(二十一)
日輪はあっという間に稜線の陰に姿を隠し、あたりはすっかり夜陰に包まれた。風はひんやりと冷たかったが、今は不思議とそれが心地良かった。
善十郎は縁に座り、濁り酒を満たした椀を傾けながら、囲炉裏の傍で肴の用意をしている蔦へ声をかける。
「今宵はおぬしも飲まぬか」
「いえ……私はここで」
と、女はいつものように固辞する。それでも今宵ばかりは、善十郎も重ねて言った。
「良いから付き合え。どうせしばらく城へは顔を出せぬ。こうして戻ってきて、独り酒ばかりというのも味気ないものよ」
城では明日、御家の存続を祝して盛大に宴が催されることとなっている。むろん善十郎の出入りが禁じられているわけではない。されど姿を見せれば氏行が嫌な顔をするであろうし、若き主のそのような顔を見るのも心苦しかった。
「それに、此度我らはともに戦場を駆けたではないか。ならば遠慮は無用ぞ」
その言葉に、蔦はくすりと笑いを漏らした。そうしてしばし迷ったのち、諦めたように小さく頷く。
「そうでありましたね。では、一献」
女は立ち上がると、音もなく歩み寄ってきた。そうしての傍らにふわりと座ると、差し出された椀を手に取る。善十郎はその器に酒を注ぎながら、ぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「また、死に損なったということかの」
「やも、しれませぬな」と、蔦は答える。そうして椀を両手で包み込むように持ち、月のない夜空を見上げる。「それが、残念にございまするか?」
「さてな……どうであろうの」と、善十郎はおのれの胸の裡を探った。「よくわからぬ。ただ、殿や若殿が生きておられるのは、喜ばしきこと。今は、それでよい」
そのうちのひとりには、すっかり嫌われてしまったが。されどあたら若き命を散らされるのに比べれば、その程度はどうということもない。おのれはただ、かの若者が立派な主に成長してゆく姿を見ることさえできればそれでよいのだ。
そこまで考えて、善十郎ははたと気付いた。なるほど、どうやら此度ばかりは、おのれ自身も生き延びたことを嬉しく思っているのやもしれぬ。この地で、かの人々と、この先もともに過ごしてゆけることを、心から喜ばしく感じているのやも。
「旦那さま……私は思うのです」
しばしの沈黙ののちに、蔦がぽつりと口を開いた。
「もしかしたら私たちのような者は、死に場所などを探しているうちは死ねぬのではないでしょうか」
善十郎は訝るような目を女に向け、「どういうことだ?」と尋ねる。蔦はそれには答えずに、酒をひと含み口に運んでくすりと笑った。それはいつもの冷笑とも違う、どこか自嘲めいて苦々しげなものだった。
「おそらく人というものは……まだ死にたくない、生きていたいと浅ましくのた打ち回りながら、惨めに無様に命を閉じるべきなのでございましょう。なぜならそれは正しく、惜しむに足る人間を送っているということに他なりませぬゆえ」
それだけ言うと、女は静かに目を閉じた。その面差しに、善十郎はふと思うものがあって問う。
「蔦よ……おぬしもまた、死に場所を探しておったのか?」
「……さて」と、女は首を傾げてみせる。肯定も否定もせずに。「今は、死にとうございませぬな」
またしてもはぐらかされて、善十郎は憮然として目を逸らす。そうしてぐいと酒を喉に流し込むと、負け惜しみのように吐き捨てた。
「やはり、おぬしという女子はわからぬ」
その言葉に、蔦はまたくすくすと笑い出した。それは先ほどとも違い、可笑しくて堪らぬといったような楽しげな笑いだった。
「何が可笑しい」
「だって、それでは……」と、女は切れ切れに答える。「まるで私以外の女子であれば、わかっているかのような物言いにございます」
どうやら何を言っても弄ばれるようであった。善十郎はとうとう口を噤み、目を暗い夜空に向ける。
その視線の先、帰雲山の頂のあたりに、何かがきらりと光るのが見えた。稲光か何かであろうか。




