第106話 お互いの気持ち
「モエ、結婚しておくれ」
イジス、一世一代の告白である。
ところが、肝心のモエは素早くまばたきするだけで何も答えなかった。いや、答えられなかった。
あまりにもイジスの求婚が唐突過ぎたからだ。
まばたきをしながら、視線を泳がせるモエ。イジスはただじっとモエを見つめたまま、二人の間には沈黙だけが流れている。
「えっと、イジス様」
長い長い沈黙の後、ようやくモエが口を開いた。
「なんだい、モエ」
「何のご冗談でしょうか。といいますか、今それを言うタイミングでございましたかね?」
困惑した表情を浮かべながら、モエはイジスに問い返している。
ところが、イジスは真剣な表情をしたままモエからまったく目を離さない。
「冗談ではないよ。私はモエと結婚したいと言っているんだ。みんなからもせっつかれたよ」
イジスから真面目な答えが返ってきて、モエは面食らってしまったようだ。
イジスが本気だと分かると、モエの顔が段々と赤くなっていく。頭の笠や髪の毛の色と同化してしまいそうなくらい真っ赤にだ。
「えっえっ、ほ、ほ、本気なんですか?!」
「もちろんだとも」
再度確認するモエに、イジスは間髪入れずにまったくの即答である。
これにはモエは頬に両手を当てて、体をくねらせるようにして恥ずかしがっている。
「わ、私はマイコニドですよ? 本当の本当に、私でいいんですか?!」
モエはまだ疑っている。
どうもモエは、亜人である自分を好きになるわけがないと思い込んでいるようである。
ここに来た頃だったらころっと騙せそうなものだが、さすがにしっかりとした知識や意思を持つようになった今ほど、かえって疑われてしまうというものである。
だが、来た頃は周りの方が疑っていたので、結局その時も結婚はできずじまいだった。
(私とイジス様が、本当に結婚してしまってもよろしいのでしょうかね……)
最近では、周りの方がイジスとモエの結婚を推し進めるようになってきている。それだというのにモエが渋るというのは、先述のことが理由なのである。
「モエ、私は本気だ。君の答えを聞かせてほしい……」
イジスがじわりじわりと近付いてくる。
距離を詰めてくるものだから、モエは思わず後ろに下がっていってしまう。
やがて、ドンと壁に背中がついてしまう。
慌てて逃げようとするモエだったが、それよりも先にイジスの手が壁につけられる。
「えと……イジス様?」
モエは恐怖のあまりに顔が笑ってしまっている。そのくらいに今のイジスは強引なのである。
「モエ、何があっても私は君を手放さない。パーカス侯爵のような奴らが迫ってきても、必ず守り抜いてみせる!」
真剣そのものだった。
再び沈黙が流れる。
しばらく黙り込んでいたモエも、ここまで言ってくるイジスの姿を見て、その思いに応えることを決意したようだ。
先程までの怯えた表情は消え去り、そこにあったのは仕事に臨むような真剣な表情だった。
「……イジス様の真剣な思い、確かに受け取りました」
両手を体の前でしっかりと握り、イジスの目をじっと見つめている。覚悟を決めた態度である。
「初めてお会いした時から、ずっとお慕いしておりました。ですが、私がマイコニドという種族であることが障害になると思い、今まで気持ちを押し殺してきました」
モエはまったく視線を逸らさない。
「旦那様も奥様も、周りの方々も、私とイジス様をくっつけようと躍起になっていましたので、なんでしょうか、反抗心といいますでしょうか、そういった感情が芽生えてしまいました。意固地になっていたのもそのせいでございます」
どうやら、途中から周りがやたらと自分たちをくっつけようとする動きに辟易していたようである。そのため、かえってイジスのことを気にしないようにしていたらしい。
モエから正直な気持ちを聞かされたイジスは、つい顔が緩んでしまう。
「まったく、マイコニドも普通の少女なんだな」
思わず笑い出してしまう程だった。
「ちょっと、イジス様?!」
急に笑われたものだから、モエは呆れて頬を膨らませてしまった。まったく、可愛らしいものである。
イジスの笑いはしばらく止まることがなかったが、モエはその間もイジスからまったく視線を逸らさずにいた。
「やっと認め合ったのにゃ」
「本当にここまで長かったですね」
「これでお家も安泰しそうです」
扉の隙間からは、エリィ、ラビ、キャロの三人が覗き込んでいた。
「あなたたち、そこで何をしているんですか……」
様子が心配で戻ってきたマーサが、扉に張り付く三人を見て呆れたように声をかけている。
「マーサさん、やっとですよ。やっと素直になったのですよ、あの二人が」
イジスとモエに気が付かれないように、エリィは興奮しながらも声を抑えてマーサに報告する。
「まあ、やっとなのですね。これで戻られる旦那様もひと安心でございますね。さっ、あなたたちもさっさと持ち場に戻りなさい。ここからは私がお相手をしますのでね」
「はーい……」
マーサの指示に、三人は実につまらなさそうに扉の前から去っていった。
「やれやれ、本当に困った子たちですよ」
ぽつりと呟いたマーサは、扉の前に立つ。
エリィたちの反応からして邪魔なのは分かっているものの、仕事だから仕方がない。
「失礼します。マーサでございます。奥様がお呼びでございますので、仕事がお済みでしたらすぐにお向かい下さい」
直後、中からは慌てたような物音が聞こえてくる。
不謹慎とは分かっていても、ついつい笑ってしまうマーサなのであった。