第一章『うつけ者(四)』
————二日後、興安の城市では銅鑼や爆竹の音が盛大に鳴り響き、真っ白な衣服を着用した人々が長蛇の列をなしていた。長く興安を医と武の力で守護してきた郭功の葬儀に参列するためである。列の最後尾は城壁付近まで及んでおり、この長さだけで故人の人柄が偲ばれるというものであろう。
参列者たちが大粒の涙を流しながら献花を行う中、喪主の郭書文の表情は沈んでいた。それは最愛の父がこの世を去ったばかりが理由ではない。
「————文、————書文!」
「…………え……?」
がなり声にハッとした書文が顔を上げると、いつにも増して不機嫌そうな叔父・郭創の仏頂面が見えた。
「何を惚けておる! 喪主のお前がしっかりせねばならんのだぞ!」
「申し訳ありません、叔父上……」
書文が頭を下げると、創は忌々しげに口を開く。
「あの『うつけめ』はどうした⁉︎」
「……あれから姿が見えません……」
「————何処へ行ったッ⁉︎」
「心当たりには人を遣りましたが、見つかりませんでした」
「女郎屋にも居なかったのか⁉︎」
口に出してから、創は葬儀の場には相応しくない言葉を吐いてしまったと慌てて口元を覆った。書文は静かにうなずいて答える。
「……実の父親の葬儀にも顔を出さんとは何たる奴だ! もう奴めに郭家の敷居は跨がらせるな‼︎」
「…………」
ズシンズシンと足を踏み鳴らして創は顔馴染みの参列者たちへ挨拶に向かって行った。その背を見送りながら書文は再びうつむいた。
(……成虎…………)
その時、調子外れの笛の音が葬儀場に響いて来た。
一同が不協和音の元へ眼を向けると、一人の巨漢が戸口に立っているのが見えた。その明らかに場違いな装いに、皆は一様に眼を剥いた。
男は花婿が着用するような真っ赤な衣装を身に纏い、遊女が身に付けるような派手な柄の帯には金笛を差していた。更にはあろうことか、右手に大きな徳利を握りしめていたのである。
「せ、成虎……!」
郭家の次男・郭成虎は普段以上のボサボサ頭でフラフラと歩み出した。眼は半眼でトロンとして、口元からはだらしなく涎が垂れている。明らかに泥酔しており、この名門の子息にあるまじき姿に参列者は言葉を失った。
「……んあー? どうしたあ、おめえら幽霊でも見たような面しやがって?」
「成虎! 貴様あッ‼︎」
愉快そうに辺りを見回す成虎に創が掴み掛かった。
「貴様、呑んでいるな! この場を何と心得ている⁉︎」
「おお、おお、叔父貴じゃねえか。相変わらずデケエ声で、気付けには持ってこいだな」
「貴様————」
言葉の途中で創の巨体が宙を舞った。
「……ガタガタうるせえんだよ、おっさん」
「…………‼︎」
甥に殴られ床にドスンと打ち付けられた創は信じられぬという表情を浮かべ押し黙った。成虎は床に伏す叔父に眼を向けることなく、中央の祭壇へと歩を進める。
父・功の亡骸が納められた棺の前で足を止めた成虎は小さく何かをつぶやいた後、香炉の灰を掴んで思いっきり父の棺に投げつけた。
「旦那様の棺に何てことをするんだ!」
「この大うつけめッ!」
「恥を知れ、貴様ッ!」
「郭先生が泣いているぞ!」
この前代未聞の振る舞いに、静寂だった葬儀場は蜂の巣を突いたような喧騒に包まれた。この様子に、何故か成虎は満足げな笑みを浮かべて踵を返す。
「————成虎ッ‼︎」
ここまで黙っていた書文が、退席しようとする成虎を呼び止めた。
「……兄貴、親父がやってたクソみてえな慈善事業はアンタが引き継ぎな。真面目腐ったアンタにゃ、ピッタリな仕事だ」
「…………!」
成虎の言葉に再び書文が黙り込むと、その背後から創が怒鳴り声を上げる。
「————成虎、貴様! 金輪際、郭家の————いや! 興安の城門をくぐることは許さんッ! 二度と顔を見せるなッ‼︎」
「言われねえでも、こんなブサイクな女しかいねえ城市、こっちから出てってやるよ。じゃあな、叔父貴」
「……貴様……ッ‼︎」
様々な罵詈雑言が飛ぶ中、成虎は嬉しそうに諸手を上げて葬儀場を後にした。
————城門をくぐる成虎の足取りは、千鳥足だった先ほどまでとは打って変わって力強く悠然としたものだった。濁っていたその眼にはしっかりと光が宿っており、阿呆のように半開きだった口元はキリリと真一文字に結ばれている。
「————待てッ‼︎」
呼び止められた成虎が振り向くと、肩を揺らす書文の姿があった。
「どうしたよ、兄貴? 勘当された俺を見送りに来たら、叔父貴にドヤされちまうぜ?」
「……私————俺は、子供の頃からお前が妬ましかった……」
「…………」
「お前は、体格・武術・学問・芸事全てにおいて、兄である俺を上回る才能を持って生まれた」
「…………」
兄の告白を成虎は無言のまま聞いていた。
「この城市では誰もが俺のことを褒めそやすが、俺は偉大な郭功の長男『大若先生』という役割を必死に演じていただけに過ぎない……」
「…………」
「————分かっていたさ、お前も『うつけ』という役割を演じていたのはな」
「…………」
「……お前は、敢えて『うつけ』を演じることで自らの評判を下げ、対比的に俺の評判を上げようとしていたんだろう?」
皮肉な笑みを浮かべながら話していた書文だったが、突然その表情が歪んだ。
「————俺はッ! そんなお前の気持ちを分かっていながら享受していた! 情けなくも利用していたんだ‼︎」
「…………」
書文は爪が食い込んで血が滲むほど拳を握りしめ呟く。
「……成虎、郭家はお前が継げ。事情を説明すれば今からでも遅くは————」
「やーだね、そんなめんどくせえこと」
「な…………」
ここまで無言で聞いていた成虎がようやく口を開いた。
「兄貴。俺は確かにアンタよりも優れてるかも知れねえが、一個だけアンタに敵わねえモンがある」
「何……⁉︎」
信じられないといった表情で書文が訊き返す。
「アンタは、誰にでも分け隔てなく優しい」
「優しい……だと……?」
「ああ、俺には到底できねえことだ。正直言って俺は赤の他人がどうなろうと何とも思わねえが、アンタは違う。名前も知らねえガキや老いぼれのために誠実に向き合える男だ」
成虎は興安の城市の方へ顔を向けた。
「この城市の奴らがアンタを慕うのは、アンタの人柄ゆえさ。そいつを見落としちゃいけねえよ」
「…………!」
書文の顔から険が消えたことを確認した成虎は再び背を向けた。
「兄貴、郭家とこの興安は任せたぜ」
「待て、成虎! 何も出て行く必要はない! 俺と一緒に————」
「————うつけ者の『郭成虎』は死んだ————」
「…………⁉︎」
成虎は首だけ振り向いて魅力的な笑みを見せた。
「そういうことにしといてくれ。俺はこれから『岳成虎』として生きて行く」
「……『岳』————」
————岳氏とは亡くなった母方の姓である。書文は弟がもう戻らぬ覚悟だと悟った。
「じゃあな、郭書文先生」
「…………ああ、さらばだ。岳成虎……!」
今生の別れだというのに、成虎はまるで隣町に買い物にでも出掛けるように後ろ手で手を振って行ってしまった。
「……父上、母上。成虎にどうか御加護を————」
その大きな背に書文は叩頭した。
———— 第二章に続く ————