死神の舞
彼女の両親の予想に反して、彼女はあらゆることに興味を持った。そしてそのほとんどが私の言葉による影響だった。彼女の両親は、無理には強要しないということだったが、できれば貴族としての知識や強要を身に付けて欲しいと思っていたので、私に興味を持つように仕向けて欲しいと頼んできた。
そして私は、彼女の『人について知りたい』という気持ちを手にとって、『人について学ぶには、人と関わる必要があると思います』『人とより良く関わるためには、マナーやお作法を学び、社交の場に出る必要があると思うのです。』『また、より深く関わるとすれば、相手の好きなことについて話せれば、より親密になれると思いませんか?』『教養がある上で馬鹿な振りはできますが、学がなくて頭の良い振りはできません。』などと言って、やる気を出させたというわけだ。それからというもの、彼女は両親に教師をつけてもらい、文字も半分くらいしか分からないという、ほかの子どもよりも少し遅れた状態から、教師たちも驚くようなほどの優れた集中力と熱意を見せ、その上で自由時間は図書室の本を端から順に読んでいた。
彼女が願ったので、私も同じように授業を受けることとなった。カリナに教わっていたのでなんとかなったが、そうでなければ、私はあっという間に置いていかれていただろう。10歳から6年制の学園で貴族が学ぶ科目、歴史・地理、魔術、ダンス、マナー、動植物、音楽、文学などに加え、四年生以降の選択科目で選べる、チェス、占い、刺繍、剣術、戦術・兵法、数学、法律、錬金術などでも、素晴らしい結果を示した。教師たちが次々と両親に弟子にしたいと押し掛けて申し出る程度には。本来ならば、学園で学べるので、読み書きができるのと一年生の内容を軽く振れていれば問題ないのだが、彼女がやりたいと言ったのでやることになり、天才となったのだ。剣術だけは、私は心得てあったので、彼女が習っている間に少し、別の武器を学んでいた。
彼女の兄と姉が学園の休みに合わせて帰省したが、彼女の変化に驚いていた。しかし、私も彼女も勉強と読書でいっぱいいっぱいだったのでほとんど関わることがなかった。
また、彼女の呼び方は、他の人たちの前では、ファティマと呼び、彼女の部屋でのみゾエと呼ぶことになった。私も一応は貴族の子女ではあったが、彼女の侍女としていたいし、彼女の学園生活にもついていくため、わざわざ自分だけで行く必要はないと、かなり前に断ってあった。サーシャ、イリーナ、アニーは、私と一緒にファティマ付きの侍女となる予定だったが、ゾエが私以外を侍女として認めないと言い張ったので、3人は今でも私を補助するメイドとなっている。また、護衛もつけたがらなかったので、私がそれを兼ねるためにより厳しくなったのと、彼女には内緒でこっそりと、影の者をつけているそうだ。
そして彼女が7歳になる頃には、彼女は図書室の本棚のひとつ分の本を読み終えた。日に日に本を読む速度は増していった。あの時のような狂気は感じられなくなっていった。あれは本人が混乱していただけだったのかもしれないと思い始めていた。
しかし、そんなことはなかった。私が11歳になるころ、カリナが亡くなった。元から老齢ではあったので、何の疑問もなかったが、カリナは、ファティマを含め、皆と仲が良かった。そして葬式では皆が彼女との別れを悲しんだ。だが私は見てしまった。皆が悲しみに涙を流している中、彼女は泣いていなかった。悲しげに眉を寄せて目を伏せ、俯いているが、涙は一滴も流れなかった。私にはむしろ、彼女が自分自身に戸惑っているようにすら見えた。葬式が終わったあと、皆は屋敷に戻り、それぞれの部屋で思い思いに悲しんでいる中、彼女は笑って私を庭へ連れ出した。
「ねぇ、エヴァ。踊りましょう?」
彼女は私の手を引いて笑った。
「カリナが無事に天に登れるように祈るの。祝福を込めて。」
彼女は朗らかに笑った。それから半ば強引に、私の手を引っ張ってステップを踏み始めた。戸惑ってはいたが、ずっと一緒に練習してきたので身体に染み付いたステップがすぐに適応した。
「あたし、悲しくなかったの。何も感じなかった。」
暗い瞳と感情の抜け落ちた表情で彼女は呟くように言う。
「あんなに仲良くしていた、好きだったカリナが死んだというのに、悲しみを感じなかった。」
彼女は苦々しげに言う。
「あたしが非情なのかな。自分が信じられなかった。悲しいはずなのに、悲しむフリをすることしかできなかった。」
彼女は眉を寄せながらもあどけなく明るく笑った。
「むしろ、嬉しいと思っているくらいなの。みんなが部屋に籠もってしまって、あなたと二人で外に出ても誰にも気づかれず、怒られない状況ができたから。」
彼女は自嘲するように笑顔に嘲りを含ませた。
「そんなことあってはいけないわ、きっと。でも、良い言い訳になってくれて嬉しい、と感謝してしまうの。」
彼女はそう言って優美に舞った。そして存分に踊り終わると、その場に寝転び、空に向かって声を上げて笑った。その幼く無邪気な笑い声が、一層狂気を感じさせた。
「お前」
少年がファティマに声をかけた。夏の暑さが少し引いてきたがまだ青々としている木々が窓から見える図書室で、いつも通り優美に本を呼んでいた彼女は嘲るようにゆっくりと顔を上げると、彼に笑いかけた。私は彼女の向かいに座って同じく本を読んでいたが、彼が歩いて来た時点で少し顔を上げて様子を伺っていた。
「あら、珍しいこともありますのね。お勉強嫌いのお兄様がこんなところにいらっしゃるなんて。」
おどけたように小首をかしげる少女に、彼女よりも2つ年上の兄は苛ついたように眉を寄せた。
「お前、馬鹿にしているのか?」
「全く馬鹿になどしておりませんよ、敬愛するお兄様?」
彼女は優雅に笑みを深めると、あえて、敬愛する、を強調して答えた。
「そうやっていつも俺のことを馬鹿にして、見下しているんだろう!俺はもう学園に行っているんだぞ?友だちもいて、ちゃんと勉強しているんだぞ?俺はお兄様何だぞ?敬えよ!」
少年が声を張り上げた。私はファティマの手が震えていることに気づいた。そして同じく自らの手が震えていることに気づいたのであろう彼女は、そっと片手でもう一方の手を握った。そして笑みをたたえたまま言った。
「すぐに癇癪を起こしては、みっともないですよ、お兄様。」
そして彼女は本を閉じながらそっと立ち上がり、優雅に兄から離れ私の近くに来た。
「それから、そんなに言うなら、あなたの、わたくしが尊敬しているところをお話してさしあげましょう。」
彼女は私にちらりと視線を送り、自然に私の腕に手を乗せた。それに答えるように私は目で頷くと、私に触れる彼女の手に触れた。
「わたくしが拐かされ、怪我をしたあの時、もう2年も前になりますのね。あの時、見舞いの言葉ひとつもなく知らないふりをした図太さや、怪我をし苦しんでいる愛しの妹を放っておいた人情のなさには、わたくし感服しておりますの。」
少年は怒りを露わにした。
「まぁ、その頃のお兄様は、『風邪をひいていた』のですから、仕方ないですわね。」
「お前!いい加減にしろよ!」
ファティマに挑発された彼は怒って拳を振り上げようとした。私は咄嗟に彼女の前に割入り、その拳を掴んだ。
「僭越ながら、我が主が怯えております故、これ以上はお引き取りくださいませ。」
彼は苛立ちの矛先を私に変えた。
「お前、誰に向かって言っていると思っているんだ!俺はこいつと話しているんだ!全く、番犬のしつけもまともにできていないとはな!」
「ヴォルフ様。私には主を守るという任を預かっております。もう一度言います、ファティマ様は怯えていらっしゃいます。お引き取りください。」
彼は呆れたように鼻を鳴らした。
「ふん。こいつが怯えているだぁ?散々俺を馬鹿にしておいて、被害者ヅラすんのかよ。」
彼の言葉に私は薄く笑った。そして口を開こうとしたところでファティマが私に不安げに声をかけた。
「エヴァ、良いのよ。それより、お兄様はどうしてもこの図書室に用があるみたい。わたくしたちがいたら邪魔してしまうんだわ。わたくしたち、ずっとここを使ってきたでしょう?譲ってさしあげましょう。」
私は彼女の茶番に乗ることにし、彼の手を離した。そして彼への興味を失ったように自分の主に笑いかけた。
「そうですか。私の配慮が至りませんでした、申し訳ありません。ファティマ様はお優しいですね。」
そして私たちは図書室を出た。
「全く、困った方だわ。もうかれこれ三日目よ?毎日毎日おんなじ会話の繰り返し!無駄だとわからないの、あのお馬鹿様は?」
廊下を優雅に歩きながら、ゾエは怒っていた。
「去年までこんなことなかったのに。」
「帰省された日に、ゾエ様が軽い挨拶だけをしてお勉強に向かわれましたからね。気に食わないのでしょう。」
「エヴァ、ここは部屋じゃないのよ。ファティマと呼んで。」
「おや、失礼しました。」
「別に、嫌なわけじゃないんだけれどね、お兄様やお姉様や他の人たちがどこにいるかわからないから。」
それからファティマは声を潜めて私にだけ聞こえるように、あるいは自分に暗示するように言った。
「わたくしはファティマよ。他の誰でもない。」
それから少し俯いて、落ち込んだように言った。
「やっぱり、どうしても大きな声を出されると身体が震えてしまうわ。特に、男に怒鳴られると。まぁ、便利に使わせてもらいましょうか。」
「……」
「いいわ。久しぶりにファティマの存在を感じられたもの。」
そして表情を明るくすると、鷹揚に笑った。
「それにしても、あの振る舞いで学園に言っていることを鼻にかけるなんて、愚かにも程があるわ。今年入ったばかりの一年生なのに、偉そうになってしまって。一年生のレベルが普通にできるくらいで、得意にならないでいただきたいわ。わたくしはもう五年生のところまで修了しているのですから。少なくとも、一科目だけでもわたくしより上になってから言って欲しいわね。」
「貴女様が優秀すぎるだけではありませんか?」
私の答えに彼女は得意げに笑った。
「それに見合う努力をしましたもの。当然よ?それを軽々しく馬鹿にされて良いわけがないじゃない。エヴァ、わたくしが9歳になる頃には全ての学年の全ての科目を修了するわ。そして、その頃までには間違いなくわたくしは図書室の本の全てを読み終えるわ。そうでしょう?」
「はい。間違いありません。」
「そんな、学園に行く必要もないようなわたくしが、何故わざわざ学園に行こうとしているのか、もう一度話した方が良いかしら?」
「しっかりと心得てはおりますが、貴女様の話でしたら何度でも喜んでお聞きします。」
「そう。じゃあ部屋に戻ったらもう一度話して聞かせてあげようかしら?」
彼女の計画は一見、自分の能力を過信したような、些か無理のあるような計画に見えた。しかし、彼女は着実に、一部はその予定を超える速さでそれを進めていた。ヴォルフの影響で少し遅れが出ていたが、それも彼女には大したことはなかった。
姉のアンジェリカとは、食事のときに少し話すくらいしか関係がなかった。食事の時の話と言っても、ただ、
「あなた、剣術を習っているそうね。ご令嬢が剣術なんて、野蛮ではしたなくはないかしら?」
「いいえ、お姉様?ご令嬢だからこそ、身を守る術を持つ必要があるのではないでしょうか?」
「そう。」
というだけで終わった。無口なのか、よくファティマの方を見ていたので、無関心ではないと思うが。
ヴォルフは毎日のように突っかかってきたが、姉の言葉で剣術をやっていると知り勝負を仕掛け、ぼこぼこにされてからおとなしくなった。秋になると、2人はまた新学年の学園へ戻って行った。そしてファティマは、それまでの倍の速さで勉強を進めた。