第七章『活きた獲物と女心(一)』
————成虎が白虎派に入門して一年が過ぎた頃————。
桃源郷の外れの原っぱには、組んだ手を枕にしてだらしなく寝そべる成虎の姿があった。阿呆のように口を開けて虚空を見つめるその様子からは、一年前のやる気に満ち溢れていた姿はとても想像が出来ない。
その時、背後から草を踏む音と共に軽やかな女の声が聞こえてきた。
「————こんな所で何をしているの?」
「見て分からねえかい? 雲を数えてんだ」
「……それは面白いの?」
「面白くはねえな。けど、他にやることもねえしな」
成虎の素っ気ない返事に女は苦笑いを浮かべて隣へ腰を下ろした。
「面白くもない雲を数える暇があるのなら、鍛錬に精を出してみたらどう?」
「精は出してたぜ。ここの奴らをゴボウ抜きにしちまうまではな」
「ふうん、それで岳弟はすっかりやる気を失くして不貞腐れてるってワケだ?」
「その『岳弟』ってのはやめてくんねえかい? 鼻がムズムズしてきやがるぜ」
「何言ってるの。歳上で入門も私が先。さあ、早く周師姉と呼びなさい!」
女————周永蓮は得意げに胸を張った。
「へーへー、分かったよ。周姉さんよ。これでいいかい?」
「分かればよろしい」
成虎が腕を広げて答えると、永蓮は満足したように笑みを浮かべた。
白虎派の女弟子・周永蓮は成虎の三つ歳上で入門は一年先である。陽に焼けた肌をしており、いかにも田舎娘といった風体だが、わりと整った顔立ちと世話好きの性格のため白虎派の若弟子の間では密かに慕う者も多かった。
「————ねえ、岳弟。何か悩み事があるなら言ってみなさいよ。人に話せば解決できるかも知れないわ」
「……さっき言った通りだ。ここの弟子の中にゃあ、俺の相手になるような奴ぁもういねえ」
「羅師兄がいるじゃない」
永蓮の口から将角の名が出ると成虎は溜め息をついた。
「……そうだな。酒量でも武術の腕でも俺とタメ張れるのは将角のアニキくれえなモンだ。だが、奴ぁもう…………」
「死んじゃった風に言わないの! 師兄は任務で外界に出てるだけでしょ!」
永蓮がたしなめると、成虎はガバッと上半身を起こした。
「不公平じゃねえか。俺だって外に出てえよ。もう一年も酒楼に行けてねえし、博打だってやれてねえ!」
「あのね、任務だって言ってるでしょ。師兄は遊びに出て行ってる訳じゃないのよ?」
「分かってんだよ、んなこたぁ! けど人間にゃあ、息抜きってモンが必要だろうよ!」
「その気持ちは分かるけど、入門して三年は桃源郷から出てはいけないって掟があるのよ」
「いってえ何処のどいつが決めたんでえ、そのクソみてえな掟は!」
「————妾じゃ」
背後からの艶かしい声に永蓮は血相を変えて振り返った。
「————し、失礼しました!」
音も気配も無く二人の背後に立つは白虎派の掌門・西王母その人である。永蓮は慌ててひざまずくが、成虎は興味なさそうに再び寝転んでしまった。
「珍しいな。アンタがお供も連れずに宮殿からお出ましになるたあ」
「『千里響音』も『千里眼』も大量の真氣を消耗するものじゃ。そう易々と使うておる訳ではない」
「つまり、己の力を誇示して相手を威圧する時しか使わねえんだな?」
「…………」
成虎の軽口に西王母は遮るように扇子を振って答えない。
「岳弟! 西王母さまになんて無礼な物言いなの! まず立ち上がりなさい!」
「よいよい。そなたは真面目じゃのう、永蓮や」
「は、はい……」
西王母は永蓮をなだめると、寝転んだままの成虎へ濡れた瞳を向けた。
「己と対等の者がおらぬ故、張り合いを失くしたか成虎や?」
「まあ、そんなトコだな」
素っ気なく答える成虎に西王母はうなずいた。
「————よろしい。退屈に喘いでおるそなたに妾が刺激的な贈り物を進ぜよう」
「…………」
刺激的という言葉に反応した成虎は目線を西王母へ向けた。
「そなた、『青龍派』を知っておるな?」
「ああ、名前だけはな」
「近く青龍派との間で『交流試合』を行うことと相成った」
「……交流試合?」
試合と聞いた成虎は目線だけでなく顔を向ける。
「無論、呑み比べなどではないぞ。武術の腕前を競うものじゃ」
「取り決めは?」
「うむ。双方、若弟子の中から五名を選び出し一対一の勝負を行う。勝負は寸止めとするが、剣や拳に眼は付いておらぬからのう。万が一、相手を殺してしもうても試合中の事故として不問とする」
「要するになんでもござれってことじゃねえか。最初っからそう言やあ良くねえ?」
「飽くまでも、試合を通して両派の親睦を深めるという名目じゃ。門派間には建前というものが必要なのじゃ」
「へーえ、大人の世界ってのはいろいろ大変だねえ」
成虎は広背筋から真氣を放出した反動でフワリと浮かび上がり、ゆっくりと着地した。
「————気に入ったぜ、バアさん。その贈り物」
「それはなによりじゃ」
「コラ! 西王母さまになんてこと————ってどこに行くの、岳弟!」
永蓮が呼び止めるが、成虎は後ろ向きのまま手を振って去って行ってしまった。その大きな後ろ姿を眼で追いながら、永蓮が憤慨した様子で腕を組んだ。
「もう! 本当に自分勝手なんだから!」
「気にするでない、永蓮。妾とて虎を易々と飼い慣らせるとは思うておらぬ」
「西王母さま……?」
「虎を動かすに餌だけでは足りぬ。虎を満足せしめるには活きの良い獲物を用意せねばのう……」
西王母の口元は扇子で覆われていたが、わずかな愉悦を含んだその口調に、永蓮の背筋にゾクリと冷たいモノが走った。




