なんじは邪神なり1
「邪神の正体を指摘するためには、まず賢者スレイマンについてお話しせねばなりません。迂遠ではありますが、順序を踏まねば納得していただけませんので」
クロが一同を見回した。
邪神が本性を露わにして襲ってくる事態に備えて、それぞれが距離を離して立っている。皆はうなずいた。
「賢者についてのお話で、私は不思議に思ったことがあります。晩年に加護を賜った時のことですが、なぜ、周囲の人々は即座に彼の加護の存在を信じたのでしょう?」
その言葉に、ミルファが首をかしげた。
「普通、信じませんか?」
「それはどうでしょうか。この時期のスレイマンは、犯罪者という汚名を着せられていました。私が魔術大学の反スレイマン派なら、彼が加護を騙っていると主張して、新年までは時間を稼ぎますね。
なにしろ【不老】の加護は、すぐに目に見えるというものではありません。これが例えばコルテリア様の【嘘を判別する】なら、実際に使ってみれば皆納得するでしょう。しかし【不老】は、数年経って年老いないことを確認して、初めて分かるものです。スレイマンの加護の有無は本来なら、早くとも新年の大神殿の儀式で発表されるまでは、客観的には確認出来なかったはずです。
ところが実際は、新年を待たずしてその加護は周知され、彼を追放した帝国の魔術大学は閉鎖を余儀なくされました。何故でしょう?」
「何故とは、その、例えば加護を賜わる際の啓示が、他の者にも聞こえたからとか?」
ポーリエが言うが、
「いえ、加護の啓示は他の人には聞こえません。神様とその人との一対一の対話になります」
ミルファが首を振る。
「はい。そのことは、私たちが閉じ込められた直後の話し合いで、ミルファ様がおっしゃっています。
ですから私が思うに、スレイマンの加護は、一目見るなり分かるようなものであった。
おそらく彼の【不老】の本質は、『これ以上老いることがない』というより『いつまでも若い』というものなのです。
彼が加護を賜ったのは六十代。そこから一度若返り、以降は若いまま老いることのない【不老】、それが彼の加護。
すなわち。亡くなったご老人はスレイマンの従者であり。
若く見える私の方が、スレイマンなのです」
「「……えええええ!?」」
たっぷり数秒間の絶句の後、三人の驚愕の声が上がった。
「いやいやいやいや、そんな馬鹿な」
「嘘ぉぉ!? そんなことってある?」
「こ、根拠! 根拠がないと信じられないですよそんなの!」
混乱に陥った一同を、クロはいつもの眠そうな、平静な眼差しで見た。
「不思議でしょうか。加護ならば、いかなることもあり得ます。魔術大学創設者という有名人が若返ったならば、恐ろしく目立ったことでしょう。その話があっという間に広まり、追放した魔術大学の瓦解につながったのも、むべなるかな。そう、再婚の話もあったそうですね。実年齢はともかく見た目は若いのですから、話自体は持ち上がったかも知れませんね」
「確かにクロさんは小瓶を温かいと……接神者なら加護持ちかも……いや、でも、わたしたちはスレイマン様の見た目が若いなんて話、聞いたこともありません!」
「コルテリア様のお話によると、昔は『加護持ちの生き血を飲むとその加護を得られる』というデマが流行したとか。若返りを伴う不老ならば、その加護にあやかるべく生き血を求める者も多かったに違いありません。だからスレイマンは自衛した。学院から出ず、王宮への出仕を免除してもらい、人との接触を最低限に抑えた。関係者への箝口令も敷いたことでしょう。そして四百年近くが過ぎた。今やスレイマンは不老の賢者というイメージだけが広まり、具体的な容姿について知る者は少ない」
「そ……それは……」
反論できずに絶句するミルファ。
「では、あの老人が従者だと!? そなたより豪華なローブを着ておるではないか?」
叫ぶように疑問をぶつけるエルディンに、クロが対峙する。
「逆にお聞きします。一つの部屋に、正装した人物と平服の人物がいる。一人は主人で、もう一人はその従者。どちらがどちらでしょう?」
「それは無論、正装した者が従者だ。主人に直接仕えるのに、普段着で現れる……わけが……」
自分で言った答えの意味に気づいて黙ってしまう。
「そうです。ご老人は、スレイマンに面会すべく正装していたのです。服装からして召し使いではなく、学院の重要な地位を占める人物であったでしょうが、スレイマンは理事長だそうですから正装の必要があった。一方スレイマン、私ですが、普通のローブを着て彼に面会して構わない身分であった」
「財布は? クロさんはお金を持っていない。あの老人の方が大金を持っていましたよ」
ポーリエの言葉にも動じない。
「それこそ私がスレイマンである証左です。例えば貴族は財布を持ちませんし、そもそも現金を見ることもない。家に請求させるなり従者が支払うなりするからです。同様に、私とあのご老人が同行するなら、ご老人の方が財布を持って支払いをする立場なのです。エルディン様もそうですよね。身体検査で現金をお持ちでなかった。細々したものは部下に持たせているとおっしゃった、それと同じことです」
「じゃあ、学食の食券は? なんでそんなものを」
ミルファが聞く。
「学院に引きこもる人間の食生活は分かりませんが。普段は誰かに作らせて運ばせるのでしょうが、たまに職員のふりをして食堂に行っていたのでは? あまり頻繁だと顔を覚えられたり、年を取らないとばれるかもしれませんから、たまにでしょうけど。いくら引きこもりでも、学院の中を歩き回るくらいのことはするでしょうからね」
「指輪は? 赤瑪瑙の結婚指輪、あれをご老人が嵌めていたのはどう説明できるんですか?」
「あれは邪神の工作であったと考えます。何のためにということは後で説明するとしまして、今はその根拠について申します」
クロは横たわった亡骸のそばにかがみ込み、指輪を外した左手の薬指を手で示した。
「ご覧の通り、指には指輪の痕がありません。ミルファ様のお話では、スレイマンは妻亡き後、ずっと結婚指輪を身につけていたとか。しかし、この人物が指輪を嵌めていなかったことは明らかです」
「で、でも、クロさんの指にも指輪の痕はありません!」
ミルファの指摘に応じて、クロは自分の両手を広げ、三人に手の平を見せた。ペンだこしかない、肉体労働を知らない、なめらかな両手。
「はい。私とご老人、どちらにも指輪の痕はありません。しかし事実として、赤瑪瑙の結婚指輪はここに存在します。ならばどういうことか」
クロはポケットからペンダントを取り出した。
「指輪は、紐を通してペンダントとして身につけていたのです。
繰り返しになりますが、スレイマンは【不老】の加護によって、その生き血を狙われていました。学院内に侵入してでも、という者の存在も考えられます。金持ちに雇われた犯罪者ですとか。実際いたかもしれません。
そんな状況で指輪を嵌めていたらどうなるか?
一対の赤瑪瑙の結婚指輪を左手に嵌めている、というのは極めて特徴的です。自分がスレイマンであると名札を付けているのに等しい。いくら顔が知られていなくても、襲ってくれと言っているようなものです。だから指には嵌めなかった」
「あっそうか、この世界はテレビも写真もないから、有名人でも顔バレしないんですね。皆の中に目立たず紛れていれば、誰が誰やら分からないと」
「? まあそういうことです。ペンダントならシャツの下にでも入れられますから、外から見えません」
「でもそのペンダント、すでにコイン型のトップがついているじゃないですか?」
ポーリエが食い下がる。
「これはペンダントトップではなく、首の後ろ側に付ける錘です。二つの結婚指輪は厚みがあって重い。ずっと首にかけるとなると、首の後ろにそれなりに負担がかかります。後ろにも錘をつけて前後のバランスをとることで、首の負担を減らすのです。だいたいこのコインは、紐の端に結び付けられていて、見栄えが悪い。トップにするなら端を見えない処理をするはずです」
「あっ、そういう仕組みは異世界にもあります! チェーンの留め金が前に回らないように、留め金に小さな錘をつけたりしておくんですけど、それと似たようなものなんですね」
「……ええと、異世界の文物は分かりませんので、おそらくとしか」
クロはペンダントをしまい、先ほど遺体から引き抜いた指輪をつまんで、皆に見えるようにかざした。
「指輪の内側をご覧ください。細かな傷がついています。指に嵌め続けていたなら、こんなところに傷がつくわけはありません。最初はここに鎖を通していた、ところが内側に傷がつき、柔らかな紐に取り替えた。そんなところでしょう」
ううむ、とエルディンがうなる。
「確かに、指輪はペンダントとして賢者の首に下げられていた。しかし……それがそなたである確証は? これが邪神の小細工というなら、ペンダントの紐をそなたに持たせ、スレイマンであると誤認させた可能性も否定できん」
「ごもっともです。しかしそれにも答えはございます。本当に何十年も何百年もペンダントをつけていれば、常に首の後ろに紐がかかって皮膚が擦れることになります。スレイマンは神聖魔法も使えるそうですから、適宜魔法で治療すればいいのですが」
クロは後ろを向き、左手でローブのフードを後ろにぐいと引き下ろすと、指輪を握りこんだままの右手で魔封じの首輪を上にずらした。
首の根本に、横一直線に擦り傷が走っている。スーテが首輪をつける際に気づいた傷。
「これは、長きにわたってペンダントを着け続けた痕です。これが、私がスレイマンである証拠。いかがですか?」
沈黙。
ややあって、ミルファが口を開いた。
「あの……クロさん、いえスレイマン様」
「はい」
「鍵をお渡しします。これで魔封じの首輪を外してください。皆さんも、よろしいですよね?」
誰にも、異論のあるはずもなかった。
蛇足・老人の亡骸
地の文で、この人のことを『スレイマン』と述べたことは一度もありません。登場人物が、そう呼んでいただけです。
あったら誤字報告お願いしますm(_ _)m