閑話・スレイマン1
厨房に戻った一行は、熱い白湯を振る舞われていた。
「お茶でも淹れましょうか。何も口に入れないわけにもいきませんでしょう」
「ありがたいお申し出ですが、邪神に毒を盛られる可能性がございます」
身体検査と捜索をすり抜けて、邪神が毒を持っている可能性は低いが、慎重になるに越したことはない。
「水場は常に浄化の魔法がかかっていますから、毒の心配はありません。茶器も水場で洗えば、例え毒を塗られていても浄化されます」
「いやいや聖女様にそのようなことは」
ということで、一番身分が低いと思われるクロが茶器と茶沸かし器を聖騎士二人の監視下で洗い、水を汲んだ。魔封じの首輪をつけられているので、クロの代わりにポーリエが茶沸かし器に刻まれた加熱の呪文に触れて魔力を流し、湯を沸かす。茶葉に既に毒が仕掛けられている可能性が否定できないので白湯のままカップに注いだ。
「どうぞ」
厚手のカップに入れた白湯を皆に配り、クロが率先して口をつけた。毒を入れてませんよというアピールである。
「いやあ、すまんな、クロ殿。すっかり喉が渇いていたようだ」
「私もです」
沸かしただけの湯が美味しい。クロは熱い湯が胃の腑に染み渡るのを感じて、少しリラックスできた。他の者も同様なのか、ほっと息をついたり伸びをしたりしている。
「……しかし、これからどうしましょうか?」
ややあって、困惑したようにポーリエが言った。
「邪神の炙り出しの手段か。聖女コルテリア様の加護が効かなかったのが分からない」
ウィテーズがかぶりを振りながら言う。
「あの、とは言いましても、基本的にコルテリア様のお力は有効かと。とりあえずお話しながら、嘘をつく方がいらしたらコルテリア様に指摘していただくというのは?」
ミルファの言葉に、皆がお互いの顔を見合わせる。
「良いのではありませんかな。コルテリア様、些細なものでも嘘があればご指摘をよろしくお願いいたしますぞ」
エルディンがうなずいて言った。他の者の嘘を暴くことももちろんだが、それによってコルテリアが本物の加護持ちであることが証明されるのを狙っての発言だと察して、クロもうなずいた。
「ええ、分かりました。とはいえ、話そうと言われても何を話せば良いでしょうか?」
コルテリアが首をかしげる。
「よろしければ、賢者スレイマン様について。全く記憶がないのですが、どのような方だったのでしょうか?」
クロの言葉に、ウィテーズが一同を見回した。
「この中で一番詳しいのは、魔術師の俺だろうな。基本的に俺が説明するから、付け加えることがあれば皆も頼む」
そもそも四百年前の魔術は、現在から見ればいかにも原始的なものだった。
神の言を引き出して事象を改変する神聖魔法。それを人間の言語によって再現する、人の技術による魔法、すなわち魔術。邪神大戦の際に攻撃や防御の手段として一定の進歩を遂げた。
しかし大戦後は閉鎖的な魔術結社や血族によって、門外不出の技術として細々と伝えられるにとどまった。権力者に雇われる特殊技能者の集団といった立ち位置である。
スレイマンは、アークバール帝国の、ある魔術師一族の当主の三男として生を享けた。
若い頃から聡明だったが、当主の息子とはいえ三男、さらに生まれつき魔法威力が低かったことで一族の中での扱いは良くなかったらしい。攻撃魔術の威力や、『眠り』のような、相手に抵抗されるタイプの魔術の成功率は魔法威力に依存する。これに劣るとなれば、当主の為に働く駒としても価値に欠ける。早晩放逐されるか、一生雑用係として使い潰される可能性が高かった。
「魔法威力が低いのに、賢者と呼ばれるようになったのですか?」
首を傾げるクロに、ウィテーズが答える。
「魔力威力は鍛えれば多少は伸びるが、鍛えた今の状態で平均レベルじゃないかと言われている。いや、言われていた。ただ賢者と呼ばれる所以はそこではなかった」
スレイマン本人は、魔術の実践よりは魔術理論に興味があった。一族内での立場がないことを理解すると、さっさと自分から縁を切って出奔し、他の魔術結社や一族の中の、不遇をかこつ者たちに声をかけて小さなサークルを結成。そして互いの魔術に関する知識を、サークル内だけでなく世界中に公開し、さらに魔術の新たな情報を募った。ちなみにこの時期に同じサークルの、当時珍しかった女性魔術師と結婚したらしい。
「情報公開は、既存の魔術組織の権益を損なう行為ですね。当時の魔術は、少数の人間が持つ特殊技能であることに価値があったはずですから」
「しかし、学問なら当然のことでは? 情報の集積と再分配。例えば数学にせよ自然科学にせよ、様々な論文を公開し共有することによって進歩していったのでしょう?」
クロとコルテリアが言う。
「どちらもその通り。当時の魔術知識は大戦以降、ほぼ進歩がなかった。だが知識を公開して皆で改良していくという発想がなかったんだ。魔術知識は秘匿しておくのが常識だったからな」
それを打ち破ったのが、スレイマンと彼が率いるサークルだった。その類を見ない行動に他の魔術組織からも徐々に賛同者が増え、他流派の知識が集まり、そこから爆発的に新たな技術が発明されていった。
戦闘用の魔術を応用して、大がかりかつ繊細な土木・治水工事を可能とする物質操作系統魔術などが。
エネルギー操作系統魔術から、着火や照明のような生活を快適にする魔術などが。
そして、物品に術式を刻み、それに触れて魔力を流せば誰でもその魔術を発動させられる魔道具の発明と、それを大量生産する技術が編み出された。
魔道具の登場。ダンジョンから発見される魔法の品物には効果が劣るとしても、いくらでも量産できるこの発明によって、訓練をしていない一般人でも様々な魔術が使えるようになる。世界は一気に魔術による一大文明を築き上げることとなった。
「今じゃどんな貧乏人でも、照明と着火の魔道具くらいは持っているもんだ。こんな便利な世の中になったのも、元はスレイマンのおかげというわけだな」
既存の魔術組織が衰退と解散を余儀なくされる一方で、それらの魔術師を吸収しながら、スレイマンの組織はサークルから大規模な魔術研究及び教育機関へと変化していった。
当時は『魔術大学』、後に『賢者の学院』と呼ばれることになる、世界初にして最大の魔術文明の基幹組織の成立だった。
「あれ、スレイマン様は帝国出身でしたよね? でも学院は隣国のマナアクシスにありますけど、何故ですか?」
ミルファが白湯を飲みながら、不思議そうに尋ねる。
「最初は、学院は帝国にあったんだ。だが、ちょっとした事件が起こった」