術式解除
「対象に、雷の攻撃を仕掛けるトラップですね。条件は扉を開けて中に入って来た者、あるいは扉が開閉しない状態で玄室内で動いた者。これは?」
「前者は侵入者、後者は瓶から出てきた邪神を想定してるんだろう。邪神に対してどの程度有効かは知らんが。発動すると設定された通信具に警報が行くと同時に、トラップがオフに切り替わる。鎮圧に入る警備の人間を攻撃しないようにだな」
「私が最初に目覚めた時にはオフになっていたということですね。ああ、術式のここの部分、パスワードでもオンオフを替えられます」
「突入の時に、スレイマンがパスワードを使って切ったんだろう。あいにく亡くなってしまったから俺たちにはパスワードは使えねえが」
『コルテリア様、ミルファ様、解除には時間がかかるかもしれません。隣の図書室から椅子を持ってまいりましょう』
『そうですわね、扉を隔ててすぐ隣ですもの、さほど手間ではございません。全員分お願いできますかしら?』
『喜んで。君、椅子を五人分持ってきなさい』
『え、結局俺ですか。いちおう通信具を準備しておいてくださいよ、何かあれば駆けつけますから』
しばらくして。
『もしもし? …………椅子五脚くらい一人で持ってきなさい。…………あのねえ、私までそっちに行ったら誰が聖女様方の護衛をするのよ、ぐだぐだ言わないの』
聖騎士同士で通信しつつ、椅子を用立てたようだった。
『お待たせしました』
『あっ、ありがとうございます』
『いえ、大したことではございません』
『隊長がそれをおっしゃるんで……いえ何でもないです』
聖騎士たちの力関係がほの見えるやり取りだった。
『あのう、魔術を書き換える魔術ってありませんでしたっけ。それで、ぱっと解除するってできないんですか?』
ミルファの声に、クロが答える。
「おそらく『対抗呪文』のことだと思うのですが、それはできません。あれは、術者が構築している途中の呪文に割り込んで、その呪文の構成を変えるものです。すでに書き込まれた術式には効果がありません」
「あれはなあ」
ウィテーズが嘆息した。
「とにかく使えねえ。対象の魔術構成を知っている、つまり習得している必要がある。相手が呪文を紡ぎ始め、それを見て何の呪文か分かってから、それに対応した対抗呪文を先に完成させて、相手が発動させる前に打ち込む。そんなもん実戦じゃ無理だ。大道芸だな、あれは」
クロも、頭痛をこらえるようにこめかみに指を当てる。
「たしか、対象は術者でなく呪文そのものですから、魔法威力が低くても効果を発揮します。成功すれば強い。しかしまず間に合わない。あんな実用性皆無の魔術、誰が発明したのやら」
「賢者スレイマンだ」
「…………ご冥福をお祈りします」
「この部分、十数人分の魔力紋が登録されています。これが一致する者にはトラップが発動しないと」
「聖王と八人の枢機神官の分だろ。新年の儀式でここに入るという話だったからな。間違えてトラップが発動したらことだからな、残りは聖騎士団長クラスの護衛じゃねえか」
「一見無意味に思える記述も多いのですが」
「記述迷彩だ。下手に消そうとするとトラップが発動する命令を紛れ込ませている。本当に無意味なものもありそうだな……何が偉大なる凡人だ。四百年の研鑽を積んだ化け物の仕事だぞ、これは」
『ウィテーズ様は有能な方ですね。平民の方が宮廷魔術師にまでなるのは珍しいと思うんですけど、苦労なさることはないのですか?』
ポーリエの声が聞こえる。
『こら、礼を失するわよ』
「エルディン、説明してくれ」
壁の術式をにらんだまま、ウィテーズが言った。
『わしがか。いや、貴族出身の多い近衛兵あたりには、やつの出自について、集団でごちゃごちゃ言ってくる手合いもありましてな。そんな時は、あいつはその辺の椅子か机をリーダー格に投げつけて、ひるんだところに近寄って胸ぐらを掴んで脅し』
『ウィテーズ様は宮廷魔術師なんですよね?』
ポーリエが確認した。
「やっぱ真っ先に頭を潰さねえとな」
「ウィテーズ様は、本当に宮廷魔術師なんですよね?」
壁の術式をにらんだまま言うウィテーズに、クロが確認した。
『皆が気圧されたところで、それがしが間に入り、仲裁してやります。まあ皆大人しくなりますな。奴らは辺境の討伐隊も格下に見るきらいがございまして、いい薬です』
宮廷魔術師が脅して、騎士団長がなだめる構図。
『普通、役割が逆ですよね?』
スーテが確認した。
クロはコルテリアの「それは嘘ですね」を待ったが、その発言はなかった。全部事実らしい。
『あのう、うちの国は戦闘能力こそ正義の、とんだ脳筋国家なんです。わたしは農家の出なんですけど、兄たちは農閑期にダンジョンに出稼ぎに行ってました』
『はっは、脳筋とは人聞きが悪いですな。きちんとした戦術と連携あっての戦いですぞ。知性に裏打ちされた勝利こそが、我が国では最高の栄誉と尊敬をもたらすのです』
戦闘至上主義であることは全肯定していた。
「俺もガキの頃からダンジョンで小金を稼いでいたクチだ。同じ孤児院の連中はだいたいそうだ。貯めた金で攻撃魔術の魔道具を買って、魔術の実践はそれで覚えた」
『アーウィズ東部は、そういう人が多いですよね。ダンジョンが多いですから』
『西部は魔獣と魔物の生息エリアですからなあ。討伐で実戦あるのみです』
『そ、それは何というか……。あの拡大主義の帝国が、アーウィズには手を出さないわけです』
スーテが引いていた。
「全ての術式を消すのは現実的に無理だ。こことここを消して、呪文構造を無効化する」
壁の数ヶ所を指しながら、ウィテーズがクロに説明した。
「同感です。それならトラップを発動させずに解除できます」
「そうと決まれば、クロ、お前はこの部屋を出ろ。下手を打ってトラップに攻撃されたらことだ」
「ここにいなくてよろしいのですか?」
「いたところで、首輪があるから術式を書いたり消したりするほどの魔力が出せねえだろうが。邪魔だから出てな」
『クロ殿、協力に感謝する。もし術式の解除に失敗してそなたの身に何かあれば、亡きスレイマン様に申し訳がたたん。ここからはウィテーズに任せて退避せよ』
『くっ……クーデレとストレートな優しさのコンボ……しんどい……』
「ミルファ様? 大丈夫ですか?」
『クロ殿、良く分からんが、ここは無視してさしあげるのが礼儀だぞ! それと、これはあくまでも、そなたが本物の人間だとしての話だ』
「はい、どちらもその通りですね。では前室に移動します」
『……よし解除した。これで大丈夫だ』
しばらくして、無事ウィテーズの声が通信具から聞こえてきた。
「ウィテーズ様、クロさん、ついでに小瓶の『錠』の魔術も解除した方がよくないですか? 邪神を倒した時、瓶の栓が開かないと再封印できないのではないでしょうか」
ポーリエの提案に、
『そういやそうだな。解除するには、封印の小瓶に触れる必要があるが、皆、構わないな?』
「是非もありませんわね。どうぞ良いようになさって下さい」
ため息混じりにコルテリアが答え、他の者も同意の声を上げた。
『こいつも手強いが、咄嗟に付与した術だからな。まだ可愛げがある。クロ、もう一度こっちに来てくれ。他の者も入ってきていいぞ』
封印の小瓶にかけた付与魔術は、さほどかからずに解除された。とはいえ。
「小瓶の栓にまで、解除に反応して攻撃魔術を撃つトラップを仕込んでいます。徹底してますね」
ウィテーズは台座のそばに胡座をかき、左手で小瓶をつかんで右手で栓に触れていた。クロは横でかがみ込んで、栓に付与された術式を見ており、少し離れて他の者が取り囲んで見物している。
「しかも術式が鏡写しになっているから厄介だ。賢者は性格が悪いのか?」
それなりに手こずっていた。
「よし、消した。ついでに栓を開けておくか? どうせ中身は逃げ出しちまったんだしな」
言って、すぐに栓をつまんで引こうとする。
「ん? 抜けねえぞ、結構きつく閉まってるな」
「引いて駄目なら、押し込んでみたらどうですか?」
ポーリエが口を挟んだ。
「ワインのコルク栓が割れたんじゃあるまいし」
「とりあえず、そのままにしておきましょう。抜けたところで万一栓を紛失すれば大変です。邪神を倒した後で神が自ら開くのかもしれません」
「そうですわね。邪神に逃げられたとはいえ、賢者スレイマン様が栓を閉めてくださったのは、紛失を防ぐこととなって良うございました」
クロが止め、コルテリアも同意した。
「じゃあ、そのまま置いておくぞ」
立ち上がって、つかんでいた小瓶を中央の台座に置きなおした。
ミルファが一同を見回した。
「お疲れ様です。皆様、お腹が空いていませんか? 多分昼食の時間だと思うんですけど、お食事にいたしませんか」
聖女以外の全員が、懐中時計を取り出して時間を見た。
「もうこんな時間か。恐縮ですが、あの粥を少々いただいてもよろしいですかな?」
「もちろんです。減ることはありませんから、少しとおっしゃらず、たくさん召し上がってください」
一同は厨房に向かうこととなった。




