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後始末

「現れおったか!」

 エルディンが剣を抜いた。ウィテーズも目を凶悪に(すが)める。その体内の魔力が、魔術の連続使用に備えて大きくうねった。

「お待ち下さい! あれは『隷属』で縛られております。手出し無用」

 言い置いて、邪神の分身に数歩進んでいく。

 爽やかに微笑んだまま、邪神もスレイマンに歩み寄りーーうやうやしく片膝をついて騎士の礼を取った。

「賢者スレイマン様におかれましては、ご機嫌麗しく。ポーリエ・アルリウスとかつて名乗ったこの邪神の分身、貴方様に忠誠を捧げ、騎士として剣とも盾ともなりましょう」

 言って、にっこり笑って顔を上げる。

「どうです? 本物の聖騎士っぽいでしょう?」

「貴様! ぬけぬけと!」

 血の気が引いた憤怒の形相で、スーテが叫んだ。彼女も腰の剣に手をかけている。

「まあまあ落ち着いて、隊長。今の俺は敵じゃない。むしろ攻撃されたら、俺は自分の身を守るために反撃することができる。命の危険の排除は『隷属』の命令でも抑えられませんからね」

 全く悪びれずに、スーテの方を向いて言う。

「その者の申す通りです、スーテ殿。気持ちはお察ししますが、今はこらえて下さい」

「くっ……」

 無念そうな表情で、スーテは黙った。エルディンも不承不承といった顔で、剣を納める。

「スーテ様……今はスレイマン様にお任せして、様子を見ましょう」

 隣のミルファが、小声でとりなすように語りかけていた。

「……邪神よ、ずいぶんと殊勝な振る舞いになったではないか?」

 スレイマンの冷淡な問いかけに、(ひざまず)いたままの邪神が笑顔で返す。

「まさか被造物の如きに、こうも見事にしてやられるとは思ってもみませんでしたから。心底反省してるんですよ。いやもう、舐めプなんかするんじゃなかったと!」

「我々としては、お前の傲慢さに救われたわけか。そのような御託(ごたく)はともかく、聞きたいことがいくつかある」

「何なりと」

「お前は今、転移陣なしで突然現れたが、それは邪神の力か?」

「そうです。正確に言えば転移ではなく、貴方様に穿(うが)たれた(しるし)を通して分身を顕現させたのです。貴方様の近くの任意の場所に投影できますから」

「その分身、つまりお前は『隷属』状態にある」

「はい。『隷属』と神の拘束によって、行動に枷をかけられた状態です。封印の小瓶の中の本体は『隷属』状態ではありませんがーー人間とは全く違う精神構造ですから、そのような魔術にはかかりませんーー例えば一度顕現を引っ込めてもう一度実体化させても、分身は常に『隷属』状態です」

「お前に『この徴を消せ』と命令したら?」

「消しません。今の俺、すなわち邪神の分身は本体からある程度独立した人格を備えています。もし徴がなくなれば、この俺は存在を維持できずに消滅、ないし瓶の中の本体に吸収されます。それは俺にとっての死ですから、当然その命令には逆らえますね」

「「ええ……」」

 それを聞いていた一同が、一斉に不満の呟きをもらした。

「うわ、なんかブーイングが来た」

「いや、来るに決まってるでしょ」

 ミルファが言う。

「分身であるお前を殺すことは可能か?」

「結論から言うと、不可能です。繰り返しますが、俺は常に貴方様の徴を通して、本体から存在するための力の供給を受けております。例え新たな勇者が大量に現れて俺をミンチにしても、一度顕現を解除して改めて実体化し直せば、完全に元通りです。供給のエネルギー切れも、起こり得ない」

「私が加護を失って老いて死ねば、徴も消えてお前は消滅するな?」

「はい。しかしご命令なのでお答えしますが、あまりおすすめはしません。貴方様は、俺の力を封じる神の力の通路でもあります。加護を失えば、他の接神者たちを通して間接的に俺を封じることになりますが、多少の拘束のほころびが予想されます。いやあ、これは俺が『隷属』を振り切れる可能性があったから、言いたくなかったなあ」

「ざまあ」

「『隷属』が解ける可能性か。危ねえな」

「なんと。賢者様が加護を失った場合の対策が必要か……」

「神殿との擦り合わせが必要ですわね……」

 再び場がざわつく。

「私はお前の存在を維持する道具となったようだが、私から距離が離れていても、実体化していられるのか」

「地上と月くらい離れればあやしいですが、この惑星の裏側くらいならどうということはありません。実質距離は考えなくていいかと」

「今のお前の能力はどの程度のものだ。人間並みであって欲しいところだが」

「身体能力や魔法威力は八百年前に顕現した時くらいですね。つまり人の形をした化け物、ぶっちぎりのチートです。ただし世界を根源的な(レイヤー)から改変・編集する能力、いわゆる神の権能は基本使えません。魔物に命令する能力も失っていまして、俺からすると無力同然です」

「よく言う。啓示によると、邪神(おまえ)の権能の一部を加護のような形で解放し、使わせることができるそうだ。どの程度のことができる?」

「ほとんど何でも。神の許可は必要ですが。魂の改変はやりませんし、この世界に存在しないものーー異世界の道具ですとかーーや生物の創造は許可が出ません。死者の蘇生や、人間の大量殺戮も駄目でしょう。でもそれ以外なら何でもできます。一瞬で城を建てても、黄金を無限に創造しても、気に入らない人間をほんの何百人か消しても。貴方様をどこかの王に据えるのはいかがですか? 神は人間社会の瑣末事など気にしません。栄耀栄華も思いのままですよ!」

「いや、ランプの魔神か」

 ミルファが異世界知識らしき突っ込みを入れる。

「しかし……何でもできる、だと?」

 エルディンが唸り声を上げた。

「非常に危険ですわね……これが世間に知られれば、この者と賢者様の身柄を巡って争いが起こりかねません」

 コルテリアも、緊張の面持ちで言う。

「争いどころか戦争だ。こいつにはそれだけの価値がある。これは厄介な荷物を押しつけられたな」

 ウィテーズも、頭痛をこらえるように頭を押さえた。

「スレイマン様」

 カドモンも声を張り上げる。

「是非ともご深慮を。皆様のおっしゃるように、邪神の扱いは慎重を極めるべきでございますぞ」

「ああ、その通りだ。私が思うにーー」

 スレイマンが言いかけたその時。


『スーテ隊長!』


 若い男の、野太い声が響いた。

 スーテが手にしている通信具から聞こえている。

「通信が回復したのか?」

「通信が途絶していたのは、あくまで偽の聖域でのこと。こちらでは元々遮断されていなかったのでしょう」

 ウィテーズの呟きに、スレイマンが返した。

『スーテ隊長、聞いておられますか!?』

「聞こえている、ポーリエ」

 スーテの言った名前に、全員が一斉に注目した。

「本物の聖騎士のポーリエです」

 邪神が手短に説明する。

「声が全然違いますわね」

「邪神はポーリエを名乗りはしましたが、姿は似せていないそうです」

 スレイマンが補足した。

 スーテと、本物のポーリエとのやり取りが続いている。

「多少の混乱はあるが、こちらは全員無事だ。外はどうなっている?」

『先ほど啓示が下され、邪神の再封印は成ったと。詳細および今後については、賢者スレイマンに聞けとのことです』

「神よ…………」

 スレイマンが遠い目をして呟いた。

 丸投げにも程があった。

「「スレイマン様、お察しします」」

 皆に憐れみの目で見られた。

『スーテ隊長、一体何があったのですか!? 我ら一同、聖女様方や賢者スレイマン様が聖域よりお出になるのを、今か今かと待ち侘びております』

「他の聖騎士なり神殿騎士は入ってこないのか」

『それは畏れ多いことでございます! お早く出て来てください! 我ら、状況の説明を切に願っております!』

 スーテが通信具を持つ手を思い切り伸ばして、遠くから声をかけた。

「おや? 声が聞こえにくいぞ? おかしいなあ」

 わざとらしく小さな声で言う。

『スーテ隊長!?』

「故障かなー? あーあー聞こえなーい。通信が切れちゃうー」

『隊ちょ』

 通信を切った。

「「…………」」

「今のは、嘘ですね……」

 誰でも分かることを述べたコルテリアの言葉が、虚しく響いた。

「さあ、これで今しばらくは時間がかせげます。私たちが口裏を合わせる必要があるなら、今のうちに」

 皆を振り返り、キリッとした真顔でスーテが言う。

「か、かたじけない。ならば」

 気を取り直して、スレイマンが邪神に向き直った。

「邪神よ、お前に命ずる」

「はっ、何なりと」

 スレイマンは姿勢を正し、重々しく宣言した。


「お前は新たな勇者になれ」

 

 

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