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破滅の章  作者: Tomokazu
第四章
28/41

1

 イチコは夢を見ていた。


 夢と分かるのは、目の前にいる人間が、明らかにいま会える者ではないからだ。

 それは、イチコがこれまで生きてきて、いやそれはおそらく今後の生涯においても、いちばんの恩人といえる人である。自分の巫女人生の師匠ともいうべき存在・マオの姿がそこにはあった。


 彼女は清廉な衣類と、絢爛豪華な装飾品を身にまといながら、陳と背筋を伸ばして正座している。あの頃は、はるか年上のお姉さんという印象だったが、すでに倍も自分の方が長く生きてしまったいまになってみると、その姿はあどけない少女そのものだ。隣には、もう一人高貴そうな居ずまいの女性が座っていた。シラナミだった。彼女も、同様に少女らしいみずみずしさを放っている。


 イチコは気づいた。いま自分は、過去の場面を観ているのだと。


 しばしの間、マオとシラナミは和やかに談笑していた。そのうち、ふと思い出したように、マオが言った。


『一つ聞いてもよいか?』


『なんでしょう?』


『なぜ、ヒノイリノクニは、そこまで力を伸ばそうと思うのじゃ』


 この時、ヒノイリノクニは自らのクニの領土を拡大すべく、マオの住むムラをはじめ多くの地域に進出しているところだった。マオの疑問は、そのような状況を踏まえてのものだったのだろう。少女の頃のシラナミが応えた。


『大きな理想があるのです』


『理想――とな?』


『私たちはいずれ、この地全体を平定して、一つのクニにしたいと考えているのです。太陽が昇り、沈んでゆく、日のもとのクニ・日本です』


『壮大すぎる夢じゃな』


『かもしれません。ですが、本気でそれを実現したいと思っているのです。どれだけの年月がかかろうとも。そして、その暁には、マオ様にその役を担って欲しい』


『そんな大役――わらわには無理じゃよ』


『ご謙遜を』


『いいや、わらわの力など、この小さなムラを治めるだけで精いっぱいじゃよ。――じゃが、それができそうな人間はこのムラに一人だけおる』


『いったい誰なのですか、それは……』


『その者は――』


 その時、イチコの眼前が真っ暗になった。マオの声もシラナミの声も聞こえない。暗闇にぽつりとたたずむなかで、背後に不穏な気配を感じた。おそるおそる振り返ってみる。そこにいたのはヒノデノクニの女王だった。


『いよいよ、私の野望がかなえられる時が来た』


「野望……一体どんな」


 イチコは訊き返した。


『この地を統一し、一つのクニのまとめ上げる。そして、私はすべての支配者となるのだ』


「あなたが、すべてを支配……?」


 先ほどのマオとシラナミの会話を思い出す。ヒノイリノクニとヒノデノクニは同じ野望を抱いていたのだ。


『手はじめに、お前のクニを征服する。そうすれば、わがクニは向かうところ敵なし。他に追随を許さない大国になるだろう』


「そんなことさせない……!」


 イチコは叫ぶ。侵略は一部の人間の勝利と栄光を引き換えに、大勢の人を不幸にする。自分の身内や友人たちが不幸な目に遭うのは、彼女にとって何よりも耐えがたいものだ。


 邪悪な笑みを浮かべながら、女王が暗闇の中に吸い込まれるように消えてゆく。


「待って……!」


 イチコはその後を追いかけた。もがくように腕を振り回し、手をがむしゃらに掻いて、空間の中を泳いだ。




 ――かっか、かっか!




 どこかからハナドリの声がした。イチコは動きを止め、どこにいるの――と、辺りを見回した。すると、上空からまばゆい光が彼女めがけて降り注いでくるのが見え、彼女は身体を吸い上げられるような感覚を得た。




 その瞬間、はっ、と目が覚めた。




 すぐそばで、ハナドリが心配そうにこちらを見つめていた。さっきのは娘が自分を呼ぶ声だったのか――とイチコは分かった。


「かっか、だいじょうぶ?」


「ああ……眠っちゃってたみたいね」


 イチコは上体を起こした。昨夜は遅くまで祈祷を行っていた。疲れが出て、ついうたたねをしてしまったのだ。


「うなされてたよ?」

 と、ハナドリが母を気遣う目で首を傾げた。


「おかしな夢を見てたみたい。ごめんね?」


 イチコはハナドリの頭を撫でた。ふっと思う。夢の中で、あのまま女王を追いかけていたら、自分はいったいどうなってしまったのだろうか――。もしかすると娘は、自分を呼び戻してくれたのかもしれない。


「もうすぐ、あらしがくるね」


 ハナドリが部屋の窓の方を見て言う。


「――嵐?」


 イチコもその方を見た。簾が上げられたままになっている窓より覗く空の模様は、雲ひとつない晴天だった。まるで、いまイチコたちが置かれている状況など、まったく意に介していないようだ。


「こんなに晴れてるのに……」


「雨や風のあらしじゃない。たくさんのニンゲンがあらしとなっておしよせる」


 イチコははっ、とした。ハナドリを抱きしめて言った。


「大丈夫よ。敵さんは、きっとヒブリさんたちがやっつけてくれるよ」


 イチコの平和への望みはかなわず、いまヒノイリノクニとヒノデノクニの戦の火蓋が切って落とされていた。迫りくるヒノデノクニの軍勢を食い止めるべく、ヒブリが多くの兵を引き連れて出陣している。だが、ハナドリのいう「人間の嵐が来る」という言葉が真実だとするならば、ヒノデノクニの兵はじきにここへと侵攻してくるということだろうか。


 なるべく被害少なく、戦争が終わりますように――イチコは神にそう祈るしかない。だが、その祈りが届くのかどうか、彼女にはその自信すらなくなっていた。アリアケにタンタカ、ふたりの尊い命が、イチコの願いも虚しく失われてしまったばかりである。


(本当に、神様は、私たちに味方してくれるのかな――)


 初めて、イチコは神に対し、わずかながら疑念を抱くようになっていた。

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