レシピ通りの家庭科とは
場面は調理実習です。
真奈がレシピ通り料理を作れるのか、注目です。
家庭科室に入ると、すでに材料が各班のテーブルに並べられていた。真奈は自分の班の位置を確認して、エプロンを着ける。
今日の調理実習は「カフェ風パスタランチ」。メインのナスとベーコンのトマトパスタ、温野菜のシーザーサラダ、ふわふわ卵のコンソメスープ。どれも見た目が華やかで、完成予想図の写真はまるでレストランのようだった。
「真奈、パスタお願いね」
班長の優子が言った。真奈は頷く。
「うん、任せて」
他の三人はサラダとスープに分かれる。真奈はパスタの材料を確認した。ナス、ベーコン、トマト缶、ニンニク、オリーブオイル、パスタ。シンプルな材料だ。
そして、レシピカードを手に取る。真奈はこういう指示書を読むのが好きだった。手順が明確で、やるべきことがはっきりしている。
「じゃあ、始めましょう」
先生の合図で、調理実習が始まった。
真奈はまずレシピを最初から最後まで読んだ。全体の流れを把握する。それから、ナスを切り始めた。
「ナスは1.5cm角に切る」
レシピ通り、定規で測ったように正確に切る。包丁を手に取ると、自然と気持ちが落ち着く。均一な大きさ、綺麗な切り口。
「真奈ちゃん、切るの上手だね」
隣の班の子が声をかけてくれた。
「ありがとう」
真奈は笑顔で答えて、次にベーコンを切る。「ベーコンは1cm幅」とレシピにある。これも正確に。ニンニクは「みじん切り」。細かく、均一に。
「真奈、手際いいね」
「レシピ通りにやってるだけだから」
優子が感心したように言う。真奈は少し誇らしい気持ちになった。
下ごしらえは完璧だ。
問題はここからだった。
「えっと……」
真奈はレシピを確認する。
「パスタを茹でる(8分)。同時進行でソースを作る」
つまり、8分でパスタとソースの両方を完成させなければいけない。真奈は時計を見た。タイムマネジメントが重要だ。
「よし」
真奈は大きな鍋にお湯を沸かし始めた。沸騰した鍋に塩を「小さじ2」入れて、再沸騰させる。そしてパスタを投入。タイマーを8分にセット。
次に、フライパンにオリーブオイルを「大さじ1」入れて、ニンニクを炒める。
「弱火で香りを出す」
レシピ通り。いい香りが立ち上ってきた。
「いい匂い」
サラダ担当の美咲が言った。
真奈はベーコンを加える。
「ベーコンを炒める(2分)」
2分。真奈は腕時計を確認しながら、きっかり2分待った。
次のステップ。
「ナスを加えて炒める」
切っておいたナスをフライパンに入れた。ここで真奈は困った。
レシピには「ナスに火が通るまで炒める(目安5分)」と書いてある。
でも、「目安」って何?
真奈は時計を見た。パスタの茹で時間は残り5分。つまり、ナスを5分炒めたら、ちょうどパスタが茹で上がるタイミングだ。
でも、ナスはまだ固そうに見える。本当に5分で火が通るんだろうか。
「早く火を通さないと……」
真奈は火を中火から強火に上げた。レシピには「中火で」と書いてあるけれど、5分で確実に火を通すには、強火の方がいいはずだ。
フライパンの中で、ナスがジュウジュウと激しく音を立てている。
「真奈、ちょっと火が強すぎない?」
スープを作っていた千夏が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫。レシピには5分って書いてあるから、5分で仕上げないと」
「でも……」
「タイミングを合わせないと。パスタが茹で上がるまでにソースを完成させなきゃ」
真奈は時計を見た。残り4分。計画通りに進めなければ。
でも、その時、フライパンから少し煙が上がり始めた。ナスの端が焦げかけている。
「あっ……」
慌てて火を弱めようとしたけれど、もう遅かった。ベーコンの端も焦げている。
「真奈、トマト缶入れちゃえば?」
優子が助け舟を出してくれた。
真奈はレシピを確認する。「トマト缶を加えて煮込む(3分)」。本当は5分経ってから入れるはずだったけれど、焦げてしまうよりはいい。
真奈は慌ってトマト缶を開けて、フライパンに投入する。ジュッという音と共に、蒸気が上がった。
トマトソースは赤い色をしているけれど、少し焦げたナスとベーコンの破片が混ざっている。
「……計画通りじゃない」
真奈は小さく呟いた。
「大丈夫、大丈夫」
美咲がフォローしてくれる。
真奈はレシピの次のステップを見た。「塩で味を調える」。
でも、どのくらい入れればいいのか書いていない。「適量」としか書いていない。
適量って何?
真奈は困惑した。ここまで正確に分量が指定されていたのに、急に曖昧になる。
「えっと……」
とりあえず塩を振った。でも、少なすぎるような気がして、もう一度振る。
「真奈、ちょっと入れすぎじゃない?」
「えっ? でも適量って……」
優子が心配そうに見ている。真奈は味見用のスプーンでソースをすくって、口に入れた。
少ししょっぱい。そして、かすかに焦げた味がする。
「……失敗した」
真奈の声が小さくなった。レシピ通りにやったはずなのに。
パスタの茹で上がりを知らせるタイマーが鳴った。8分。計画通り。でも、ソースは計画通りじゃない。
真奈は湯切りをして、パスタをフライパンに入れる。ソースと和える。パスタは赤く染まっているけれど、焦げた破片が所々に見える。
「盛り付けよう……」
真奈は少し元気なく言った。
四人で盛り付けをする。隣の班では、鮮やかな赤いパスタが綺麗に盛られている。真奈の班のパスタも赤いけれど、レシピ写真ほど綺麗ではない。
「いただきます」
先生の合図で、みんなで食べ始めた。
真奈は自分のパスタを一口食べた。パスタの硬さもちょうどよく、少ししょっぱくて、かすかに焦げた味がするけれど、食べられないほどではない。ナスも、少し固いけれど、ちゃんと火は通っている。
「……なんとか食べられる、かな」
真奈は小さく呟いた。
「うん、全然食べられるよ」
「トマトの味はちゃんとするし」
優子と美咲が慰めてくれる。確かに、完全な失敗ではない。でも、成功とも言えない。
真奈はレシピカードを見つめた。ちゃんとレシピ通りにやったはずなのに。下ごしらえは完璧だったのに。
どうして上手くいかなかったんだろう。
調理実習が終わって、片付けをしている時、先生が真奈のところに来た。
「森北さん、どうだった?」
「……レシピ通りにやったんですけど、微妙でした」
「そう。でもね、料理のレシピって、あくまで目安なのよ」
「目安……ですか?」
先生は優しく笑った。
「火加減も、材料の大きさも、フライパンの種類も、環境によって変わるでしょう? だから『5分』って書いてあっても、実際には4分で火が通ることもあれば、6分かかることもある」
「でも、それじゃあレシピの意味が……」
「レシピは道しるべなの。でも、最後は自分の目と鼻と舌で判断する。それが料理よ」
真奈は少し考え込んだ。
「下ごしらえは完璧だったわ。切り方も綺麗だったし。次は、火加減と味付けを『感覚』で覚えていけばいいのよ」
「感覚……」
「ええ。経験を重ねれば、きっとわかるようになるわ」
先生の言葉に、真奈は少しだけ救われた気がした。でも、「感覚」という曖昧なものに頼るのは、まだ不安だった。
⸻
放課後、真奈は1人で家に帰った。玄関を開けると、キッチンで佳奈が何かの準備をしているのが見えた。
「ただいま」
「おかえり」
佳奈がエプロンをつけて、まな板の前に材料を並べている。ナス、ベーコン、トマト缶が見えた。
真奈は立ち止まった。
「佳奈、それ……」
「パスタ作ろうと思って。ナスとベーコンのトマトパスタ」
「……どうして?」
「今日学校でパスタ作ったって聞いたから。微妙な感じだったんでしょ?」
「……誰に聞いたの」
「結菜。結菜の友達が真奈の班の子の妹で」
情報が早い。真奈は少しため息をついた。
「だから、復習しようと思って。一緒に作ろう?」
佳奈が振り返って笑った。その笑顔に、真奈は少し胸が温かくなった。
「……でも、レシピ通りにやったんだけどね」
「レシピ通りに?」
「うん。時間も分量も、全部ちゃんと測って」
佳奈は少し考えてから言った。
「それが原因かもね」
「え?」
「レシピって、目安でしかないから。大事なのは、様子を見ながら調整することなんだよ」
真奈は先生と同じことを言われて、少し驚いた。
「でも……曖昧じゃない?」
「曖昧っていうか、柔軟? 火加減のコツとか、教えてあげるから、こっちに来て一緒に作ろう」
「……いいの?」
「もちろん。姉妹でしょ。お互い得意なこと教え合えばいいじゃん」
真奈はエプロンをつけて、佳奈の隣に立った。
「じゃあまず、ナスを切って。真奈の得意分野」
「それは任せて」
真奈は包丁を手に取った。ナスを一口大に切る。やっぱり、この作業は落ち着く。
「真奈、切るの本当に上手だね。同じ大きさに綺麗に揃ってる」
「レシピに1.5cm角って書いてあったから」
「え、測ったの?」
「うん」
佳奈は少し笑った。
「真奈らしい。でも料理って、そこまで正確じゃなくても大丈夫なんだよ。『一口大』でいいの。多少バラつきがあっても、おいしく作れるから」
「……そうなの?」
「うん。ただ、真奈みたいに綺麗に揃えると、火の通り方が均一になるから、それはすごくいいこと」
佳奈がフライパンにオリーブオイルを入れて、ニンニクを炒め始める。台所にニンニクの香ばしい香りが広がった。
「ほら、このニンニクの香り。これが『いい香りがするまで』の合図」
「レシピには『弱火で香りを出す』って書いてあった。ここまではできてた」
「そうそう。この香りがしたら次のステップ。時間じゃなくて、香りで判断するの」
真奈は佳奈の様子を見つめた。佳奈はレシピを見ていない。フライパンの中を見て、香りを嗅いで、判断している。
「ベーコンを入れるね」
佳奈がベーコンを入れる。ジュウジュウという音。
「これも、『ベーコンから脂が出て、少し色づくまで』が合図。レシピには2分って書いてあったかもしれないけど、実際には1分半くらいで十分なこともあるし、3分かかることもある」
「じゃあ、2分っていうのは……」
「目安。大体これくらいって意味」
「次にナスね」
佳奈が切ったナスをフライパンに入れる。
「火加減は中火。ここで大事なのは、焦らないこと」
「でも、パスタが茹で上がるまでに……」
「大丈夫。ソースが先にできちゃっても、後で温め直せばいいから。タイミングを合わせようと焦って、火を強くする方が危ない」
真奈はハッとした。自分がまさにそれをやっていた。
「ナスはね、しんなりするまで炒めるの。表面に油が回って、少し透明感が出てくる。それが『火が通った』合図」
佳奈がゆっくりとナスを炒めている。真奈が学校でやった時よりも、ずっと落ち着いたペースだ。
「ほら、見て。ナスの色が少し変わってきた」
「本当だ……」
「これがトマト缶を入れるタイミング」
佳奈がトマト缶を入れる。赤いソースがフライパンの中で優しく煮立っている。焦げた匂いは全くしない。茹で汁をソース側に入れた。
「味付けは少しずつ。塩を一つまみ入れて、味見して、足りなかったらまた足す」
「『適量』って曖昧で……」
「うん、最初は難しいよね。でも、少しずつ足していけば、入れすぎることはないから」
佳奈が塩を振って、味見をする。
「真奈も味見してみて」
真奈はスプーンでソースをすくって、口に入れた。トマトの酸味と、ナスの甘み。ちょうどいい塩加減。
「……おいしい」
「でしょ? もうちょっと塩を足そうかな」
佳奈がほんの少し塩を足して、また味見をする。
「うん、いい線来てる。真奈も味見してみて」
真奈はもう一度味見をした。さっきよりも、味がはっきりしている。
「……本当だ。少し変わった」
「この『少し』の調整が大事なの。レシピには書けない部分」
二人で並んで作業する。佳奈がパスタを茹でて、真奈がソースを見守る。
「パスタが茹で上がる一分前に、ソースの火を止めるといいよ。余熱で温まるから」
「余熱……」
「うん。これも、レシピには書いてないコツ」
タイマーが鳴って、パスタを湯切りする。フライパンに入れて、ソースと和える。
「できた」
佳奈が嬉しそうに言った。
お皿に盛り付ける。鮮やかな赤いパスタ。学校で作ったものとは全然違う。
「いただきます」
二人で手を合わせる。
真奈は一口食べた。トマトの酸味、ナスの甘み、ベーコンの塩気。全部がバランスよく口の中で混ざり合う。
「……全然違う」
「学校のも食べられたんでしょ? じゃあ次はもっと上手にできるよ」
佳奈が笑った。
「でも、どうやって『感覚』を身につければいいの? 私、レシピ通りにやる方が安心なんだけど」
「レシピは大事だよ。基本を教えてくれるから。でも、それをベースにして、自分で調整する練習をするの。何回も作れば、だんだんわかってくるから」
佳奈はそこで少し真面目な顔になった。
「あ、そうだ。真奈、一つだけお願いしていい?」
「何?」
「料理する時は、誰かがいる時にして」
真奈は少し驚いて佳奈を見た。
「え?」
「だって、火を使うでしょ。もし焦がしちゃった時に、一人だと危ないし」
「……そんなに心配?」
「うん」
佳奈は真っすぐに真奈を見つめた。
「真奈は下ごしらえは完璧だけど、火加減の『感覚』はまだ練習中でしょ? 私や結菜、お父さんでもお母さんでもいいから、誰かがいる時だけ。ね?」
真奈は少し考えて、頷いた。
「……わかった。約束する」
「ありがとう」
佳奈がほっとした顔で笑った。
その時、玄関のドアが開いて、結菜が帰ってきた。
「ただいまー。あっ、パスタの匂い!」
「結菜、ちょうどよかった。一緒に食べよう」
佳奈が結菜の分も盛り付ける。
三人でテーブルを囲んで、パスタを食べる。
「おいしい。これ、真奈が作ったの?」
「佳奈と一緒に」
「へえ。じゃあ学校のリベンジ成功だね」
結菜が嬉しそうに言った。
「うん。学校のは……レシピ通りにやったんだけど、上手くいかなくて」
「レシピ通りにやって失敗?」
「レシピって、目安でしかないんだって。大事なのは、様子を見ながら調整すること」
「へえ。理論通りにはいかないんだね、家庭科って」
結菜がパスタを頬張りながら言った。
真奈は少し考えて、頷いた。
「そうみたい。理論も大事だけど、それだけじゃダメなんだって」
「そうそう。完全に失敗したわけじゃないんだから、自信持っていいよ。ただし」
佳奈が付け加えた。
「誰かがいる時だけね」
「そうそう。まー姉が一人で料理してるの、心配だから」
結菜も頷いた。
「わかってる。さっき約束したでしょ」
真奈が少し照れくさそうに言った。
窓の外では、夕日が沈みかけている。今日は微妙な出来だったけれど、大切なことを学んだ気がする。
レシピは道しるべ。でも、最後は自分の感覚で判断する。それが料理。
そして、苦手なことも、家族と一緒なら乗り越えられる。
真奈はパスタを一口頬張って、静かに思った。次は、もっと上手に作れるはずだ。そんな気がした。




