの物はロウガッファにやるとするか。
「そら、口に合うかは分からんがな」
「とんでもない、香りだけで美味だというのが伝わってきますよ。どうやら周りの皆さんもそう思っているようですし」
「い、いやぁ、こんな良い香りがこのようなところでしてくるとは思ってなかったので、つい」
な、なんと……カブラスや他の旅人達もこっちを見ているとは思わなんだ。驚かされたぞ。
しかし、そんなに良い香りだったか。まぁ香草等も入れてはいるし、確かに香りはいいだろうがな。
だからといって流石に全員に行き届くものを作るのは無理だぞ? 食材的にも調理器具的にも。
申し訳無いが他の者には我慢してもらう。では、頂くとしようか。
うむ、白身魚を使った故に少し香辛料と塩を効かせたが、なかなか悪くない。魚にも十分火が通っているし、野菜も十分な歯ごたえを残しつつ仕上がってる。我ながらやるものだ。
「美味しい! これ美味しいよトゥアン!」
「うむ、口に合えば何よりだ」
「シンプルな炒め物ですが、いやはやどうして味付けもしっかりとしているし素晴らしいですね」
「はっはっは、まぁこの程度の物ならな。これ以上手の込んだ物を作れと言われたら困りものだが」
食べた一人と一匹は満足したようだ。……そう言えばメリアの分を忘れていたが、そもそもメリアは何かを食べるのか?
「メリア、お前は私達と同じ物を作ればいいのか? その辺りがはっきり分かってくれると、今後の調理時に目安に出来るんだが」
「あ、私は基本的に物は食べません。登ってきた時に話した通り、私が糧にしているのは眠っている人達が見る夢、それから生じた感情ですから」
「感情を糧に、か。流石にその感覚は私達には分からないが、つまりで言うと、誰かが近くで眠っていればそれで糧を得られると言う事か」
「そうなりますね。以前は悪夢からの恐怖等しか糧に出来なかったんですけど、森でご主人の家を守ってる間に、森の動物達が見た夢から湧き出た感情も糧に出来るようになったんですよね。慣れ、でしょうか?」
或いは、それが出来るようにメリアの性質が変わったか、だな。悪夢を運ぶ魔獣、とは呼べなくなっているのかもしれんな。
ま、深く考えるのは面倒だ。私達が寝る事がメリアの食事となるなら、そうするだけだな。
「ならば、我らだけ満足しても仕方あるまい。どうせ時間はある事だし、しばし食休みだ」
「なるほど、お昼寝だ」
「そういう事だ。ロウガッファ、お前は?」
「軽く情報交換でもしていますよ。あなたの昼寝を邪魔する者を見張る、なんて必要も無いでしょうしね」
「まぁな。情報交換はいいが、こんなに天気も良いんだ。ゆっくりするのもまた一興だぞ」
「それもそうかもしれませんね」
「では、良い夢見ではないかもしれんが、糧にするなり好きにしてくれメリア」
「あ、あははは……えっと、頂けるようなら頂いておきます」
「僕もトゥアンと一緒に寝ちゃおうかな~。いい?」
「別に構わんよ」
そう言ってやると、仰向けに寝ている私のマントの中へリープに奴が入ってきた。リュックを枕にしているから両手は体の前で組む形にしているし、マントもそのまま体に掛かっているしな。
そんなに無い胸を枕にされるのは些か抵抗が無くもないが、まぁいい。とにかく、一眠りするとしようか。傍にメリアやロウも居るし、私もそこまで深く眠るつもりはない。眠っても平気だろうさ。
それでは、しばし体を休ませるとしようか。
……呆然としている女性、首から夥しい量の血を噴き出し地面に倒れ伏す男、そこから立ち去ろうするマントを羽織った一人の人物……そのマントを羽織った人物の手には、鮮血の滴り落ちるナイフが握られている。
使い捨てるように、マント姿はそのナイフを捨てて足音を立てる事も無く歩いていく。自身が殺めた男の、返り血を受けたマントを羽織ったまま。
しばらくしてから、けたたましく叫ぶ女の声が聞こえた来た。その声は他の者を呼び寄せ、その男が殺された事を水面に波が立つように広げていくだろう。
だが……その頃にはもうその男を殺めた者はその姿を消している。見つかるのは血が乾いて黒く汚れたナイフと、脱ぎ捨てられ切り刻まれたマントくらいなものだろう。
私は、その状況を知っている。そう、知っているんだ……。
私が、時折夢に見る風景だ。鮮血の赤と血の匂いすら感じられる程にはっきりと見る夢。あまり良い部類の夢ではないのは確かだな。
リュックに預けていた体を少し起こすと、空は茜色に染まろうとしていた。妙な気配もしないからと、少々眠り過ぎたやもしれん。
「ふぅ……」
「あ、トゥアンさん。お目覚めですか?」
「あぁ、すまんね。少し寝過ぎたかな?」
「いえ、特に変わった事もありませんでしたから」
「そうか。……私の夢は満足いくものだったかい?」
「……その分だと、どんな夢を見ていたかは覚えてらっしゃるようですね。はい、分けて頂きました」
「とすると、悪夢を糧にするというのも変わらずに出来ると見て良さそうだな」
「はい……」
メリアがチラリと様子を見る辺り、私からどんな感情が発せられていたかはなんとなく分かるな。
恐怖……いや、後悔と言った方がいいだろう。あまり良い夢ではなかった事だし。
何時になっても、あの手の類の夢から私が開放される事はないのだろう。それだけ、私の心には刻まれ過ぎている。ああいった情景が、な。
「すまんな、私の夢だと君に食当たりでも起こさせてしまいそうだ」
「いえそんな。私が見てきた悪夢の中には、もっと凄惨な状況もありはしましたから、気にしないで下さい」
「……悪夢の魔獣というのも楽じゃないな。見たくもない物を見ながら自分の糧を得なければならないのだから」
「正確に言うと、私が他者の夢を見るにはちょっと手順が必要なんですけどね。だから、あまり心配はしないで下さい」
「そうか……ならば、そういう事にしておこう」
まだリープが眠っているようだし、しばらくはベッドになっていてやろう。またリュックに体を預けると、空は茜空と夜空との中間になっていた。これから、夜か。
「メリア、セルファの方の様子はどうなんだ?」
「駄目みたいです。門が開く事も、誰かがこちらに登ってくる様子も無さそうで」
「どうやら中では、相当本格的な戦闘が起こっているようです。何が起こっているか、外部から見れるのは町から登る煙だけですよ」
「ロウか。その分だと、戦火が広がっているのか?」
「そのようです。何が起こっているか……あまり考えたくないものですね」
ふむ……セルファの様子は芳しくないようだな。この分だと、明日はまたフォーカナルやもしれん。
実際、ここに逗留してた旅人達も少数はフォーカナルへ引き返したそうだ。今頃は、山の中腹辺りかもしれんな。
私達は、ここで一泊だな。何より、メリアの結界魔法を頼ってここに残っている者も居るだろう、そういった者達を放り出す訳にもいかんしな。
「メリア、結界魔法を使うのはいいが、一晩も保つものなのか?」
「それなら平気です。一度張った陣は消すか消されるまでは張ったままに出来ますし、魔力を消費するのは張る時だけですから」
「ほぉ、なるほど……因みに張るのは、あの拒絶の壁という魔法ですか?」
「いえ、そうすると、もしここの人達が陣から出てしまった時に戻れなくなってしまいますから、別な陣を張ります。そっちも問題が無い訳ではないんですけど」
「別の魔法か……それは?」
「『蜃気楼の庭』って言って、結界内の物を見えなくする魔法です。ご主人の家を隠していた、『彷徨う幻影』という結界魔法の初歩ですね」
あれの……ならば、やはり私には普通に見えるのだろうか? 試してみないとそれは分からんな。
どちらにせよ、そろそろその魔法を使ってもらった方がいいだろう。見えなくすると言っても、元が見えてから隠しても意味が無かろう。
「ならばそろそろ頼もうか。ロウ、他の者にも確認を取ってくれ」
「了解しました」
ロウが周りの旅人達に声を掛けると、頼んだという返答が次々に返ってくる。魔法を発動しても良さそうだな。
それでは、メリアに一つ結界魔法の披露をして頂こうか。
「では、よろしくな」
「分かりました。えっと範囲はここを包むくらいで……よし」
一つ深呼吸をして、メリアの口からは呪文が紡がれようとしている。リープもそうだが、舌を噛みそうな呪文をよくスラスラと言えるし、暗記しているものだ。
「此処は姿無き幻の庭。彼方より訪れる者の目に触れる事も無し……」
静かに、囁くようにメリアがそう唱えると、このキャンプ地を囲うように白い光が地面に走った。どうやら、魔法は発動したようだな。
「……はい、これで終わりです。範囲が広めで少し厄介でしたね」
「ふむ、これで外側からは我々は見えなくなっているのか?」
「大丈夫だと思いますけど……あ、ロウガッファさん、少し確認して頂けますか?」
「それくらいなら喜んで。あの線から外に出ても、中には戻れるのですか?」
「はい。というか、それがこの魔法の難点でして……」
そうか、見えなくなるだけで不可侵ではないのだな。つまり、なんの気無しに通ろうとする者が居ればここに入れてしまうという訳か。
ロウが歩いて行って……線を超えて驚いたリアクションをした後に戻ってきた。ま、成功で間違い無いだろう。
「お、驚きましたね……」
「上手く出来てたみたいですね。一安心です」
「これで多少の者の事は防げる、か?」
「み、見えはしないですよ。見えは……」
ピンポイントでここを通られなければ平気だろうし、何かあれば不可侵に出来る……確か、拒絶の壁だったか? それに張り直せばいいだろうし、なんとかなるだろう。
「ん……ぅん?」
「ん、起きたかリープ」
「ふぁ……おはよ、トゥアン」
「お早うって、もうすぐ夜だぞリープ。夜が長くなっても知らないぞ?」
「むぅ~。トゥアンだって一緒にお昼寝したじゃん。一緒に起きてればいいでしょ~」
「それもそうだ。夜は、独りで過ごすには些か長いしな」
メリアにウインクをしてやると、どういう事か察したようだな。ま、夜の共が二人、というか一匹と一人居ればメリアも退屈せんだろう。
そう、決めた訳ではないが、昼の見張りはロウガッファ、そして夜は私と役割を分ける為の昼寝だったのさ。単に眠くなったから寝た訳ではなかったんだ。
独りで過ごす夜の長さというのは、十分に知っているつもりだ。これだけ人が居たとしても、皆が寝静まった後ではやはり孤独を感じるだろうしな。
リープも起きた事だし、体をやっと起こせるな。抱えるようにして……よっと。
「おっと、おチビさんもお目覚めですか」
「あぁ。昼は寝させてもらったのだから、今度はお前が休むといいさ」
「そうさせてもらいましょう。何かあれば起こして下さって構いませんけどね」
「当然だ。こんな山の上で夜襲をされて、一人で捌ける等と自惚れるつもりは無いよ」
「ははっ、そんなあなただから、安心して休めそうです。では横にならせてもらうとしましょうか」
ふむ……本当に容姿さえまともなら良い男と言えなくもないのに、勿体無いものだな。何を好き好んで道化の姿をしているのやら……出会った時からこうだから、それ以上過去の事を知らないのだよなぁ。
っと、空を見上げると星が瞬き始めたか。本格的に夜になるな。
「あ、あのぉ……」
若干情けなさそうな声を出しながら、そーっとこちらに近付いてきたのは……なんだ、顔見知りか。
「カブラスか。どうかしたか?」
生地の厚めのジャケットを着た、温厚そうな男。最初に見た時と印象は別に変わらない、商人だと言われれば納得してしまう様相をしているのだよ、この男。言い換えれば弱々しいんだが。
「いえ、独り身なもので、眠るまでお邪魔してはいけないかと思いまして……」
「ふむ、別に構わんよ。もう既に、荷馬車も近くに寄せてるんだしな」
「あ、あはは、では失礼させてもらいます」
敷き布はとりあえず、四人程は腰掛けていられる大きさだ。ロウの奴は小さめの自分の敷き布の上で横になっているし、問題無い。
「しかし、またお会い出来るとは運が良かった。巡り合わせとはあるものなのですね」
「確かにな。そういえば、荷車の上が少々寂しくなっているが、フェルガドでは上手くいったのかい?」
「えぇ、お陰様で。しかし次がどうなるかが難しいところですね」
「セルファで仕入れを、と算段していたのかい?」
「その通りです。でもこうなると、セルファでの仕入れは出来るかどうか」
町を閉ざして、中で何が起こっているかも分からない状況ではな。まったく、中では一体何が起こっているのやら。
ま、触らぬ神に祟りなし、だ。おかしな状況に首を突っ込んで事態を振り回すのは、御伽噺の中の勇者様だけで十分だ。
私は勇者でもなんでもないただの人間、分は弁えているさ。どっちみち、内部からでしか門は開けられないのだし。
「とにかく今晩一晩は様子見だ。星でも眺めながら、ゆっくりとしようじゃないか」
「星、ですか……おぉ! これはまた、美しいですね」
「わぁ……山の上だからか、空がとても広いです!」
「凄い……綺麗だ……」
「満天の星に見守られながら眠るというのも、また乙なものですねぇ」
私達の話を聞いていた旅人達も、次々と夜空を見上げ感嘆の声をあげる。それほどに美しく、どこまでも広がってゆくような星空がそこには広がっていた。
願わくば、これからの道程もこうした美しいものを見ながら進みたいものだな。厄介事はもちろん抜きで、な。
「……は、つい見蕩れてしまいましたよ」
「なぁに、どれだけ見ていても無料なんだ、心行くまで堪能しようじゃないか」
「それもそうですね。ところで気になったのですが……」
「うん? どうかしたかい?」
「トゥアンさんは、何処を目指しているのですか? 何やら、本格的な旅の用意をなさっているようですが」
……嫌になる事を思い出させてくれるな。あまり考えないようにしてたと言うのに。
「王都……」
「……え?」
「王都、レーンシュルト。そこのドラゴン保護協会へ荷物を運んでいる最中なんだ」
「お、王都って、あの中央大陸の!?」
「そうだ。ずばりそこなのだよ」
「……そう言えば気になってたんだけどさ、僕が連れて行かれようとしてる王都って、何処にあるの?」
「うん? そう言えば言ってなかったな。ふむ、ロウ、カブラス、どちらかでいいんだが、世界地図は無いだろうか」
「世界地図、ですか? すいません、私はありませんね」
「……あ! ありますあります! ちょっと待って下さいね!」
ほう、カブラスに当たりがあったか。それは重畳。
む? 何やら年季の入った地図が出てきたな。これも商品なのか?
「前に仕入れた壺の中に入っていて、売れないかと思って持っていたのですよ。でも流石に古ぼけ過ぎて買い手がつかなくて。良かったら差し上げますよ」
「なんと、それは助かるが……いいのか?」
「もちろんですとも。この地図も、必要としてくれる方の手に渡った方が本望というものでしょう」
なんだか悪い気もするが、折角の厚意だ。頂戴するとしよう。
さて、それでは早速役に立ってもらうか。巻いてある地図をくるくると広げると、その世界を略して記された図面が現れた。中の図面自体はかなり良い状態で残ってるじゃないか。
図面自体も、現在の大陸の形で書かれている。これならきちんと説明出来そうだ。
「ほぉ、これはまた……こんなに解り易く書かれている地図だとは思っていなかったですよ」
「なんだ、広げた事も無かったのか? 悪いな、こんなに良い地図を頂いてしまって」
「むー、商人に二言はありません! そのまま使って下さい!」
若干自棄になっているようにも見えるが、まぁよし。それならば、地理の勉強と参ろうか。
ん? メリアも興味あり気に覗き込んできたな。少し見え易いように動くか。
「さて、それでは少々知っている知識だけという事になるが、教授しよう」
「わーい、よろしくお願いします!」
「……気になったんですけど、その小さなトカゲ、トゥアンさんに語り掛けるような仕草をしていません?」
「えっと、それについては説明が難しくて……と、とにかくまずはトゥアンさんのお話を聞きましょう!」
メリアが勢いでカブラスを押し切ったところで、説明を開始しようか。
現在我々が居るのは地図の南に位置する大陸、城下大陸と呼ばれている場所だ。この地図にもそのように書かれているな。
この大陸で暮らしているのは主に人、一般的に言う人間だな。陸地もこの世界にある他の大陸より広く、自然も豊かで暮らし易い気候と言えるだろう。
「で、我々が現在居るのがここ、城下大陸でも南端に位置するフォセル山だな」
「……え、こんなに世界の端っこなの!?」
「そうさ。現在は夏だからまだこうして外でも過ごせるが、冬に近付けば近付く程ここいらも冷え切ってくる。更に南には、海を隔てているが雪と氷のみの大地が広がっていると聞くな」
「でも、この地図ではハテナマークで書かれてますね」
「それは、誰もその地へ踏み込んだ事が無いからでしょう。南の極冷の地と呼ばれるそこは、船乗りが見た事あるだけだと聞きます」
うむ、そうらしい。それ故に地図も書かれる事が無く、極冷の地は謎の大地と呼ばれているのだ。
まぁ、極冷の地については今はいいだろう。説明を続けようか。
で、現在の我々の目的地、王都レーンシュルトがあるのは中央大陸と呼ばれる大陸だ。つまり、こことはそもそも大陸が違う。
と言っても、中央大陸は大陸と呼んでいいかどうか疑問な大きさなのだがな。王都とその周りの城下町、それと他の大陸への玄関口になる港があるだけの場所なのだよ。
まぁ、住んでいる王族や貴族衆が見栄を張る為に大陸と呼ばれるようになったとかなんとか聞いた事があるがね。正確には島……いや、海に浮かぶ街と言っていいだろう。
「それでも、フォーカナルやセルファとは比べられない程大きいんですよね?」
「もちろん。大きな街四つ分でも足りないかと言われる程さ」
「ふぇ~、どんななんだろ、見てみたいなぁ」
「いや、そこを目指しているんだからな、我々は?」
まぁいい。その中央大陸はこの地図の中心にある。この城下大陸の北端には、ここへ向かう船の出ている港町があるので、現在目指しているのはそこと言っても差し支えないだろう。
「……滅茶苦茶距離ありそうだね」
「無論だ。この道のりを急いで行く、なんて考えただけでげんなりしてくるだろう?」
「これは、急ぐ事は考えないで旅した方が良さそうですね」
「その通りだ。だからこうして寄り道をしながら進んでいる訳だな」
ドラゴン保護協会が遅いだのなんだのと難癖を付けてきたら、期限を定めなかったお前達が悪いときっぱりと私は言ってやるつもりだ。おまけに、フェルガドで待たずに王都に来いと言ったのはお前達だ、とな。
「なるほどねー。ん? ねぇトゥアン、こっちの中央大陸の右の方にある大陸と、左上にある大陸は何?」
「うむ、まず右にある大陸は、通称未開大陸。ここにはあまり人は暮らしておらず、代わりに亜人と呼ばれる者達が多く暮らしているな」
「未開なんて言われてますけど、実は王族や貴族が亜人を嫌っているだけで、王国の手があまり伸びていないから未開と呼ばれてるだけだったりするのですよね」
「更に補足すると、亜人とは人と動物の中間のような人種の皆さんの事を指します。亜人以外の呼び方だと、獣人と言えば分かり易いでしょうか」
人ではない者、だから亜人と言われてはいるが、人と変わらず良い奴も居れば悪い奴も居るし、きちんと文化もあるぞ。それを認められないのが王国の浅ましいところなのだがな。
ま、今回の旅でそこに行く事はまず無い。知識として知っていれば十分だろう。
「そして左上なんだが……ここは不浄の大陸と呼ばれている」
「不浄の……大陸?」
「過去にはそこにも人が居たと言われていますが、現在は見る影も無い程荒廃し、強力な魔獣が跋扈する危険な大陸となっていますよ」
「……ロウ、なんだかお前、リープへの接し方に慣れてきていないか?」
「言葉は分かりませんが、私達の言っている事が理解出来ているのは様子で分かりますからね。説明は手伝いますよ」
というか、いつの間に起きてきて混ざっているんだ。軽く驚いたぞ。
まぁ、不浄の大陸についてはそんなところだ。……この地図、不浄の大陸の形もきちんと書かれているな。まだ不浄の大陸が荒廃する前に書かれたものなのか?
「……ここ、今はそんな事になってるんですね……」
「メリア……? まさかお前、ここに?」
「はい、っと言いますか、私とご主人が出会ったのって、この大陸です。元は魔法大陸と呼ばれていた筈なんですが、何があったのでしょう……」
そ、そうだったのか……と言うか、メリアは一体どれだけ昔から生きているんだ!? 大魔道士ゼームをご主人と呼んでいるから相当だとは思ったが、下手をすると生きた過去を証明出来る存在なのでは……。
む、むぅ、その辺りも追々聞いてみるか。少々興味が無くもない。
「うむ、とりあえず地理の授業はお仕舞いだ。ご理解頂けたかな?」
「うん! 王都まではすっごく遠いって事もバッチリ分かった!」
「それは何よりだ。まぁ、しばらくはよろしく頼むぞ」
「はーい!」
「うむ、元気でよろしい」
リープも満足したようだ。まぁ、代わりに私とリープの様子にカブラスがキョトンとしてるがな。
ま、夜も長い事だ。説明してやるついでに、話し相手にでっち上げてやるのも一興だろう。
ロウは……説明が終わった途端に欠伸をしながら横になったという事は、そろそろ休むのだろう。ならば、休ませてやるとするか。
それでは、夜長の一時を語らいながら過ごすとしようか。
……ふふっ、賑やかだと……夜も、悪くないものだな。
「という事で、今回のお話で世界のあらましや色々な事が分かったという事で……」
「今回から、この後書きの部分を利用して私達やこの世界についてを纏めていこうと思う」
「司会は僕、ドラゴンのリープと!」
「私、トゥアン・ソフィエルでお送りさせて頂こう。あ、因みにここは完全な会話形式で進めさせて頂く」
「さてさて、この竜と赤毛の運び屋解説コーナー(仮)の第一回だけど、やる内容は決まってます」
「なんだ?」
「ズバリ! トゥアンの紹介です!」
「初回から私か……だが、話中で語られている筈だが?」
「いや、それを言ったらこのコーナー根底から崩れるからね? とにかく解り易く纏めていこうよー」
「むぅ……まぁ、とにかくやってみるか」
「はい、じゃあまずは自己紹介から!」
「うむ、私の名はトゥアン・ソフィエル。性別は女性、齢は19、この世界の職の一つである運び屋を生業として世界中を股に掛けながら生活している」
「運び屋についての紹介は今度するから、今は割愛するよ。んじゃ次は、得意な事とか!」
「得意な事、か? そうだな……まぁ、料理には多少の心得があるな。と言っても、手の込んでいない簡単な料理という事になってしまうが。それ以外だと、旅についての全般的な知識はあると言っていいだろう」
「あれ、ナイフ投げるのは?」
「うん? それは得意な事と言うか、会得している技術ではないか?」
「うーん、それもそう、かなぁ?」
「だろう。基本的に私は、戦闘技術としては投刃をよく用いるな。ナイフや小型の刃物ならば相手に正確に叩き込む事が出来るぞ」
「こ、怖いってトゥアン」
「後は、ダガーを用いた短剣術、とでも言おうか。あまり重くない刃物での近接戦闘もこなせるぞ」
「そう言えば武器でダガーを二本持ってるもんね。でもさ、なんで右手は普通に持って、左手は逆手で持つの?」
「これは私の癖だな。用途も左と右で分かれているんだ」
「へぇ~、どんな感じで?」
「右手の普通に持っているダガーは、主に攻撃の用途で用いる。振り下ろし、薙ぎ払い、どう振るにしてもやはり普通に持っている方が扱い易いからな」
「ならなんで左は逆手なの? 使い難いんでしょ?」
「うむ、左は主に防御として使うのだよ。攻撃を受けると言うより、受け流す事に特化した防御という事になるな」
「? どゆ事?」
「例えば相手が剣を振り下ろして来たとしよう。この時、もし私が右手の普通に持っているダガーで受けると、その後ろには何があるかな?」
「それは……トゥアンの体でしょ?」
「その通り。次に、左のダガーで受けた場合はどうなるかな?」
「それだって、トゥアンの体じゃ……」
「半分は当たりだ。だが、刃の先が向いてる方向に着目して見て頂こう。普通振り下ろしを防ぐ為に刃を当てるだろう?」
「そうだね」
「この時、ダガーを普通に持っていると、相手から見て防がれた刃の先には相手の体があるだろう」
「そりゃあそうでしょう。じゃないと相手も狙う意味が無いし」
「無論だな。だが逆手の場合はどうだろうか? 刃を受ける時はその先に体はあるだろうが、そこから少しダガーを動かすなり体を動かすなりすれば、体を外せるのだ」
「え? ……あ、そっか! もし相手に力負けしちゃっても、逆手なら体の外に剣を向けられるんだ! 普通に持ってたらそのままズバーっだもんね」
「そう。所謂受け流しというのをする為に、私は左のダガーを逆手に持っているのだよ。ま、これはあくまで私の癖だからして、短剣使い全てがこうだとは言えんがね」
「なるほどなー……って、ダガーの使い方だけで枠使い過ぎだよぉ!」
「むぅ? いや、他に説明する事もあるまいて」
「いやほら、僕と契約して右手に竜の証紋があるとかメリアと会ったところで結界魔法に引っかからなかったとか!」
「どちらについてもいまいち私の説明と言うのもなぁ? 証紋についてはお前の説明の時でいいだろうし、後者については殆ど謎だし」
「うっ……」
「という訳で、第一回の私の紹介はここまでだ。また何かあれば、再度紹介すればよかろう」
「うー……じゃあそうしよっか。んじゃあ、第一回はここまで!」
「というか、次回はあるのか?」
「あるよ!? 第二回は僕、リープの事を紹介しちゃうよ! お楽しみに!」
「……殆ど分かっていないような気がするのだが……まぁ、いいか」
「じゃあ次のお話でまた会おうねー!」
「……次、あるのだろうな?」
「あるってば!」