聖域捜索2
すぐ隣が、先ほど話し合いに使われた厨房である。
家具は年季の入ったものだったが、コンロや茶沸かし器などには魔道具が使われている。
壁際には水場と、それに似た半円筒型の構造物がしつらえられていた。高さは変わらないが水場より小さく、木の蓋がかぶせてある。コルテリアが蓋を開けると、湯気と共に白くとろりとした何かが見えた。
「粥の湧く泉です。水場と同じく、よそっても新しく湧き出ます。常に浄化魔法がかかっており、腐ることはありません」
これには聖女以外の皆がどよめいた。
「無限の水と食糧か……」
「泉はダンジョンにもあるが、食糧が湧くとはな」
「これがあれば世界の食料問題は一気に解決ですよね! 無限に汲み出せるんですから」
「残念ながら、この水と粥は聖域から出すと消滅します。ダンジョンのモンスターと同じく、この領域内でのみ実体を保つ幻のようなものなのです」
ポーリエの弾んだ言葉に、冷静に返すコルテリア。
「ええ、そうなんですか……」
「しかし粥の泉ですか。聖騎士の間でも噂にはなっておりましたが、本当だったとは」
スーテの言葉に、クロが反応した。
「警備の聖騎士の方も、ご存じなかったのですか?」
「聖域内部の様子は秘中の秘、入ったことのある方々に箝口令が敷かれているんですよ。むしろ何で噂になってるんだ駄目だろっていう。結構有名な話なんですけど、やはり覚えてないのですか?」
ポーリエの返事に、クロは曖昧にうなずいた。
「知らなかったか、知っていて忘れているのかもしれません」
「非常事態なので、外部の皆様にもお見せしました。もしこの事態が長期化しても、飢えの心配はございませんのでご安心を。では探索が終わったなら、次の部屋に参りましょう」
扉を抜けた次の部屋は、寝室だった。外側の壁に沿って四台のベッドと、それぞれの横に衣装箱が置かれている。箱は大きいが、大の大人が入れるほどではない。
ベッドはマットレスだけで掛け布団もシーツもなく、かがんで姿勢を低くすれば下に何もないのがわかる。
「何もなしだ」
「あの、今回のお籠りをしたのは私たち二人だけだったので。私たちが使ったシーツや布団は出る時に片付けて、無限袋に入れてあります」
衣装箱も開けてみたが、全て空だった。
「他に怪しい場所はございませんな。よろしければ、次に参りますか」
扉のすぐ隣は、もう一つの寝室だった。ベッドや衣装箱の配置も同じである。皆で、誰も隠れていないことを確認する。
「最大八人が寝泊まり出来るのですな」
「昔の話です。時代が下るにつれて加護持ちは減り、神託や奇跡の儀式は成功しにくくなりました。神は緩やかにこの世界への介入を減らしておいでなのです」
コルテリアの声には、穏やかな諦観があった。聖職者としては思うところがあるのだろう。
「で、でもそれは、人間が魔術文明を発達させて、神に頼らなくても生きていけるようになったからです。邪神大戦の頃は、神託も奇跡も使い放題で何でもできたそうですけど、それはそうしないと人類が滅んでしまうから。でも今はもう必要ないです。それは、悪いことではないんです」
ミルファが慌てて言う。
「ええ、頭では分かっております。しかし、年のせいでしょうか、もっと神と人とが近かった時代に憧れる思いが……あら、わたくしとしたことがとんだ繰言を。ごめんあそばせ」
かぶりを振って、コルテリアが苦い笑みを浮かべた。
「まあ、そのお気持ちも分からんではありませんな。奇跡の成功率は年々減っておる一方で、色んな魔道具が発明されて使いこなすのに難儀しております。それがしなんぞは、時代についていけぬと思うことも多々ございますぞ」
昔は良かったということか。記憶のないクロも、何となく分かる気がした。
だが邪神が解放されれば、時代は再び神の奇跡の大盤振る舞いに逆戻りするだろう。いくら魔術文明が進んでも、所詮邪神に敵うわけがない。
そしてそうなるかどうかは、自分たちにかかっている。
再び、長い長い通路を行ったり来たりしながら次の部屋に向かった。
「ここは、図書室ですかな」
大きな棚が三台。中に書物が並んでいる。ささやかだが、図書室ということになるのだろう。筆記具や読書台の置かれた机と椅子が数脚ずつ、壁際に置いてある。
クロとウィテーズがふらふらと、吸い寄せられるように本棚に近づいた。
「こら、魔術師たち! 本を読む前に部屋の捜索!」
スーテの鞭のような叱咤で正気に返る二人。
「面目ありません」
「聖域の図書室とか興味あるに決まってんだろ……」
「いやあの、神学の本とか古典文学とか、そんな珍しくも面白くもないですよ。神官の読む本ですから」
ミルファの説明を聞きながら、クロは思った。
邪神のことさえなければ、ここは住まいとしては素晴らしい。気温も湿度も快適、ちょっと厨房に行けば水も粥も無限にある。記憶はないが、自分は単調な食生活でも大丈夫な気がする。寝る時も明るいままだが、布団を頭からかぶってしまえば気にならない。世界中から集めた論文を大量に持ち込んで、誰とも会わず、仕事もせずにひたすら読みふけるのだ。何という幸せ。……論文?
ここも人間が隠れられるような場所はなく、これといった発見もなかった。
扉を挟んだ次の部屋は、中心側の壁に祭壇を、その前に厚い絨毯を敷いた祈りの間だった。他には何もない。
「わたくしたちは前室と呼んでおります。そこの扉から短い通路を通れば、あの玄室に至ります。ここで祈りを捧げるのが日課となります」
「なるほど。畏れ多いことですが、祭壇を調べても?」
スーテの要請に、コルテリアがうなずいた。
「是非もありません。存分にどうぞ」
祭壇は黒光りする高級木材に、聖域の壁面を飾る蔓模様に似た流麗な彫刻が施されていた。上には聖印と燭台が飾られている。
「特にどこかが開けられるわけではないのですね」
スーテとポーリエが聖印などを床に置き、祭壇の天板や側板を動かそうとするが、びくともしなかった。
クロが興味深げに壁と祭壇を眺めながら、コルテリアに尋ねた。
「この聖域の壁面には全て蔓模様が彫刻されていますが、これは神がデザインされたということですか? 壁には破壊不能属性が付与されていますから、後で職人が彫ることは出来ませんよね?」
「ええ。聖域は、当時の聖王の奇跡によって創り出されたものですので、細部には聖王のイメージが反映されています。この意匠は当時流行していたものですから、聖王猊下は聖域を彫刻で飾り、神を讃えたいお気持ちがあったのでしょう」
「素晴らしいことです。私は今、本当に神の奇跡を目の当たりにしているのですね!」
感に堪えないように、スーテがうんうんとうなずいている。
「スーテ隊長、感動なさっているところ恐縮ですが、この部屋にもめぼしい発見はありません。最後の部屋、玄室に向かうべきかと」
「ポーリエ、君は敬虔という言葉を知らないの!? 分かってるわよ、さっさと行きます!」
「なんだか、スーテ様の号令で動かされてますね、我々」
「探索隊のリーダーなんだから問題ねぇだろ」
クロとウィテーズは、授業中にお喋りをする生徒のように小声でやり取りしながら、スーテたちに続いて玄室への通路に向かった。