小瓶と指輪
スーテは、扉を開けたすぐ目の前の床に、うつ伏せで倒れていた。短剣を持った状態だった。
身体は血にまみれ、周囲の床にも壁にも鮮血が飛び散っている。
首から未だ血が吹き出していた。動脈から吹き出す鮮やかな赤。
「隊長!?」
「待て! 敵に備えよ!」
駆け出そうとしたポーリエを手で制するエルディン。
「誰もおらん。行くぞ、ポーリエ殿、クロ殿。ミルファ様は扉を開けたまま、通路でお待ちくだされ」
またトラップが発動されることを警戒してのことだろう。
三人がスーテに駆け寄った。
「瀕死ですが、まだ息があります。わずかに魔力を感じる」
クロの言葉を聞いてポーリエが短剣を引き抜き、自分のサーコートを切り裂いた。丸めてスーテの傷口に押し当て、少しでも出血を止めようとするが、みるみる血に染まっていく。
「神聖魔法さえ使えれば……!」
ミルファの悲痛な声。
「そうだ、封印の小瓶は? 無事ですか?」
ポーリエの言葉に、皆が玄室中央の台座を見る。
「……無事だ。動かされてはおらん」
「スーテ様を前室に。小瓶も回収していきましょう」
クロが言う。
「畏れ多いが……是非もないか。わしが取りに行く。皆、警戒を怠るな」
「はい」
「勿論です」
エルディンが台座に行き、封印の小瓶を両手でそっと持ち上げた。その間にポーリエとクロがスーテの身体を持ち上げ、通路に走るように運びこむ。
「申し訳ありません、ミルファ様、私たちが運ぶ間、横で傷口を押さえておいていただけますか」
「わかりました!」
スーテを抱えたポーリエたちの後に小瓶を捧げ持ったエルディンが続き、前室にたどり着いた。先ほど無限袋から出した亡骸から離れたところに絨毯を敷き直し、その上にスーテを下ろす。
クロがローブを脱いだ。血で重くなったポーリエの裂いた布と交換して傷口に押し当てる。
「エルディン様、小瓶は温かいですか?」
「あ? いや、普通に冷たいが?」
「ポーリエ様、小瓶に触れてください。温かいですか?」
「えっ、と……あれ、温かい」
怪訝そうなエルディンとポーリエの言葉に、クロの顔が一層真剣なものとなる。
「小瓶をミルファ様に!」
「お、おう?」
不思議そうな顔をしながらも、エルディンが素早く傍らのミルファに渡す。
「クロ殿、これは一体……?」
「あっ! これは……!? 使える! 神聖魔法が使えます!」
小瓶を持つなりミルファが叫んだ。
「何と?」
ミルファは左手に小瓶を掴んでかがみ込み、右手をスーテの首にかざした。
暖かな魔力のうねりが、前室に広がった。
押し当てた布越しにも、スーテの出血が一気に減り、収まるのが分かる。
「封印の小瓶から、神気が伝わってきます……せき止められていた神様との繋がりが戻って……間に合って、スーテ様……」
横から、ポーリエがもう一度ミルファの持つ小瓶に触れた。
「駄目だ。俺の技量では神の力を引き出せないのか、神聖魔法は使えない」
クロも改めて、封印の小瓶に触れさせてもらった。何か、小瓶を通して遠くから暖かなものが流れてくるのを感じる。それを魔力と結びつければいいのは直観的に理解できるが、流れが細く弱いせいか実行できない。
長い数十秒が過ぎた。皆、祈る面持ちでミルファと動かないスーテを見比べている。
「……はあ、はあ……」
荒い息をつきながら、ミルファがかざしていた手を下ろした。魔力をかなり使ったのだろう、身体的な疲労となって現れている。
「いかがですかな、スーテ殿は?」
「……き、傷口は塞がりました。状態は安定したと思います。ただ失血がひどかったので、意識はしばらく戻らないかもしれません。これほどの怪我の治療をしたことはないので、断定できませんが」
「とりあえず、落ち着いたということですかな。良かった」
エルディンが大きく息をつき、クロを見やった。
「あ、あと、小瓶から手を離したら、また神聖魔法が使えなくなりました」
「小瓶に触れている間だけ、神聖魔法が使えるようになるのか……なるほど、加護の力を帯びた神器であるからか。しかし、何故気づいた、クロ殿?」
「確信があったわけではありません。ウィテーズ様とエルディン様は冷たい、私とポーリエ様は温かいと感じました。これは神の力を感じる能力があるか、すなわち接神能力の有無によるのではないかと。小瓶を通して神のお力が流れ込む、それが温かさとして感じられるのでは。それならば、この中で最も優れた神聖魔法の使い手である聖女ミルファ様なら、あるいは神聖魔法が使えるのでは……全て推測です。コルテリア様が落ちた小瓶を戻された時、幾重にも折りたたんだ被衣を使って小瓶を持ち上げておられました。直接触れなかったために、神のお力を感じなかったのでしょう」
「ちょっと待ってください。クロさんも、接神能力を?」
ポーリエが驚いたように尋ねるが、クロは曖昧にうなずいた。
「そのようです。小瓶に触れている間、何かを感じましたが、魔法の発動までは持っていけませんでした。魔術ほど得手でないのか、実際に神のお力に触れるまで思いつかなかったのです」
「クロ殿も……だから賢者様が連れてきたのか? いや、考えても分からんか。ともかくミルファ様、小瓶をお離しなさいますな。邪神への切り札となりますがゆえに」
エルディンの言葉を最後に、しばし沈黙が落ちた。
クロはスーテの短剣を見た。手から離れ、傍らの床に置いてある。
「この短剣は、どなたかが運んでこられた?」
「俺です。何かの手がかりになるかと思って……そう、スーテ隊長です。一体誰が、どうやってこんなことを?」
ポーリエが答えた。エルディンが唸る。
「ううむ。短剣はスーテ殿の血が少しかかっているが、全体としては綺麗なものだ。脂の類いもない。敵を斬ってはおらん。玄室に入ってすぐ、スーテ殿は敵、すなわち邪神を発見した。短剣を抜いたが間に合わず、首を掻き切られた、ということか」
「スーテ殿が玄室に行った時、俺たち四人はここにいました。えーと、そこのスレイマン様のご遺体も。やっぱり、ここには九人目が潜んでいるんでしょうか。そいつが隠し扉から入ってきて隊長を」
「もし九人目がいたとしても、わたしたちの居場所がどうやって分かるのかって話でしたよね」
「それに、わしらが駆けつけたのは、出血から見ても首を切られた直後だったはずだ。こんな短時間に、隠し扉まで移動して逃げられるだろうか?」
皆、スーテの周りに座り込んでいる。エルディンたちが話している間、クロは黙ってスーテを見ていた。
「クロさん、どうなさいました?」
ミルファが気づいてクロに聞く。
「いえ、気になっていることがありまして」
「そう言えば、お願いがあるっておっしゃってましたね。ウィテーズ様が玄室に行ったから、うやむやになっちゃいましたけど」
「はい。スレイマン様の指輪、赤瑪瑙の結婚指輪をもう一度拝見したいのです」
「指輪? 今、必要ですか?」
目を丸くしたミルファにクロが答える。
「はい。その結果によっては、邪神を特定し、その手口を明らかにできます」
これには全員が驚愕の目でクロを見た。
「はい? 指輪でですか?」
「そうです、ポーリエ様。間接的な手がかりではありますが」
「なんと……いや、ならば今すぐ見てくれ。話はそれからだ」
エルディンにうながされ、クロは立ち上がって遺体に近づいた。他の者もそれに続く。
遺体の側にひざまずき、クロはその左手を手に取った。そっと薬指の指輪をつまみ、ひねって抜き取る。
手のひらに置き、外した指輪を眺めた。
彫金技術の発達していない時代のものだから、無骨で持ち重りがする。若い頃の金銭に恵まれない時期に買ったものなのだろう、真鍮と赤瑪瑙という安価な素材である。定期的に手入れしているのか錆はないが、環の外側も内側も、細かな傷が入っていた。
「環の内側に文字が彫ってあります……シルヴァ」
読み上げたクロに、ミルファが反応した。
「シルヴァは奥様の名前だと思います。結婚指輪に相手の名前や結婚した日を刻印する人もいますから」
「うん?」
エルディンがいぶかしげな声を上げ、皆がそちらを見た。
「スレイマン様の薬指に、指輪の痕がない。ずっと嵌めていたなら、指輪の痕がつくはずだが?」
その通りだった。胸の上に置いた左手、その左手薬指は綺麗なものだ。
「そうですね」
「クロさん、驚いてませんね」
ポーリエの訝しむ声に、クロはうなずく。
「はい。確信いたしました。エルディン様、スーテ様のポーチから首輪の鍵を取り、ミルファ様にお渡しください。ミルファ様、私の説明を聞き、得心がいかれましたなら、それを私にお渡しください。魔封じを解除し、私も邪神討伐の際の一助となりましょう。そしてエルディン様ポーリエ様、私の説明に納得されない、私が邪神であると判断されたなら、私を処刑なさってください。
見るべきものは見ました。
それでは始めましょう」
次話から謎解きに入ります。




