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本題はそっち──な話

あッ、やっぱり今のプロポーズは無しで!

作者: 矢井瀬 月

 

「一体どこへ消えてしまったんだ、僕のマリン」


 カイは呟く。

 マリンと初めて出会ったのは、夏の終わりの海辺だった。

 深みに向かって歩を進める彼女を、カイが咄嗟に引き止めた──それが、ふたりの関係の始まりだ。


 儚くて、美しい人だった。自分が永遠に守りたいと思っていたのに……。

 “海に還る、捜さないで”とメッセージを残し、ある日、マリンはカイの前から姿を消してしまったのだ。

 カイは波打つ水平線を見つめながら、切なく拳を握りしめた。


✽✽✽


「先輩、最近寝てないんじゃないですか?」


 俺は、先輩にコーヒーを渡しながら言った。


「んー、そうかも」

「あの女のこと、考えすぎなんじゃ……」


 元来仕事人間の先輩は、いくつもの案件を抱えながら、マリンという女をもう半年も探し続けている。


「大丈夫。ところでマリンとの行きつけのBARなんだけど、この仕事片づけたら、もう一回行ってみようと思うんだ。

 ねえ、“トーマ”。付き合ってもらっていい?」


 目の下に深い隈を作った先輩が、気丈な笑みを浮かべて俺を誘う。

 

「いいですけど」


(健気だなぁ……)

 俺は渋々うなずいた。


 どこか疲れた表情をしているのに、先輩の瞳の奥には、いつまでも変わらぬ熱が燃えていた。



 俺たちはそれぞれ私服に着替え、外へ出た。


「やっぱ先輩、カッコイイですよねぇ」

「外に出たら、先輩も後輩もないよ。“カイ”って呼べって言っただろ」

「……分かった、カイ」


 本来の俺たちは気やすい関係……だけど、四年間も職を共にして、慣れてしまった敬語を使わず過ごすのは、なかなか勇気がいるものだ。


(なんでこんなに綺麗なんだろうな……この人)


 白いシャツにラフなジャケット。高級な腕時計だって嫌味がない。

 艶やかな黒髪と理知的な瞳が際立ち、羨ましいほどの“イケメン”だ。

 ガタイがよく、どちらかというと“男らしい”と評される俺とは、まるで対照的な線の細さで。


「カイ……本当に大丈夫か?」


 だからこそ、その青白い顔が心配になる。

 がむしゃらすぎて、そのうち倒れてしまうのではないかと。



 日が暮れた頃、BARの手前まで来た。そのとき、カイの体がふいに膝を折って崩れた。

 俺は慌ててその体を支える。


「だから言ったのに。マリンのことは一回忘れて寝ろって!」

「そうはいっても、悠長にしてたらマリンはきっと……」


 言い合う俺たちの前に、ひとりの女性が現れた。

 街灯の光に、淡い茶色の髪がほのかにきらめく。


「もしかして、マリンを知っているの?」


 見た目年齢は二十代前半。小動物を思わせる容姿の女性は目を潤ませ、俺たちを見上げると、こてりと首を傾げた。


「私も、マリンを探しているの。お話……しない?」


 俺とカイは、互いに目を見合わせた。



 BARの丸いテーブル席で、俺たちは向き合った。

 出会った女性は、ニナと名乗った。


「ふたりは、マリンとどういう関係なの?」

 

 カイが答えた。


「僕はカイ……彼女の恋人だ。結婚を前提に付き合ってきたんだけど、半年前から連絡が取れない。そして彼、トーマは僕に付き添ってくれている友人だ」


 苦しそうに表情を歪めるカイを、ニナは痛ましげに見つめた。


「そう……カイさん。マリンから名前だけは聞いたことがあったけれど、こんなに素敵な方を置いて、マリンったら一体どこへ……」


 ニナはそっと自身の胸に手を置いた。


「私はマリンとは友だちで。何度も連絡したけれど、全然音沙汰がなくて……。そう、ちょうど半年前から」


 そこまで聞いたカイが、思わず、といったふうにニナの手を両手で握った。


「無理を言うようで申し訳ないけれど、マリンに縁のある場所を知っているなら、案内してほしい」


 カイの頼みに、ニナは顔を淡く染め、小さくうなずいた。



 その日をきっかけに、俺たち三人での捜索が始まった。


 まず訪れたのは、マリンが暮らしていたという古びた集合住宅。建物は取り壊されたばかりで、その跡地は売りに出されていた。


 そしてマリンが常連だったというカフェも、古本屋も、案内される全てが閉業していて手がかりはない。

 

(こんなことがあるのか?)


 俺は違和感を覚えていた。

 ほんの数か月前まで息づいていたはずの場所が、まるで示し合わせたかのように姿を消している。


 偶然にしては、あまりにも出来すぎていないだろうか。もしかして、ニナは……。


 俺はニナを意識して観察するようになった。



 どうやらニナはカイを気に入っているようだった。俺に対する態度とは明らかに違う。だからなのか、相談に乗るふりをして、カイにマリンを諦めさせようとしているのが、手に取るようにわかった。


「ニナ、君はカイが好きなの?」


 ある晩のBAR。カイが席を立ち、ニナとふたりになったとき、俺は彼女に思い切って尋ねてみた。

 ニナは僅かに戸惑った表情を見せると、しばしの沈黙の後、こくりとうなずく。


「お願い、まだ黙ってて。友達の恋人“だった”人を好きだなんて申し訳なくて」

「カイはまだ、マリンを恋人だと思ってるんじゃないかな?」

「……そうかも、しれないけど」


 押し黙るニナに、俺はさらに踏み込んだ。


「だから会わせたくないのか。あのさ、俺たちに隠してること、あるだろ?」

「…………!!」


 彼女は目を見開いて、俺を見た。


「案内してくれた場所は全部ウソだ。君は、マリンの居場所を知っているな?」


 ニナは周囲をきょろきょろと見渡し、まだカイが戻ってきていないことを確認すると、小さな声で俺に告げた。


「マリンは、カイさんに暴力を振るわれていたって……それで逃げてるの」

「カイが? そうは見えないけど」


「私だって信じられないよ。でも、そう見えない人ほど怪しいって言うじゃない」

「でもさ。そんな男なら、好きになったりしなくない?」


 俺が指摘すると、ニナは苦しげに胸の内を吐露した。


「好きになるもんかって、何度も思ったよ。でも、なっちゃったものはしょうがないじゃない。

 私、昔からダメな男に惹かれるクセがあって。それに私だったら、更生させられるかもしれないって思うし……」


「わぁ。典型的な、ダメ男製造機だな」


 フンと鼻で笑ってみせると、俺は言った。


「それなら俺がマリンに会いたいな。カイには黙ってるからさ。

 ……実は前からカイがあんなに執着する女が、どれだけイイ女なのか気になってたんだよね。

 君がカイを、俺がマリンを慰める──完璧じゃない?」


 その言葉にニナは、これまでのかわいこぶった仕草をやめ、目を細めてほくそ笑んだ。


「トーマくんって、意外とワルいんだ。いいよ、マリンに会わせてあげる。絶対にカイさんには内緒だからね」



 マリンの容姿を、俺はまだ見たことがなかった。


「マリンは写真が嫌いだったけど、一枚くらい撮っておけばよかった」

「まるで海の妖精のように、儚くてきれいなんだ」

 そうカイは俺に話してくれた。

 

 ニナも熱を込めて語った。

「めちゃくちゃ美人」

「放っておけないタイプだよ。絶対すぐに好きになる」

 惚れると断言するほどの美しさ。興味が湧くのは自然なことだ。


 ニナを通じ、俺はマリンの連絡先を知った。

 メッセージをやり取りするようになり、いくつかの贈り物をマリンへ届けた。


 まめに連絡を取り続けた俺は、ついに「会ってもいいよ」と言ってもらえた。

 贈ったものを身に着けた彼女と食事をするために、高級レストランを予約した。


 ついに迎えた対面の日。

 緊張する体をほぐしながら、俺は着飾った。

 暴力云々はさておき、カイは金持ちだ。そんな男を見慣れたマリンなら、並の男では満足しないだろう。


 やがて現れたマリンは、少し遠目からぺこりとお辞儀をしてきた。

 二人から聞いていた通り“清楚系で儚げな美女”だ。


「初めまして」

「初めまして。でもいつも話してるから、なんだか初めてには思えないよな」


 俺はできるだけ穏やかな笑みを向けた。

 彼女もまた、控えめに微笑み返してきた。


 エスコートは完璧に。

 テーブルにつき、しばらく会話を交わすうちに、自然と彼女の身の上話に移っていった。


──幼い頃から、家庭に恵まれなかった。

 父親は暴力的で、母親は家を去り、継母には苛められ、学校にも通えなかった。

 人生に絶望し、海へ身を投げようとしたその時、カイに助けられた。

 けれど彼までもが束縛し、やがて暴力を振るうようになったことが恐ろしくなって逃げ出したのだと、マリンは涙ながらに語った。


「カイ……最初は私をとても大切にしてくれたの。でも、いつしか彼の愛が重くなってしまった。

 男の人はみんな怖いの。あなたも今は優しいけど、いつ変わるのかと思うと……信用できない」


 そう告げられれば当然、彼女に軽々しく手を出す気にはなれない。

 その夜は、ただマリンの話を聞き、穏やかに別れた。


 それから俺は、何度もマリンと会った。

 少しずつ信頼を得るために、時間をかけて。


 一方カイも、ニナと二人で過ごすようになり、マリンを探し続けることはなくなった。


 さらに半年が過ぎたころ。

 ついに、マリンから“お泊り”の許可が出た。

 俺は心の中で「よしっ」と叫ぶと、早速ホテルを予約した。


✽✽✽


「トーマくんとはどう? マリン」

「明日、トーマと“泊まる”ことにした。ニナは?」

「カイも私に心を許してくれたみたい。ねえ、本当にいいんだよね? 私がカイを狙っても」

「うん、私を忘れてほしいもん。お金持ちすぎるのも怖いね。捜索とかしつこくて困ってたから……ニナも気をつけて」

「わかった。じゃあ私も明日“決める”。また後でね」


──前夜に、そんな会話をしていた女性陣はその日、各々が彼とホテルの一室へ入った。

 やがて酒を嗜んでいた恋人が深い眠りにつくと、彼女たちは静かに部屋を抜け出した。


 マリンが高級ホテルのエントランスを抜けたとき、そこにいた人影に彼女は驚いて足を止めた。


「あれ、ニナ? どうしてここに」

「マリンこそ。私はカイと……」

「ニナもここだったってこと?」

「んー、この辺で一番高級なホテルっていったらここだし、かぶったのかもね」


 軽く笑い合ったその瞬間、屈強な男が四人、ふたりの前に立ちふさがった。


「えっ、なに……?」


 戸惑う彼女たちの肩に、背後からすっと腕が回される。

 振り返ったふたりに、にこりと笑みを向けた人物を見て、ニナが叫んだ。

「カイ!」

 マリンが眉をひそめる。

「……カイ?」


 ニナは慌ててマリンの陰に隠れ、カイに弁明する。


「起きちゃったんだね……ごめん。

 あっ、もしかしてこの人達、カイのボディガードとか? さっきマリンが見つかったんだ。だからやっぱり私、マリンに悪いと思って。カイと話したほうがいいかなって、マリンをここに呼び出したの」


「え、何言ってるの?」

 マリンは困惑した様子で、彼とニナを交互に見た。


「この人、私が知ってる“カイ”じゃないよ!」

「え!?」


 深い笑みを崩さない“カイ”の背後から、マリンが置き去りにしたはずの、別の男が現れる。


「トーマ!? ……あなたたち、まさか」


 マリンが後退ると、トーマは口の端を持ち上げた。


「酒に薬、盛ったよな? これ証拠の写真。そんで俺のブランド品やら財布、全部盗っていっただろ。こういうの、昏睡強盗罪っていうのにあたるんだ」


 “カイ”が続ける。


「キミもだね、ニナ。ふたりとも一件一件は軽微だし、本気で惚れ込ませてからやるから、証拠を集めるのに苦労したよ。──でもマリン、本物の“カイ”くんのは酷かったな……完全な結婚詐欺だよ。だから、海外逃亡でもしたんじゃないかってヒヤヒヤしてた」


 トーマは懐からいくつかの書類を出して、それを見ながら話す。


「わざわざ“カイ”のスケジュールを調べ、所有のプライベートビーチに潜り込んだ。命を絶とうとするような瞬間を見せ、過去の作り話で同情を誘った。

 交際してからは様々な虚言で彼から金品をせしめている。プロポーズも受けた。だが結婚式の直前に、“捜さないで”とメッセージを残して消えた。

 何故逃げたか……、それは君が既婚者だからだ」


 “カイ”は前に並んだ男たちの背後から、ひとりの青年を手招きし、呼んだ。

 その人を見たマリンが踵を返して逃げようとするのを、トーマが体を張って止める。


「彼女が“マリン”で間違いないですね、御堂路(みどうじ) (かい)さん」


 (かい)は、顔を引きつらせたマリンの前に進み出ると、「はい」と神妙な顔で肯いた。


「確保」


 (カツラ)を脱いで頭を振った“カイ”が、長い髪を靡かせながら短く声を発する。

 すると前に立っていた刑事たちが、暴れる“マリン”と、固まる“ニナ”を取り押さえた。


「「女!?」」


「うん、そう。よかったー、ちゃんと男に見えてたみたいで」


 やっと地声で喋れる、と笑う特殊詐欺捜査課の女刑事、樫木(かしき)理沙の横で、“トーマ”を演じていた後輩刑事、高山孝太(こうた)も安堵の表情を浮かべた。


✽✽✽


「報告書終わったんだから、今日こそ休んでください。非番の日だって“ニナ”に呼び出されたら、駆けつけてたじゃないですか」


 仕事終わりにいつも渡している缶コーヒーを、この日はルイボスティーに替えて、俺は“理沙さん”をたしなめた。


 俺と、三歳年上の理沙さんは捜査課のバディで恋人だ。

 最初に一目惚れしたのは俺だった。仕事ぶりの確かさを尊敬し、失敗を笑ってフォローしてくれる快活さに憧れ、ふと見せる素顔に何度も心を奪われた。

 出会って四年、付き合って三年になる。


 もともと休みが合わないうえ、わずかに空いた互いの貴重な時間さえ、あの詐欺師たちに費やしていたのだから、俺の鬱憤は溜まる一方だった。


「まだ終わってない仕事はいっぱいあるんだけど……、そうだね。今日くらいは」


 理沙さんはルイボスティーを口にして、ふっと微笑む。


「あー、“イケメン”じゃない理沙さんだ」


 久々に気の抜けた彼女を見られたのが嬉しくて、俺は思わずつぶやいた。


「“イケメン”って、そんなに?」

 くすくすと笑う彼女に向かって、真剣に頷く。


「そうですよ。俺が自信なくすくらいには」

「えー? それは悪いことしたね……でも」


 理沙さんは俺を横目で見上げながら、小声で言った。


「高山は十分かっこいいから、自信なくしてくれるくらいのほうが、安心するかも」

「え?」


 聞き取れず少し耳を寄せると、彼女は俺の腕にぎゅっとしがみついた。


「ねえ、高山。何もしてないよね?」

「何も……って?」

「だから、“マリン”と」


 その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねて思わず胸を押さえる。


「えっ、嘘! 嫉妬してくれたんですか? ヤバッ……嬉しい。あっ、もちろん何もしてません。手をつないだのだって捜査上、仕方なくです! 理沙さんだけです、信じてください!」


「そうだね。あの子達が体目当てじゃなかったから、ホテルでの酒飲んで寝たフリ作戦も、うまくいったんだもん」


 早口でまくし立てる俺に、理沙さんは破顔する。

──ああ……守りたい、この笑顔。


「今日はゆっくり休んでほしかったのにな……、離せなかったらどうしよう。暴走したら、ぶん殴って止めてくださいね」

「……別に止める必要もなくない?」

「は?」


 だめだ、もう暴走決定だ。目の下の隈をどうにかしてあげたかったのに。ごめんなさい、明日の理沙さん──。

 俺は未来に懺悔しながら「はあ、好き……結婚したい」と無意識に呟いていた。


「いいけど。する?」


 その返事に時間が止まる。

──俺、今なんて言ったっけ? 

 そう考えて、知らずプロポーズしていたことに気が付き、慌てて叫んだ。


「へっ、いいんですか? いや違う、すみません! 今の無しで!!」

「あっ、無しか……」

「いやっ! そうじゃなくて、あまりにも情緒がないので、今度ちゃんと仕切り直しさせてほしくて」


 なんだか情けなくて涙声で訴えると、理沙さんは優しく目を細め、柔らかく頷いた。


「うん、わかった。待ってるね。“孝太”」


──あれ? 初めて……下の名前で……理沙さんが……俺を、呼んだ……?


「ギャーーーーーー!!!!」

「高山!? どうしたの」

「あっ戻っちゃった。不意打ち……不意打ちはダメです。死ぬかと思いました。

 ……もう一回呼んで下さい。心の準備をしますから」


 深呼吸をして待つ俺に、彼女はもう一度、何とも愛しげに「孝太」と呼んでくれた。


「ところで……孝太はいつ、敬語を抜いてくれるのかな?」


 上目遣いで聞いてくる理沙さんに、俺の理性は死んだ。

 その夜。やっぱり俺は、彼女を離すことが出来なかった。



最初のモノローグは御堂路海くんのものでした。刑事ふたりを書くのが楽しかったです(๑ˊ꒳ˋ๑)♡

もし、この感じを気に入っていただけたなら、下のリンクから「私をフローラと呼んだ人」も是非触ってやってくださいー!


改めて読んで頂きありがとうございます☆

評価のお星様やリアクションなどいただけますと、ヤル気が漲りますのでよろしくお願いします₍₍ (̨̡⸝⸝´꒳`⸝⸝)̧̢ ₎₎

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私をフローラと呼んだ人」(短編)

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