勇者誕生
「「はあ!?」」
邪神を含めたスレイマン以外の全員が、素っ頓狂な声を上げた。
「正気か!?」
「こやつは邪神ですぞ!?」
皆が驚愕する中、スレイマンは、見た目は若いが威厳のある眼差しで、ゆっくりと一同を見回した。銀色にも見える、明るく輝く瞳の向こうに、長い時間を生きた賢者の、深く重い思索が見えるようだった。
皆が知らず気圧されて、沈黙する。
長い時間をかけて鍛え上げられた、朗々とした声で語りだした。
「勇者とは何か。神の力を帯び、複数の加護を身につけ、戦闘能力に長け、人類のために戦う存在。
お前は加護とその高い能力を使い、世界各地に残る魔物を討伐して回るのだ。
さすれば勇者と名乗っても、定義上なんら問題はない。おお、よく見れば、この者から何とも強い神のお力を感じるではないか」
朗々とした声だったが、非常にわざとらしい口調だった。特に最後の一文が、完全に棒読みだった。
「それは神のご加護ではなく、邪神を拘束する神のお力でございます!」
「無理矢理すぎて草」
「邪神に魔物を倒させるなんて残酷です! 酷い!」
聖女二人に続いて邪神が叫んだ。
「酷いのか?」
スレイマンが首をかしげて聞き返した。
「え、そう言われると別に?」
邪神も首をかしげた。
「あれは魂がないから、生物というより自己増殖する自律型ツールみたいなものだし……いやいや、俺が完全復活する時のために温存させて下さいよ! 人類抹殺に使えるんですから!」
「よし、こやつに魔物を討伐させましょう」
エルディンが即答した。目がすわっている。
「素晴らしいご判断ですスレイマン様。このカドモン、いたく感服いたしました」
「いや、さすがにそれはないでしょう! 邪神が勇者を騙るなど!」
思わず反論したスーテに、カドモンが冷ややかな目を向けた。
「ならば、事実を公表すると?」
「それは…………」
「今のスレイマン様のお立場は危ういものです。邪神の分身を存在させ、命令できるのですから。知られれば、利用せんとする者も、亡き者にして憂いを断たんとする者も現れましょう。
ですが幸い、スレイマン様は啓示によってこの件を白紙委任されておられます。それは外の接神者たちも知っての様子。信仰ある者ならば、そのご決断に従うことになりましょう。無論、万一の事態に備えて、聖王猊下始め神殿中枢には事実を知らせておくべきですが。
それに対外的に勇者ということにしておけば、邪神の身柄は神殿預かりとなり、管理しやすくなります。さらに勇者は処遇にも前例があり、周囲の混乱も少ないと考えます。
皆様、異論はございますかな?」
カドモンが、鋭い目で周囲を見回した。学院の理事の一人として、意見を取りまとめることに長けた口調だった。
「まあ……賢者様のお立場を思えば、それが落としどころですか」
嘆息気味にコルテリアが言った。隣のスーテも、納得はしていないようだがうなずく。
「それがしも、異議はございません。皆様も、このことは他言無用に」
エルディンの言葉に全員がうなずいた。
「だが、そいつが聖騎士の格好で聖域内にいる理由はどうする? 本来存在しない人間なんだぞ」
「勇者の力ということにしてはいかがですか? 私たちが邪神と対峙した時、神によってこの者が勇者として選ばれた。そして、奇跡の力によって聖域に召喚され、邪神を倒したと。聖騎士の拵えについてですが、勇者の加護の一つに、聖剣聖鎧の創造があります。それを使ったとすればよろしい」
ウィテーズの問いに、スレイマンがすらすらと答えた。
「神の力で現れた……神の力で装備を創った……まあ、あながち嘘ではありませんわね。神のお力ではなく、邪神の力ではございますが……あらまあわたくし、何と嘘ごまかしに寛容になったことかしら」
コルテリアが困ったように、頭に手をやった。とはいえ、口ほど嫌がっている様子でもない。
「そうと決まれば」
スレイマンは自分の首元に人差し指を這わせた。紐の感触がある。それに指を掛けて首から外した。
長衣の内側に入れていた、二つの結婚指輪を通したペンダント。
それを左手で持ち、右手をひざまずく邪神に伸ばす。
「指輪を外す。お前のその不愉快な短剣を貸しなさい」
「不愉快って……。かしこまりました」
おとなしく、腰の短剣を抜いて寄こす。瓶の中の世界でスレイマンの全身を貫いた短剣だ。
その短剣を紐の輪の中に差し入れ、紐を切った。よく研がれているから、ほとんど抵抗がない。
皆が見る中、短剣を持ったまま注意深く紐から二つの指輪を外し、左手の平に載せる。指輪を目に焼きつけるように見つめながら、紐を無造作に床に落とした。
それから右手を返し、その短剣で自分の頸動脈を一気に切りーー。
「駄目ですよ」
切り裂こうとして、立ち上がった邪神に右手をつかまれていた。動かそうにもびくともしない。
「えっ?」
ミルファが動揺した声を上げた。
他の者も、突然のことで動けずにいる。
「手を離せ」
鋭い声で、スレイマンが邪神に言う。
「お断りします」
「命令だ」
「申し上げましたよね? 貴方様が死ねば、徴が消えて俺も消滅する。『隷属』状態でもその命令は聞けまーー」
次の瞬間、いくつかのことが一斉に起こった。
ウィテーズが、最大火力で『炎の矢』をスレイマンに撃った。
邪神がスレイマンの前に『盾』を発動させ、『炎の矢』を完全に防ぎきった。桁外れの防御力だった。
邪神がスレイマンの手から短剣を奪い取りながら、ウィテーズの方を向いた。
「殺すな!」とスレイマンが邪神に叫び、『鎧』の魔術をウィテーズにかけた。
エルディンが再び抜剣し、ウィテーズを庇う形で前に出た。
邪神がウィテーズに駆け寄り、剣を盾代わりにして立ちふさがるエルディンごと蹴り飛ばした。剣がたやすくへし折れて飛び、二人は壁まで吹き飛んで叩きつけられた。ウィテーズが壁に沿って座り込み、エルディンはその前に倒れ伏した。
「っつ……しくじったか」
「ぐう……」
「賢者スレイマンに感謝するんだな。命令がなければ、二人まとめて殺しているところだ」
倒れたまま起き上がれない二人を、邪神が見下ろした。爽やかな微笑みにそぐわない、冷ややかな口調だった。そのまま、きびすを返してスレイマンの元に戻っていく。
「ウィテーズ様!?」
一瞬のことで反応出来なかった聖女たちが、慌てて二人の元に駆けつけた。回復魔法を使い始める。
「お二人とも、いくつか骨が折れているようです」
「あの、骨が曲がったまま完治させてしまうとまずいので、本格的に治すのは外の治療師たちにお任せしますね」
「かたじけのうございます、コルテリア様、ミルファ様」
エルディンが聖女たちに礼を言う。
「でも、急に何を……スレイマン様を攻撃したんですか? 何で?」
「賢者も生身の人間だ。徴というリスクを背負って邪神を操る重圧に耐えられないなら……死を望むなら、叶えてやりたかった」
「そんなところだろうと思った……いたた、こいつは貸しだぞ、ウィテーズ」
「すまん」
ウィテーズが怪我したらしき胸を押さえながら、スレイマンを見た。
「ウィテーズ様、エルディン様、我が意を汲んで下さり感謝します。むしろ私のせいで、お二方に怪我を負わせてしまったことをお詫びします」
「まあ、俺が全力でお護りしますから。遠く離れていても、徴の力で一瞬で駆けつけます。死んで逃げようなんて許しませんよ!」
「黙れ邪神」
意気揚々と語る邪神を切って捨てるスレイマンに、スーテがつかつかと近づいた。
そして思いきり彼を平手打ちした。まともに食らったスレイマンが、たたらを踏む。
「「!?」」
「いい加減にしてください! 私には肝が冷えただの何だの言っておいて、自分は自殺ですか!? 卑怯です!」
スレイマンが後ずさった。
「いや、邪神がどの程度私の身を守れるかの実験を」
「それで死ぬなら死ぬで構わないと思ってましたね!? 本気で切りつけたことくらい分かります。邪神の言い草ではありませんが、自分一人が死ねば問題解決だなんて許しませんよ!」
「…………申し訳ない。もうしないと約束します」
「分かればよろしい」
肩をそびやかして、スーテが壁際に戻っていった。
「よくぞ言ってくれました、スーテ殿。胸がすく思いですぞ」
深々とうなずくカドモンに、スレイマンが打たれた頬を押さえて言った。
「裏切り者」
「忠誠からの言葉でございます。先ほどの行い、わたくしとて貴方様を一発殴ってやりたいところでした」
「…………」
次は恨めしそうに邪神を見た。
「護るのではなかったのか」
邪神が無言でにこにこ笑いながら、自分の口を指さした。
「黙れと言ったんだったな。喋っていい」
「どうも。ビンタで人は死にませんよ。スーテ隊長、グッジョブです」
「貴様にだけは言われたくない」
スーテが物凄い目で睨みつけたが、邪神は笑顔を崩さない。
「ふん。……そう言えば、この者の名前はどうするのですか? ポーリエという聖騎士なら、外に本物がおりますが」
スーテの言葉に全員が固まった。邪神に新たな名前をつけるべきだが、クロという仮名を考えた時の難産ぶりが、皆の記憶にも新しい。
「ミルファ様、名付けをお願いできますか」
スレイマンがうやうやしく投げた。
「わ、わたしですか!? え、えーと」
ミルファが必死の面持ちで考えだした。
「ポーリエ・アルリウスって、北極星っぽい名前ですよね。星の名前の邪神……天津甕星……天香香背男……」
「セオでいいですよ。平民の名前にありそうです」
邪神があっさり決めた。
「じゃ、セオさんで」
「勇者セオ、ですか。これから、その名が世界中を駆け巡ることになるのですね……」
コルテリアが感慨深いような困ったような顔で、聖域内を見回した。
「さあ皆様、外の方々が待ち侘びてらっしゃいますわ。それに、こちらのお二方の治療も必要です。そろそろ頃合いではなくて?」
「そうですね。では行きましょうか。ここには隠し扉もございませんから、前室を通って参りましょう。行くぞ、カドモン、セオ」
「はい」
「お供いたします」
セオが素早く扉まで行って開け、スレイマンとカドモンがそちらへ向かった。
「エルディン様ウィテーズ様、歩けますか?」
「難しいようでしたら、私が肩をお貸ししますが」
ミルファの言葉に、スーテもエルディンたちのそばに行く。
「いや結構、さいわい足腰に問題はございません。お気持ちだけいただきます。ウィテーズはどうだ?」
「同じくだ」
他の者もやって来るのを確認し、スレイマンは扉をくぐった。
スレイマンは後ろを歩くカドモンを見上げた。カドモンの方が少し背が高い。
「記憶を失っていた時、自分の背が低いことに衝撃を受けた」
「さようですか」
「今なら分かる。最近の若い者は背が高い。私だって、昔は背が高い方だったんだ。それが平均身長が伸びたものだから相対的に低く」
「そのお話は、幾度となくうかがっております」
「何度でも言いたくなる。年はとりたくないものだ」
偽の聖域では閉ざされていたホールの扉は、現実の世界ではあっさりと開いた。
「怪我した方々からお先にどうぞ。セオは最後が良いでしょう」
「やれやれ、聖騎士やら神官やらにもみくちゃにされそうですな。よろしい、露払いはお任せくだされ」
かぶりを振りながらがエルディンが言い、聖女たちと共に歩きだした。
「ビンタは勘弁してくれよ?」
「賢者様を攻撃したあなたも大概ですが、自殺を図ったご本人よりはマシです」
言い合う声が遠ざかる。
セオが、スレイマンを見下ろして目を細めた。
「神である俺をも出し抜くとは、お見事でした。瓶の中では、世界を滅ぼすまでは飼ってやってもいいと思ってましたが。とんでもない、滅ぼした後も眷属に造り変えて永遠に手元に置いておきたいくらいです。ますます気に入りました!」
「いい迷惑だ。この期に及んで、まだ世界を滅ぼす云々と言うのか」
「言ったでしょう? 神という存在は、決して諦めないし、絶望しないし、自分の決めた目標に向かって突き進むんですよ」
スレイマンは小さくため息をついた。
「そのような美質も、時と場合によりけりだな……。外での振る舞いも指導が必要か」
「人間ごっこの次は勇者ごっこですか。まあ、上手くやってみせますとも」
「期待している」
言って、ずっと握っていた左手を開き、一対の指輪を見た。
それを左手の薬指に嵌める。妻シルヴァのそれは、小さいから小指に。
「これで、長い引きこもりも終わりだ」
「また表舞台に出られるのですか、スレイマン様?」
カドモンの言葉にうなずいた。
「ああ。この者に命令できるのは私だけ。私が直接折衝しなければならないことも多くなるだろう。勇者ということにしても、全てを神殿任せにはできまい」
「また、生き血を狙う輩だの何だのが現れましょうな」
「勇者が護ってくれる」
スレイマンは歩きだした。
外の世界へ。
「シルヴァ、私は行く。君とまた出会うために」
ええ、また会いましょう。スレイマン、わたしの最高の旦那様。
蛇足・タグ『あらすじも伏線』その2
これは邪神再封印と、新たな勇者誕生の物語。
邪神再封印……できましたね! できたということにしておきましょう!
新たな勇者誕生……しましたね! したと(以下略)
無事伏線が回収でき、物語も終わりを迎えました。
お読みいただきありがとうございました。




