なんじは邪神なり3
「はい?」
ポーリエが呆気にとられた顔で聞き返した。他の二人も、きょとんとしている。
「一人はまあ邪神として、二人目は何なんですか? まともな人間が、邪神に協力するわけがないでしょう?」
「はい、普通ならあり得ないことです。しかし、自分の意志に反して邪神に協力させられる状況というものがあります。それは皆様もご存知のはずです。この聖域でも話題が出ましたから。
それは『隷属』の魔術です。
この魔術は、対象の精神に、設定された主人の命令をーー自殺を除いてはーー遵守する人格を作り出します。ひとたび命令が下されたなら、本来の人格から身体の自由を奪い取って行動するというものです。ウィテーズ様と私はこの魔術を習得しておりましたから、その記憶を読み取った邪神もまた使うことができます。私は、邪神であるポーリエ殿が、スーテ殿にこの魔術をかけて操ったと考えております」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ミルファが片手を挙げて質問した。
「でも邪神の言うことなんか聞いたら、最終的には邪神が聖域から出てしまって世界は滅びかねません。当然自分も死んでしまう、それは自殺的な命令じゃないんですか?」
「『命令に従っていると、いずれ自分の死につながる』という間接的な危険については、実感が希薄であるためか拒否できません。ちなみにこの魔術の『自殺行為』の定義は直接的かつ曖昧なものでして、本人がどう認識するかによります。例えば、『一人で魔物を倒せ』という命令は、普通の人間なら拒否できます。確実に死にますからね。ですが、これが歴戦の勇士だとそれなりに勝機がありますから、自殺行為とは判断せずに従ってしまいます。皮肉なことに、勇敢な人間であるほど危険な命令に従ってしまうのです」
「ええと、じゃあ、スレイマン様の推理によると、ポーリエ様が邪神で、通路ですぐ後ろのコルテリア様を殺害、隠し扉から玄室に遺体を入れて先へ進む。次に隷属の魔術を受けたスーテ様が、玄室のご遺体を回収して前室に大急ぎで運んで、とって返して列の最後尾に戻ると」
「その通りです。付け加えますと、スーテ殿は前室を出る際に無限袋をこっそり回収しておき、コルテリア様を入れて移動したと思われます。何故なら、最初にエルディン様が無限袋を祭壇に置いた時は、袋は六つに畳まれていました。それがコルテリア様を納めるためにスーテ殿が袋を取った時には、八つ折りになっていたからです。このわずかな間に、袋が広げられてまた畳まれたことは間違いありません。
前室を最後に出たスーテ殿なら、誰にも見られることなく袋を持ち出せます。人間の亡骸は重くかさばりますが、無限袋に納めることで軽くなり、扉の開け閉めも素早くできるようになります。玄室でスーテ殿は亡骸を素早く袋に入れて移動。前室に着くと袋を床に置き、亡骸を出す。普通ご遺体は頭から出すでしょう。そのまま引っ張るように出したため、長い被衣も真っ直ぐ引かれ、さほど皺にならずに伸ばされた。……このような惨い命令を実行させられたスーテ殿、その心中いかばかりだったか……。そうそう、身体強化の魔道具を使えば移動時間も短縮できます。これはポーリエ殿も指摘されていましたね」
「あの時、スーテ様が負のオーラ全開で怒ってらしたのは」
ミルファが思い出したように言う。
「それは怒るでしょう。そのような行動を取らされて、しかも命じた当の本人が犯人扱いしてくるのです。誰が言っているのかという話です。当然彼の正体を口外しない命令を受けているはずなので、口にはできませんが」
「ああ……なんてこと」
「ちょっと待ってください! 一体いつそんな魔術をかけて、いつ命令したって言うんですか。俺にしろ他の誰かにしろ、そんな命令を誰か聞いたっていうんですか」
「『隷属』の魔術は、最初に皆が気絶していた時に。命令は、口頭ではまず出来ませんからーー周囲に聞かれますからーーおそらく初めのトイレ休憩の際に。お手洗いは周囲に衝立がありますから、そこでメモに命令を書き、スーテ殿にこっそり渡す。聖騎士お二人は、メモと鉄筆をお持ちです。彼女はトイレで読み、その命令に縛られてしまった。トイレ休憩以降、スーテ殿がポーリエ殿を名前で呼ばなくなったことにお気づきでしたか? 彼がポーリエでなく『邪神』だと分かったから。メモは読み終わればトイレに捨てればよろしい、それも指示されていたでしょう。内容としては、主人に協力すること。もちろん口外しないこと。隠し扉の位置もメモに絵を描けば伝わります。そして、そこから玄室に入って亡骸を前室に運び、急いで隊列に戻ること。無限袋を使えば良いこと……コルテリア様殺害に関する命令は、ウィテーズ様と私が警備術式を解除している時、椅子を持ってくるやり取りの中で受けた指示でしょう。通信具の音量を抑えていましたから、他の者には聞こえませんでした」
「じゃあ隊長が襲われたのは? 俺はずっとここにいました」
さすがに真剣な顔になったポーリエが、きっとスレイマンを見る。
「あれは自殺です。幸い、ミルファ様のお力で未遂に終わりましたが」
「えっ?」
「待たれよ、『隷属』の魔術で自殺は強制できぬはずだが?」
意外だったのか、ミルファとエルディンが口々に声を上げた。
「はい、あれは命令ではなく、スーテ殿ご自身の意志による自害です。指示に従えと言われていても、自殺するなとは命じられていなかった。だから一人で玄室に向かい、制止の命令が聞こえないように素早く扉を閉めた。
理由? この状況から明らかでしょう。ウィテーズ様が亡くなり、残りは五人。私たちは、邪神一人に対して人間は四人、戦いになればまだ数の上で勝てると思っていました。しかし実際は、人間の一人は邪神に隷属させられています。実質は邪神勢力二人に対して人間三人、しかも人間側の二人は魔法の使えない聖女と魔術師です。邪神が正体を現して戦いを挑めば、勝てない公算が強い。スーテ殿が呆然としていたのは、このことに気づいたからではないかと思います」
「あっ、さっきスレイマン様が、エルディン様はお強いから敵対すれば必ず倒されるって突然おっしゃったのは」
「もしエルディン様に危害を加える命令を受けた時、自殺行為と認識して少しでも拒否できる可能性を上げたかったのですが……スーテ殿は違う方法を選ばれた。邪神の勢力を一人減らすという方法を」
スレイマンの表情が再び暗くなった。
「そうだったのか……いや、スーテ殿の短剣には脂が着いていなかった。あれが凶器であるはずはない」
エルディンの疑問にも、スレイマンは淀みなく答える。
「あの短剣は、スーテ殿のものではありません。ポーリエ殿が自分の短剣と取り換えたのです。ポーリエ殿の装備は、聖騎士のそれを模して邪神が創り出したものですから同じ形をしています。応急処置のために近寄り、封印の小瓶に注意を向けてその隙に短剣を交換する。スーテ殿はひどく出血していましたから、交換した短剣にも、ポーリエ殿とその装備にも血が着きました。ああ、証拠ですか? ポーリエ殿、短剣を抜いてもらえますか? 鞘の中の刃に血が着いていないかどうか」
「…………」
ポーリエは無言で立ち尽くした。感情が抜け落ちたような無表情だった。
「ポーリエ殿。抜かぬなら、それが答えと判断するが」
エルディンが冷徹な声を投げかける。
「分かりました。短剣を出します」
「そなたは右利きだな。左手でゆっくりと抜け」
言われた通り、左手でそろそろと短剣が引き抜かれる。
その刃には、凝固した血糊と脂がべったりと着いていた。
蛇足・無限袋の折り方
『17話・無限袋』でエルディンが老人の亡骸を無限袋に納めて畳む時、六つ折りにしていました。
ところが『23話・検分』でスーテがコルテリアの亡骸を納める際、『元通りの八つ折り』に畳んでいました。
この間に誰かが袋を広げ、うっかり前と違う八つ折りにしたということです。