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森北三姉妹  作者: 古咲一和


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4/19

ふたりは姉妹 前編

ちょっとシリアスになります。



 身体測定の日、佳奈は保健室の前で順番を待っていた。


 廊下には1年生の女子が列を作っていたが、今はもう2人しかいない。前から順番に呼ばれて、保健室に入っていく。大抵の場合森北は最後のほうになる。


「森北佳奈さん」


 名前を呼ばれて、佳奈は保健室のドアを開けた。


 白い壁、消毒液の匂い。


「靴を脱いではだしになってください」


 養護教諭が優しく言った。


 佳奈は靴を脱いで靴下も脱いだ。そして身長体重計の下に立った。背筋を伸ばす。バーが降りてきて一瞬頭に触ると上に戻っていった。


「はい、いいですよ」


 養護教諭がデジタル表示の測定データを見せてくれる。


 佳奈は軽くうなずいた。身長は158.4センチで去年より1センチ伸びている。悪くない。平均よりも少し高いくらいだ。体重はあまり大きな変動はなかった。


 記録用紙に数字を書き込む。


「ありがとうございました」


 佳奈は保健室を出た。


 廊下に戻ると、次の順番を待っていた結菜と目が合った。


「佳奈ちゃん、何センチだった?」


 結菜が明るい声で聞いてきた。


「158.4」


「お、伸びたね。じゃあ私も期待しちゃおうかな」


「うん。みんな測り終えてるよね、結菜で最後でしょ。あいうえお順だといつもこうだもんね」


「うん」


 その時、保健室から声がした。


「森北結菜さん」


「呼ばれた。じゃあ行ってくる」


 結菜が保健室に入っていく。佳奈は廊下で待つことにした。


 窓の外では、春の日差しが校庭を明るく照らしている。桜の花びらが風に舞っている。


「日陰はまだ寒いな」


 腕をさする佳奈。


 数分後、結菜が保健室から出てきた。


「佳奈ちゃん!」


 結菜が嬉しそうに駆け寄ってきた。


「何センチだった?」


「159.6センチだった!」


 結菜の声は弾んでいた。


 その瞬間、佳奈の胸の奥で何かが引っかかった。


「……えっ」


 悔しさと焦りが突然、胸に渦を巻く。


 159.6センチ。


 つまり、結菜の方が1.2センチ高い。

 去年は私の方が高かった。

 10ヶ月後に生まれた妹に、身長を抜かされた。


 佳奈は一瞬、言葉が出なかった。でも、すぐに笑顔を作った。


「すごいね」


「でしょ? 去年より3.4センチも伸びたの」


「3.4センチ? それすごい伸びだね」


「佳奈ちゃんとほとんど変わらないよね」


「……そうだね」


 結菜は無邪気に笑っている。悪気はない。ただ、嬉しいだけだ。身長が伸びたことが嬉しくて、それを姉に報告したいだけ。


 でも、佳奈の胸の奥には、自分でも認めたくないもの、でも確かに存在する感情。


 悔しさ、焦り、嫉妬。


「教室戻ろうか」


 佳奈が先に歩き出した。


「うん」


 結菜が後ろからついてくる。その足音が、いつもより軽やかに聞こえる。


 教室に戻ると、クラスメイトたちが身体測定の結果を話しで盛り上がっていた。


「私、去年と変わらなかった」


「私は1センチ伸びた」

 

「朝抜いてきたのに体重が――」

 

 佳奈は席に座った。机の上には、数学のプリントが置かれている。次の授業の準備だ。


 結菜は友達と身長の話をしている。


「結菜、何センチだった?」


「159.6」


「160超えそう」


「去年より3.4センチ伸びたの」


「すごすぎ」


 佳奈はプリントを見つめた。でも、文字が頭に入ってこない。


「1.2センチ……」


 わずかな差。でも、その差が大きく感じられる。


 同じ学年なのに。10ヶ月先に生まれたのに。


 今は結菜の方が背が高い。



 放課後、真奈と合流し3人は自転車で帰る。


 いつもなら、佳奈が先頭を走り、結菜が後ろを走る。真奈は一番後ろで、2人を見守るように走る。それが、森北家の三姉妹の自転車の隊列だった。


 でも、今日は違った。


 走り出した瞬間、結菜が自然と前に出た。

 ペダルの回転が軽い。一漕ぎで進む距離が、少し長い。


 佳奈は慌ててペダルを踏み込む。けれど、差は埋まらない。


 結菜の背中が、じわりと遠ざかる。


 信号が赤になり、3人は止まった。


「佳奈ちゃん、遅いよ」


 振り返った結菜は、ただ笑っているだけだ。


「……うん」


 信号が青に変わる。


 また結菜が先頭に出る。


 佳奈は歯を食いしばってペダルを漕いだ。


 背中は、やっぱり遠いままだった。


 家に着く頃には、佳奈の額には汗がたっぷりと浮かんでいた。息が上がっている。


 結菜は少し息が弾んでいるだけで、余裕がありそうだった。


「ただいま」


 3人で玄関に入る。


「おかえり」


 母が笑顔で迎えてくれた。


「お母さん、今日身体測定だったんだよ」


 結菜が嬉しそうに言った。


「そう。どうだった?」


「身長が159.6」


「あら、伸びたわね」


「去年より3.4センチも」


「すごいわね。佳奈は?」


「158.4」


 佳奈は小さな声で答えた。


「あら、結菜の方が高いのね」


 母は特に驚いた様子もなく、普通に言った。悪気はない。ただの事実。


「うん。でも、佳奈ちゃんとほとんど変わらないよね」


 結菜が笑った。


「そうね。2人とも順調に成長してるわ」


 母が優しく言った。


 佳奈は何も答えず、自分の部屋に直行した。


 ドアを閉めて、机に突っ伏す。


 大きく息をつく。


「何で……」


 自分でも、何に対して「何で」と思っているのかわからない。


 身長が抜かれたこと?


 自転車で追いつけなかったこと?


 それとも、結菜が嬉しそうにしていたこと?


 どれも、別に悪いことじゃない。


 妹が成長するのは、当たり前のことだ。喜ぶべきことだ。


 でも。


 胸の奥に、もやもやとした感情が渦巻いている。


 悔しさ。焦り。そして、認めたくない嫉妬。


 佳奈は顔を上げて、机の上の教科書を見た。


 数学の教科書。次のテストの範囲だ。


「勉強なら……」


 ふと思った。


 身長は、どうしようもない。自転車も、脚力が関係する。昼休みに体育館で走り回っている結菜に、敵うわけもない。


 でも、勉強なら。頭を使うことなら。


 努力次第で、結果が変わる。


 佳奈は教科書を開いた。でも、文字が頭に入ってこない。


 集中できない。


 その日の夜、夕食の席で、佳奈は結菜を見た。


 結菜は普通に食事をしている。笑顔で、母や真奈と話している。


「今日の体育、楽しかった」


「何やったの?」


 お椀を置いて母が尋ねる。


「バスケ。シュートが馬鹿みたいに決まるんだよ」


「すごいじゃない」


 真奈が笑った。


 佳奈は黙って食事を続けた。



 食後、佳奈は結菜を呼び止めた。


「結菜、ちょっといい?」


「何?」


 結菜が振り返った。


「数学のプリント、どっちが先に解けるか勝負しない?」


「えっ」


 結菜が驚いた顔をした。


「いいけど……なんで急に?」


「ただ、やってみたいだけ」


 佳奈は平静を装った。


「わかった。いいよ」


「真奈にも来てもらおう。公平に見てもらいたいから」


「わざわざまー姉に?」


「うん」


 佳奈は真奈の部屋に行った。


 ノックをして、ドアを開ける。


「真奈、ちょっとお願いがあるんだけど」


「何?」


 真奈が本から顔を上げた。


「私と結菜が数学のプリントで勝負するの。審判をお願いしたい」


「審判?」


「うん。公平に見てほしいから」


 真奈は少し考えてから、うなずいた。


「わかったわ」


 真奈の部屋に佳奈と結菜が集まる。


「じゃあ、準備するわね」


 真奈はテーブルの上にあるものを片付ける。


 佳奈と結菜が座る。


「ネットで見つけた高校1年の問題を解いてもらう。範囲はそれほど広くはないから、全て解けるはず」


 真奈がプリントを配る。


「ルールは簡単。同時にスタートして、どちらが先に全問解き終えるか。あと正解率」


「わかった」


 佳奈と結菜がうなずく。


「準備はいい?」


「うん」


「よーい、スタート」


 真奈の合図で、2人は一斉にペンを走らせた。


 最初の問題。解き方は分かる。

でも、指先が止まる。


 向こうから、迷いのないペンの音が聞こえる。


 スラスラと、迷いなく。


 結菜だ。


 佳奈は焦った。


「早く、早く」


 急いで計算を始める。でも、焦れば焦るほど、計算ミスが増える。


 2×3を5と書いてしまう。


 消しゴムで消して、書き直して。


 結菜のペンの音は止まらない。


 佳奈の心拍数が上がる。呼吸が浅くなる。手のひらに汗が滲む。


 なんとか1問目を解き終えた。


 次の問題。確率の問題。


 これも解き方は分かる。


 でも、向かいの結菜はもう3問目に取り掛かっているように見える。ペンの音が、プリントの上の方から聞こえてくる。


 佳奈は必死に問題を解き続けた。


 指先が震える。


 汗が額に浮かぶ。


 次の問題、次の問題。


 でも、結菜のペンの音は、ずっと先を行っている。


 最後の問題。図形の問題。


 三角形の面積を求める。


 佳奈は図を書いた。でも、手が震えて、線がまっすぐ引けない。


 消して、書き直して、計算して、やっと答えが出た。


 佳奈はペンを置いた。


「……できた」


 小さな声で言った。


 結菜もほぼ同時にペンを置いた。


「私も」


 真奈は静かに近づき、2人のプリントを手に取った。


 ゆっくりと目を通す。


 佳奈の答案。結菜の答案。


「2人とも、よく頑張ったわね」


 真奈が優しく言った。


 その一言で、佳奈は焦りを一瞬だけ落ち着ける。


 でも、心の奥ではわかっている。


 結菜は無意識に、また少しずつ、佳奈の世界に踏み込んできている。


「どっちが早かった?」


 結菜が聞いた。


「ほぼ同時ね。でも……」


 真奈が少し考えてから言った。


「結菜の方が、ほんの少しだけ早かったかもしれない。見直しもしてたし」


 佳奈の胸の奥で、何かが弾けた。


「そっか、じゃあ私の『勝ち』だよね」


 結菜が笑って佳奈を見た。


「そうだね、今回の勝負は結菜の勝ちだよ」


 佳奈は心ここに在らずな感じでうなずく。


「でも、佳奈もすごく早かったよ」


 佳奈は何も答えなかった。答えられなかった。



 学校の帰り道、3人は自転車で走った。


 佳奈は歩幅を意識するように、ペダルを漕ぐ速度を意識した。少し早めに。


 でも、結菜は自然に同じ速度で合わせてくる。


 そして、ふとした瞬間に、また先頭に出る。


 真奈は一歩後ろで、静かに2人の走りを見守っている。


 佳奈は思う。


「まだ勝負は残ってる……けど、油断できない」



 次の日の昼休み。


 佳奈は結菜を体育館に呼び出した。


「バスケ、やろう」


「1対1?」


「うん」


 結菜は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑った。


「いいよ」


 体育館の床は冷たく、ボールの音が乾いて響く。

 真奈が少し離れた場所に立った。


 佳奈がドリブルを始める。


 目の前の結菜は、軽い。


 フェイントをかける。切り返す。

 わずかな隙ができる。


 シュート。


 リングに当たって、外れた。


「惜しい」


 真奈の声。


 結菜がボールを拾う。


 速い。


 身体が自然に流れるように動く。


 止めようとしても、半歩届かない。


 結菜のシュートは、音もなくリングに吸い込まれた。


「ナイス」


 真奈が小さく拍手する。


 佳奈は悔しかった。


 でも――ほんの少しだけ、嬉しかった。


 あんなにきれいに決められるなんて。


「もう1回」


「いいよ」


 2回、3回。


 結果は同じだった。


 佳奈のボールは、バックボードには当たるのにリングに弾かれる。


 結菜のボールは、迷いなく落ちる。


 昼休みの終わりのチャイムが鳴る。


「佳奈ちゃん、さっきのフェイントすごかったよ」


 結菜が笑う。


「今日は、ちょっと運がなかっただけだね」


 佳奈はゆっくりうなずく。


 胸の奥が、じんわりと熱い。


 悔しいのに、誇らしい。

 気持ちがうまく別れてくれない。


「佳奈ちゃん、うまかったよ。ディフェンスもシュートも惜しかった。今日は佳奈ちゃん、完全にリングに嫌われてたね。なんであれで入んないんだろう」


 結菜が笑顔で言った。


「そうかもね……ありがとう」


 佳奈は力なく答えた。


 その日の放課後。


 佳奈は教室の片隅で、机に突っ伏していた。


 手元には、今日出された数学のプリントが置かれている。また別の応用問題。


 何度解いても、答えが合わない。


 解説を見ても、理解できない。


 後ろで、結菜もプリントに向かっていた。


 佳奈は目を閉じた。


 胸の奥に、もやもやとした感情が渦巻いている。


 身長。自転車。数学。バスケ。


 どれも、結菜に追いつかれている。いや、追い越されている。


 10ヶ月後に生まれたのに。


 同じ学年なのに。


 妹なのに。


「もう……!」


 思わず声が出た。


 手元のプリントがぐしゃぐしゃになりかけている。


 佳奈は顔を上げた。


「佳奈ちゃん?」


 結菜が心配そうに近づいてきた。


「大丈夫?」


 優しい声。


 でも、その優しさが、余計に胸を締め付ける。


 何も悪くないのに、笑顔で鉛筆を走らせる結菜。


 その姿が、胸の奥でざわざわと突き上げてくる。


 真奈が教室に入ってくると、ピリピリした空気感を感じ取る。


「佳奈、大丈夫?」


 真奈の声は、柔らかく、でもどこか重みを帯びている。


 その声が、余計に焦りをかき立てる。


「大丈夫じゃない!」


 ついに佳奈は机をバンと叩いた。

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