閑話・スレイマン2
スレイマンは当時、創設者として理事の一席を占めていたが、大学運営が安定してきた晩年になって、理事会において横領や女性職員への性犯罪といった罪に問われた。周到に根回しされていたようで、賛成多数によって、派閥の人間共々スレイマンは罷免された。実際に警察に訴えられることはなかった。
「なんだか冤罪ぽい話ですね。警察沙汰になれば、むしろ困るのは理事会の連中だったんじゃないですか? 嵌められました?」
とポーリエ。
「よくある話だ。組織が成功すれば、次はその組織の中で覇権争いが起こる。スレイマンの派閥はそれに負け、追放された」
追放されたスレイマンとその一派はその後、隣国マナアクシスから招聘された。
「犯罪者を招聘ですか?」
眉をひそめてスーテが言う。
「表立ってはともかく、当時から冤罪という話は出ていたようだ。見るからに派閥争いの結果だからな。それに当時のマナアクシスは弱小国家だった。産業をテコ入れするために、彼の魔術大学運営のノウハウが欲しかったはずだ。名より実を取ったわけだ」
新たな魔術大学を創設するためにマナアクシスに渡ったスレイマンだが、その直後、神から【不老】の加護を賜わった。六十歳頃のことだった。
笑い事ではないのだが、この展開には皆笑ってしまった。
「それはそれは……何というタイミングでしょう」
笑いをこらえながらコルテリアが言えば、
「いやはや、横領だの何だのという話は冤罪だと、神からお墨付きをいただいたようなものではないか……」
「悪人が加護を得るはずがありません。これは追放した理事会の立場がないですね……」
エルディンとスーテが後を追う。半笑いである。
スレイマンが加護を賜ったことはあっという間に知れ渡る。
帝国の調査と、動揺した一部の理事会派の内部告発によって、呆気なく彼の冤罪が明らかになった。これをきっかけに、中立派と寝返った理事会派のメンバー、さらに学生たちが雪崩を打つように離脱、マナアクシスの新設の魔術大学に流れ込む事態となった。
「大学ってのは建物じゃねえ、教師や学生、つまりは人間が本質なんだ。それを一気に失って、大学はその年のうちに閉鎖されちまった」
「うわあ、リアル追放ざまぁもう遅い」
その、リアル追放以下略とは何だろうとクロは思った。せっかく異世界知識がそこにあるのに、尋ねられないのはつらい。
「その後、マナアクシスで学院と名を変えた魔術大学は発展していった。その功績で一代男爵として叙爵された」
「三百年続く一代男爵なぞ、世界広しと言えどもスレイマンだけだな」
「シュールというか、パワーワードですね、三百年続く一代男爵って……」
「この辺りで、スレイマンは賢者と呼ばれるようになったんじゃねぇかな。魔術理論の学者であり、魔術が使え、しかも加護を持つから神聖魔法の素養もある。まあ神聖魔法はさほど伸ばしていないようだが。それに、魔法威力が低いし学者としては普通だから、口さがない連中は『偉大なる凡人』などと言っている」
「え、賢者様なのに学者として今一つなんですか?」
驚くミルファにウィテーズが言う。
「論文は手堅いが、新規性に欠ける。駄目とは言わんが普通だな」
「うーん、賢者様と言われていても、悪く言う人はいるんですね。有名人も楽じゃない」
ポーリエの感想に、
「その上、特異な加護をお持ちですから、そちらでも大層苦労なさったようですわ」
コルテリアが反応した。
「加護で苦労ですか?」
「今はだいぶ下火になりましたけども、昔、加護持ちの生き血を飲むと、その方と同じ加護が得られるというデマが流れましたの」
「スレイマン様の加護は【不老】ですから、つまり、その血を飲めば自分も不老になれると?」
クロが尋ねる。
「さようです。彼に対する誘拐未遂や襲撃事件が相次いだそうです」
「うわあ……」
「それはまた……」
皆、顔をしかめたり眉をひそめたり、不快感を露わにしている。
大抵の加護は使い勝手が微妙なものなのだが、【不老】は実に分かりやすく『強い』加護と言える。誰しも一度は不老に憧れるものだろう。権力者なら尚更だ。そういう輩に金を積まれて凶行に及んだ者も多かったに違いない。
「デマなんですよね? 血を飲んでも、別に【不老】になるわけではありませんよね」
ポーリエの質問に、
「無論です。神のご加護を、人の力などで操作できるものですか! 全く嘆かわしい、考えれば分かることですのに。欲望が理性を狂わせるのです。危害を加えられることを恐れ、また人々の欲望を厭うて、スレイマン様は学院内に引きこもるようになったと聞き及んでおります」
コルテリアはため息をついて答えた。
「学院理事長として名前は出しているし、時々論文を発表しているから学内での活動はしている。ただ、社交の場には一切出てこないし、公式行事の出席は免除されているようだ。生活する上でも、ごく一部の人間としか接してないんじゃねえかな」
「ウィテーズよ、聖女様方への口の利き方」
「失礼」
「あの、でも、どうして【不老】という加護だったんでしょうか? スレイマン様は、不老を望んでらしたことになりますけど」
ミルファが首をかしげた。
「それは、学院の行く末を見守りたいですとか、何か崇高な目的がおありだったのでは?」
スーテが言ったが、
「いや、その、わたし自身の経験からして、そんな崇高さはないですよ? わたしは昔からコミュ障、ええと、とても内気だったんです。だから皆に気軽に話しかけてほしい、わたしも人と気軽に話せるようになりたい、そんな気持ちが【心の垣根を低くする】になったんです」
「そういう意味があったのですか」
感心したようにスーテが言い、コルテリアを見た。
「ああ、いや、コルテリア様の加護の由来をお聞きするのは失礼ですね」
「いえ、お話してもようございましてよ。ふふ、これもミルファ様のお力かしら」
コルテリアが微笑んだ。
「わたくしは下級貴族の娘として生を享けました。貴族社会は、いえ貴族に限らぬことでもありましょうが、表は優雅に見えても、実際は嘘と腹の探り合い。若い頃は未熟でしたから、人付き合いにおいて悩むところが多々ございました。人の嘘が見抜けたなら。そのような思いが、この加護に繋がったのですわ」
「そうだったのですか……いえ、わざわざ立ち入った話をお聞かせ下さり、ありがとうございます」
「ええ。わたくしの思いますに、スレイマン様は研究者気質なのでしょう。しかし魔術大学の創始者として、組織運営に時間を取られざるを得なかった。本来の目的である、魔術研究のための時間が欲しかったのではないでしょうか。好きなことをする、長い長い時間が」
「なるほど。言われてみれば、そうなのでしょうね」
説得力がある、と一同もうなずいた。
「私は、その引きこもり賢者様の従者なのですか。しかし何故私のような若僧が従者を?」
「それはこっちが聞きたい。実は何か凄い能力を持っていて、記憶を取り戻したら邪神でも倒せるとかだと有り難い」
「今、ウィテーズ様がそれをおっしゃったことで、クロさんの実は最強からのチート無双フラグはへし折れました……」
ミルファが言った。とてもがっかりした声だった。
だから、チート無双フラグとは何だ。