人形屋敷に住まう人形
街外れ、鬱蒼と広がる森の中、豪華な屋敷がある。
そこに暮らすのは、資産家として有名な老夫婦。
その老夫婦には、幼い一人息子がいた
その老夫婦が遅くに授かった息子は、生まれつき体が弱く、
屋敷の中でも車いすに乗って過ごす生活をしていた。
どんな大病院でもさじを投げられ、治療する方法も見つからない。
そんな息子を不憫に思った老夫婦は、
息子の病気平癒を願って、
五月の子供の日に、立派な五月人形を用意した。
五月人形とは、子供が丈夫に成長するように願うもの。
有名な職人が作った高価な五月人形は、
しかし、息子の体を治してはくれない。
だから老夫婦は考えた。
きっと、他人が作った五月人形には願いが込められていないからだ。
いくら高価でも、他人に作らせたものでは駄目なのだ。
そうして老夫婦は、五月人形を自分たちで作るようになった。
最初は見よう見まねで、しかし精一杯に丹精込めて。
しかしやはり息子の体は良くならない。
思い通りに動かない体に息子は癇癪を起こし、生活は荒れていく。
息子が物を投げつけた跡や、割れた窓ガラスの跡が、屋敷に増えていった。
だから老夫婦は更に考えた。
きっと、自分たちが作った五月人形が不出来だから、数が少ないから。
自分たちが作った五月人形に不足があるから、息子の体は良くならないのだ。
そうして老夫婦は、五月人形では飽き足らず、もっと人形を作るようになった。
時期や形式に拘らず、秋でも冬でも、
武者人形だけではなく、体を持った人形を。
ずっと人形を作っている間に老夫婦の技工は上達して、
今やその老夫婦が作る人形は、遠目には人間に見紛うほど。
屋敷の中は、たくさんの人形であふれて、
それでも収まりきらなかった人形が屋敷の外にまで並べられて、
偶然森に入った人たちの間で、人形屋敷だと噂されるようになる有様。
しかしそれでも息子の体は良くならない。
だから、またしても老夫婦は考えた。
無闇に人形の数を増やすだけでは駄目なのだ。
もっと意味のある材料を使って、術を施して。
そうして老夫婦は、希少な材料を買い漁り、怪しげなまじないに傾倒していった。
希少な材料やまじないには法外な金がかかるもので、
豪華だった屋敷はやがて名実ともに傾いていった。
それから月日が過ぎて。
夕暮れ時、街外れに鬱蒼と広がる森の中。
数人の子供たちが集まって、何やらゴソゴソと話をしていた。
「というのが、これから忍び込む人形屋敷の話ってわけ。
どうだ?面白そうだろう。」
集まってそう話すのは、近所の街の子供たち。
坊主頭や半ズボン姿の子供たちが、
近所で有名な人形屋敷の調査、あるいは肝試しをしようと、
夕暮れ時の森にこうして集まっていた。
子供たちは薄暗い森の中を歩きながら、
人形屋敷の噂話をおどろおどろしく話している。
「それで、その屋敷の人たちはどうなったの?」
「今も家族三人で屋敷に住んでいるらしい。」
「ということは、息子さんの病気は治ったんだ。
よかったねぇ。」
「ところが、そうでもないらしいんだ。
話によると、人形屋敷の老夫婦は、禁断の秘術に手を出したらしい。」
「禁断の秘術?それってどんな?」
「詳しくはわからない。
でも、噂によると、このあたりでは、
犬や猫なんかの小動物がいなくなることが度々あったらしい。」
「それってまさか、禁断の秘術のために?」
「そうかもしれない。
犬や猫なんかの小動物がいなくなることが続いて、
ある日、とうとう人間の子供がいなくなったんだって。」
「わたし、それ知ってる。
友達が、いなくなった子と同じ学校のクラスだったんだ。
行方不明になった子は、今も見つかってないんだよ。」
「いなくなった人間の子供はまさか、人形の材料に・・・?」
「あっ、見えてきたよ。」
子供たちが噂話に身を縮こませていると、
行く手の森に屋敷の先端が姿を現したのだった。
鬱蒼とした森が開けて、目の前に薄暗い草原が広がった。
その草原の真ん中に、大きな屋敷が建っていた。
建物は古くくたびれていて、かつての豪華さは鳴りを潜めている。
屋敷を取り囲むように柵が続いていて、
正面には大きな門が備わっているが、
古くなったせいか門戸は外れてしまっていた。
少し躊躇してから、子供たちは外れた門戸を跨ぎ越えていく。
「柵をどう乗り越えようかと思ってたんだけど、
心配する必要は無かったみたいだな。」
「門以外も、心配する必要は無いみたいだよ。」
先に進んでいた子供が、屋敷の玄関の扉に手をかけると、
大きくて重そうな玄関の扉は見かけだけで、
何の抵抗もなくその口を開けていた。
その様子を見て、子供たちの何人かが不審そうに眉を潜める。
「玄関に鍵がかかってない?空き家になったのかな。」
「あるいは、罠なのかも。」
「何のために僕たちを罠に?」
考えていても答えは出ない。
子供たちは意を決して、人形屋敷の扉を潜った。
人形屋敷の内部は薄暗く、明かりが乏しい。
子供たちは一塊になって、懐中電灯の細い明かりを頼りに、
あてもなく屋敷の中を彷徨った。
目についた扉を開けると、そこは客間で、
かつては豪華だったであろう古い内装で彩られていた。
また別の扉を開けると、そこは書斎で、
見たこともないような外国語の本がたくさん本棚に詰め込まれていた。
そうして子供たちが幾つ目かわからない扉を開けると、
何やら大きな部屋に行き着いた。
「ここ、何の部屋だろう。ガレージかな。」
「でも、並んでるのは車じゃないみたいだよ。
暗くてわかりにくいけど、何かの箱みたい。」
その大部屋には、床に等間隔に長細い箱が並べられていた。
箱の向きが整っているところから、
子供たちはそれをガレージに並べられた車と連想した。
しかし、真相は違うものだった。
「ねえ!これ、ただの箱じゃなくて・・・」
「・・・棺桶だ!」
それが正解だと答えるかのように、
床に並べられていた箱の蓋が一斉に動いて、
中から腕だの足だのが這い出て来たのだった。
「中から人が出てきたよ!」
「きっとゾンビだ!」
「みんな、早く逃げて!」
「駄目だ!出入り口のあたりはもう塞がれてる!」
懐中電灯を向けてみると、
いつの間にか現れた人影たちによって、部屋の出入り口はおろか、
子供たちの周囲は包囲されてしまっていた。
逃げ場を失った子供たちは、
棺桶から現れた人影たちの硬い手によって捕らえられてしまった。
強く硬い腕に羽交い締めにされて、
薄暗い屋敷の中、子供たちが運ばれている。
屈強な腕はどうあがいても振りほどけそうにない。
このまま連れて行かれる先は、牢獄か、拷問部屋か。
そうして、怯えた子供たちが連れて行かれた先は、
薄暗い地下室・・・ではなく、明るく清潔な空間だった。
照明を眩しく反射する清潔なテーブルクロス、
茶葉の香りがふんわりと漂うティーセット、
どこからどう見てもそこは食堂だった。
テーブルの周りには、
上品そうな白髪の老夫婦と、
車椅子に座っている人影が、静かに控えていた。
白髪の老爺は、子供たちを見ると、やわらかく笑って口を開いた。
「ほっほっほ、驚かせてしまいましたかな。
野犬か何かが屋敷に入ったのかと思って、
つい、この子たちを動かしてしまいました。」
「ところが、屋敷に入ったのが子供たちだと気が付いて、
慌てて、この食堂の方にお連れするようにしたんですよ。
このお茶は、あなたたちのために用意したのよ。」
白髪の老婆が可笑しそうに笑いながら言う。
どうやらこの老夫婦が、この人形屋敷の主らしい。
噂から予想していたのと違い、上品で気さくな人柄のようだ。
一方、車椅子に座っている人影の方は寡黙で、口も利かないどころか、
うつむいていて顔もよく見えない。
これが息子と思われるが、こちらは人形屋敷の噂通りの人柄らしい。
それから、子供たちをここまで連れてきた人影はと言うと、
それらはそもそも人間ですらない作り物の人形。
子供たちを捕まえていたのは、たくさんの人形たちだった。
「ほっほっほ。その人形たちも、私と家内で作ったんですよ。
年寄り二人にこの屋敷は広すぎますからなぁ。」
「お掃除にお洗濯に、役に立ってくれてますよ。」
老夫婦二人がやさしい笑顔で人形たちの話をする。
それはまるで、親が子の話をするかのよう。
禁断の秘術だの、小動物や人間の子供を捕らえて人形の材料にしてるだの、
それらは全て子供たちの杞憂だったようだ。
それから、老夫婦と子供たちとの、遅いお茶会が催された。
老夫婦は子供たちの質問には何でも答えてくれた。
老夫婦が息子のために、いかに苦学して人形を作る術を身に着けたか。
その甲斐あって、全快には至っていないものの、
息子の体は良くなっていること。
その過程で作られた人形たちは、
今もこの屋敷での生活を支えてくれていること。
老夫婦の話は、子供たちには理解できない部分もあったものの、
満足そうなその表情を見ているだけで、
今の生活が老夫婦にとってしあわせであろうことが伺えた。
一方、件の車椅子の人影の方はと言うと、
やはり一言も口を利くことなく、黙って車椅子に座っているだけ。
配膳されたお茶やお茶菓子にも一切手をつけていなかった。
子供たちの視線に気が付いて、老夫婦が言う。
「おやおや、若い人にはお茶菓子が足りませんでしたか。
どうぞ、息子の分ですが、こちらも召し上がってください。」
「遠慮なさらずに、どうぞ。
息子には後で別のものを用意させますから。」
老夫婦が差し出した洋菓子は、
子供たちの間で奪い合いになり、
瞬く間にその胃袋の中へと飲み込まれていった。
そうして、老夫婦と子供たちとのお茶会は、穏やかに過ぎていった。
人形屋敷と呼ばれる屋敷の食堂に、
老夫婦と子供たちの朗らかな笑い声が満たされている。
しかし、楽しい時間は早く過ぎ去るもので、
やがて子供たちが古時計を見て時間を気にし始めた。
「ねえ、そろそろ帰らないとまずくない?」
「あ、本当だ。もう夕飯の時間だ。」
「ぼく、帰らないと。」
そうしてお茶会はお開きとなって、
子供たちは屋敷を後にすることになった。
お土産にお茶菓子の包みを持たされて、
子供たちはすっかり暗くなった森の中を帰っていく。
「ずいぶんとごちそうになっちゃったね。」
「うん。おじいさんもおばあさんも、いい人だったね。」
「てっきり、お茶に毒でも入っていて、
僕たちは人形の材料にされるのかと思ったよ。」
「あははは。それはないって。」
三々五々、子供たちはそれぞれの家路に戻っていく。
その後ろ姿を、老夫婦が車椅子を押しながら、柔らかな笑顔で見送っていた。
柔らかな笑顔のままで、小さく声を出す。
「・・・人間の子供を人形の材料にだなんて、
そんなことするわけがないよなぁ。」
「ええ。そんなことをしても意味がないですもの。
必要なのは、本人の体ですからね。」
「他人の体では意味がないと、もう試して確認したからなぁ。」
「この体があれば、この子はこれからもずっと、
わたしたちと一緒にいられますね。」
「ああ、そうだね。さあ、私たちも家に帰ろう。」
老夫婦は身を寄せ合って、屋敷の中へと帰っていく。
その手に押される車椅子には、人影が座っている。
かつて、老夫婦の息子だった人影は、
今や一つも身動きせず、ただ黙って座っているだけだった。
終わり。
五月なので、子供の日の話を書こうと思いました。
五月人形は子供が丈夫に育つことを祈願するものということで、
子供の健康と人形の話になりました。
親は子供のためにありとあらゆることをしてくれる、
とても有り難い存在だと実感します。
でも、もしも親が目的を見失ってしまったら、
途端に子供にとっては驚異となってしまう。
親が、思い通りにならない子供よりも、
従順な人形の方を選んでしまったら。
そんなことを考えていたら、何だか恐ろしくなってしまいました。
お読み頂きありがとうございました。