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トワリが途中退出してしまったことで、声高に反対意見を言う者はいなくなり、会議はヒノデノクニと和睦する方向で考えよう、という結論となった。
会議終了後、トワリとイチコの夫妻は、召使いによって王宮の客間に案内された。二人の家はここから程遠く、またイチコが妊娠中ということもあり、今日はここに泊まるようシラヌイが配慮してくれたのだ。辺りはすでに日が暮れてきた時分だった。ふすまを閉めると、部屋の中はすっかりと薄暗くなった。
「もう、いい加減にして!」
その時、トワリの背後から、イチコの怒声が聞こえた。驚いて振り返ると、彼女は鬼の形相で彼を睨んでいる。
「イチコ、どうしたんだよ」
「どうしたもこうしたもないでしょ! どれだけ皆に迷惑をかければ気が済むの!」
「俺のせいじゃない。話をまともに理解しないアイツらが悪いんじゃないか」
「何でも他人のせいにして。私やヒブリさんやミノカが、どれだけトワリくんのことを心配して、気を遣っているか――。なのに、それをぜんぶ自分からぶち壊していくんだ!」
叫んでいるうちに、イチコはぼろぼろと泣きだしていた。トワリの方へと駆け寄って、胸元にうずくまるようにしながら彼の身体を拳で何度も叩く。
「皆が……私が……どれだけ……あなたのことで苦労してるか……分かってるの!」
いつものイチコの様子ではない。彼女は怒っても、感情的になって取り乱すことは滅多にないのだった。一体どうして――トワリは考えて、はたと思い出した。一度だけ、似たようなことがあった。イサミを身ごもった時のことだ。女性は妊娠中、情緒が不安定になることがあるらしい。それは、子供を宿すことによって、自身の内側の機能構造が乱れるからだと、トワリは読んでいた。
「ちょっと落ち着け。あまり暴れると、お腹の子にも良くない」
トワリはイチコをなだめようとしたが、
「誰のっ……せいだとっ……思ってるの!」
と、彼女は止まらない。彼は彼女の身体を抱きしめた。
「俺が悪かった。許してくれ」
イチコはなおも暴れようとしたが、トワリに抱えられて身動きが取れない。
「確かに、今日の俺は大人げなかったかもしれない」
「今日だけじゃないでしょ!」
「――そうだな。今まで、俺はずっとそうだった。それで、これだけお前に苦労をかけていたことも知らなかった。反省するよ」
「……本当に?」
イチコは少し落ち着きを取り戻したようだった。
「もちろん」
「じゃあ、そこ座って」
と、イチコが促した。トワリはそれに従って、その場に正座する。イチコも座った。
「覚えてる? 私たちが結婚するって皆に言った時のこと」
そして、彼女は彼に訊いた。
「あの時、全員が反対してきた。信条が違う者同士合うはずがないとか、結婚生活が続くはずがないとか、色んなことを言われた。それでも、皆の反対を押し切って、私たちが一緒になったのはどうして?」
今さらそんな気恥ずかしいことを――と内心思って、トワリは頭を掻いた。だが、イチコはおかまいなしで続けた。
「それはお互いがお互いのの考え方や生き方を認め合えたから。違う?」
「そう――だな」
トワリは認めた。
「信じるものが違っても、目指すものが違っても、お互いを信頼できる。そう思ったからでしょ。私は、あなたの道を応援してる。トワリくんの夢は私の夢。だから、約束して? 余計な意地を張って、人に突っかかったりして、自分自身でその可能性を潰さないって」
「分かった。意地を張ったりしないようにする」
「絶対にしない?」
「ん……頑張るよ」
はっきりとと言い切ることはできなかった。これは、子供の頃から染みついた癖である。だが、あいまいな答えでも、イチコは言いたいことを言ってすっきりしたのか、いからせていた肩をすとんと落とした。トワリはほっとした――と思ったら、今度はイチコは頭を垂れて、小刻みに震えだした。そこに嗚咽が混じる。
「おい、今度はどうした。何を泣いてるんだよ」
「――赤ちゃんを怖がらせちゃった」
イチコは鼻水をすすりながら言う。自分の腹をさすりながら、「ごめんねぇ――びっくりさせちゃったね」と赤子に語りかけはじめた。と、思うと、ぱっとトワリの方を向いて、怒り顔で言う。
「何してるの! 私たちのせいで怖がってるんだよ。トワリくんも一緒にお腹さすって、謝ってよ」
「あ、ああ……」
トワリはイチコに従うしかなかった。
しばらく、二人の赤子への謝罪の言葉は続いた。
そんな慌ただしい時間も過ぎ――。
イチコとトワリは布団を並べて横になっていた。それでも、ふたりの手は、未だにイチコの腹の上にある。父と母、生まれてくる子供を思いやる気持ちに、変わりはない。すっかり怒りの冷めたイチコが、真っ暗な天井を見上げながら呟いた。
「この子は、どんな子に育つかな」
同じく天井の方を見上げながら、トワリが言う。
「さあな。まっすぐで明るい子になるといいな、お前みたいに」
「トワリくんのようにひねくれた性格にはならないで欲しいわ」
「嫌味かよ」
トワリが苦笑する。イチコは可笑しそうに笑い声をあげた。
「頭のいいところは似て欲しいかも――でも、どんな子であっても、受け入れてあげたいな」
「あのさ」
「なに?」
「実を言うと、お前が揺るがない信心で、クニじゅうの人を幸せにしているのはすごいと思ってる。俺は神は信じないけどさ。俺もお前を見習って、いつかそんな仕事を成し遂げたいと思ってるんだ」
「そうだったんだ。嬉しい」
「だから、生まれてくる子供も、自分の信念をもちながら、誰かのために動く。そんな子になるといいなと思う」
「そうだね。信念や信心の違いも越えて、たくさんの人を幸せにできる子になって欲しいね」
ふすまを閉め、行灯を消した室内はすっかり暗く、天井も闇へと吸い込まれていた。だが、イチコは怖くはなかった。ここには愛する家族がいる。時に感情をぶつけあったり喧嘩になったりするが、結局は心を通わせ合える旦那がいて、未来を期待されるわが子もここにいる。
そんな家族が近くにいる幸せを感じながら、イチコは瞳を閉じた。