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甘い誘惑

 「今日も残業だ...」

 私は、OLを務める、独身まっしぐらの25歳亜弥奈(あやな)だ。本日も労働時間に見合わない、大量のタスクに追われている。

山嶋やましま先輩~!」

「どうしたの、真中さん」

「今日なんですけど、この作業だけ終らなくて...私このあと用事があるので、定時で上がりたいんです~。あと、お願いしてもいいですか~?」

「用事...?またなのかしら。先日も同じような理由で仕事を代わったけど、後日聞いたわよ。彼氏とデートだったって。」

「え~知ってたんですか?まあ、でも先輩も女性ならわかってくれますよね。あ、先輩彼氏いないんでしたっけ...?今度いい人紹介しますから、お願いします~!先輩」

「はぁ、紹介なんていらないわ。貸して、やっておくから。」

「ありがとうございます~先輩~!」

語尾に一々いやな感じを出してしてくるこの部下は、数か月前に入った新人だ。教えればそれなりに仕事はしてくれるが、今みたいに自分の一番大変なタスクを私に押し付けてくることが多い。正直、会話している時間があるなら、いっそ承諾してしまうのが楽なので代わっているが、かなりうんざりしている。

「おい山嶋!!」

「はい、部長なんでしょうか?」

「これどういうことだ?昨日提出したデータ、数字が違うぞ!」

「え...はい、申し訳ありません。ですが、そちらは部下の真中さんが作成したものですので、私は確認しておりません...。」

「そんなことは聞いてないんだよ!君ね、部下の教育も立派な仕事なんだよ、何か大きなことがあったら困るだろう!とにかくだな、君は仕事は完璧だが、そういう部下への配慮やコミュニケーションが足りないんだよ。それにな、こないだ取引先の...」

「...大変申し訳ありません。今日仕上げないといけない案件がありますので、また後程お願いいたします」

「あ!おい...山嶋!」

私は、急いでデスクに戻り、仕事を再開した。部長は声が大きいのか、感情を表にして怒鳴ってくることが多い。彼の言うことも多少は納得できる。けれど、目の前の膨大な仕事量に追われれば、いくら私でも周りに気を使っている暇などない。最初でこそ、真面目に話を聞いていたが、今ではその時間がもったいなく感じている。私はこれ以上、余計な考えをする前に、今日仕上げなければいけない案件を進めた。

 

 いくらか仕事に終わりが見えてきた頃、時刻は既に21時を指していた。ここ数日の残業からか、疲れがどっと押し寄せた。

 「私だって、もうこんな仕事やめたい...」

思わずそう呟くが、そんなことを言ったところで、今目の前にある仕事が無くなるわけではない。当たり前のことに今更ながら絶望して、少しだけ涙目になった。こんな時支えてくれる同期の一人や二人いたらいいのに。せめて、一言声をかけてくれる上司や部下がいたらいいのに。あり得るわけもないことを考えながら、残りの作業を進めていた。


 ふと、1時間半程が過ぎただろうか。気づいたら、仕事を終わらせて少しウトウトしていた。時計を見つめると針は22時30分を指しており、終電を逃していた。

「最悪...今日も逃した。いっそ、会社に泊まってみる?いや...それはまずいわ」

ここ最近終電を逃すことが多かったので、そこら辺のネカフェで、何とか一晩を過ごしていた。今日終われば週末なので、残業を見越して着替えを持ってきていた。

「でも、あと10分だけ休んでからにしよ...」

そう自分を甘やかして、私は瞼を閉じた。そうして、また時間が過ぎていった。


 「お姉さん、お姉さん。ここで寝たら体悪くするよ。」

私は、眠い目を一生懸命開けて、声のする方に視点を合わせた。そこには、若くてすらっとした警備員のお兄さんが立っていた。

「んん...いまなんじ...?」

「お姉さんもう23時だよ、大丈夫?お家遠いの?」

「え、それはたいへんだわ...しゅうでん、のがしちゃって...」

「俺そろそろ仕事終わるから、良かったら家来る?」

正直ふかふかのベッドに寝れることを考えると、知らない男の家でも、今は悪くない話だと思ってしまった。そのあとに起こる展開が私の人生を大きく変えるとも思わずに。


 「お姉さんここが俺の家。どうぞ。」

10分ほど歩いて、声をかけられると、私は思わず目の前の家を見上げた。正直、警備員をやるくらいだから、アパートかどこかのマンションかと思ったが、彼が向かった先は大きな豪邸だった。私は目を疑いながら、彼に尋ねた。

「本当に、ここに住んでるの?ご実家とか?」

「いや?ここには俺一人で住んでる。なに、警備員にしちゃ豪邸すぎるって言いたいの?」

「そ、そういうわけじゃ...」

「安心しなよ、部屋はいっぱいある。俺も変なことしたりしないし、他に誰かいるわけじゃないから、気にせず使って。」

その言葉に私は少しだけほっとし、彼に家の中まで案内された。

 

 玄関を過ぎると、まずはリビングに向かった。

「ここはリビング、向こうに冷蔵庫があるから、水とか飲みたかったら好きに使って。風呂場は、廊下の突き当り。トイレは、その横と二階上がったところにもう一つ。それじゃ部屋案内するからついてきて」

私は言われるがまま、彼についていった。部屋に入ると、大きなベッドと机が置かれていた。自分にはもったいないほど広くいい部屋に、思わず息を飲んだ。こんなに素晴らしい部屋で寝れるなんて、正直マンション住みの私ですら、羨ましくなる。

「あと、何か必要だったら言って。寝巻は来客用が風呂場にあると思うから、ぜひ使って。着替えはあるかな?なければ洗濯しちゃうよ。」

私は、慌てて答える。

「あっ、いや...終電逃すの覚悟で、着替え持ってきたから。それに、洗濯してもらうのは申し訳ないし、大丈夫」

彼は納得した表情を浮かべ、じっと私を見つめた。私は彼の綺麗でどこか暗い瞳に、耐えらえなくて目を逸らす。彼は、ふっと笑うと急に自己紹介を始めた。

「俺のことまだ何も言ってなかったよね?俺は、あの会社で警備員をしてる、霧崎きりさき れい。歳は、20になる。なんで警備員がこんな豪邸に住んでるのか疑問に思うだろうけど、それは内緒。悪い人ではないから安心して。君をどうこうしたいとかもない。泊めようと思ったのは、ただ気が向いただけだ。」

なんだか不思議な人と思いつつも、何者なのか真実を知るのも怖くて、静かに返事をした。

「山嶋 亜弥奈よ。私もそこらへんのネカフェで熟睡できないよりはいいかなと思ってたし、そういうことなら詮索はしないわ。とにかくありがとう。」 

彼は、笑顔で頷くと「じゃあ、ゆっくり休んで」と言い残して、部屋を去った。

 

 彼が部屋を出た瞬間、私は勢いよくベッドに倒れた。なんだか、疲れがどっと体に押し寄せてきた。一体いつまで、こんな仕事続けなければいけないんだろうか。私ももう25歳だ。専門を出てから、彼氏一人もできないし、友達とも連絡を取っていない。休日にすることと言えば、好きな韓ドラを漁りまくって、好きなものを食べて、好きなだけ寝て、一日を消化している。悪くないと言えば悪くないし、それでも充実している方だと思う。けど...私だってもっとやりたいことがある、好きな人と好きなところで一緒の時間を過ごしてみたい。友達と久しぶりにカフェで、懐かしい話をしたい。でも現実は、ブラックすぎる労働量に残業が伴って、疲れがたまってそんな余裕も出会いもない。いや、求めようとすることを諦めているのかもしれない。

「また、変なこと考えちゃった。やめたやめた、考えたって現実が変わるわけじゃないもの」

そう呟いた私は、お風呂場へと向かった。


 せっかくこんなに良い豪邸に来たのだからと、1時間ものんびりしてしまった。お風呂から上がった私は、そっとキッチンに向かって冷蔵庫から水を取った。

「ん、美味しい。」

ただの水なのに、環境が違うだけでこんなに美味しいのかと驚いて、こっそりもう一本もらうことにした。ふと、リビングのソファに目を向けると彼がソファで横になっていた。びっくりして、ペットボトルを落としそうになったが、すぐ寝ていることに気付いた。

「こんなところで寝たら、風邪をひいちゃうわよ...」

私は、ソファの背もたれにかかっているブランケットを、彼にそっとかけてあげた。無防備に寝ている姿を見つめていると、なんだか年下だなって感じがして、微笑ましくなった。理由はともあれ、こんな私に寝床を貸してくれたのだから、感謝しなくちゃ。私は、彼の寝顔をしばらく眺めてから、部屋に戻り一夜を明かした。

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