(二十)
そんなとき、城の広間ではちょっとした騒ぎが起こっていた。床を出てきたばかりの氏理は、小姓のひとりを捕まえて尋ねる。
「騒がしいのう。いったい何があった?」
「あ……殿。お加減はもうよろしいのでございますか?」
城に戻った氏理は出入りの医師から、脈がよろしくないという診察を受けて、しばらく床で休んでいたのだった。されどおのれとしては特に気分が悪いわけでもなく、大事はないだろうと思って起き出してきたところだ。
「少々疲れが出ただけよ。姉上も備前も気にし過ぎじゃ。それよりも……」
と、あらためて騒ぎの子細を聞き出す。どうやら城に祝いの品が届いたことが騒動の発端らしい。その送り主が、どうやら川尻備中守を名乗っているとのこと。
「備中が……まさか?」
「はい、もちろんかのご家老さまではございません。その……おそらくは、勘兵衛さまかと」
その名を耳にして、氏理の顔も強張った。敵に寝返り、向牧戸の城の秘を漏らして落城へと至らしめた張本人である。それは慥かに、捨て置けぬことであった。
「使者の口上では……これにてともに金森どのの麾下となったゆえ、過去は水に流して手を携えて参ろうとのこと。よくもまあぬけぬけと……」
「それで、備前はどうした?」
「使者を斬り捨てようとなさるのを、皆でお止めしました。あの冷静な尾上さまが、かように激昂されるのははじめてにございます。お怒りのあまり奥歯を噛み砕いてしまいまして、血を吐かれるほどにございました」
さもありなん、と氏理は頷いた。氏綱にとって備中守氏信は、童の頃からともに過ごし、長年この内ヶ島を支えてきた朋友であった。その氏信の死を誰よりも悼んでいるのはあの男に違いない。
氏理は歩を進め、義弟が休んでいる奥の間に向かった。途中で騒ぎを聞きつけた氏行と行き合うと、どうやらまだ不貞腐れているらしく、口をへの字にきつく結んだままだった。
「勘兵衛のことは聞きました。不愉快にもほどがあります。やはり、宴など催している場合ではありませぬ」
その傍らで、小太郎が申し訳なさそうに頭を下げてくる。この者も困り果てているようだ。氏理はむしろ気の毒になって、案ずるでないと目だけで伝えてやる。
奥の間に着くと、氏綱は壁にもたれかけていた身体を慌てて起こして氏理に向き直った。
「これは殿……お見苦しいところを」
氏理は「構わぬ」と首を振り、氏綱の前に膝をついてしゃがんだ。「わしも心持ちは同じよ。されど今は堪えるのじゃ」
「わかっております」と、氏綱は口惜しげに頷いた。「されど、まことにあの男……いったいどこまで我らを愚弄すれば」
氏理は傍らの嫡男へ目をやり、「右近には知らせるな」とだけ伝える。氏行も当然それはわかっていたようで、無言で頷き返した。そのとき、さらに小姓のひとりが慌てて駆け込んできた。そうして戸のところで平伏し、息を切らしながら言った。
「申し上げます……たった今、備中さまが……!」
「備中……?」氏理は唸るような声を返した。「おのれ勘兵衛、まだ何か……!」
「いえ……それが……」
と、小姓は言い淀んだ。そうして何をどう伝えようかと迷うように、頼りなく目を泳がせる。
一同は小姓の案内で、大曲輪へと駆け下りて行った。そうして大手門の脇にある、番兵たちの小屋へと飛び込んでゆく。そこに、薄汚れた身なりのずんぐりとした男がしゃがみ込んでいた。いかにも疲れ果てた様子で、傷も負っているのか腕を動かすのも難儀なようだ。それでも壮健ではあるようで、駆け込んできた氏理たちに気付くと弾かれたように顔を上げた。
「……備中、おぬし……!」
その髭面はまぎれもなく、備中守氏信その人であった。そうしてよろよろと身体を起こすと、氏理の前に両手をつく。
「……殿、面目次第もござりませぬ」
「何を言う……生きておったのか、嬉しいぞ」
続いて備前守氏綱がその前に膝をつき、肩を叩いた。そうして目を潤ませながら、「よくぞ戻った……備中、よくぞ……」と声を詰まらせる。
「何度も腹を切ろうとした……されどそのたび、あの腐れ乱破の声が聞こえての。あやつの澄ました顔を一度張り飛ばしてやるまでは死ねぬ。そう思うて、生き恥を晒してしまったわ」
それでよいのじゃ。氏綱はそう繰り返し、なおも肩を叩き続ける。やがて右近と刑部も駆け込んできた。そうしてその場に崩れるように跪く。
「父上、ご無事で……良かった」
その様子を、氏行もようやく笑みを浮かべながら見やっていた。氏理はその隣に並びかけ、囁きかけるような声で言う。
「のう孫次郎。これでもまだ、宴は要らぬか?」




