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貴女の死 私の死

 朝起きて、身支度をして、私は騎士たちのもとで鍛錬をしてからファティマの部屋へ向かった。そういえば、朝一番にこうして鍛錬をするのは久しぶりになってしまったなと思いながら、部屋に入った。私を見たサーシャがアニーを呼びに行った。ついでにサーシャから、私はファティマの相手をすることに集中するように、特別伝えることがある場合以外は基本的にアニーが報告してくれるから大丈夫だと伝えられた。私がカーテンを開けると、眠っていた少女の身体がむくっと起き上がるのを感じた。

「お目覚めになられましたか、ファティマ様。おはようございます。」

数日しか経っていない筈だが、こうして挨拶することを久しぶりに感じることに悲しくなる。

「おはよう、エヴァ。」

寝ぼけたままふにゃふにゃと答えるのかと思っていたが、はっきりとした声に驚いた。いや、事件前の舌っ足らずな喋り方とも、昨日の吃りがちな喋り方とも違う、流暢な喋り方だった。私はさっと振り返ると。彼女は私に笑いかけていた。視界の端で、いつの間に来ていたのか、アニーが座っているのも見えた。そんなことより、何かがおかしかった。彼女の笑顔は、確かに笑っているのだが、煌めきがない。無邪気な笑顔だが、何か暗く感じる。

「ねぇ、エヴァ。こっちに来て。おひざに乗せて?」

私はすぐに近くに寄り、ベッドの、彼女が小さな手でポンポンと叩いたところに腰掛けた。そして彼女はすぐさま私の膝の上に登った。するとアニーがファティマの食事を持ってきてくれた。そしてふんわりと笑いかけながらベッドサイドテーブルに置いてくれた。私はそれを手にとってすくい、一口ずつ冷ましてから小さな口に運んだ。

「自分でお食べにならないのですか?」

「せっかくエヴァがいるんだよ?いいじゃん。」

彼女が嬉しそうに笑うので私は良いことにした。


 食事を終え、私が食器をアニーに渡すと、私はファティマの髪をヘアブラシで梳いた。傷んでいるところもあったが、何より、所々少し短くなっていたりしてまた怒りが湧いた。綺麗に揃っていた髪が、がたがたと乱雑に切られていて、元の長さの半分にも満たないほどになっているところすらあった。彼女はずっと膝の上から動こうとしないので足が痛くなってきていたが、そんなのは彼女が自分の側にいるというこの幸せを前に、何の意味もなかった。私が髪を梳き終わると、私の首に抱きついた。そして表情を消して言った。

「ねぇ、あたしは、何なのかな?」

彼女は暗い瞳に私を映した。私の頬を両手で掴み、私の膝の上で背筋を伸ばして腰を上げたので私は少し顔を上げて目を合わせることになった。

「あたしは、ファティマを死なせた。ファティマは死んじゃった。そして、あたしはファティマとしてファティマの姿をして生きてる。あたしはどこから来たの?あたしは何なの?」

それから力が抜けたようにまた私の足に腰を下ろした。

「ファティマを死なせちゃって、ごめんね。」

私はどう答えて良いのかわからなかった。でも、何か言わなければならなかった。

「ファティマ様……」

「ファティマの名で呼ばないで。あたしはファティマじゃないの。ファティマをうばってしまったの。」

「じゃあ、なんとお呼びすれば良いでしょうか。」

私はこれが正しいのかわからなかったので、そう絞り出すしかできなかった。

「ゾエ」

私はちらりとアニーがいるであろう方に目をやったが、アニーは扉を小さく開け、サーシャに食器を手渡しながら報告する内容の伝言を頼んでいた。そして私は少女に向き直ると、彼女は笑った。

「おそろいでしょ?」

何がお揃いなのかわからなかったが、私は頷いた。

「あたしのこと、そう呼んでくれる?ファティマを殺したあたしに、ファティマの名で呼ばれるしかくはないの。」

「はい。私は、貴女のために私ができることなら、何でもします。」

私の答えに彼女は目を丸くした。

「なんでも?」

「はい。何でも。私にできることなら。」

彼女は嬉しさが溢れ出るように笑った。無邪気な笑顔だが、かつてのような純粋さはない。狂気を感じさせる陰りをたたえた瞳が私に向けられた。確かに、これは貴女じゃない。でも、私には、貴女にも見えるのです。そこにほんの少しでも貴女の面影があるのなら、私は、貴女に使えるしかないようです。

「あたし、ファティマみたいに、良い子じゃないよ?ファティマを殺しちゃった子だよ?」

「関係ありません。私は貴女がゾエ様でもファティマ様でも、全力で、仕えさせていただきます。」

彼女は驚いたようにその大きな目をさらに見開いた。

「全力で?何でもしてくれるの?あたしに、あたしのために?」

「はい。何でも。」

「じゃあ、あたしが、死んでって言ったら、死ぬの?」

「死にます。」

私は咄嗟に答えた。彼女はとろけるような笑顔を浮かべた。それから愛おしそうに私に抱きついた。

「じゃあ、言わないようにしなくちゃ。」



「あのね」

「はい」

「あたしは人について知りたいの。」

彼女は私にくっついたまま言った。アニーは部屋の扉を少しだけ開けて、今度はイリーナの話している。

「あたしが何なのかも知りたいし、人について知ったら、ファティマを返してあげる方法も見つかるかもしれない。それに、あたしにファティマを殺させた男たちとエヴァは、全然ちがう。どっちも人なのに。だから、人ってのがどういうものなのか、知りたいの。何を人とするのかな?人ってどんなのなのかな?」

私はただ頷きながら聞いていた。

「それに、ファティマのきおくが見れるけど、だからすぐにエヴァが分かったんだけど、ファティマがエヴァと一緒にいるときに感じてたあの気持ちがわからない。あたしには、何かがないのかな。ファティマにはあって、あたしにはない何か。」

話しているうちに、ファティマ様の姿をした、ゾエという少女が話すことにも慣れてきた。

「でも、何かは感じている気がするの。でもそれが何なのか、良いものか悪いものかも、わからない。」

彼女は私にしがみつくようにして体重をかけて私を前後に揺さぶった。

「でも、きっとエヴァのこと、好きだわ。ファティマが教えてくれたの。そして、あいつらのことは、きらいなの。好きって、何だろう?おひざに乗せて欲しいって感じる気持ちかな?だって、あいつらのおひざに乗せて欲しいっては思えないし。あれ、でも、ファティマはおとーさまのこと大好きだって言ってたけど、おひざに乗せて欲しいっては思ってないや。」

よくわからないや、と言って彼女は私の上で跳ねた。

「ねぇ、今まで、いろんなことが発見されてきたんでしょう。そういう、はっけんをする人たちは、どうやってそれを見つけたの?」

「えぇと、実験とかを、して?とかでしょうか?」

私は突然の問いかけに戸惑ってしまった。私もよく知らない。

「あと、よく観察するとか?」

「じっけん、かんさつ……」

「本とかを、読んだら、わかるかもしれません……」

「そう、じゃあそれらをやってみようかしら。」

彼女は楽しそうに笑った。かつての主の笑顔とは明らかに違うものだった。


 それから、私は傷だらけの彼女の身体に憤慨しながら、湯浴みをした。それまでの私が作り上げてきた彼女の美しい肌を、傷一つつかないように守ってきた努力を踏みにじられた気分だった。

 そして、ゾエがねだったので私は彼女と一緒に寝ることになった。彼女が私に彼女の部屋で寝るようにと言ったので、アニーに報告するように頼み、私は床で寝ようとしたのだが、彼女が一緒がいいと言うので一緒に彼女のベッドで添い寝することになった。ファティマもよくそうするよう頼み、よく一緒に寝ていたのを思い出した。

 その晩は、ゾエがくっついて暑いうえに動けなかったこと以外は何も問題なかった。


 次の朝、私は息苦しさで目を覚ました。ファティマ、いやゾエが、私の上にカメのように乗っていた。控えめなノックがしてイリーナが入ってきた。

「おはようござ尊い」

なんか変だが無視しよう。

「おはよう、今日はイリーナなんだね。」

「そりゃあもちろん、お二人が添い寝するとなったら拝みに行かないといけないじゃない。何のために毎回この座をもぎ取っていると……」

そういえばファティマ様と一緒に寝た朝はいつもイリーナが来ていたな、とか思いながら私はゾエに視線を向ける。どれだけ頑張って顎を引いても頭頂部しか見えないのだが、それにしても重いし息苦しい。腹から胸にかけてを体重で圧迫されていた。死にはしないけど、重い。

「イリーナ、助けて。動けない。」

私は顔だけをイリーナの方に向けて助けを求めた。イリーナはにやっと笑っただけだった。少しいたずらっぽく身体を左右に傾けたりして眺めてきたが、私が睨むと笑いながら謝って、カーテンを開けてくれた。

 窓から朝日が射すと、ゾエがもそもそ動いて、上半身を起こした。私のお腹の上に馬乗りになって座ってる状態だが、圧迫される部分が減った分、少し楽になった。

「エヴァ、おはよう。」

「おはようございます、ゾエ様」

どいてくれと頼むか迷っていたら、彼女は倒れ込むように私の顔に顔を寄せ、私の肩に肘を乗せて私の耳を掴んだ。

「ねぇ、エヴァ、あたしエヴァのこと、好き。でもやっぱりあたし、好きって分からない。でも、エヴァのこと、大好きだよ。エヴァもあたしのこと、好きになって。そしたら、分かるかもしれない。」

「私はもう十分過ぎるほど大好きですよ?」

「ファティマも死なせたのに?あたしはファティマじゃないのに?」

「ファティマ様であろうとなかろうと、ゾエ様であろうと、私は貴女が大好きです!」

責め立てられるような圧に押されて、私は言葉が強くなっているのに気付いた。

「そっか、嬉しい。うん。きっとこれは、嬉しいんだわ。」

ゾエは恍惚とした笑顔で私から手を離し、身体を起こした。そしてベッドから飛び降りると、ふわっとネグリジェを翻して私に笑った。

「ねぇ、食事にしよう!エヴァ、ちゃんと食べさせてね!」

それから呆気にとられている私を置いて、裸足のままイリーナに食事を求めた。そしてサイドテーブルまで運んでくれるイリーナの後ろをぴょこぴょこ歩くと、ベッドの上で起き上がった私の足に飛び乗った。その衝撃で足が痛かったが、私は笑ってイリーナに礼を言った。そして、私が食べさせてくれないなら食べないと言い張る少女の口に、息で冷ました一口を少しずつ運んだ。


 食事が終わると、イリーナは食器を片付けてくれた。そして代わるとやって来たアニーにそれらを押し付けて、自分は怯えられなかったからと言い張って居座った。ゾエはその小さな身体を私に押し付けるようにもたれかかると、私の胸の辺りに頬擦りした。そして部屋の少し離れたテーブルの方に目をやると、何かを思い付いたのか、少しもぞもぞすると、私を見上げた。

「ねぇ、やっぱりあたし、エヴァが好きだと思うの。だからもっと知りたいの。」

そう言って彼女は後ろに体重をかけながら、私の首にぶら下がるようにして引っ張った。そして私はバランスを取ろうと、それに逆らう向きに体重をかけてしまった。そのまま彼女はパッと手を話しながら身体を起こすと、私の肩を押した。支えていた力からの解放とその向きに合わさった力が加えられ、私は勢いよく後ろに倒れた。

「わ」

自分も知っているその手法に驚いていると、自分の服の3つ目以下のボタンが外れていることに気付いた。彼女は私が驚いている間に私の上に乗り、私の服を捲って、私の腹を見た。

――ねぇ、見ないで。やめて。私は汚い。汚いから、見ないで。

頭の中にいつかの声が響く。彼女は嬉しそうに目を輝かせると、自分のネグリジェを捲り上げて、傷痕がついた腹を見せた。

「おそろいだね。」

「な、に?」

「どっちもきずまみれ。おそろいだね。うれしい。」

彼女は私からパッと離れると、踊るようにくるくる回った。私は急いで起き上がってボタンを止め直すと、彼女はテーブルに駆け寄った。

「おそろいは、うれしいの。エヴァがあたしのことが大好きなことをしょうめいしてるみたい。それとも、あたしがエヴァのことを大好きなしょうめい?」

そして彼女はテーブルの表面を指でなぞるようにしてハサミをそこから押し落とすと、ハサミは空中で刃を開いて、音を立てて床に落ちた。それから彼女私のように駆けてき、私に飛びついた。私を倒そうとしているのを感じ、私は彼女を支えながら後ろに倒れ込むと、彼女は私の首を締めるようにきつく抱きついた。

「あたしはファティマを死なせちゃったけど、あたしのこと、大好きになってくれる?」

「貴女が、そうしたくて死なせた訳じゃないんでしょう?」

私は目だけを動かして彼女を視界に入れる。

「もちろん。あの子には死なないで欲しかった。あたしよりあの子がいるべきだった。だからあたしは、あの子の分もエヴァに愛されなきゃ。」

「私の愛ですか?」

――だめだよ。

過去の自分が私の脳を締め付ける。

「ねぇ、エヴァ、あたしを愛して。あなたの愛を、あたしにちょうだい。」

――それを許してはいけない。

それでも。

――だって、それは誰かを傷付けるのでしょう?

それでも。

「貴女がそれを望むのなら。」

その私の制御を超えた言葉に彼女は顔をあげ、妖艶とでも言うような、爽やかで恍惚とした笑顔で私を見た。

「もちろん。」


 解は出た。引っ張り出されてしまった。

 解は出てしまった。

 それは壊されてしまった。叩き割ってしまった。

 あとは踊るだけだ。


 でも、だからといって、何かが変わるわけでもないんでしょう?

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