第110話 安らぎの時
すべてが終わり、ようやく平穏な日々が戻ってきた。
せっかくのんびりとした日々がやって来たこともあり、すっかり雰囲気のよくなったイジスとモエは、子爵たちの勧めもあって二人でガーティス子爵領の保養地にやって来ていた。
ただ、二人だけではなく、子爵邸に保護されている魔物たちも一緒に連れてきている。
「ほらっ、取ってこーいっ!」
「わふっ!」
モエはプリズムウルフの子どもであるルスと戯れている。棒切れを投げて取りに行かせるという遊びをしているのだ。
あれからというもの、ルスもかなり体が大きくなってきていて、いよいよモエの頭には乗れなくなってしまっていた。むしろ、逆にモエが背中に乗れそうな大きさである。
「ルスもだいぶ大きくなってきたな。親のプリズムウルフを見たが、あのくらいまで大きくなるのかな」
イジスは自分の周りに集まる魔物たちに尋ねると、そろってこくこくと頷いている。どうやら彼らもプリズムウルフというものをよく知っているらしい。
「まったく、こんなところで鉢合わせするとは思ってもみませんでしたわ」
「やあ、スピアノ。実に偶然だな」
イジスの後ろからスピアノが現れる。ここはガーティス子爵領のはずである。子爵邸でない場所なのに、なぜスピアノがいるのだろうか。
「偶然だな、じゃありませんわよ。いくらここはジルニテ伯爵領との境界付近とはいえ、どうして鉢合わせをするのですかしらね」
「私が聞きたいね、それは」
イジスは笑っている。
「まったく魔物に囲まれてその笑顔というのは、いささか信じられませんわね。といいましても、魔物たちはホントに懐いていらっしゃいますわね」
「まあね。奴隷商人たちから助け出したという経緯があるし、こいつらはモエの胞子のおかげで命拾いをしている。そういうこともあって、子爵邸のみんなにも懐いているんだ」
「そうですのね。わたくしには警戒……しているようには見えませんわね」
急に現れたスピアノに唸るどころか、むしろ近づいて頭を擦りつけている。
あまりにも可愛いものだから、スピアノは魔物の体を撫でてあげている。
「まったく、普通なら怖いだけの魔物ですのに、ずいぶんとおとなしいですわね。それにしても、どうして今日は連れて参りましたの?」
スピアノはイジスに質問をぶつけている。
「ああ、いつまでも屋敷の中だけだと退屈かと思ってね。たまにはのびのびとさせてやりたくなったのさ」
イジスはこんな風に言ってはいるものの、スピアノは裏の事情を見抜いているようだった。
「ははーん、そういうことですのね。やれやれ、子爵様もずいぶんと遠回りなことをされますのね」
「……何を言っているんだい、スピアノ嬢」
「なんでもありませんわ。それより、この子、もらってもよろしいかしら」
スピアノは自分に頭を擦りつけている魔物を指して、イジスに確認している。
「いや、私だけじゃ決められないことだな。父上とモエにも確認してみないと」
「あら、そうですのね。ちょっと面倒ですわね」
口ではそんなことを言いながらも、スピアノは足元の魔物に目を輝かせている。
「そういえば、これはなんて種類ですの?」
「ああ、それは……」
「それはモサラサですよ、スピアノ様」
「モサラサ?」
ルスを連れて戻ってきたモエが答える。
「はい、全身が毛だらけですけれど、それでもスライムの一種です。お掃除好きなので、もっぱらモップなんて呼ばれていますけれどね」
答えながら、モエはくすくすと笑っている。
「よっぽど気に入られたようですね。奴隷商人のせいで人を怖がっていましたのに、スピアノ様には懐いているように見えます」
「まあ、そうですのね。この子、連れて帰ってもよろしいのかしら」
「モサラサは全部で四体いますので、一体くらいは構わないと思います。旦那様には私から報告しておきましょう」
あっさりモサラサの一体はスピアノの所有物となった。
「残りはいらしていないのですね」
「はい、なんでもお屋敷の手伝いをするということで、ビスとキャロに連れていかれましたね。この子だけは抵抗して私にくっついてきたんです」
「スピアノ嬢にべったりなところを見ると、今日会えるかもと思ってだだをこねたんだろうな。まったく、魔物の考えることは分からないな」
つい笑ってしまうイジス。
「あら、私の考えることも分かりませんかね、イジス様」
「モエは亜人だろ。魔物とは違うじゃないか」
「屁理屈ですね」
「屁理屈ですわね」
「わうっ!」
二人と一匹からジト目を向けられて、イジスは反応に困っているようだった。
「ふふっ、うふふふふ」
「なんだ、スピアノ嬢、気持ち悪い笑いをして」
突然笑い出したスピアノに、イジスが身を引きながら声をかけている。
「あら、令嬢に対する言葉ではないのではなくて?」
スピアノはそう言うと、モサラサを肩に載せてその場を去ろうとする。
「わたくしの役目は十分に果たしました。家に戻らさせて頂きますわね」
「役目……?」
スピアノの言葉の意味が分からないイジスである。
なんとも不可解な言葉を残して、スピアノは挨拶をしっかりとして立ち去っていった。
残されたイジスとモエは、お互いの顔を見つめ合う。
「イジス様、私たちはいかが致しましょうか」
「せっかくここに来たんだ、一泊くらいしていこうじゃないか」
「畏まりました、イジス様」
来てそれほど時間が経っていないせいか、イジスたちは一泊していくことに決めた。
連れてきた魔物たちは大はしゃぎで保養地を駆け回っている。
スピアノの残した意味深長な言葉のことも忘れて、それは楽しい時を過ごしたモエたちなのである。