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破滅の章  作者: Tomokazu
第一章
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1

 神棚に向かって、ひとりの女性が立っていた。


 純白の衣に朱の袴、いわゆる巫女装束に身を包んでいる。両手で大幣の柄を握りしめ、それを天に掲げて「はああああっ」と野太い声をあげた。呪文のような文言を唱えながら、腕を薙ぎ払って大幣を振り回し、足で地面を踏み鳴らしては拍子を刻む。その姿は一見無作法に踊り狂っているようで、動きは一定の法則に従っていた。

 それは神に対する祈りの儀式だった。女性の両脇に立てられた松明の炎が、彼女の気迫に呼応するようにめらめらと揺れている。彼女はさらに声を張り上げ、全身を大きくのけぞらせた。一瞬、動きを止め、天井を見上げる格好になる。それから、前かがみになって、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。

 しばらく息をついていたが、やがて呼吸を整うと、再び立ち上がる。衣服の乱れを直し、居ずまいを正して、神前で大きく一礼した。


 これがイチコの仕事だった。彼女はここヒノイリノクニの巫女を務めており、この祈祷場は彼女の職場である。建物の奥の部屋に大きな祭壇があり、このクニで最も崇められている神を祀っている。彼女はそこで神と対話をするのが日課だ。以前はここは彼女の居住地も兼ねていたが、結婚を機に家を建て、生活の拠点はそこに移した。いまは、自宅と祈祷場を行き来する日々を送っている。


 ヒノイリノクニは海に面しており、新鮮な海の幸がたくさんとれる。また、その反対側には山が連なり、数多の種類の木の実や山菜がとれ、肉づきのよい獣を狩ることもできた。さらには、最近では稲作や耕作にも力を入れている。恵まれた土地の中で、人々は豊かに暮らしていた。

 このクニに住む人々のほどんどが信心深い。イチコは祈祷の儀を通じて、そんな人々のためにクニの安泰と反映を神に願うのだ。時には、天災等の有事や、クニの今後にかかわるような出来事を予知し、未来を指し示すこともある。


 イチコ自身も、ヒノイリノクニの一員として、安泰な日常を送っていた。ただ、そんな日々を手にするまでには、紆余曲折あった。


 彼女はもともと、捨て子として、山奥にある小さなムラに拾われた身だった。赤子の頃から少女時代までをそこで過ごすが、内乱が起きた末にムラは壊滅。人々も殆どが死に絶えるという悲劇に見舞われた。その後、ムラが統治していた地はヒノイリノクニに統合され、生き残ったわずかな人々は、ヒノイリノクニの都に移り住むことになる。

 さまざまな苦難や不幸が訪れながらも、彼女がこれまで何とかやってこられたのは、自身のもつ能力によるところが大きいだろう。ヒノイリノクニの巫女に抜擢されたのも、その聖なる力を認められたからに他ならない。


 とにかく、クニの重要人物として重要な仕事を任され、結婚をして家庭を築くこともできた。少女の頃には想像もしていなかった幸せな日々を、彼女は享受していた。


 しかし、未来のことは誰にも分からない。それは、わずかながら先のことが見通せるイチコでも同様だった。いまの平和がずっと続く保証はない。ただ、この幸せがいつまでも続きますように――彼女はその願いを込め、神に祈るしかないのだった。




 ふいに、扉を2度、叩く音がした。


「はい」


 イチコが返事をすると、引き戸が開いて、女性が入ってきた。後ろに2名の従者を引き連れている。


「イチコさん、お邪魔だったかしら?」


 凛と筋の通った声で女性は言った。上質な絹の衣服を纏い、絢爛華麗な首飾りや耳飾りが光る。腰元まで伸びた黒髪はなまめかしくくびれがかかり、目じりがやや垂れ気味の大きな瞳でイチコを見つめていた。


「いえ、たった今、本日の祈祷の儀が終わったところですから」

 と応えながら、イチコは女性を座るように促した。彼女はそれに従い、藁を編んで作られた座布団の上に座った。


「いつもご苦労様です。でも、お腹の子に障らないよう、無理はしないでくださいね」


 イチコは、半ば無意識に自分のお腹をさすってみる。まだ衣服を纏っていると見た目には分からないものの、触ってみるとわずかながら確かな出っ張りを感じた。新たな命が育っている。


「大丈夫です。まだまだ大事をとらなければならない時期ではありませんから」

 と言いつつも、イチコは女性に対してお辞儀をした。お気遣いいただきありがとうございます――という意思表示だ。


「――それで、今日、祈祷場に足を運ばれたのは?」

 と、イチコは改めて訊いた。


「そうでしたわ。折入って、イチコさんにお願いしたいことがあるのです」

「何でしょうか?」


 本題を話し出す前に、女性は従者たちに命じた。


「あなたたち、ここからは内密の話になるから、外で待っていなさい」


 彼らはそれに従って、頭を一つ下げると、引っ込んでいった。戸が閉まるのを見届けてから、女性はイチコの方へと向き直った。再び両者の視線が合う。しばらく見つめ合った後、やがて女性の口元が一瞬歪んだかと思うと、上唇と下唇の間から「プッ」と息が漏れ、彼女は大声をあげて笑い出した。イチコもつられて笑ってしまった。


「……こんなにかしこまってあんたの話すの、やっぱり慣れないわ」


 女性は、先ほどの高貴な雰囲気などまったく消え失せ、だらしなく姿勢を崩して笑い転げていた。イチコもくっくっ……と笑いながら、

「私もだよ」

 と返す。


「つくづく、偉くなったよねぇ――ミノカ」


「何言ってんの、あんたの方こそよ。このクニの人たちが、あんたのこと何て呼んでいるか知ってるの? “イチコ様”よ、イチコ様。偉くなったもんだわ」


「お互い様だよ、ミノカ様」


 そう言い合って、またもしばらくお互いに笑い合った。


 このミノカという女性は、イチコの幼馴染であった。子供の頃より美少女として通っていたが、成長して、なおもその美貌に磨きがかかり、男性たちの憧れの的となった。結果、欲深き男子同士の争いに発展し、彼女は幸せを掴む機会を逃しつづける羽目になってしまう。しかし、つい先日、王族という、このクニで最高の相手と結ばれることになった。


「――で、話って何なの?」


 笑い終え、イチコは改めて訊いた。


「ああ、私の旦那様のことよ」


 ミノカは少し真面目なトーンになって言った。


「シラヌイ様のこと?」


 シラヌイとはミノカの旦那であり、このクニの王子でもあった。


「実は、まだ秘密の話なんだけど、次の王座にシラヌイ様が就くことが決まったの」


「そうなんだ……!」


 先日、前王であったシラヌイの父が亡くなったばかりだった。それで、後継者を誰にすべきなのか、王家の中で話し合いが行われていたのである。結果、三男にあたるシラヌイがその座に就くのを許されたということだ。


「それでね、シラヌイ様が即位した後のことを、イチコに占って欲しいと思ったの」


「……ミノカ、私がやっているのは占いじゃないよ」


 イチコは釘を刺す。彼女が行っているのは祈祷であって、占いとは性質がまったく異なるものだ。なのに、ミノカは両者を未だに混同しているらしい。


「それに、祈祷によって未来がすべて見通せるわけでもないの。脳裏に未来に関係すると思われる光景が浮かんでくるぐらい。それに、その場で見えるとは限らなくて、何日も何ヶ月も後になって見えてくることもある。――前から言ってるんだけどなぁ」


 期待通りにはいかないこともあるということを、イチコはあえてちゃんと説明してみせた。彼女は祈祷中に脳裏に浮かんだ光景を、神のお告げとして政権に伝えている。だが、それが本当に現実になるのか、いつ起こるのかまでは彼女には分からないのだ。

 もっとも、イチコの予言はよく当たると政権内部でも重宝されており、クニのまつりごとの軸として扱われてはいる。


「ごめん! とにかく、よろしく頼むよ」


 イチコは両手を顔の前で合わせて、顔をくしゃりとさせる。分かってるんだか、分かってないんだか――イチコは軽くため息をついた。


「分かった。もし見えたら教えてあげる」


「感謝! さすがイチコ、頼りになる!」


 先ほどまでの厳かな振る舞いはどこへやら――。イチコはミノカの変貌っぷりに呆れてしまう。ミノカは、場面や相手に応じて自分を振り分けられる器用さも持ち合わせているが、素の彼女はこんな風に自由奔放なのだ。


「そりゃそうと。あんたの方はどうなのよ」

 と、今度は彼女はイチコの方に話題を振ってきた。


「私の方って、何が?」


「旦那のことよ。うまくやれてんの?」


 ああ――と、イチコは苦笑した。


「色々あるっちゃあるけどね――」

 と、イチコ。トワリと結婚してもう8年になるが、その間何もなかったといえば嘘になる。普通の夫婦でも、生活するうえで何も問題がないことはあり得ないが、特に、彼はこのクニの人々からも、とりわけ“異端児”として扱われていた。ミノカが言った。


 「アイツ、方々で問題起こしてるわよ。こないだも、財務担当の役人に事業の予算をケチりすぎだとかいちゃもんをつけて大喧嘩になったの。処罰されそうになったのを、私がシラヌイ様に頼んでおとがめなしにしてもらったけど」


「苦労かけるねぇ――」


「ホントよ。今後、無駄に問題を起こさないよう、アイツに首輪でもかけて、手綱をしっかりと握っていてちょうだい。これは次期王妃としてのお願い」


「承知つかまつりました!」


 イチコはおどけたように言って、深々と頭を下げてみせる。イチコのわざとらしい振る舞いに、ミノカはふくれっ面を緩め、またも破顔した。イチコも顔を上げて、上目遣いでクスリと笑い返した。

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