3
小高い丘の上で、筋骨隆々な肉体をしたたくさんの男たちが汗を流している。
工事が大詰めを迎えているのだった。
男たちが、顔をしかめながら巨大な木の柱を支えている。その向こうでは、柱に括りつけられた綱を、また別の男たちが必死の形相で引いていた。
「よいしょ……よいしょ……!」
と互いに掛け声を合わせる。地中にわずかに埋まった柱が、少しずつ立ち上がっていた。しかし、完全に起立する前に、男の一人が叫んだ。
「ダメだ、ズレてるぞ!」
各々は改めて柱に注目する。確かにまっすぐに立ち上がっておらず、少し斜めにいがんでいた。力の加え方が歪だったのかもしれない。
「いったん下ろせ!」
と、男の一人が叫ぶ。柱は少しずつ横になり、やがてズシンと倒れた。
その有様をみていたトワリが、男たちに怒声をあげた。
「おい、何やってんだよお前ら、ちゃんとやれよ!」
男たちは苛立った顔でトワリを睨んだが、思いきり息を切らしており、トワリに言葉を返す余裕もなさそうだ。
「ったく、手を抜いてんじゃねえよ、くそったれどもが……」
吐き捨てるようにトワリは言った。そこへ、
「そんな言い方はやめてくれねえか」
と言って、近づいてくる男がいた。誰よりも逞しく、がっちりとした身体つきが印象的だ。禿げ上がった頭が日光に照らされてる。この工事の責任者のホウザンである。
「ボンクラどもを怒って何が悪い」
「俺の部下たちはボンクラじゃねえって言ってるんだよ」
ホウザンがすごんだ。トワリもひるむ様子なく、彼の顔を見上げて、睨み返した。
「俺の設計は完璧なんだ。ちゃんと指示通りにやってれば間違いは起こらねえ」
「お前さんの仕事は否定しねえ。だが、現場が臨機応変に対応していかなきゃならねえこともあるんだよ」
「口答えしやがって……!」
と、トワリは言い返そうとしたが。その直後に「ゴッ」と後頭部に衝撃を受けた。頭を押さえながら振り返ると、背後に眉を吊り上げたイチコが立っている。これ見よがしに自分の大幣を掲げていた。これでトワリを叩いたのだ。
「いってーな、何すんだよ!」
「今のは神様の怒りの一撃と思い知りなさい」
イチコは静かな怒りを含めた声を出す。
「何が神だよ」
「この人たちがいないと、あなたの仕事は成り立たないんだよ。もっと皆に感謝しなきゃ」
「うるせえな……女が口出しすんじゃねえよ」
「何か言った?」
と、イチコはもう一発殴ってやろうか、というように再び大幣を掲げてみせる。トワリは「ったく、分かったよ」と不満げに言いながら、その場を去っていった。
「本当にすみません……」
イチコはしおらしくホウザンに頭を下げた。ホウザンは明るい声で言った。
「イチコ様が謝ることじゃありませんや。それに、トワリには確かにムカつくことも多いが、俺たちの側もアイツがいないと仕事が成り立ちません。これでも一応は楽しく仕事はやれてますしね」
トワリは現在、クニの整備や設備開発の役を任されている。子供の頃から自然科学への探求心があり、ものづくりへの興味が深かったことが、現在に活きているといえる。今なお他人の立場や気持ちを弁えない言動をとり、度々問題になってしまうところが玉に瑕だが――。
今は、先代の王と王妃の墓を造設の一環として、墓標となる柱を立てる作業を行っているところだった。今回、トワリは墓の構造設計と、施工の技術指南を行っていた。綱を引いて墓標を立てるという方法も、彼の提案によるものである。
「それにしても、イチコ様、トワリの前ではあんな顔もするんですね」
「――へっ? 顔って」
驚いた表情を浮かべるイチコに、ホウザンは豪快に笑ってみせた。
「いや、さっき奴と話していた時のイチコ様、普段俺たちには見せたことのない表情をしていたものだから。やっぱ夫婦なんだな――って。巫女さんが、大幣をあんな使い方するのも、初めて見ましたよ」
イチコは赤面して黙り込んだ。やはりトワリに対しては、自ずと他の人間には見せないようにしている素が出てしまうものらしい。
「まあ、これからもアイツのこと、よろしく頼みますわ。――さて、この柱を立てられたら、工事は終了です。王様の弔いの儀になりますので、イチコ様も準備しておいてください」
「分かりました」
と、イチコは微笑んで応えたが、気恥ずかしさを引きずっていた分、表情がぎこちなくなってなかったかな――とちょっと不安にもなった。
先代の王と王妃の亡骸は、すでに土の中に埋葬されていた。
このクニでは、長年寄り添った王と王妃は一緒に墓の中に埋める決まりとなっている。あの世でも来世でも、寄り添い合えるようにと願ってのことだ。王妃は5年前に亡くなっていたが、防腐処理を施され、今日この日が来るまで別の場所に安置されていた。
墓は棺が埋められている区画と、生者たちが集まる区画に分かれ、その間には巨大な布が掲げられ仕切りとなっていた。仕切りの隅の方には祭壇が置かれている。イチコはその場所に控えていた。彼女の目の前には、大勢の参列者が集まっていた。わがクニの人々だけでなく、他のクニから遣わされたり、大陸からはるばる海を渡ってきた使者たちの姿もある。
大勢の人たちが見守る中、イチコは大幣を掲げて数回振る。さっ、さっ、と紙垂が擦れ合う音が小気味よく響いた。すうっ、と息を吸い、高らかで澄んだ声にのせてその息を吐き出す。凛と静まり返った空間に、彼女の声は響き渡った。彼女は声の高低はしばしば変化させながら、そこに弔いの言葉をまじえる。二人の生前の偉業をたたえ、御魂がこの壮大な宇宙に包まれるように祈る。
祈りの言葉を、歌に乗せて神に捧ぐ。これは、イチコが自分なりの神への敬意の表現として編み出した、独自の祈祷の作法であった。彼女の声を支えるように、尺八と太鼓の音が入ってくる。普段、祈祷場ではこのような伴奏は入ることはないが、今回は特別な大きな儀式である。イチコの歌声も、より張りのあるつややかなものになった。
わが子も陽気なようで、彼女の声や太鼓や笛の音色に合わせて度々イチコの腹を蹴った。崩御した王・王妃の弔いという悲しみの儀式ではあるが、生と死は隣り合わせというのが、ヒノイリノクニの人々の考え方である。前の世代の死を経て、新たな生命が誕生しようとしている。そんな誕生への祝福を、まだ生まれぬイチコの子は感じ、喜んでいるのかもしれない。
弔いの儀が終わると、イチコは祭壇を背に、観衆に一礼して、その場を後にした。
シラヌイとミノカの控える壇上の傍まで来て、両名にお辞儀をする。
「イチコさん、ご苦労様でした」
と、シラヌイがねぎらいの言葉をかける。
「大事にしなければならない時に、無理なお願いをして申し訳ありませんでした」
「大丈夫です。まだそこまで身体に気をつけなければならない時期ではないですし、このような大役を務めさせていただけて、私の方こそ光栄の極みです」
「いえいえ、イチコさんに旅立ちを見届けてもらえて、父も母も嬉しかったことだと思います」
シラヌイは王家の者とは思えないほど、親しみやすい雰囲気をまとった人間だ。王の座に就く立場であるにもかかわらず、イチコに対して丁寧な言葉遣いで話してくれる。そして、そんな分け隔てない性格が、大勢の人間から彼が支持される理由でもあった。
「あなた、そろそろですわ」
隣にいるミノカが彼に声をかけた。シラヌイは「そうだな」と言って、視線をある方向に向けた。すらっとした長身で、艶のある黒髪を伸ばした美女がそこに立っていた。彼の妹のシラナミだ。視線が合うと、彼女はゆっくりと頷いてみせた。
彼女は、葬儀の参列者たちに向かって、芯の通った声で話し出した。
「皆様、今日ははるばる前王・前王妃の葬儀にお集まりくださり、ありがとうございます。本日に併せて、もう一つ予定していた儀式があります。新王即位発表の儀です」
シラナミは今一度、自分の兄の方へと視線を向け、腕を伸ばしてその方を指し示した。
「皆様、こちらにいますのが、わが兄であり、新たな王であるシラヌイ。そして、その王妃のミノカです」
シラナミの紹介を受け、両名は立ち上がった。シラヌイが野太い声で話しだした。
「皆の者、私がこの度、王となったシラヌイだ。先ほどは、わが父上と母上をともに弔ってくれて感謝する。だが、時代は移り変わるものだ。先代を亡くした悲しみを乗り越え、我々が新たな時代を築いていかなければならない。
これからこのクニは、この私が治めることになる。若輩者が故、至らぬところもあるかもしれないが、どうか役人ならびに民衆は私に手を貸してくれ。また、他のクニやムラの方々にも、助けや協力を求めることがあるだろう。むろん、私も頼りっぱなしでなく、王としての役目を精一杯務めるつもりだ。互いの栄華がこれからも続くよう、どうかこれからも共に歩んで欲しい」
シラヌイの言葉は謙虚でありながらも、口調には威厳があった。誰しもが、彼の話を緊張の面持ちで聞いていた。しかし、ここでシラヌイは表情を緩め、隣にいる妻の顔を見た。
「そして、そんな私を、隣で支えてくれることになった妻のことも紹介させてほしい。私の伴侶で、王妃でもあるミノカだ。彼女はもともと、わがクニの出身ではなく、クニの外れのムラで暮らす娘だったが、現在は誰よりもわがクニを愛し、私のことを理解してくれている。彼女となら、ともに良い未来を築いていけると、私は確信している。皆も、私たちの出発を祝福し、信じてついてきて欲しい」
ミノカは両手を重ねて、深々とお辞儀をした。その所作には、まさに一国の王妃に相応しい気品があった。子供の頃、イチコと一緒に野山を駆けまわった、もと庶民の娘とは思えない。シラヌイはさらに続けた。
「堅苦しい挨拶はこのくらいにして、せっかく集まってくれた皆に、私からの心ばかりのおもてなしをさせてもらいたい。ささやかながら酒と料理を用意している。先ほどまではしめやかな弔いの儀ではあったが、わがクニでは生と死は同じところにあると考えられている。只今からは、新たな時代の到来を、皆で祝い合おうではないか」
シラヌイが話を締めくくると、案内役が参列者の人たちを塚を降りたところに造られた宴会場へと連れていった。広場の岩や木々に豪華な装飾が施され、地面にはゴザが敷いてある。各々がその場に座ると、給仕役の民たちが料理や酒を運んできた。
静かながらも和やかに宴会は進んでいた。はじめは近しい服の色やいでたちで固まり合っていた人々も、そのうち互いに行き来し合って混ざり合うようになっていく。和気あいあいとした参加者たちの様子を、シラヌイとミノカは眺めていた。
そこへ、従者がやってきて、彼らの前に跪いた。
「申し上げます。王様にご挨拶をしたいという使者がおりますが」
「挨拶? どこの使者だ」
「ヒノデノクニです」
「ヒノデノクニだと?」
ヒノデノクニとは、ここヒノイリノクニの西方にある大国である。
「構わん、通してくれ」
とシラヌイは従者に命じた。従者が一人の男性を連れてくる。目が細く切れ長で、顔の縦に長い男だった。顎から伸びた髭のせいで、余計に面長に見える。使者はその場にかしこまった。
「シラヌイ様、この度は即位おめでとうございます。私は、この度ヒノデノクニの使者として遣わされましたムラサキと申します」
「これはこれは、遠路はるばるご苦労なことだ。――それで、わざわざ私の前まで来てくれたということは、何か話したいことがあるのかな」
「実は。このような場でいうのも何なのですが、わがヒノデノクニよりお願いしたいことがあり、私はその内容を伝えるために来たのです」
「なるほど、クニとしての要求を伝えに来たというのだな。だが、残念だが、私はいまは対応ができない。外交担当の者と話をしてくれないか。――おい、シラナミ。ちょっと来てくれ」
シラヌイは向こうに控えていたシラナミを呼んだ。
「この者はヒノデノクニの使者だ。我々に伝えたいことがあるという。聞いておいてくれないか」
「――かしこまりました。では、あちらでお話をうかがいましょう」
シラナミは穏やかな微笑みをたたえて使者を見た。従者を連れて、宴会場を後にする。王の屋敷の付近に会議用の建物があるので、そこに向かうのだろう。
「あなた、大丈夫かしら」
ミノカが不安そうな表情を浮かべる。「うーん」とシラヌイもわずかに呻いた。
これまで、ヒノイリノクニとヒノデノクニが交流することなど、滅多になかった。距離的な問題もありながら、お互い大きな勢力を誇るクニ同士であるため、どこか牽制し合うところがあったのも理由の一つである。それが、今になって、ヒノデノクニの側から歩み寄ろうという姿勢をみせてくれているのだろうか、それとも――。
いずれにしても、シラナミの報告も含めて、それは判断すべきことだろう。