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森北三姉妹  作者: 古咲一和


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3/11

試着室事件

三姉妹が訪れた、春のショッピングモールでの一コマ。

お買い得なニットを試着した長女・真奈を、思わぬ「罠」が待ち受けていました。


 土曜日の午後、三姉妹はショッピングモールに来ていた。


「春物、見ようよ」


 佳奈が服屋の前で立ち止まった。ウィンドウには、パステルカラーのワンピースやカーディガンが並んでいる。


「いいね。新学期も始まったし、何か新しい服欲しいかも」


 結菜も頷く。


「じゃあ入ろう」


 3人で店に入ると、入り口近くにセールのコーナーが目に入った。「SPRING SALE30%OFF」の文字が躍っている。


 結菜がニットを手に取った。ローゲージのプルオーバーで、柔らかそうな生地だ。ゆったりとしたシルエットで、今年らしいデザイン。


「まー姉、これ似合いそう」


「え、私?」


「うん。まー姉、こういう色好きでしょ」


 結菜が差し出したのは、淡いベージュのニットだった。確かに真奈の好みの色だ。落ち着いた色味で、どんな服にも合わせやすそうだ。


「でも、春はあっという間に夏に変わるし、せめて2月いや3月だったらよかったんだけど……」


 真奈が値札を見た。定価から30%オフで、かなりお買い得だ。


「今なら安いよ。来年も着られるし」


「そうね。試着してみたら? サイズも合うかわからないし」


 佳奈も勧めた。


「じゃあ、試着してみようかな」


 真奈はニットを受け取って、試着室に向かった。奥にある試着室のコーナーは、カーテンで仕切られた個室が3つ並んでいる。


「お客様、こちらへどうぞ」


 店員さんが空いている試着室を案内してくれた。


「ありがとうございます」


 真奈は試着室に入り、カーテンを閉めた。


 壁には大きな鏡があり、フックには上着をかけられるようになっている。真奈は上着を脱いで、フックにかけた。


 そして、ニットを手に取る。柔らかくて、触り心地がいい。


 真奈は制服のブラウスの上からニットに手を通す。まず右腕、次に左腕。そして、頭からかぶった。


 鏡を見る。


 悪くない。サイズもちょうどいいし、色も思った通り似合っている。ゆったりとしたシルエットが、制服のスカートとバランスよく見える。今は決まっているように思う。


 でも、先ほど言った言葉を思い出し考えた。気温もこれから上がっていく。桜が咲き始めているし、もうすぐ暖かくなる。このニットを着られるのは、せいぜいあと数週間だろう。そして来シーズンまで待つことになる。


 今年はあまり着る機会がないかもしれない。


 せっかく買っても、クローゼットにしまったままになりそうだ。


 今回はなしかな。


 真奈はそう判断して、ニットを脱ごうとした。


 まず右腕を袖から抜こうとする。


 でも、腕が動かなくなった。


「えっ?」


 真奈は少し力を入れて引っ張った。でも、腕が抜けない。


「あれ?」


 何かに引っかかっている。袖の中で、何かが腕を掴んでいるような感覚だ。


 真奈は左手で確かめようとしたけれど、ニットの中で手が思うように動かない。ニットが体に密着していて、中で手を動かすのが難しい。


 じゃあ、首から脱ごう。


 真奈は首を引き抜こうとした。でも、右腕が引っかかっているせいで、ニットが上がらない。引っかかった側の腕は上がらない。無理に引っ張ると、制服のブラウスまで一緒に上がってしまいそうだ。


 頭は半分くらいニットから出たけれど、右腕がニットの袖の中に閉じ込められたまま、変な体勢になってしまった。


 鏡を見る。ニットが頭と右腕に絡まって、まるで何かの生き物に襲われているような状態だ。


「……どうしよう」


 真奈は小さく呟いた。一人で何とかしようと、もう一度右腕を引っ張ってみる。でも、やっぱり動かない。


「……助けて」


 真奈はこもった声で言った。カーテンの向こうにいるはずの佳奈と結菜に聞こえるように。


「真奈? どうしたの?」


 すぐに佳奈の声が聞こえた。


「……脱げない」


「え?」


「ニットが……脱げない」


「どういうこと?」


 結菜の声も聞こえた。心配そうなトーンだ。


「腕が……引っかかって……」


「カーテン開けていい?」


 佳奈が聞いた。


「……うん」


 カーテンが少し開いて、佳奈が中を覗いた。そして、真奈の状態を見て、一瞬固まった。


「……何これ」


「脱げないの」


「わかった。ちょっと待って」


 佳奈が試着室に入ってきた。結菜も後ろから覗いている。


「うわ、すごい状態」


 結菜が驚いた声を出した。


「どうなってるの?」


「腕が……」


「とりあえず、ニットから顔を出そう」


 佳奈が真奈の頭に来ているニットを優しく引っ張った。ニットから真奈の顔が完全に出た。髪が少し乱れている。


「はあ……」


 真奈が大きく息をついた。ニットに顔が半分埋まっていて、息苦しかった。


「次に、ニットの袖から手を抜いて」


「でも、引っかかってて……」


「引っかかってる方じゃなくて、左手。左手は大丈夫でしょ」


「あ、そっちね」


 真奈は左腕をニットの袖から無事抜けた。これで少し楽になった。少なくとも、片手は自由に動かせる。


「じゃあ、右手はどうなってるか見てみよう」


 佳奈がニットの袖を覗き込んだ。結菜も一緒に見ている。


「あー、わかった」


「何?」


「制服の袖のボタンが、ニットの袖に引っかかってる」


「ボタン?」


「うん。制服の袖口のボタン。ニットの編み目に引っかかって、絡まってるね」


「そんなことになってるの?」


 真奈が驚いた。まさか制服のボタンが原因だとは思わなかった。


「うん。ローゲージだから、編み目が大きいでしょ? そこにボタンが入り込んじゃったみたい」


「どうすれば……」


「待って。今ほぐすから」


 佳奈が真奈の右腕をそっと持って、ニットの袖の中を確認した。制服のボタンがニットの編み目にしっかりと引っかかっている。無理に引っ張ると、ニットが伸びてしまいそうだ。


「結菜、こっち持ってて」


「うん」


 結菜がニットの袖口を持って、佳奈が慎重にボタンを編み目からほぐしていく。まるで外科手術のような慎重さだ。


「痛くない?」


「大丈夫」


「もうちょっと……ボタンがしっかり引っかかってるね」


 佳奈が丁寧に作業を続ける。



「あ、取れた」


 佳奈がボタンを編み目から外した。


「じゃあ、真奈、制服のボタンを握って」


「え?」


「ボタンを握ったまま、ニットから手を引いて。そうすれば、また引っかからないから」


「あ、なるほど」


 真奈は制服の袖のボタンを手のひらで握りしめて、ゆっくりと腕をニットの袖から抜いた。


 無事に取れた。


「やっと脱げた……」


 真奈がほっと息をついた。閉じ込められていた右腕を動かす。少し痺れている。


「大丈夫だった?」


「うん。ありがとう、佳奈」


「ううん。でも、こんなこともあるんだね」


 結菜が笑った。


「笑わないでよ」


「だって、まー姉、ニットに襲われてるみたいだった」


「ひどい」


 真奈が拗ねた顔をする。


「でも、本当にそう見えたよね」


 佳奈も笑った。


「2人とも……」


「ごめん、ごめん」


 3人は試着室を出た。


「で、どうする? 買う?」


 結菜が聞いた。さっき着ていた時は似合っていたし、値段も手頃だ。


 真奈は少し考えて、首を横に振った。


「買わない」


「え、似合ってたのに」


「危ないから」


「危ない?」


「だって、また引っかかったら怖いし」


 真奈が真面目な顔で言った。


「それって、真奈が脱ぎ方間違えただけじゃ……」


 佳奈が言いかけたけれど、真奈は首を横に振った。


「いや、このニット危険だよ。理論上、また引っかかる可能性がある」


「理論上……」


「それは……そうだけど」


「そういうことにしておこうか」


 佳奈は肩をすくめた。


「うん。まー姉がそう言うなら」


 結菜が頷いた。


 真奈は店員さんのところに行った。


「すみません、試着したんですけど、サイズが合わなくて」


「そうですか。ありがとうございました」


 店員さんが笑顔でニットを受け取った。


 3人は店を出た。


「でも、本当に似合ってたのに。もったいない」


 結菜が残念そうに言った。


「また今度、別のニット探そうよ。もっと編み目が細かいやつ」


 佳奈が提案した。


「うん。でも、次はボタンが絡まらないやつにする」


「袖にボタンがついてない服で試着すればいいんじゃない?」


「……そういう方法もあったか」


 真奈がハッとした顔をした。今更気づいた。


「まー姉らしいね」


 結菜が笑った。


「まあ、いい経験になったでしょ」


 佳奈が優しく笑った。


「うん……でも、あの時は本当に焦った」


「そうだよね。顔が半分以上埋まってたもんね」


「息苦しかったし」


「次からは気をつけようね」


「うん」


 真奈は少し恥ずかしそうに頷いた。


「てか、なんで今日制服で来たの」


 佳奈が疑問をぶつける。


「急に出かけることになるとつい、一番着慣れてるのを選んじゃう」


「じゃあ、今回の件は惰性の結果ってことね」


「うっ。でも違う、たまたま、偶然」


 3人はモールの中を歩き続けた。春の新作が並ぶショーウィンドウを眺めながら、次はどの店に入ろうか相談している。


「あ、あそこのパン屋、おいしいって評判のお店」


 佳奈が指差した。パン屋からは、焼きたてのパンのいい香りが漂ってくる。


「行こうよ。お腹空いた」


「賛成」


 三姉妹は並んでパン屋に向かって歩いていく。


「佳奈、パンの目利きはさすがだよね」


「まあね。将来パン屋になるつもりだし」


「私も何か買おうかな」


 結菜が言った。


「真奈は?」


「私も。でも、選ぶのは佳奈に任せようかな」


「いいよ。おすすめ教えてあげる」


 試着室事件は、また1つ、森北家の思い出になった。そして、真奈が服を試着する時は、袖にボタンがないものの時という新しいルールが加わったのだった。


「でも、まさかニットに襲われてるとは思わなかったよ」


 結菜がまだ笑っている。


「もう言わないでよ」


「ごめん、ごめん」


 3人の笑い声が、モールの中に響いた。春の午後、姉妹のショッピングは続いていく。

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