第十四章『月下の決闘(二)』
————三日後、月餅湖の湖面にその名の通り真ん丸い月餅が浮かぶ頃、一人の男が姿を現した。
一見、優男風に見える男だが、その眼光は龍を彷彿とさせるほどの鋭さを帯びており見る者に鮮烈な印象を与える。
湖のほとりに立つ男へ一人の女が声を掛ける。
「————志龍さん」
志龍と呼ばれた男が女に向ける眼差しからは先ほどまでの強烈な鋭さは消え失せ、柔和なものに変わっている。
「凰珠、暫し待っていてくれ。必ずや私が勝ってみせる……!」
「…………」
志龍に優しく声を掛けられた女————朱凰珠だったが、その表情にはどこか影が感じられた。志龍は凰珠の眼元に残る涙跡に気付いたが、そのことには触れず辺りを見回した。
「……奴はまだ来ていないのか?」
「ええ……」
凰珠が小さく答えた時、一艘の舟が緩やかにこちらに向かって来るのが見えた。舟の中心には稀に見る巨漢がだらしなく寝そべっている。
「……いーい月だねえ。ここで満月を拝むのぁ二回目だが、やっぱり俺ぁ湖に浮かんだ紛いモンより天高く登った本物が好みだねえ」
そう言うと巨漢————岳成虎はおもむろに立ち上がった。常人の倍はあろうかという男が動いたにも関わらず、不思議なことに舟は小揺るぎもしない。
「じゃあな、オッチャン。ちょっくら行ってくるぜ」
「うむ、ワシは次の客の相手があるでな。凰珠さまによろしく頼むぞい」
「おうよ」
成虎は船頭に返事をすると、跳躍して一気に志龍と凰珠の前へ着地した。
「成虎さん……」
「よう、待たせちまったかい?」
いつもの魅力的な笑みを凰珠にぶつけた成虎は正面に立つ志龍へ視線を向けた。
志龍は青龍派を思わせる青い長袍から、動きやすい灰色の武闘着に着替えていた。この決闘は青龍派の門人としてではなく、黄志龍という一人の武術家として臨むという意志の表れであろう。
「気が合うねえ、相変わらず」
「…………」
対する成虎も白虎派から飛び出してきた時の衣服を、やはり動きやすいものに変えている。考えていることは眼の前の好敵手と同じであると思われる。
「……しっかし、人生ってのぁホント何が起こるか分かんねえモンだねえ」
「…………」
「ほんの数日前におめえと再会した時は、まさかこんなことになるなんて思っても見なかったぜ」
「…………」
「なあ、志龍。同じ女に惚れなきゃあ俺たちゃあ、こうして向かい合うんじゃあなく、肩を並べることが出来————」
「————もう止せ、成虎」
どこか名残惜しそうに話す成虎を志龍が強い口調で制止した
「これ以上言葉を交わせば、ようやく出来たお前を斬る覚悟が鈍ってしまう」
「…………」
「言葉は最早無用。何かを語りたくば拳で語れ。私もこれで語ろう……!」
言葉の終わりと共に志龍の両の手に光輝く剣が握られた。頭上から注がれる月光よりも眩い輝きを眼にした成虎は覚悟を決めたように構えを取った。
「……そうだな。拳と剣で語り合うのも悪かねえ……!」
「————待って!」
青龍と白虎が爪と牙を研ぎ澄ませた瞬間、凰珠が割って入った。
「……お願い……、こんなことやっぱり止めて……! あなたたちが本気で闘えばどちらかが必ず————いえ、二人とも命を落としてしまうかも知れないわ……‼︎」
「…………」
「…………」
大きな瞳いっぱいに涙を溜めての凰珠の懇願だったが、成虎と志龍は無言のまま拳と剣を下ろそうとしない。
「……どうしたら止めてくれるの……? 私が……どちらかを選んだのなら止めてくれる……⁉︎」
悲哀に満ちた凰珠の気持ちが投影されたかのように、満月が分厚い雲に覆われた。
「凰珠、そいつぁもう無理だ」
「え……?」
ようやく口を開いてくれた成虎へ凰珠が訊き返す。
「きっかけは勿論おめえだったが、俺たちゃあもう気付いちまった。眼の前の相手に勝ちてえ、俺の方が強えっつうことを証明してえ武術家の性ってヤツにな……」
「…………!」
成虎に同意するようにうなずく志龍を見た凰珠は、火の点いた二人を何人たりとも止め立てすることは叶わないと悟り、その場にへたり込んでしまった。
「————さあて、それじゃあ、そろそろ始めようかい……!」
「ああ……!」
その時、雲に隠れていた満月が顔を覗かせた。再び注がれた月光が合図となって白虎と青龍が同時に地面を蹴った————。




