無限袋
「惜しい方を亡くしたものだ。……さて、いかがいたしましょうか。さすがにこの聖なる玄室で、それも封印の小瓶と同じ部屋にこの方を安置するのは差し障りがございましょう」
エルディンが聖女二人を見てお伺いを立てた。
「あの、コルテリア様。非常時ですし、無限袋にお納めしてはいかがでしょうか。別に袋の他の中身に影響するわけでもないですし、この事態が長期化したら、その、ご遺体が傷むといいますか……」
コルテリアはしばし逡巡したが、うなずいた。
「確かに、その通りです。無限袋の中は時間が止まっていますものね。賢者様のご遺体を、食べ物や雑用品と同じところに入れてしまうのは申し訳ありませんが……幸い、お籠もりから持って出たままですから、ここに袋はございます」
そう言ってゆったりとした聖衣のポケットを探るコルテリアに、スーテが声を掛けた。
「お待ち下さい。その前に」
床に落ちたままの青銅の小瓶に目をやる。
「その、ずっと気になっていたのですが、封印の小瓶を台座に戻されないのですか? 私たちが触れることは畏れ多いので、聖女様方に戻していただきたいのですが……」
「そうです、私よりもコルテリア様の方が長く聖女でいらっしゃるから、私もコルテリア様が直すのを待っていたんですけど」
「そ、それは」
珍しくコルテリアがうろたえた声を上げた。
「それはもう、わたくしもずっとそう思っておりましたが、その、心の準備が」
「心の準備?」
「神がこの世で唯一加護をお与えになった品ですよ!? 世界で最も神聖な物と言っても過言ではありません。そのようなものにわたくしごときが触れるなど、畏れ多いではありませんか!」
邪神の疑いをかけられても優雅さを失わなかったコルテリアの急な興奮に、皆が困惑の色を浮かべる。
「いや、でも床に転がしっぱなしの方が畏れ多いのでは」
率直に返すポーリエ。
「コルテリア様ができないなら、私がちょっと拾って置きましょうか」
率直に提案するクロ。
「何ということを言うのです! 他の者が触れてはなりません!」
「はい……」
ではどうしろと。
「分かります! 推しが目の前に現れた時、推しの視界を汚さないようにダッシュで離脱したい気持ちと、自分の走馬灯に録画するためその場で目に焼き付けたい気持ちで動けなくなるんですよね! まさにビュリダンのジレンマ! よく分かります!」
逆にやたら共感するミルファ。よく分かりません、とクロは思った。
「ええ、仕方ありません、わたくしが安置いたしますとも! 全く!」
何に怒っているのか分からないが、怒りながらコルテリアは被衣を固定している頭飾りとブローチを外し、頭から裾近くまであるそれを脱いだ。その被衣を分厚いタオルのようになるまで何度もたたみ、瓶を包んでそろそろと持ち上げると、注意深く台座の上に安置しようとする。何度も位置を微調整していたが、やっと納得したのか畳んだ布と手を瓶から離した。布を広げて被り直す。
「ふう……寿命が縮まる思いでした。この小瓶がわたくしの手の跡などで汚れようものなら、死んで詫びねばならぬところでした」
「いや、さすがに聖女様が触れることに問題はないのでは……」
スーテがやんわり突っ込むが、
「いえ、これこそは、大戦末期から神が当時の神官たちに啓示を与えて造るよう命じておられた封印の器なのです。その時期の最高の名人に造らせたものです。ご覧なさい、この見事な造形を! 何という尊さでしょう」
静かだが、とても熱く語った。ひたひたと押し寄せるような熱意だった。
「は、はい。素晴らしいですね。では、スレイマン様のために無限袋を出していただけますか、コルテリア様」
引き気味に答えるスーテ。頑張って話を進めてくれる彼女に感謝したのはクロだけではないだろう。
「では、それがしがご遺体を納めましょう。袋をこちらに」
エルディンが大きな麻袋の形をした無限袋を受け取り、広げる。口は充分に広く、人間も入れられそうだ。
「袋の口を開けておきましょうか?」
「それには及ばん、一人でできる。念のため周囲を警戒しておいてくれ」
ポーリエの申し出を断り、袋を広げると、さっさと遺体を仕舞い込んでしまった。
「素早いものですね」
「討伐任務が多いものでな、部下の亡骸を死体袋に入れることには慣れておる」
しばし皆が絶句した。
「亡くなった部下の方々に神の恩寵を……やはり魔物が活性化しているからなのですか?」
祈りの印を切り、気遣わしげにコルテリアが尋ねた。
「さようですな、ここ一年ほど魔物どもの跳梁が甚だしいものとなっております。個々の能力が高まっておるだけでなく、繁殖力も上がっているふしがございまして、我らも手を焼いております」
床に置かれた無限袋は、人一人を入れたにも関わらず平らなままである。
「神殿の説明では、邪神の封印が弱まっているがために、その眷属である魔物も強化されているということでしたが……この袋はどこに置きましょうか?」
袋を六つ折りに畳みながら、淡々とエルディンが言う。
「前室の祭壇に置きましょう。では騎士団の方々が、聖域までお迎えに来られたのは、それと関係が?」
エルディンが両手で、畳んだ袋を捧げるように持ち、扉へ向かった。ポーリエが開けた扉を手で押さえて、エルディンを通す。
「実際は正式に神官が参っており、騎士団はあくまで随行です。我々二人がここまで参ったのは独断ですが……いかにも。邪神の現状を知らねば、魔物の対処も難しゅうございます。奴らはどこまで強くなるのか? いつかまた、元通りに弱体化するのか? あるいは聖王国まで来れば、何らかの新たな情報が得られるのではないかと我々も遣わされた次第」
通路を抜けて、前室の祭壇に移動する。
「ここだけの話だが、騎士団の随行という横紙破りは国の意向だ。聖王国を探れば、何かしら魔物なり邪神なりの情報が掴めるかと思ってのこと。礼を失しているのは承知しているが、こちらも討伐隊や国民の命がかかっている。理解しろとまでは言わないが、このあたりの事情を、含みおいていただきたい」
「こらウィテーズ、舞台裏を全部言うな」
無限袋をコルテリアに渡しながら、エルディンが文句をつける。
「腹芸をやってる場合でもないだろう。口が滑ったんならミルファ様の加護の力ということにしておけ」
コルテリアは祭壇に一礼し、畳まれた無限袋を置いた。
「それは……残念ながら、我々も把握しかねておりました。神託の儀式を行なっても、皆様がご存じのこと以上の情報はなかったそうです。しかしまさか、千年を待たずして封印が破られた上、このような事態になろうとは」
「あの、神様からの強制接続のイメージからすると、封印が弱まったというより邪神の力が強まったような感じです。まず狭い瓶に弱体化した邪神を詰め込んで、長い間密封していたら中の邪神の本来の力が戻ってきて、膨らんでどかーん! みたいな。すいません変な例えで」
ミルファが補足した。
「エルディン様、ウィテーズ様」
聖女コルテリアが、改まった真剣な表情で、エルディンとウィテーズの方に向き直った。
「申し訳ございません。各国ときちんと情報共有出来ていなかったとは……神はこの世界において全知全能であらせられますが、邪神に対してはその限りではなく、ゆえに予測できないことがある、と。魔物と最前線で戦う方たちに不安と疑念を抱かせてしまいました。私は責任を背負えるほど高い立場ではありませんが、ここにいる中では最も位の高い聖職者です。ですから神殿を代表して謝罪いたします」
頭を下げた。
「と、とんでもないことでございます! 我らが疑心暗鬼からこのような暴挙に出たまでのこと! 顔をお上げくだされ!」
慌ててエルディンがひざまずき、
「そうですコルテリア様! 経緯はともかく、勇猛で知られた青銅騎士団のお二方がここまで来られたのはむしろ僥倖です! 邪神との対決において頼りになる方々です、コルテリア様が謝罪されるようなことではありません!」
スーテも必死にとりなした。
「いやスーテ隊長、あの二人に勝手に聖域に入るなって滅茶苦茶怒ってたじゃ」
言いかけたポーリエの脛に、スーテはコルテリアの方を向いたまま的確にローキックを放った。脛当を装備していたのでノーダメージだったが、ポーリエは黙った。
「皆様、お互いの事情も分かったことでありますし、よろしいではありませんか? これからについて話し合う必要もございます、場所を変えてはいかがでしょう」
「ええ、そうですわね」
クロの提案にコルテリアがうなずき、一同は厨房に戻ることになった。