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祈祷場に大勢の人たちが集まっていた。
祭壇で祈祷を行うのはいつも通りイチコであるが、イチコの後ろには、少し距離を置いて、十数人の男性たちが整然とした配置で並び、彼女の様子を眺めている。彼らはヒノデノクニから遣わされた使者たちであった。
いま、まさにヒノデノクニとヒノイリノクニの第一回文化交流会が行われているところであった。ヒノデノクニの使者たちがヒノイリノクニを訪れ、数日にわたり視察を行うことになっている。今日は祈祷の様子を観覧することになっていた。
使者たちの並ぶその向こうには、使節の案内担当の人間たちが控えている。中には王族もいて、ミノカの姿もあった。
いずれにせよ、普段とは違って多くの人々の見守る中で、イチコは祈祷を行うことになった。なるべく普段通りを心がけたが、緊張で声がうわずったりしなかったかといわれれば怪しい。
何とか儀式を終え、イチコは後ろを振り返り、人々にお辞儀をした。ヒノデノクニの使者たちも深々とお辞儀をする。顔を上げた彼らの顔つきは、みな感銘を受けたというような笑みに包まれていた。彼らから注がれるまなざしに、イチコは少し違和感を覚えた。
「いやいや素晴らしい……」
その場に腰を下ろしたイチコに、使者の一人が言った。
「実際の祈祷の場を見せてもらえて、本当に光栄です。このような崇高なものは、滅多に見られるものではありません」
「お粗末様です――。でも、ヒノデノクニも神を崇めていると聞きますが」
「もちろんです。しかし、私たちのクニでは、我々上級役人でも、このような神の儀に関するものに参加することはできません。わがクニでは、祈祷は女王様が単身で行い、その姿を誰も見ることはできないのです。まじないの結果も、ごく一部の権力者にしか共有されず、我々は知ることができません」
「そうなのですね。私たちのクニでは、より人々に神様を身近に感じてもらえるよう、時折、祈祷の場を皆さんに見てもらえる機会を作っています。今回のは、その一環と言えるかもしれません」
「人々にというのは、下々の人間を含めて、ということですか」
使者たちは難しい顔をした。イチコは思う。もしかすると、神に対する考え方が少し違うのかもしれない――。
「万物のものは神が造り、その中で我々は生かされていると、わがクニでは信じられています。いわば、神様というのは、この自然のなかにありふれている身近なもの、その恩恵に日々感謝をすべきものなのです」
イチコはそう説明したが、ヒノデノクニの側の反応は薄かった。なかには、そんなおそろしいことを言うなんて――とでもいいたげに驚愕の表情を浮かべている者もいる。
「あなたがたの認識とは、少し違うようですね」
イチコは苦笑して言った。使者の一人がかしこまった様子で応えた。
「我々のクニでは、神とはもっと畏れ多いものと認識されています。ごく一部の天井人しかその存在に触れることはできません。その禁を破った者には酷い天罰が下ると信じられています」
イチコは、使者たちの反応の理由がおおよそ分かった。彼らにとって、神は敬うべきものであると同時に、自分たちを支配する恐ろしい対象でもあるのだ。それは、クニの政策によるものも大きいのだろう。信仰がクニの統制のために使われる側面があることは、神職という立場に収まっているイチコにはよく理解できた。使者はかしこまって言った。
「しかしながら、あなた様のような方に、じきじきにお言葉をいただけただけでも光栄です」
「――へっ? どういう意味ですか?」
「あなた様は、いわばわがクニの女王様と同じお立場。このクニの頂点におられる方ではありませんか」
「やめてください!」
イチコは両手を前に出してぶんぶんと振った。
「私はただの巫女です」
ミノカを含め王族の人間もこの場にいるのに、そのようなことを言われては具合が悪い。そもそも、イチコは本当に自分がそんな偉い人間だとは思っていなかった。たまたま、ちょっとした能力があるらしいという理由で、役目を与えられているだけである。
だが、使者たちは笑い合うばかりで、イチコの発言を本気だとは受け取っていないようだ。先に覚えた使者たちへの違和感の正体がようやく分かった。彼らは、イチコを権力者だと信じて疑わなかったのである。
(権力や立場は関係ないのに、私は私なのに――)
彼女は、自分が自分でないような、居心地の悪さを覚え、一瞬目を伏せた。何気に使者たちの方に視線を戻した時、まっすぐなまなざしでこちらを見てくる男性を認めた。使者たちからは、形ばかりのお世辞や敬服を常に感じていたが、そういえばこの青年だけは、本当に真剣にイチコの話を聞いてくれていたように思う。
「――さあ、そろそろ次の見学にまいりましょうか」
案内役が使者たちをこのように促した。使者たちはイチコに丁寧に礼を言って、その場を後にした。
「ふぅ――」
何とか大役を終えられて、イチコはひとりでに吐息を漏らした。
「お疲れ様です。女王様」
と、ふいに言われて、ぎょっとしてその方を見る。声の主のミノカがいた。先ほどのヒノデノクニの一行には同行せず、ここにとどまったらしい。
「本当、やめてったら……」
茶化すように言ってくる彼女に、イチコはそのように返したが、はっとして周囲を見渡した。祈祷場にはイチコ以外の巫女もいた。彼女たちは同じ神職の仲間であり、一応はその長の立場であるイチコからすれば、部下のような存在ともいえる。普段は祈祷場に居合わせることは少ないが、今回は特別な儀ということで参加していたのだ。
「大丈夫ですよ」
いちばん年上の巫女が、イチコの思惑を察したらしく言ってきた。面倒見がよく、他の巫女たちにも信頼されているいわばお局的存在である。彼女の言葉を受けて、他の巫女たちも口々に言った。
「ミノカ様とイチコ様が旧知の仲というのは、私たちも知っています」
「他言はしませんし、お気になさらず」
彼女たちはからからと笑いだす。一瞬にして場が華やぎ、イチコは浮かばれたような心地になった。
「……ですが、お互いに積もる話もあるでしょう。私たちは役目も終わったことですし、そろそろ退散いたしましょうか」
そう言って、巫女たちは祈祷場を去っていく。色々と自分を気遣ってくれる彼女たちを、イチコは有難いと感じた。つくづく、いい仲間たちだと思う。彼女たちを見送った後、イチコはミノカに向き直った。
「つつがなく終えられてほっとしたよ」
長年神に仕える彼女でも、まったく他国の人間に自身の信仰について説明するのは慣れないものだ。今は何より、何とか無事にこなせたことへの安心感が強い。
「まあ、相手には、あまり共感してもらえなかった部分もあったようだけどね」
「そうだね。でも、それはまあ、仕方ないよ。違うクニ同士だし、考え方は違って当たり前」
「やけに諦めが早いね」
「神様を信じすらしない人がすぐ身近にいるから」
「アイツのことじゃん」
「まあね」
ミノカはあははと笑った。このクニでいちばん神に近しい立場にいるイチコの旦那が、よりによって神を否定する人間だというのは、何という皮肉だろう。真逆の価値観をもつ人間と生活を共にする彼女だからこそ、ヒノデノクニの人々と自分たちとの思想の相違を、すんなりと受け入れられたのかもしれない。
「そうそう、そのトワリだけど、今回割と皆から評判いいみたいよ」
ミノカは思い出したように言う。
「え、そうなの?」
「というか、前評判が悪すぎた感じだけど」
ああ――と、イチコは力なく苦笑した。先日の会議での彼の暴れっぷりは、今でも鮮明に覚えている。その後、自分が柄にもなく彼に怒りをぶちまけてしまったことも――。
「昨日、使者の人たちに、街の整備や開発物の見学をしてもらったのね。その案内役を務めてもらったのよ」
「へえ――反対する人はいなかったの?」
「そりゃもう、猛反対の嵐。せっかくできかけてるヒノデノクニとの絆をぶった切りかねない――って。でも、このクニの設備の中には、アイツが造ったものも結構あるじゃん。そういうのは本人に話してもらう必要があった。それで周りの役人もしぶしぶ認めざるを得なかったそうよ。でも、蓋を開けてみたら、使者たちに喧嘩を売ることなく、分かりやすく説明してあげてたんだって。使者たちも、とても感心して聴き入っていたそうよ」
「良かった……」
イチコはほっとした。あの夜のことは、思い返すと自分でも恥ずかしくなる。だが、決して無駄ではなかったと思うと気持ちも浮かばれるというものだ。何より、トワリが自ら周りに歩調を合わせようとしてくれたことが嬉しい。
「ほんと、あんたって、アイツのことが大好きだよね」
どこがいいんだか――とミノカは肩をすくめる。イチコは赤面した。トワリは人間的にも付き合いやすい性格とは決していえず、これまでにも振り回されることは何度もあった。にもかかわらず、今のところ愛がつづいている。その理由は、明確にはイチコ本人にも説明できなかった。
ただ、この縁は神様がくれたもの――彼女にはなぜかそう思えてならず、それならばその縁を一生大切にしよう――と心に決めている自分がいた。トワリは神の存在には否定的なものの、イチコに向ける想いには似通ったところがあるのだと思う。
互いが互いを思いやっている限り、夫婦としての絆は切れることはないだろう。たとえ、どんな苦難が訪れても、ふたりならきっと乗り越えられる。イチコはそう信じてやまなかった。