隷属
BLおよび性暴力を彷彿とさせる描写があります。
邪神の不意を突くべく、素早く呪文を立ち上げ、魔力を巡らして、
「ぐうっーー!!」
激痛が全身を貫いた。たまらずその場にくずおれる。
「あーあ。魔封じの首輪を忘れたのか?」
手招きしたまま、呆れたように邪神がスレイマンを見下ろした。
スレイマンは、飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めようとした。今は何としても気を失うわけにはいかない。激痛は一瞬だったが、心臓が(偽の世界の仮初の肉体だが)止まりそうな代物だった。まだ呼吸がまともにできない。全身の筋肉が言うことを聞かず、うつ伏せに倒れたままで這うように両腕で上体を起こすのが精一杯だ。
青銅の小瓶を思わず手放していた。床に落ちたそれが、不自然に床をすべっていき、スレイマンの手の届かない所まで遠ざかった。
「俺はあの小瓶を動かせないからな。小瓶の絶対的な座標は変えずに、この仮想空間全体を逆方向に動かしたんだ」
邪神がスレイマンの側まで歩きながら言う。
「まあ、よしんば攻撃魔術を使えたとしても、君程度の魔法威力じゃ、今の俺には一億発撃ったってかすり傷も負わない。人間並みの能力っていう設定は忘れなよ。『麻痺』」
起きあがろうと四つん這いになったところに『麻痺』をかけられた。
途轍もない魔法威力だった。人間の限界をはるかに超えている。これほどの威力では、スレイマン程度の抵抗力では、いやどんな人間であっても抵抗の余地はない。もしこれが攻撃魔術なら、百回殺されてまだ余っただろう。エルディンたちとの決戦の時は、ほんのひとかけら程度の力も出していなかったのだと思い知らされた。
邪神が片膝をついてしゃがみこんだ。前髪をつかんで上を向かされる。目が合った。
「諦めて、俺の所有物になれ。神に隷属する法悦を教えてやるよ」
「お前の虜囚に墜ちようとも、お前の信者に堕ちるつもりはない」
身体は全く動かせないが、声は出せた。尋問用の『麻痺』を使われている。
「へえ、そいつは楽しみだ。時間はいくらでもある。じっくり可愛がって、いつまで持ちこたえられるか試してやるよ」
邪神はうっとりと目を細めた。
「君は美しい、被造物くん。その気概、矜持、知性、人間への愛情や俺への怒り……それらの全てで君の魂は輝いている。まるで複雑にカットされたダイヤモンドみたいだ。他の神の創ったモノでも、美しいものは美しい」
なるほどこの者は人ではない。スレイマンは痛感した。彼を心から称賛してはいるが、そこには一片の共感もなかった。ただ、モノとして高く評価しているだけだ。
邪神が腰から短剣を引き抜いた。スーテの血も脂も残っていない。よく手入れされた刃が見える。
「こいつを使って徴をつける。人間が邪神の力を感じとれるかは個人差があるみたいだけど、もし痛かったら好きなだけ声を出してくれ」
言って、スレイマンの床についた右手に、無造作に短剣を突き刺した。短剣は手の甲を貫き、その切先は、破壊不能属性を持っているはずの床をも貫通した。神の力が使われている。
「ーーーー!!」
再び激痛が貫いた。魔封じの首輪の時とは違う、肉を引き裂かれ、そこに何かが注ぎ込まれる異様な痛み。身体が動くなら、その場でのたうち回っていたに違いない。
「あっは、感度抜群だな! こいつは嬉しい誤算だ! 俺の力をよく通して増幅率も高い。神よりも俺との方が相性がいいんじゃないか?」
楽しげに言いながら短剣を引き抜いた。手には傷跡も出血もない。見た目は刺される前と変わらない。ただ苦痛の残滓と、注がれた邪神の力、超高密度の術式のような何かが皮膚の内側で蠢めいているのを感じた。
今度は左手の甲に突き刺した。
「ーーっ!!」
しばらくして引き抜き、今度は胸の下に差し入れ、その真ん中に深々と刃を埋める。痛みを長引かせるように、深く浅く抜き差しを繰り返し、引き抜く。脇腹に。背中に。太腿。脚。血は一滴も出ない。執拗に刺されては、その都度邪神の力を流し込まれる。それらが、身体に注がれた箇所で独立した生き物のように脈動し、スレイマンの魔力を吸い上げほどけるように生長し、身体の内側に根を張っていくのが分かった。
「ーーっ……! ……っ、く……!! ……!」
「意地でも鳴き声は上げませんって? 俺を愉しませたくないから? とぼけた顔に見合わず強情なんだな。ほら、痛いのは始めだけで、だんだん良くなってきただろう? 俺好みの身体に造り替えてやっているからな。神の与える官能を存分に味わうがいい」
河原で拾った綺麗な小石をいろんな角度から眺める子供のように、興味と感嘆で瞳を輝かせているのが見える。覗き込まれても、顔をそむけることもできない。
「……か、仮にも、神ともあろう……者が、っ……! ず、ずいぶん……下世話な……っ、物言いを、する、もの……だな……」
邪神がにっこりと笑った。
「神が地上に直接顕現するのはまずいって分かったろう? 肉体なんか持ってしまうと、欲望が生まれる。あれが好きこれは嫌いなんていう、好悪が生まれる。だから判断の偏りが生まれる。全能の神が依怙贔屓なんかするようになったら最悪だよ? 世界が滅びる原因になりかねない。だから効率が悪くても、君たちの神は決して地上に受肉しないのさ」
言って、短剣の刃先をスレイマンの唇に差しつけた。
意図を察したスレイマンは歯を食いしばって抵抗するが、刃先を入れられ、ひねってこじ開けられる。
口中に入り込んだ刃に、舌を貫かれた。激痛と共に邪神の力、徴が注ぎ込まれる。
「…………っ!!」
「ははっ、これで威勢のいいお口も俺のものだ」
短剣をゆっくり抜き、四つん這いのままのスレイマンの頭を、飼い犬を褒めるように撫で始めた。
「はい、よく頑張りました。これで俺の接神者の出来上がりだ」
荒い息をつき、身体を侵食される苦痛に耐えながら、スレイマンは必死に思考を巡らせた。
「まあ、頑張るのはこれからなんだけど。俺の力の依代としてきつい負担をかけるはずだが、狂うことも死ぬことも許さないんでよろしく」
邪神は、意識のある人間の心を読むことはできない。今、自分が考えていることは分からない。
「後で、その舌で色々舐めてもらおうかな。俺の徴に君の魔力が通って、そこに触ると刺激が走るんだ。愉しみが増えたな、お互いに」
神よ。私の狙いを、邪神に悟らせないでください。
「この続きは外の世界に出てからにしようか」
私に力をお貸しください。
「じゃあ、『隷ぞーー』」
「『対抗呪文』!」
魔封じの首輪が引き起こす激痛に耐え抜いたスレイマンの『対抗呪文』が、邪神の構築中の『隷属』に割り込み、
主人と奴隷の対象設定を入れ替え、
完成した超高威力の『隷属』が、新たな対象である邪神に対して放たれた。
そこまでが限界だった。
その結果を見ることなく、スレイマンは意識を失った。




