第十章『赤鳳(四)』
覚悟を決めたような表情で成虎が構えを取ったが、太鳳は殺気立っていた先ほどまでとは打って変わって落ち着いた様子になっていた。
「————どうしたい、太鳳の姐さんよう。俺を殺すんじゃあなかったのかい?」
「……そのつもりだったんだけどねえ。どうもアンタのことが気に入ったみたいでね、殺すのが惜しくなってきたんだよ」
思いも寄らぬ太鳳の言葉に内心驚いた成虎だったが、そのことは噯気にも出さず手を広げた。
「そいつぁありがてえ。それじゃあ一つ、ここらで手を打ってキレイにお別れと行かねえかい?」
「それは駄目だね。アタシは一度口に出したことはやり遂げて来た。さっきも言った通りアンタが助かる道はアタシに殺されるか、叩頭するかの二つに一つさ」
「そりゃあ立派な心掛けだが、俺の道はまだ残ってらあ。駆けくらべで負けた以上は腕くらべで勝たせてもらうぜ」
「好きにしたら良いけど、叩頭するなら早くするんだよ。死んじまったら遅いからねえ」
まるで己が負けることなどあり得ないといった口ぶりである。ここまで相手に舐められたことなどない成虎ではあったが、一度手を交えると決めたからには頭の中は冷静であった。
(女を相手にすんのぁ気が進まねえが、こうなっちまったからには仕方ねえ。凰珠相手に温めてた手を試させてもらうとするぜ)
無言で全身に真氣を漲らせた成虎の姿に、太鳳の眼光が鋭さを帯びた。
(……ほお。どうやら軽功だけじゃなくて、武術の方もそこらの男とは一味違うようだねえ)
太鳳の背から伸びた翼が静かに羽ばたくと、次の瞬間には真氣の粒子を蛍のように残して、その身体が見えなくなった。
「————ッ‼︎」
首から血飛沫が舞った成虎は瞬時に首筋を押さえて後ろを振り返った。そこには優雅に8の字を描きながら旋回する太鳳の姿があった。
「おや、今ので終わらせるつもりだったんだけど、やはり大したものだねえ」
「…………!」
成虎は止血の経穴を突いて思案する。
(……今のは赤い影が通りすぎたくらいにしか見えなかったぜ……! さーて、どうしたモンかね)
絶体絶命の窮地だというのに成虎はどこか楽しげに舌を出して見せた。その様子に太鳳の眉がピクリと持ち上がり、再びその身を赤き矢と化して手負いの虎に襲い掛かる。この二撃目は成虎の左腕に裂傷を負わせた。
(チェッ。志龍の野郎といい、この高飛車姐さんといい、尽く俺の硬氣功を破ってくれやがる。いい加減自信なくしちまうぜ)
成虎の気が一瞬逸れたところを確認した太鳳はますますその速度を上げていった。
————次々と放たれる矢によって成虎は瞬く間に全身をなます斬りにされたが、どれだけ傷が増え血が流れようとも、その眼に宿る不敵の色が暗く濁ることはない。
攻撃の合間に宙を旋回していた太鳳は不服そうに鼻を鳴らした。
「フン、気に入らないねえ。お前のその眼……」
「そいつぁ申し訳ねえが、親父とお袋に貰った大事なお眼々なモンでね。勘弁してくんな」
この期に及んでも相変わらず人を食ったような成虎の物言いに、太鳳の眼が据わった。
「…………気が変わったよ。お前は殺さずに四肢を斬り落としてやる。頭と胴体さえ無事なら叩頭は出来るからねえ……!」
「ソッチの趣味はねえんだが、お手柔らかに頼むぜ。太鳳の姐さんよう」
太鳳は美しくも凶悪な笑みを浮かべ、全身に真氣を巡らせる。背後の空間が歪むような氣の奔流に成虎は冷や汗を流した。
(……俺ってヤツぁ、何だってこんな場面でも口が減らねえんだろうな。ほとんどビョーキだね…………つっても意地を張れなくなっちまったら、岳成虎さまじゃあねえよなあ!)
苦笑いを浮かべた成虎は自らを鼓舞するように頬を張った。
「————来いや、高飛車女ぁッ‼︎」
成虎の挑発に太鳳の眼が見開かれ、限界まで引き絞られていた矢が放たれた。
(————まずは、ちょこまか動けないように脚から貰うよ‼︎)
それは今までで最速の一撃であったが、放たれたと同時に標的である成虎が後方に倒れ込み、見事に空を斬ってしまった。
(何————ッ⁉︎)
仰向けになった成虎の真上を通り過ぎた太鳳は尾羽を用いて天高く急上昇した。上空から隼のような太鳳の眼光が大の字になった成虎の姿を捕捉する。
(血の気の引いた青白い顔に虚な眼————出血多量か……! そんなつまらない死に方はさせないよ‼︎)
重力を味方に付け急降下した太鳳の手刀が成虎の首を刎ねるかと思われた刹那、そのしなやかな腕が何者かに掴まれた。
「なっ…………⁉︎」
「……へへっ、地面に激突するワケにゃあいかねえとなると、速度も緩むってモンだよなあ」
出血多量で朦朧としていた先ほどまでが嘘のように、いつもの魅力的な笑みを浮かべた成虎が得意げに口を開いた。
「お前……っ、倒れ込んだのは演技だったのかい……‼︎」
「悪いなあ。おめえさんが余りにも速すぎて、とっ捕まえるにゃあこんな手しか思い付かなかったんだわ」
「くっ…………‼︎」
右腕を掴まれた太鳳は左腕を刀にして改めて成虎の首を薙ぎに掛かったが、一瞬早く成虎の右掌が太鳳の胸に押し当てられた。
(————フン、何をする気か知らないが『軽氣功』には通じないよ‼︎)
構わず手刀を振り下ろした太鳳だったが次の瞬間、押し当てられた成虎の掌から怒涛の如き真氣が押し寄せるのを感じた。
(何だ……っ、この衝撃は————ッ⁉︎)
乾いた破裂音が辺りに響くと同時に太鳳の身体が跳ね上がり、数秒ほど滞空した後、ドボンと小川に落水した。
成虎は右腕を天に突き上げた姿勢のまま一息つくと、少し嬉しげに口を開いた。
「————『浸透勁』、会得したりってか……!」
———— 第十一章に続く ————




