海の子
読書の皆様にこの作品を楽しんでもらえますように...。
「ねぇまもる君、お願いがあるんだけど。」
うみが少しかしこまって僕に言った。彼女にしては珍しい。
「あの...デート、しない?」
「...え?」
彼女の口から出たデートという単語に僕は驚きを隠せなかった。最近はずっと彼女と出かけてばかりだったのに、わざわざこんな言い回しをする意味とは?もしかして、僕の事を?いや、それこそないだろ。でも、僕はなぜか心の底から嬉しかった。
「あっ、えっと夏祭りに行こうってだけで、えと...」
「うん、行こう。」
「えっ...」
「一緒にデート、したいんだろ?」
今日は近所で祭りが行われる日。道中、お店で彼女は着物に着替えに行った。僕は、着物姿の彼女を待った。
「まもる君!」
「あっ、うみ...」
着物姿に着替えて出てきた彼女を見て、僕は目を見開いた。底の見えない海を表したかのようなその着物に身を包んだ彼女は、この世に比肩するものがない程に、美しかった。
「どうかな?似合ってる?」
少し不安そうに聞く彼女に、僕は応えた。
「ああ、似合ってる。とても綺麗だ。」
その後、祭りの会場に着いた僕とうみは、一緒に屋台で食べ物を買って食べ歩いたり、射的で見事に外したり、金魚すくいでうみが大量に金魚を取ったりと、夏祭りを満喫した。ことある事に僕に笑顔を向ける彼女は、心の底から楽しそうに見えた。
「うみ、花火は見た事あるのか?」
「ううん、ないよ。だから、絶対にまもる君と見たかった。」
花火の開始時間が迫って、僕とうみは見開きのいい場所に座った。花火を待っている間、僕は彼女の横顔をバレないように眺めていた。
「あっ、始まる。」
彼女がそう言った途端、僕とうみの目の前に綺麗な花火が広がった。僕とうみは静かにその花火を眺めた。ふと横を向いて、僕は彼女の横顔に見惚れた。花火なんかよりも、こんなに嬉しそうな彼女の横顔を眺めていた方が、何倍も得だ。
「ん?」
「あっ。」
彼女が僕の視線に気付いて、僕の方を向いた。しばらくの沈黙が続いた後、彼女が少し笑った。
「ふふっ、変なの。」
急に彼女の顔が近付き、僕の唇と彼女の唇が触れ合う。その時間はおそらく1秒にも満たなかったが、僕にとっては長く感じられた。唇を離した後、彼女が口を開いた。
「好きだよ。」
その一言に、僕は驚かずにはいられなかった。でも、それでも僕も彼女に伝えるべきだと思った。
「ああ、僕も同じだ。好きだよ、うみ。」
しばらくして花火が止み、僕は彼女に手を引かれて歩き出す。彼女と肩を並べて、僕は家に帰った。
真夜中、完全に街が静まり返った頃、僕は大きな音を聞いて目を覚ました。聞こえるのは荒れる波の音と、父が僕を起こす声。
「おいまもる起きろ!早く!」
「ん?父さん?こんな時間にどうし...」
「あの子が、海の中にっ!」
その言葉を聞いて僕は飛び起きた。そして、父に言った。
「父さん、海に行こう。」
僕は走りながら思考を巡らせた。以前から違和感はあった。彼女はどんなに楽しそうにしていても、本心では何かに怯えていた。彼女はお願いをするだけだと言っていたけど、それは嘘なんだろう。そんな簡単な事じゃないんだろう。それなのに僕は、そんな彼女から目を背けた。罪悪感で押し潰されそうだ。自分が嫌で嫌で仕方がない。彼女は、いつも苦しんでいたというのに。
「おい、海に行ってどうするんだ!?今、海は大荒れだぞ!」
「船を出してくれ!免許持ってんだろ!」
その瞬間、父の足が止まった。そして、父は僕にはっきりと言った。
「駄目だ、船は出せない。」
「は?なんでだよ!うみが海の中にいんだぞ!」
「駄目だと言ってるだろう!」
父は身体を震わしながら、僕に対して怒鳴り声で話す。父が僕に怒鳴った時は、いつも僕の身を心配してのことだった。
「父さんはどうなってもいい。だけど、お前だけは!どうしても危険な目にあわせれない!」
「父さん...」
「頼む、分かってくれ。父さんは、お前の事が大切なんだ。」
父は本当に優しい人だ。いつも僕の事を想ってくれている。仕送りも僕が困らないように余分にしてくれるし、何か頼み事をした時は、ちゃんと理由を聞いて、その上で判断してくれた。そんな優しい父の言う事だけど、今回ばかりは譲れない。父さん、今日だけは僕のわがままを許してくれ。
「お願いだ、父さん。彼女は...うみは、僕の命よりも大切な人なんだ。」
「っ...」
僕の言葉を聞いて、父は僕に背を向けて、海の方を向いた。そして、僕に言った。
「たく、最初のわがままがデカすぎだろうよ。着いて来い、船を出してやる。」
「っ!ありがとう、父さん。」
船に乗り、僕と父は荒れる海を進む。父の話によると、この海の先には大きな渦巻きがあって、その真下に巨大な生き物がいるらしい。きっと、そこに彼女もいる。
「ちゃんと掴まってろよ!」
「ああ!」
これ程荒れる海の中、父の操縦する船は進んでいく。父は凄腕の操縦士というわけでもない、それでも父は僕のわがままのために命を張っている。
「おい、見えてきたぞ!」
やがて渦巻きが見えてきて、父は渦に飲み込まれないようにその周りを旋回する。僕は、船から顔を出して、息を飲む。
「なあ、守。こんな時にこんな事を言うのは父親失格かもしれないが、言うぞ。」
父は僕に向けて大声で言う。
「男なら一度決めた事は曲げるな!行ってこい!」
「ふっ、最高の父親じゃんか。ああ、行ってくる!」
僕は船から飛び降り、渦巻きの中心に向かって落下していく。そして、海の中に入ると同時に、僕は不思議な感覚に陥った。
「...苦しくない?」
海の中で問題なく息が出来て、魚のように速く泳ぐ事が出来た。僕の周りには複数の青く光る魚がいて、僕に着いて来ていた。
「待ってろ!うみ!」
僕は渦巻きの真下に向かって全力で泳いでいく。陽の光なんてまったく届かなそうな深い海。僕はその中に赤い光を見た。
「っ!うみ!!」
目が複数ある巨大な龍のような化け物に手を伸ばし、うみは必死に抗っていた。彼女は僕の声に気付いてはいない。
「私が...私が、止めなきゃいけない!私は、まもる君を...!」
僕は彼女の隣に行き、彼女と同じように化け物に向かって手を伸ばす。
「えっ!?まもる君?なんで!?」
「そりゃあ死にたくないからな!だから止めに来た!」
うみは僕の嘘にすぐ反応した。
「死にたくないならこんな場所来ないでしょ!てか、なんで生きて...!」
「ははっ、なんで生きてるかは知らないよ!そうだな...本当は、君に会いたかったから来たんだ。」
うみは目に涙を浮かべ、笑い声をこぼす。こんな時に笑うなんて、本当に僕もうみもおかしな奴だ。
「本当に馬鹿みたいだね...!自業自得な私も、無茶な事するまもる君も!」
「ああ、そうだな。うみのせいで、変な事に慣れちゃったのかもな。」
呑気に話している内に、あの龍が更に勢いを増す。やっぱり、僕が加わったところで勝てるような相手じゃない。まあ、彼女と一緒に死ねるなら、それもいいかもな。
「...ねぇ、まもる君。」
うみが僕に無理やりな笑顔を向けた。
「私、やっぱり君には生きて欲しい!ごめんね?」
その瞬間、うみが僕を片手で突き飛ばした。それと同時にうみは更に力を強めた。うみは、自分の命を犠牲に、僕だけを助けてあの龍を止めようとしている。それだけは嫌だった。一番避けたかった。ああ、神様。お願いだ、たった一瞬だけでいい。僕の命が無くなってもいい。だから、彼女を助ける力を...あの龍を止める力を、僕にください。彼女は僕が初めて恋をした大切な人なんだ。絶対に失いたくないんだ。だから...だから!
「僕に、守らせてください...!」
その瞬間、僕は彼女を抱き寄せ、あの龍に手を伸ばしていた。青い光があの龍に向かって進んでいき、あの龍を押し返す。無数の海の子達が、あの龍を押し返す。
「っ!まもる君?これは...?」
「分からない。でも、うみは僕が守る。この災厄を、僕は許さない。」
更に光が、海の子達が勢いを増して、周りを青い光で埋め尽くす。やがて龍の身体が青い光で覆われていき、崩れ始める。
『人、間風情が...!海を汚す、邪悪な者共がぁ!!』
これは、この龍の怒り。この龍の言っている事は正しい。でも、僕は意志を貫き通す。
「確かに人間は海を汚した、自然を汚した。それでも僕は抗う!」
『それは強欲だぞ!人間!』
「何を今更!それが、人間だろうが!」
あの龍が青い光に包まれ、光と共に散っていく。限界が来たのか、僕の意識が薄れていく。たとえ僕が死んでも、これで彼女は助かる。それだけで、僕にとっては十分過ぎた。そして僕は、彼女の焦っている顔を見て、目を閉じた。心残りがあるとすれば、彼女を残して逝ってしまう事だ。
今回のお話、楽しんでいただけたでしょうか?ぜひ、応援よろしくお願いいたします!