(二十二)
「どうかされましたか?」
と、蔦が尋ねてきた。善十郎が遠き山影に目をやっているのに気付いたのであろう。
「いや……の。もしかしたら、嵐にでもなるのやもしれぬ。あちらで雷でも光ったように見えたのじゃ」
「雷、でございますか。それは奇妙。今宵は月こそ見えませぬが、よく晴れ渡っているはずにございます」
では、何かの見間違いであろうか。そう思いかけたところへ、ごろごろという雷鳴が聞こえてきた。はじめは遠く、風に乗るように。されど徐々に、細かく地を震わせるように響きはじめる。
「やはり雷……いや、これは?」
地を伝ってくる響きは、なかなか収まろうとはしなかった。それどころか他にも何か、獣の唸りにも似た低い鳴動が波のように迫ってくるのがわかった。
雷ではない、地揺れだ。それもかなり大きい……そう気付いたその刹那、いきなり下から激しく突き上げられた。善十郎は椀を取り落とし、両手を突いて辛うじて縁から転がり落ちるのを堪えた。
続けて、大波をまともに食らったが如き横揺れに襲われる。粗末な庵が悲鳴のような音を立てて歪み、軋む。咄嗟に手を伸ばすと、姿勢を崩した蔦がその中に飛び込むようにしなだれかかってきた。善十郎はその思いの外か細い体を、両腕できつく胸にかき抱く。
それは地揺れであったにしても、これまで経験したこともないほどに激しいものであった。おそらくは庵も保ちはすまい。崩れてくる屋根の下敷きになる前に庭へ降りるべき。そうはわかっていても揺れはなおも強く、腰を浮かすことすらできなかった。
そうして見上げた視界いっぱいに、帰雲山の山影があった。その黒一色の山肌に、再びちらちらと瞬くような火花が散るのが見えた。それとともに闇の底で何かが蠢き、ゆっくりとずり落ちるように動きはじめるのがわかった。
ああ、と声が漏れた。山が……帰雲山が割れる。
その崩れた片割れが、巨大な土塊となって押し寄せてくる。そこかしこに見えていたはずの篝火も、いつの間にか土埃にかき消される。城も、屋敷も。城下の家々も、高く天に突き出したような屋根のひとつひとつも、すべてを飲み込んでゆく。
ふと声が聞こえた気がして、腕の中の女に目を落とした。女は善十郎の胸に頬を押し付けながらも、うっすらと微笑んでいた。それはあたかも夢見るような、満ち足りた笑みに見えた。
「死にとうは……ございませぬなぁ」
もう一度、女がそう歌うようにつぶやくのが聞き取れた。その言葉に、思わず善十郎も笑みを溢していた。ああ、おのれも同じよ。かようなところで、かようなありさまで、死にとうはない。これはいくら何でも、あんまりであろう。まだまだ生きて、この内ヶ島という家の行く末を見届けたいと思うておる。まったくもって浅ましいことよ。
そうしてようやく、先ほどの女の言葉の意味を得心していた。捨て鉢で飛び込んだ地獄の戦場で生を拾い、当てもなく流された果て、世から取り残されたかのようなこの山奥の地で、おのれは惜しむに足るものを見出していたということだ。だからこそかように死が恐ろしい。命が惜しい。
そのことが、かようにも嬉しい。善十郎は気付かずに笑っていた。高らかに、心の底から。ああ……死にたくはないのう、と。
その笑いも、すぐに押し寄せる土塊にかき消された。




