嘘と記憶
「失礼を承知で申し上げますと、たとえどちらかが邪神だとしても、お二方の意見が一致している以上はそのご意見は正しいと判断できます。コルテリア様が加護を失っているという可能性、および邪神が加護に匹敵する力を持つ可能性はなさそうですね」
「俺も他の可能性を思いついたぞ」
クロに続いて、ウィテーズが口を開いた。
「それは、お前が自ら記憶を封じた邪神というものだ、クロ」
「はい?」
「加護は誤たない。誰も嘘はついていない。ならば、この中で唯一記憶のないお前が怪しい。なにせ自分でも自分が邪神だとは思ってないんだから、嘘をついたことにはならない。記憶喪失は人間の能力を超えた力でもない」
「えーと」
まずい、とクロは思った。積極的に否定する根拠がない。
「記憶を失っているのですから、自身の解放のために皆様を害することもできませんよね?」
「積極的に攻撃を仕掛ける必要はない。このまま持久戦で飢え死にや同士討ちを狙ってもいい、どうせ邪神は不滅の存在だから本当に死にはしないだろう。それとも聖女コルテリアの判定をすり抜けた後に、記憶を取り戻す仕掛けをしてあるか。とりあえず処刑してみて、正体を現すか外への扉が開いたらお前が邪神だ」
「ちょっと待ってください、私は邪神ではありません」
「分かってるよ、命乞いする奴はみんなそう言うんだ」
「みんなって誰ですか? その人たちはどうなったんですか?」
「顔だけじゃなくて発言も怖い……」
ぽつりとスーテが呟いた。ミルファの加護で口を滑らせたのかもしれない。
助けを求めてエルディンの方を見る。彼は腕を組んで、優しくも自信ありげな笑みでうなずいてみせた。
「大丈夫だ。苦しまずに一瞬で死なせる方法は心得ている」
「大丈夫な要素が、今どこにありました?」
本当に殺される流れだ。自分が邪神である可能性は否定できないが、とりあえずで死にたくはない。
「待ってください! 処刑はやめて!」
そこで声を張り上げたのは、聖女ミルファだった。良かった、ウィテーズもエルディンも、まさか自国の聖女の言葉を無下にはしまい。
「いや、この中で誰を吊るかって言ったらまぁ確かにクロさんだとは思うんですけど」
「希望を持たせてから突き落とすタイプですか?」
お前もか。いや失礼、あなたもですか。
「アーウィズの人たち、好戦的すぎるだろ……」
ポーリエも引いている。引いている暇があったら助けて欲しい。
「クロさんだとは思うんですけど、他の可能性も検討するべきだと思うんです。邪神が自分自身の記憶を操作できるというなら、クロさん以外の人にも同じことが言えますよね? 例えば邪神の自覚がない表の人格と、邪神の記憶を持つ人格が切り替わる多重人格であるとか。それならコルテリア様の加護を切り抜けられますし、クロさんだけがずば抜けて疑わしいわけじゃありません。誰かを処刑するとしても、その前に証拠固めをするべきです。殺したら生き返らせられない、軽々しい殺生は罪深いと、昔の人も言ってます」
「なるほど。一理ある」
やや納得するウィテーズ。ありがとう昔の人。誰か知らないが、良い人に違いない。助かるかも。
「他の可能性をもう一つ。この七人は全員人間で、人間の姿をした邪神が聖域のどこかに隠れているということはないでしょうか? 啓示には、聖域内に何人閉じ込められているかの提示はありません。我々が疑心暗鬼から殺し合いを起こすのを、八人目である邪神は期待しているのかもしれません」
クロもここぞとばかりに畳みかける。
「確かに。聖域内はひととおり拝見いたしましたが、きちんと捜索したわけではございません。意外に家具のたぐいも多い。まずは、何か隠れている者なり手がかりなりを探してみるべきでしょう。それまでは迂闊に疑わしい人物を処刑して、邪神に対抗できる人間の数を減らすようなことは控えるべきかと」
スーテも、クロの弁護はしないまでも処刑回避の発言をした。離れて横にいるコルテリアとポーリエも、その言葉にうなずいている。さすがに、疑わしきは殺すという前のめり思考の持ち主はアーウィズ国の人間だけだったようだ。
「そうだな、先走りすぎたようだ。エルディンはどう思う」
「どうもこうも、まずは互いの身体検査、それから捜索だな。人に化ける際、服や装備も創り出しているのだから、調べる必要はあるだろう。とはいえ、第一の容疑者であるクロ殿を自由に行動させることには抵抗がある。何かしら行動制限しておきたい」
「『隷属』の呪文をかけるか? あれは抵抗されやすいが、俺は魔法威力が高いから、何度かかけ直せば押し通せる」
さらに皆が引いた。設定された主人に対して、自殺以外のほぼ全ての命令に服従させる禁呪ではないか。正確に言えば、対象の意識に隷属的な仮想人格を増設する魔術であるが。普段は不活性だが、ひとたび命令が下されれば本来の人格から身体の自由を奪って行動する。
「なんで習得しているんですか……」
「裁判所の命令で、重犯罪者の行動制限に使う。宮廷魔術師の仕事の一つだ」
質問しながらも、自分の中にも『隷属』の呪文の知識があることにクロは気づいた。一般公開されていない魔術であるはずだが……学院とやらで研究のために習得したのか、それとも、まさか自分が本当に邪神で、ウィテーズの記憶から呪文を盗み取ったのか?
「やめんかウィテーズ。お前が邪神である可能性もあるのだぞ。人一人を支配させるわけにはいかん。スーテ殿、ポーリエ殿、お二方は聖域の警護をなさっていたわけだが、何か不審者を拘束するような道具はお持ちかな?」
エルディンの問いに、スーテが腰の物入れから何かを出して一同に見せた。革の小さなベルトのような物だった。
「魔封じの首輪です。クロ殿は魔術士のローブを着ているうえ、それなりの魔力量を感じます。逆に、動きを見るに体術の心得はないかと。これで無力化できるはずです。クロ殿、君は魔術が使えるのか?」
「……使えると思います。呪文も、魔力操作の知識もあります」
コルテリアの前で嘘はつけない。答えて、人差し指を目の前に掲げて魔力を集める。指先の空間に、一瞬炎が灯って消えた。
「魔封じか。欠点もなくはないが……いや、お願いする。クロ、まさか嫌とは言わねえな?」
ウィテーズが目を細めてクロを見下ろす。拒否したら確実に攻撃魔術が飛んでくる眼差しだ。
「スーテ様、お願いします」
「じゃあ、こちらへ来て」
おとなしくスーテの近くに行く。
近くまで行って、自分が女性のスーテより背が低いことに気づいた。クロは男性陣の中で一番小柄なのだが、なぜか釈然としない。なぜ釈然としないのかも分からない。
「正直私も君を疑ってはいるのだけど。魔封じって、首輪っていう形なのが嵌められる側には精神的にキツいのよね、そこは同情する」
スーテがクロの首の後ろにベルトを当てる。
「痛い」
小さな痛みを感じて、思わず指でベルトを押しのけて痛む場所に触れる。首の付け根の後ろ側に、水平に傷がついているようだった。なぞってみると、長さは指一本分ほどで線のように細い。
いったん魔道具を着けるのをやめ、スーテがクロの後ろに回った。
「どうしたのですか?」
スーテがコルテリアの質問に答える。
「クロ殿の首に何か傷があります。ちょうど首輪が当たる部分ね、神聖魔法が使えればすぐ治してあげられたのだけれど……軽い擦り傷ね。ベルトをぴったり着ければ痛くないと思うから我慢して頂戴」
そのままベルトを巻いて、首の前で留め具をつけた。ベルトに刻まれた術式の両端が、留め具で繋がったことで発動する。『錠』の呪文で外れなくなると共に、クロの魔力と強制的に接続し、魔法を使うために魔力を操作すると神経に激甚な痛みを与える仕組みだ。神聖魔法にせよ魔術にせよ、行使しようとすると激痛が走って中断せざるを得ない。クロには術式の構造と意味が、首に触れている部分から平易な文章のように読み取れた。
「魔力を操作すると、それに反応して激痛を与える仕組みよ。魔道具を使うのも駄目だから気をつけて」
「分かりました。容疑が晴れたら外していただけますね?」
「晴れたらね。鍵は私が持っているから」
クロはローブのフードを整えて、首輪が目立たないように隠してから言った。
「お待たせいたしました。では改めて、身体検査と聖域の調査をいたしましょう」
ミルファさんの言う『昔の人』というのは、今昔物語の安倍晴明です。陰陽術でカエルを潰す話。