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王宮の人たち

咲いたばかりの花

掲載日:2026/10/02

 咲いたばかりの花


 私が『王宮の花たち』に加わって、まだひと月も経っていなかった。


『王宮の花たち』――初めてその呼び名を聞いたときは、なんて華やかなのだろうと思ったものだ。


 学院を卒業した未婚の令嬢たちが、王宮に仕えている。


 そう聞けば、誰だって立派な役目を与えられていると思うだろう。


 けれど、現実は違った。


 文官のように国政を担うわけでもなければ、侍女のように王族のおそばに仕えるわけでもない。


 頼まれる仕事といえば、書類や伝言を別の部署へ届けることくらい。


 彼女たちが着飾って廊下を歩くと、王宮が華やかに見える。ただそれだけだ。


 要するに私たちは、花瓶に飾られた花だった。


 美しく咲いていること以外、何も求められていない。


 そして、いつまでたっても誰にも摘み取られなかった花は、陰でこう呼ばれる。


 ――売れ残り。


 私がここへ来た理由も、婚約者が決まらなかったからだ。


 家族は何も言わなかった。


「王宮でよいご縁が見つかるかもしれないわ」


 母はそう言って笑ってくれたけれど、無理をしていることくらい私にもわかった。


 弟にはすでに婚約者がいる。


 妹にも縁談が来ていた。


 長女の私が、いつまでも家に残っているわけにはいかない。


 だから王宮へ来た。


 ――けれど、ここにいれば本当に良縁が見つかるのかといえば、そんなことはない。


 ここには若くて美しい令嬢が大勢いる。


 その中で目立つのは、家柄がよく、華やかで、会話のうまい女性ばかりだった。


 私は容姿が悪いわけではないと思う。


 ただ、目を引くほど美しくもない。


 髪はどこにでもある栗色で、瞳も同じ色。背丈も体つきもごく普通。


 そのうえ、初対面の男性とは何を話せばよいのかわからない。


 これでは、王宮の廊下を何年歩いても、誰にも見つけてもらえないだろう。


 そう気づいた私は、王宮に来て十日目に方針を変えた。


 待っているだけでは駄目だ。


 花瓶から自分で飛び出さなければならない。


 もっとも、無作法に男性へ声をかければ、家名に傷がつく。


 あくまでも偶然を装い、相手に私を見つけてもらわなければならない。


 問題は、どうやってその偶然を作るかだった。


 その日、私は書類の束を抱えて廊下を歩いていた。


 頼まれた仕事は、とっくに終わっている。


 抱えている書類は、すべて用済みになった写しだ。練習用に持ち帰ってもよいと許可をもらっていた。


 文字の美しさには自信がある。


 暇な時間に書き写しをしていれば、いつか文官見習いの試験を受けられるかもしれない。


 花瓶の花のまま終わりたくはなかった。


 廊下の角へ差しかかったところで、前方から低い話し声が聞こえてきた。


「謁見の間でしたら、そちらですわ」


「真っすぐ進んで、突き当たりを左にお曲がりくださいませ」


「その先の階段を上れば、すぐにわかりますわ」


 声の主は、『王宮の花たち』の中でも特に華やかな四人組だった。


 彼女たちに道を尋ねているのは、背の高い男性だ。


 鍛えられた体を濃紺の礼装に包み、腰には剣を帯びている。


 横顔しか見えなかったけれど、頬から顎にかけて大きな傷が走っていた。


 四人は男性を送り出すと、扇の陰で笑い始めた。


「謁見の間は反対よ」


「今ごろ、地下の書庫へ向かっているわね」


「怖い顔で睨まれたから、ちょっと仕返ししただけよ」


「でも、あの傷はひどいわ。あんな方の妻になる女性は、毎朝驚いてしまうでしょうね」


 私は思わず足を止めた。


 あの四人は、声をかけてきた男性に、わざと間違った道を教えたようだ。


 私は抱えていた書類を強く握った。


 相手の男性は、王宮に慣れていないのだろう。


 それでも、よく考えれば妙だった。


 王宮へ剣を帯びたまま入れる者は限られている。


 礼装の生地も上等だった。


 何より、あれほどの傷を顔に負いながら、背筋を伸ばして王宮を歩いている。


 ただ者ではない。


 私は四人に気づかれないよう、別の通路へ回った。


 少し急げば、先回りできるはずだ。


 だが、ここで別の「花」が彼に声をかけた。


「あの、失礼ですが、どちらへ? このさきは厨房ですが……」


「え?」


「はい。厨房です」


「こちらが謁見室だと教えてもらったのですが……」


「王宮は広いですから、勘違いでしょうか?」


「花」は首をかしげているが、案内することにしたようで、二人は並んで歩き出した。


 しくじった。出遅れた。だけどあきらめきれない私は二人の後ろからついていった。


 男性を送り届けた「花」は引き返してきた。


 よし、帰り道を狙う。


 待っていたら用事をすませた彼が歩いてきた。

 

 私は書類の束を胸に抱え直し、男性との距離を測った。


 ――今だ。

 私は小走りで歩き、わざと靴先をドレスの裾に引っかけた。


「きゃっ!」


 体が前へ傾く。


 腕から離れた書類が、廊下一面に舞い散った。


 床へ倒れる。


 そう覚悟して目をつぶったけれど、衝撃は訪れなかった。


 代わりに、力強い腕が私の体を支えた。


「危ない!」


 男性は私を抱き留めると、そっと立たせてくれた。


「お怪我はありませんか?」


「は、はい。ありがとうございます」


 私は恥ずかしくてうつむいた。


 演技ではなく、本当に恥ずかしかった。


 わざと転んだのに、思っていた以上に大きな声を上げてしまったのだ。


「申し訳ありません。前をよく見てなくて……」


「いえ、怪我がなくてなによりです」


 二人で書類を拾っているうちに、彼の胸元にある徽章が目に入った。


 剣と盾。その周囲を囲む茨。


 学院で習った。北方を守る辺境伯家の紋章だった。


  魔獣の生息する山脈と国境の両方を預かる、武門の名家だ。


 しかも、その家の当主が若くして代替わりしたという話を、少し前に聞いたばかりだった。


 私はそっと男性の顔を見た。


 もしかして、この方が新しい辺境伯なのだろうか。


「ありがとうございます。あとは私が拾いますので」


「これだけの量です。お一人では大変でしょう」


 彼はそう言って、最後の一枚まで拾ってくれた。


 見た目は怖い。


 けれど、声は穏やかで、仕草も丁寧だった。


 書類の順番まで乱れないように、番号を確かめて重ねてくれている。


 私は少しだけ後悔した。


 こんな誠実な人に、計算ずくで近づくなんて……


「本当にありがとうございました」


「お役に立てて何よりです」


「あの、教えていただきたいのですが、馬車乗り場はこちらの方向で間違いないですか?」


「はい、こちらですが……」


「それはよかった。実は先ほどまったく反対に向かっておりましてね。お嬢さんに案内してもらったのですよ。王宮はまったくわかりにくい」


「馬車乗り場なら私と同じ方向です。ご一緒いたします」


「よかった。お願いいたします」



 それから、男性がグレン・バルフォア辺境伯だと知った。


 父親を病で亡くし、半年前に爵位を継いだばかりだという。


 顔の傷は、領民を襲った魔獣を討伐した際に負ったものだった。


「王都の方は、やはりこの傷を恐ろしいと思われるのでしょうね」


 辺境伯は自嘲するように言った。


 四人の視線に気づいていたのだろう。


「申し訳ありません。あなたも、私の顔を見たときに驚かれたでしょう」


「驚きました」


 私が正直に答えると、彼は寂しそうに目を伏せた。


 だから、私は言葉を続けた。


「けれど、その傷が領民を守るために負ったものだと知って、もっと驚きました」


「もっと?」


「ええ。私なら、そのような傷を負った方が家族にいれば、自慢して回りますわ」


 辺境伯が足を止めた。


「自慢、ですか?」


「民を見捨てず、ご自分が前に立って戦われた証しでしょう? 隠すようなものではございません。あなたが守った方々にとっては、何よりも誇らしい傷だと思います」


 少し言いすぎたかもしれない。


 まだ出会ったばかりの男性に告げる言葉ではなかった。


 けれど、辺境伯はしばらく黙ったあと、傷のある頬を緩めた。


 初めて見た彼の笑顔は、驚くほど優しかった。


「そのように言っていただいたのは、初めてです」


「皆様、思っていても口に出せないだけですわ」


彼はゆっくりと微笑んだ。


「あなたは、お優しい方なのですね」


 胸がちくりと痛んだ。


 本当は優しいのではない。


 小道具の書類を用意し、転ぶ場所まで選んだ計算高い女である。


 それでも、傷を自慢したいと思ったことは嘘ではなかった。


 二人で笑い合ったあと、彼は少し迷うように私を見た。


「あの……お名前を伺ってもよろしいでしょうか」


 きた。


 私は心の中で拳を握った。


 けれど表情には出さず、ドレスの裾を摘んで優雅に一礼した。


「エミリア・ハーシェルと申します」


「エミリア嬢。ハーシェル家のご令嬢ですね」


 彼は確かめるように、私の名前を繰り返した。


「後日、改めてお礼をさせていただいても?」


「お礼を言うのは私では? 転ぶところを助けていただいて書類もひろっていただきましたわ」


「馬車乗り場に無事につけたお礼です」

 

そういうと彼は、赤い顔で言葉がでない私に笑いかけた。


 怖いと思っていた顔も、笑うと素敵だった。


 翌日、私の実家へ辺境伯家から大きな花束が届いた。


 その三日後には、お茶への招待状が届いた。


 お茶の席で、彼は王都の女性たちが自分の傷を怖がるのではないかと、ずっと気にしていたことを話してくれた。


「エミリア嬢のお言葉で、初めてこの傷を恥じなくてもよいのだと思えました」


「そう言っていただけると、光栄ですわ」


「あなたに言っていただけたことが嬉しかった」


 そう言われたとき、胸の奥が温かくなった。


 最初は好条件の男性だと思った。


 辺境伯夫人になれるかもしれないという打算も、もちろんあった。


 けれど、会うたびに彼の誠実さを知った。


 彼は領地の話をするとき、いつも楽しそうだった。


 今年は麦の出来がよかった。


 新しい井戸が完成した。


 冬までに魔獣除けの柵を広げたい。


 領民の話をするとき、彼は一人一人の名前まで覚えていた。


 この人が顔に傷を負ったのは、偶然でも無謀だったからでもない。


 守るべき人々を、本気で大切にしているからだ。


 何度目かのお茶の席で、グレンはいつになく緊張した面持ちで私を見つめた。


「エミリア嬢。今日は、あなたにお話ししたいことがあります」


 改まった口調に、私も背筋を伸ばす。


「なんでしょうか」


「私の領地は、王都のように華やかな場所ではありません」


 彼は言葉を選びながら、静かに話し始めた。


「冬は長く、雪も深い。魔獣が現れることもあります。領地を守るため、私が屋敷を空けることも少なくありません」


 いつもなら楽しそうに語る領地の話を、今日はひどく慎重に口にしている。


「それに、領地では文官も不足しています。特産品を王都で売るための商会も、これから整えなければなりません。女性たちが集まり、お茶を楽しめるような場所さえ、ほとんどないのです」


「ずいぶん忙しそうなところですのね」


「はい。あなたには、不自由な思いをさせるかもしれません」


 グレンはそこでいったん言葉を切った。


 傷のある頬に緊張が浮かんでいる。膝の上に置かれた大きな手も、固く握られていた。


「本当なら、あなたには王都で穏やかに暮らしていただくほうがよいのでしょう」


「では、今日はそれをお伝えになるために?」


「いいえ」


 グレンは、きっぱりと否定した。


「そのように考えて、何度も諦めようとしました。ですが、できませんでした」


 真っすぐに向けられた瞳に、私は息をのんだ。


「私は、あなたに辺境へ来ていただきたい」


 彼は迷わず言い切った。


「あなたが書類を美しく整えられることも、王宮で文官見習いを目指して勉強されていたことも伺いました。商会のことも、領地の女性たちの暮らしも、あなたなら私には見えないところまで気づいてくださると思っています」


 グレンは身を乗り出すようにして続けた。


「ただ屋敷を飾るだけの妻が欲しいのではありません。領地の未来を一緒に考え、私の隣を歩いてくださる方が欲しいのです」


 胸の奥が大きく鳴った。


 王宮では、美しく着飾って歩くことしか求められなかった。


 けれど彼は、私にできることを見つけてくれていた。


「もちろん、危険な目には遭わせません。屋敷もできる限り住みやすく整えます。王都へ帰りたいときには、必ず馬車を用意します。あなたが望むなら、領地で仕事を持つことも――」


「グレン様」


 私が呼びかけると、彼は慌てて口を閉じた。


「申し訳ありません。一度に話しすぎました」


「いいえ。ですが、肝心な言葉がまだのようですわ」


「肝心な言葉……」


 彼は一瞬きょとんとしたあと、意味に気づいたらしい。


 見る間に顔が赤くなった。


 それでも彼は目をそらさなかった。椅子から立ち上がると、私の前へ進み、迷いなく片膝をついた。


「エミリア・ハーシェル嬢」


 差し出された手は、わずかに震えていた。


「私は、あなたを愛しています」


 あまりにも真っすぐな言葉に、胸が熱くなる。


「辺境は厳しい土地です。苦労をおかけすることもあるでしょう。それでも私は、あなたとともに生きたい。私の妻として、領地の者たちとともに、あの土地の未来を築いていただきたいのです」


 グレンは、まっすぐに私を見上げた。


「どうか、私と結婚してください」


 私はすぐには答えなかった。


 少しだけ、彼を見つめる時間が欲しかったのだ。


 顔に傷を負いながら民を守り、その傷を恥じていた誠実な人。


 領地の厳しさを隠さず、それでも私を必要だと言ってくれる人。


 最初は、好条件の男性だと思って近づいた。


 辺境伯夫人になれるかもしれないという打算もあった。


 けれど今、私が欲しいのは爵位でも、豊かな暮らしでもない。


 この人の隣に立つ未来だった。


 私は差し出された手に、自分の手を重ねた。


「はい。喜んでお受けいたします」


 グレンの顔が、ぱっと明るくなった。


「本当ですか?」


「ええ。ただし、覚悟してくださいませ」


「覚悟、ですか?」


「私は屋敷に飾られているだけの妻になるつもりはありません。書類の整理にも、商会づくりにも口を出します。領地のご婦人方がお茶を楽しめる場所も作りたいですわ」


「もちろんです。ぜひお願いします」


「領地の特産品も、王都で売り出しましょう。きちんと価値を知っていただけるよう、包装や宣伝も考えなくてはなりませんね」


「はい」


「魔獣除けの柵についても、予算を確認させてくださいませ」


「それも、ぜひ」


 何を言っても嬉しそうにうなずくので、私はとうとう笑ってしまった。


「まだ結婚もしていないのに、気が早すぎますわね」


「いいえ」


 グレンは私の手を両手で包み、傷のある顔に優しい笑みを浮かべた。


「私にはもう、あなたが領地にいてくださる未来しか考えられません」


 この人は、驚くほど素直だ。


 そして私は、その素直さを愛おしいと思い始めていた。


「それでしたら、一日も早く父へ申し込んでくださいませ」


「はい。今日、このあとすぐに伺います」


「まあ、本当に?」


「これ以上、待ちたくありませんから」


 思いがけず強い言葉を告げられ、今度は私の頬が熱くなった。


 グレンはそんな私を見て、少し得意そうに笑った。


 あまりにも真摯な、そして不器用ながらもまっすぐな求婚に――私はこの日初めて、この辺境伯には意外と大胆なところがあるのだと知ったのだった。


 




いつもお読みいただき、ありがとうございます!


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