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破滅の章  作者: Tomokazu
エピローグ
40/41

3

 イチコは深いため息をついた。


 遠い昔の話ながら、昨日のことのように覚えている。


 気づけば、すっかり夜が更けていた。イチコの目にも明暗は分かる。今の視界はまったくの闇に閉ざされていた。しんと静まり返った空間には、いささかの寂しさを感じさせられた。特に今日は、さっきまで家にハナドリとエミがいて、夕飯を一緒に食べたので、ひとりになったいまの静寂がより一層感じられてしまう。

 とはいえ、心細いとか、怖いとかいう気持ちはなかった。闇は彼女にとって、もはや脅威ではない。もし、このまま死の世界へといざなわれたとしても、恐怖は感じないだろう。もう、十分に生きた――という感慨があった。


 そういえば、少女の頃には、こんな闇の中よくトワリと外出をしていたものだ。夜といってもまったく何も見えないわけではなく、空には月や星が輝いていて、行燈でも持てば、意外と周囲を見渡すことができた。危険なことをしていたと思うが、当時は誰も知り得ない世界をふたりだけで過ごしているドキドキ感も相まって、とても楽しかったことを覚えている。若さは、無謀に対する免罪符でもあるのだ。


 そんな日々も、今はもう遠い昔――。


 船で旅立ってから、一体トワリはどうなってしまったのだろうか。彼らのその後のことは、まったくイチコの耳には入ってこなかった。漂流の末、無事に目的地にたどり着けたのか、それとも志半ばで海の藻屑となってしまったのか――それすらも分からない。

 だが、イチコには予感があった。トワリは周囲がどんなに無謀だと思うことでも、自分の信念のままに取り組み、実現させてきた。そんな彼が、志かなわず海に沈んでしまったとは、到底思えない。おそらく、彼は悲願を達成していることだろう。


 できることなら、イチコも彼と一緒にその場面を見届けたかった。だが、どれだけ願おうとも、それはもはや叶わない。今となっては、彼と過ごした時より、彼と別れてからの月日の方が長くなってしまった。遠い海の向こうへと行ってしまった彼らが、幸せでいますように――とイチコは願うことしかできなかった。




 その時――。


 突然、彼女の眼前に、二つの光が見えた。はじめ、くっつき合っていたが、やがてそれらは解離し、それぞれらせんを描くようにぐるぐると回りながら、空中を浮遊しだした。まるで、互いの居場所を探しているようだ。しかし、それらの光の粒は、しばらく空中を浮遊した後、再び邂逅した。安心したようにその動きを止め、闇の中へと消えていった。


 これは暗示……?


 イチコは思った。もしかすると、これは神が自分に見せた未来なのではないか。二つの魂が離れ離れになり、互いを探してさ迷った末に、再び出逢う。そんな抽象的な場面なのではないか、と。


 やはり、トワリは無事に大陸にたどり着いたに違いない。そして、彼から息子のイサミへと受け継がれた血は、彼の地でさらに子孫へと受け継がれてゆく。そして、いつかは巡り合えるかもしれない。自分がこちらで遺す子孫と――。




 さらに、イチコの脳裏にまた別の光景が浮かんできた。先ほどの光が飛び交う場面よりは、それは現実味を帯びた映像であった。


 長い戦いの末、シラヌイがヒノデノクニに託した統一の夢は叶えられ、この地は一つの国家となった。しかし、だからといって、平和なクニとなったかといえばそうではなく、相変わらず争いは度々起こり、その度に勝者となった一部の人間は富や名声を得るが、大勢の人たちが不幸を背負う結果となった。

 嘆かわしいことに、どれだけ時代が流れて、人々の文化や文明、生活様式、見た目などが変わっていっても、人間の醜い性だけは変わらないようだ。やがては、このクニのみならず、海を越えた他国とも争うようになり、悲劇はさらに広がってゆく。


 だが、そんな嘆かわしいことを繰り返した挙句、このクニは大きな報復を受けることになる。自らの行いが自らに還ってきたことで、ようやく戦争を止め、平和を志すようになった。

 だが、それは武力による戦いを止めたというだけで、人々の醜い闘争心がなくなったわけではなかった。足の引っ張り合いや誹謗中傷など、争いは別の形となって続いている。




 めまぐるしく移り変わる時代の中で――。


 イチコはひとりの若い女性をとらえた。なじみのない風景に、なじみのない衣類に身を包む人々が行き来する中、彼女はまるで独りぼっちであるかのように寂し気にたたずんでいた。しまりのない面持ちと頼りなさそうな足取りに、「大丈夫かしら」と、イチコはまるで身内であるかのように心配してしまう。


 だが、やがて、彼女はひとりの男性と対面すると、彼女のぼんやりとしていた表情は、喜びや期待を纏ったような一つの色に変わった。ああ、この子は彼のことが好きなのだ――とイチコは思った。今度は、彼女の視線の方向にあわせて、男性の方を見る。彼は彼で独自の世界観を纏っていて、この世間からは解離してしまっているように思えた。だの顔つきは、生意気そうでありながら信念を感じさせ、どこか若い日のトワリを思わせる。


 おそらく、このふたりは恋人同士なのだろう。これから、つまづいたり衝突したりを繰り返しながら、不器用なりに二人の世界を築こうとしていくに違いない。かつてのイチコとトワリのように――。


 イチコは心の中がじんわりとあたたかくなるのを感じた。


「幸せになってね」

 と、心からの言葉を口にした。おそらく、直接本人たちの耳には入らないだろうが、気持ちだけでも届いてくれたら嬉しい。そうイチコは思った。




 はっ――とイチコは我に返った。


 永い夢を見ていたようである。


 わずかな時間に、これからたどる人類の歩みを駆け足で追っていた。

 その先に見えたのは、はるか未来の時代を生きる恋人同士の姿だった。

 イチコは感じていた。このふたりこそ、自分たちの想いを継いでくれる人たちに違いない。いつとも知れない遠い未来。離れ離れになったふたつの魂は、彼らの肉体を借りて出逢い、再び愛を繋いでゆく――。


 イチコは涙した。自分たちのこれまでの軌跡は、決して無駄にはならないと思った。


 きっと、大丈夫。未来は開かれている。


 イチコは安堵のなか、再び深い眠りに就くのだった。




<了>

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