気の狂った男の話
ぼちゃん、と水の音が聞こえた。
かの有名な詩人、松尾芭蕉は蛙が水に飛び込む音で一句詠んだらしいが、私には風情など感じられなくなっていた。私は気の遠くなるほどにこの音を聞き続けている。特段閉じ込められているわけではないし、この水の音から解放される方法もある。好き好んで聞いている訳でもないが、ただ決心がつかない、それだけなのだ。
街行く人々の話し声、足音、日によっては銃声と叫び声。そのすべてに似合わない、水の音。それが聞こえるようになったのは一体いつだっただろうか。手当たり次第の人間に水の音が聞こえるかと問うたが、皆聞こえないと言った。幻覚や幻聴の類いだろうかと病院に行ったが、異常はなし。精神異常の類いだと言われ、長く続けた役目を引退し、薬を飲む毎日。だがきっと、私は水の音が聞こえる以外は、普通の人間なのだ。
__否、普通の人間と言い張るには私は少々罪を重ねすぎたかもしれない。
私は軍人であった。敵を射殺し、兵器を爆破し、建物を破壊した。この手で殺した人間など両手両足を使っても到底足りないだろう。勿論、水に沈めたものも多くある。だが、思い当たるとすれば一つだけだ。あの奇妙な、ある一人の男だった。
確かあれは、五年前の夏だったと思う。私は広い荒野の戦地に配属され、迫りくる敵を次々と殺していた。
基地からは非常に遠く、補給部隊は一月に一度来れば良い方だった。荒野故に水と食料は貴重で、溜め池を濾過して飲み、草と野生動物を焼いて口にする生活だった。
そんな限界の生活の中、ある一人の仲間の男が首を押さえながら気が狂ったようにこちらに走ってきた。
その男は、唯一の水源だった溜め池にぼちゃん、と音を立てて飛び込んだ。私たちは急いで男を引き上げたが、男は死んでいた。私たちの誰も殺していなかった。水に毒でも混ぜられたかと思ったが、毒は混ぜられていなかった。
ドッグタグを回収しようと開いたその男の胸元には、ロケットペンダントがあった。口を開けば妻と娘の話しかしなかった男だったので、どうせ妻と娘だろうと思っていた。だが、開いてみると、小さく小さく折り畳んだメモが入っていた。
そこにはこう書かれていた。
「脱水になった人間は沢山の水で回復させるべきだ」
後に聞いた話だが、男の妻子は男が従軍する前に死んでおり、死因は溺死だったという。