第九章『旅立ちの杯(二)』
掌門の間を後にした成虎は荷物をまとめると、数年前に彩族から譲り受けた馬を引き連れて再び桃源郷の外れの原っぱへとやって来た。出立の前に永蓮へ挨拶をするためである。
「ん……?」
永蓮の墓の前に見知った顔が見え、成虎は手を上げた。
「よう」
「…………」
酒壺を持った将角がうなずいて答える。二人の巨漢は肩を並べて墓の前に立った。
「小将角はどうしてえ?」
「熊将はお前に見せてもらった崩拳を一心不乱に修練していたが、先ほど疲れて眠ってしまった」
「そうかい。しっかり稽古つけてやりな」
「成虎、お前も弟子を取ってみたらどうだ?」
「ああ? 急になんでえ?」
「弟子を持つと逆に教わることも多い。必ずお前自身の成長にもなる」
「そいつぁなによりだが、俺ぁまだ自分のケツを拭くだけで手一杯さあ。それに————」
成虎は南の方角へ顔を向けた。
「今の俺にゃあ、やらなけりゃあいけねえことがある」
「……行くのか?」
「ああ、南で妖怪が暴れてるらしい」
笑って答えると成虎は墓の前に屈んだ。
「出発する前に周姉さんに挨拶しとこうと思ってよ」
「そうするだろうと思って待っていた」
将角は懐から杯を三つ取り出し酒を注いでいく。一つを墓前に供えると、一つを成虎へ向けた。
「お前の幸運を祈る杯だ。受けてくれるか?」
「オイオイ、誰に向かって言ってんだい?」
成虎は杯を受け取ると、何かを思い出したように笑った。
「————そういやあ、おめえと初めて会った時も酒があったな。お互い武術家だってえのに、拳を交えるより先に呑みくらべしたんだったよな」
「……そうだったな。あの時は邪魔が入ったが、あのまま続けていれば俺が勝っていただろうな」
「抜かしやがれ。おめえあの時、呂律が回ってなかったじゃねえか」
「そんなことはない。お前こそ眼がトロンとしていたぞ」
思い出話に花を咲かせた二人は顔を見合わせ笑い合う。
「————おめえとツルんでた時は面白かったなあ。デケエ狐の妖怪を協力してぶっ倒したり、彩族のオッサンと朝まで飲み明かしたりよう」
「そうだな……」
一瞬、寂しそうに眼を伏せた将角は意を決したように杯を掲げた。
「武術ではお前に後れを取ったが、次に会う時は筆頭弟子の称号は返上してもらうぞ、成虎」
「ああ、俺の懐にゃあデカ過ぎる称号だ。是非そうしてくれや、将角」
応えるように成虎が杯を掲げると、二人は交互に口上を述べる。
「ヤンチャな義弟の幸運と健闘を祈って————」
「もう一人の義兄の健康と長寿を祈って————」
『————乾杯‼︎』
二人は同時に杯を干すと、勢いよく地面に投げつけ割り合った。正式な契りは交わしていなかったものの、二人は互いを義兄弟と捉えていたのである。
口元を拭った成虎は永蓮の墓へ顔を向ける。
(……それじゃあ行ってくるぜ、周姉さん)
それきり成虎は声を掛けることも振り返ることもなく、まるで散歩にでも行くような足取りで去っていってしまった。
「————周師妹、天からアイツを見守っていてくれ」
去りゆく義弟を眼で追うこともなく、将角は天を仰ぎ見た。
————桃源郷を出た成虎はようやく振り返った。
(……ここに来た時の俺は図体ばかりデケエだけの子供だった。多少腕が立ってもすぐに慢心しちまって、他人の気持ちを知ろうとも思わねえどうしようもねえ奴だった————けど、今は違うぜ)
桃源郷で過ごした日々は十年にも満たないものだったが、様々な経験を経て武術の腕だけでなく、精神まで成長できた自負が成虎にはあった。
(————見てやがれ、生まれ変わった岳成虎さまの第二章はこっからが開演だぜ————!)
不敵な笑みを浮かべた成虎は、馬の腹を蹴って颯爽と駆け出した。
———— 第十章に続く ————




