警備術式
「ああ……そんな……」
呆然としたミルファの呟き。
「い、今のは? 何が起こったのですか!?」
うわずったスーテの叫び。
「大丈夫ですか? クロさんも今の攻撃を?」
近寄ったポーリエが、しゃがんでクロの顔をのぞき込んだ。
「私は無事です。近くにいたから衝撃の余波を受けたようですが……」
手を貸してもらって立ち上がる。
「警備術式が発動したのだと思います。まさか……いつの間にか術式が修復されて、再起動を……気づかずに玄室に入ったウィテーズ様が攻撃されてしまった」
クロが苦しげに言った。この事態を防げなかった後悔が、声ににじんでいる。
「一度発動すれば、自動的にトラップは解除されますが、邪神は再起動の合言葉を賢者スレイマンから盗んでいます。玄室にとどまっているのは危険です。もうここには立ち入るべきではありません。邪神だけがトラップを操作できる状態ですから」
「心得た。だがウィテーズは運び出すぞ」
「お手伝いします」
ポーリエが声をかける。
「わしは上体を持つから、足の方を持ってくれ」
「分かりました」
エルディンの元へポーリエが駆け寄った。今のところ、玄室に入っても無事であるようだ。
二人がかりでウィテーズを持ち上げたところで、
「あ、封印の小瓶も回収しておいた方が良くないですか?」
ポーリエが、ふと思いついたように声を上げた。
「必要があるか?」
「邪神が持ち出して隠したりすると厄介ですよ」
「それは他の方とも相談しましょう。とりあえずウィテーズ様を前室へ」
クロが前室への扉を開けながら言った。そのまま扉を支え、エルディンたちを通す。
前室には、呆然としたミルファとスーテがいた。
「しっかりなさってください、スーテ隊長」
「あ、ああ……」
ポーリエに答えるが、顔色は悪いままだった。
前室に運び込んだウィテーズを、祭壇前の老人の亡骸の隣りに横たえた。
「本当に、亡くなっているのですか……蘇生は……」
ミルファとクロが、横たわったウィテーズを覗きこんだ。
不意をつかれたからだろう、表情は比較的穏やかだった。焦げた匂いが漂っている。
「残念ながら。火傷の跡もあります。雷のトラップが直撃したのです、ほぼ即死だったでしょう……馬鹿者が。邪神なんぞに遅れをとりおって」
皆に表情を見せまいとしてか、エルディンはうつむいたままだった。
無理もない。二人は騎士団における魔物討伐の戦友であり、この数時間接しただけでも気心の知れた仲であることは明らかだった。彼を見る一同の表情には、痛ましさと気遣わしげな色がある。
「エルディン様……なんと申し上げていいか……ご友人、だったんですよね」
おずおずと、ミルファが声をかけた。
「もったいないお言葉です。……実のところ、この聖域に突入した時、わしらは生きて出られぬものと覚悟しておりました。相手は邪神、復活しておれば勝てるはずもない。ただ聖女様が神のお力を導かれるまで、一瞬でも長く生き延びて盾となる。勇者でもないこの身では、それが精々……。
ですが、隠れた邪神を捜し出すことになるなど思いもしませなんだ。あやつの方が、上手くやれたものを……っと」
はっと我に帰ったように顔を上げて一同を見回すと、咳払いをする。
「いや、お恥ずかしい。長々と語ってしまいましたな」
照れたように苦笑するエルディンに、ミルファがあわてて首を振る。
「い、いえ、多分わたしの加護だと思います。こんなことが起こってしまったのです、思いの丈を語られても、それは無理もありません」
「恐れ入ります。……そうだ、外と連絡は取れますかな?」
尋ねながら、エルディンも自分の通信具を取り出して魔力をこめる。スーテとポーリエも、慌てて同じように通信具を取り出す。
「いえ、依然外部と連絡は取れません」
「こちらもそうだ。してみると奴がウィテーズに化けた邪神で、トラップにかかって自滅したという線はなくなったな。……さてクロ殿、これは一体何が起こったのだ?」
通信具をしまって真顔に戻り、エルディンはクロに向き直った。クロも静かな眼差しで見返す。
「何者か、すなわち邪神ですが、ウィテーズ様が消した警備術式を復旧させたのです。術式の書き込みや削除、操作は接触によってのみ行えます。おそらくは、ウィテーズ様が魔術で隠し扉を攻撃した時、皆があれに注目していたタイミングで」
「確かに、あの魔術は凄い威力でしたから。しかもそれぞれが離れて立っていたから、こっそり壁に触れて操作していても気づかなかったと思います」
ポーリエも納得した口調で捕捉する。
「はい。実のところ私とウィテーズ様は、人間並みという邪神の能力をみくびっておりました。まさかこの膨大複雑な術式を完全に理解するか丸暗記しておいて、欠損させた部分をわずかな時間で復元してしまうとは……。人間並みというのは、人間の能力の限界まで優れているという意味だったようです。悔いても悔やみきれません」
クロがかぶりを振りながら言う。
「確か、起動にはパスワードが必要と言っておらなんだか」
「はい。扉に『錠』、これは使用されていませんから今は無関係ですが、それと雷撃のトラップを切ったり起動させたりする術式が描かれております。術式は触れることによってのみ操作できます。ですが」
「最後に扉に触れたのは誰か?」
「……私です」
「そのように見えたな。ポーリエ殿?」
「はい。私は扉を開けたままクロさんを待ち、彼が扉をつかんだ時に手を離しました。その後にクロさんが通路に入って扉を閉めました」
「ええと、確かにそうでしたね」
ミルファもうなずいた。
エルディンが、ゆっくりとクロの前に立ちはだかり、
「ならば、犯人はクロ殿と言わざるを得ん」
腰の剣に手をかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
呆然としていたスーテが我に帰り、慌てて声を張り上げた。立ち尽くしているクロとエルディンの間に割って入る。
「何故そうなるのですか!」
「何者かが扉の術式にパスワードを入れ、その直後に入ったウィテーズが死んだ。従って、最後に扉に触れたクロ殿が邪神でしかあり得ん」
「こう言っては何ですが、ポーリエも扉に触れています」
「え、俺? まあそうですが」
「ポーリエ殿ではない。なんとなれば、彼が扉に触れていた時、まだクロ殿は玄室内にいたからだ。トラップの発動条件は、玄室の中に誰かがいること。逆に言えば、玄室の中にクロ殿がいる間は、トラップが起動していなかったということになる。起動していれば、彼が犠牲になっていたはずだからな。クロ殿が玄室から出た後に扉に触れた者は、クロ殿本人しかいない」
「そ、それはそうですが……」
「私に術式の書き換えはできません。魔封じの首輪をつけておりますから。書き換えやパスワードの書き込みができるほどの魔力を出すことはできないのです。ウィテーズ様も、そうおっしゃっていたでしょう?」
クロも言う。
「確かに言っておった。だがウィテーズ亡き今、魔術師はそなた一人。他に方法があるかもしれん。ないことを証明することはできん」
「それは、そうですが」
「そもそも、スレイマン様に従者はいたのだろうか? いや、いたのだろう。だが、危険極まりない聖域に共に入っただろうか。それをスレイマン様が許しただろうか。聖域にはスレイマン様しか入らなかったのでは?」
「私は入り口近くの兵士から、従者も突入したという伝令を聞きました。皆も聞いたでしょう? まさか邪神の記憶操作だと?」
スーテも言い募る。
「混乱した現場では、往々にして誤報が発生する。邪神はそれを利用して、本来ここにいない従者になりすましているのではないか」
「そ、そんな、『かもしれない』で人を処刑するつもりなんですか? これはゲームじゃない、現実なんですよ!?」
「無茶は重々承知しております、ミルファ様。しかしスレイマン様、コルテリア様に続いてウィテーズも失いました。今や、ここに残る人間はあと四人。一人は邪神ですから。
いよいよ決断せねばなりません。
これ以上、人間を殺させるわけには参りません。我々の双肩には、世界の趨勢がかかっておるのです」
「怪しい人物を処刑していくことで、邪神を排除する。例えそれが無辜の人間であっても、邪神を外に出すリスクとは比べられない。厳しい決断ですが、理にかなっています」
クロが続きを引き取った。元々表情に乏しい、おっとりした雰囲気であったが、さすがに緊張の色が見える。
「いやいや、クロさん、自分の命が危ないのに何を」
「死にたくはありませんが、客観的な判断力を失いたくもないのです。エルディン様のお考えも正しい」
「すまん、クロ殿。友人を失った怒りから処刑に走るなどとは思うてくれるなよ。しかし、あれが死に、しかも人間であることが確定したのは痛かった。生きておれば、邪神討伐の大きな戦力になったのだが。邪神を倒すことを考えれば、あまり猶予はないのだ」
「分かっております。確かにエルディン様はお強い。その構えを拝見しただけでも察せられます」
クロが、ゆっくりと一同を見回した。
「生半可な人間が立ち向かえば、たちまち返り討ちに合って死ぬこととなりましょう」
強い、どこか不自然な口調。エルディンの言葉とは少し噛み合わない発言に、皆の顔が怪訝そうなものになる。
「クロ殿……?」
「エルディン様、お待ちください! まだ我々にはすべきことがございます!」
クロをかばう位置に立ったまま、スーテが言葉を被せた。
「ウィテーズ様は封印の小瓶に違和感を感じておいででした。私が持ってまいりますから、それを調べてから考えましょう。何か分かるかも知れません」
「お待ちください、一人では……」
言いかけたクロを突き飛ばすように押して扉へ向かい、玄室へつながる通路に踏み込んだ。
「ちょ、ちょっと隊長」
「いけません!」
さっさと玄室への通路に入ってしまった。扉が閉じられる。
「なんだか強引でしたね」
ポーリエが呆気に取られた口調で言った。
「すぐに追いましょう、スーテ様が危ない!」
切羽詰まった声で、クロが叫んだ。通路への扉を開ける。
「え? な、なんでですか?」
「クロ殿? いや、スーテ殿が邪神で小瓶を持ち出して隠す可能性もございます。追いましょう。ポーリエ殿も剣を抜いておいてくれ」
エルディンが腰の剣を抜きながらクロを追い越して前に立ち、短い通路を進んだ。
エルディンを先頭に、玄室の扉の前に立つ。
「誰が開けますか?」
ポーリエが問うた。トラップを起動させる扉である。邪神が触れれば、中のスーテの命が奪われることになる。
「エルディン様が、もっとも邪神の疑いの低い方かと。お願いします」
クロが即答した。
「心得た」
エルディンがうなずき、扉を押し開けた。
血の匂いと鮮やかな赤。
「何!?」
驚愕の声と共に、エルディンが玄室に飛び込んだ。
変わらずに台座の上にある青銅の小瓶。
その手前の床。
自らが吹き出す血に染まって、スーテが横たわっていた。




