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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第四章 帰雲
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(十九)

 帰雲の城下は冬の訪れを前に、例年の如く賑わっていた。商人たちの荷車が忙しなく走り過ぎ、川面を高瀬舟が連なりながら遡ってゆく。声の大きさを競うように物売りががなり合い、童たちはそれを真似て笑いながら駆け回る。

 そんな中を、善十郎はゆっくりと歩いていた。いつしかその情景に懐かしさを覚えるようになったおのれを可笑(おか)しく思いながら。

 そうして街道を抜け、屋敷の前を通り過ぎ、その裏手へと回ってゆく。やがて木立の中に、半ば朽ちたような小さな庵が見えてくる。その庭には、身を屈めて茣蓙の上に何かを並べている女の姿があった。おそらくはまた、裏山で採れた山菜でも日干しにしているのであろう。

 その前まで辿り着き、善十郎は足を止めた。そして言った。

「今、戻った」

 女はとうに気付いていたはずだ。それでもまるで驚いたかのように顔を上げ、いつものように芝居がかった調子で答えた。

「これはこれは旦那さま……ご無事のお帰り、喜ばしきことにございます」

「……うむ」と、善十郎は頷く。そうして女の僅かな変化に気付いて尋ねた。「少し、痩せたかの?」

「はて、何のことでございましょう」

 この地に帰ってからひと月近く床から起き上がることもできず、女御衆の世話になっていたことなどおくびにも出さず、蔦はしらじらしく答えた。そうしてゆっくりと立ち上がると、膝のあたりの土を軽く払い、主を庵の中へと迎える。

 そのとき、不意に声が聞こえた。「おお、これは好敵手どのではないか。よくぞ戻った」

 振り返ると、小柄な老人のだらしないにやにや笑いがそこにあった。髷の結も乱雑で、髭は手入れもせずに伸び放題。当人はそれも風流と思っているらしいのがまた困ったところだ。

「これは(とう)どの、またこうして見えることができて嬉しゅうございます」

「心にもないことを……まあ、それも懐かしきものよ。ここにはわしに、さような世辞を言う者もおらぬでな」

 そう言って、七郎常堯はゆっくりと歩み寄って来る。まだ日も高いというのに酔っているのか、上体が頼りなげにゆらゆらと揺れていた。

 ともあれ立ち話も如何かと思い、善十郎は常堯を庵へと誘う。されど老人は苦笑しながら首を振り、手にしていた瓶子(へいし)を差し出してきた。

「それには及ばぬよ。今日のところは、無事に帰った祝いを持って来たまで。何でも城では明日、宴を催すそうじゃが……わしは顔を出せぬのでな」

「それは忝い。有難く頂戴致す」

 宴に顔を出せぬのはこちらも同じ。そう伝えようとも思ったのだが、理由を説明するのも面倒だった。ちと若殿の不興を買って、などと漏らせばまた話が長くなりそうだ。

「ところで聞いたか、飯島どの。此度の宴にはわざわざ能役者まで呼び寄せたのだが、肝心の笛の具合が良くないとかで、京へ帰ってしまったとのことじゃ。まったく、締まらぬ話よの」

「まあ、良いではありませぬか」と、善十郎も笑って返した。「それもこの内ヶ島の家らしきことよ。どうにも締まらぬまま、のらりくらりと乱世を渡ってゆくのが、あの殿には似合うておりまする」

 常堯は「それもそうよの」と頷く。そうして踵を返すと、手をひらりひらりと振りながら歩き出す。

 されど粗末な門のところでふと足を止め、肩越しにこちらへ目を向けてきた。

「そうじゃ。実のところわしも、最近碁の弟子を取っての。どうじゃ、好敵手どの。次は互いの弟子同士で手合わせといたすのは?」

 この七郎常堯が弟子を。意外な話に少し驚きながらも、善十郎は頷いた。「なるほど、それも愉しきことですな」

 おうよおうよ。満足げにそう繰り返し、老人は今度こそゆっくりと去っていった。



 宴の支度に沸く帰雲城で、孫次郎氏行はひとり憤懣()る方なき様子であった。その傍らで、小太郎義綱はおろおろとしている。何とか怒りを鎮めようと明るい話を振ってみても、まったく取り付く島もないありさまだ。

「そもそも、これはいったい何の宴なのじゃ。金森如きに頭を垂れ、命乞いをしたことがさほどに目出度いのか」

「されどこれにてお家は安泰、慥かに砺波は失い申したが、他の所領はこれまで通りにございますぞ」

「それが何じゃ。代わりに、我らは誇りを失のうたのじゃ!」

 その大声に、部屋の前を通り過ぎようとしていた女衆が驚いて足を止める。されど事情は察していたのか、慌てて顔を伏せて立ち去って行った。代わって、やれやれといった顔で右近が入ってきた。

「かような顔をしておると、女御衆が怯えまする。若殿も、どうかお機嫌を直されませ」

 しかしそんな右近の姿も、氏行にとっては苛立たしさをかき立てるものでしかなかった。いったい何じゃ、しばし会わぬ間にすっかり大人びおって。

(うるさ)い。おぬしもおぬしじゃ、右近。妙にすっきりした顔をしおって、いったいどうしたのだ。我は案じておったのだぞ……備中のことがあって、塞いでおるのではないかと」

「若殿は、怒っていてもお優しゅうございますな」そう言って、右近はさばさばと笑う。「されど我は大丈夫にござる。父のことは無念でござりましたが、それも武士(もののふ)の運命というもの。これよりは我が川尻の当主、しっかりせねばなりませぬ」

「……ふん」と、氏行は鼻を鳴らす。かつては皆から気遣われてばかりであった男が、今ではすっかり頼もしくなっていた。そのことの密かな妬心すら覚えたが、もちろん口には出せない。

「そのくせ何だ、いつの間にか七郎なんぞと親しげにしておって。あれがどういう男か、おぬしも知らぬわけではなかろう?」

「そうですな。されどあの方は、我の師匠でもありますゆえ」

 そう言って、妙に秘密めかして右近は笑う。そうやって余裕めかしていなされるのも、何だか面白くない。これではおのれひとりが子供みたいだ。

「ところで、半三郎はご一緒ではなかったのですか?」

 右近はあたりを見回すような素振りをして尋ねた。それに答えたのは小太郎だった。

「半三郎さまは、ひとまず荻町に残られました。何でも先日の地揺れで、普請中の堤の一部が崩れてしまったとかで……」

「ああ……先日の。半三郎も大変ですな」

 と、右近は頷く。このところ地揺れが続いていて、数日前のものはここ帰雲でも大きく揺れた。城下に特に被害はなかったが、領民たちの間に不安も広がりはじめている。その不安を紛らわすためにも、明日の宴は盛大なものにしたいところだった。

「はい。それでも明日には顔を見せるとの仰せにございます。右近さまにお会いできるのを楽しみにされておりましたよ」

「それは良うございました。然らば若殿、また三人で楽しく語らいましょう。若殿もそろそろ、酒などお召しになってもよろしい頃にございますぞ」

 それは慥かに楽しみではあった。三人が揃うのは一年前、半三郎が荻町城へ帰る前夜に水杯(みずさかずき)で宴を開いて以来だ。それでも氏行はまたふんと唸るような声を漏らし、顔に浮かびかけた笑みを噛み殺す。

「では、またのちほど」と言い残し、右近は広間へと戻って行った。その背中を見送ると、氏行はじろりと目を巡らせ、小太郎を睨む。

「ところで善十郎はどうしたのだ。何ゆえ我のところに顔を見せぬ」

「さて、飯島さまもお疲れでございましょう。今宵くらいは、休ませて差し上げては」

「柔なやつめ」と、氏行はむくれたようにそっぽを向いた。「まあ良い。あんなやつのことなど、もう知らぬわ」

 かように言いつつ、善十郎のことが気になって仕方ないのは丸わかりであった。小太郎は笑いを堪えながら、(すなお)になれぬ主に助け舟を出す。

「若殿もそろそろ、飯島さまに謝られてはいかがですか。あの方がかく申されたは、すべてお家の為。ひいては若殿の|御為≪おんため≫にございましょう。それはわかっておいででは?」

「うるさい、うるさい!」氏行は駄々をこねるように足を踏み鳴らす。「何ゆえ我が謝らねばならぬのだ。あの男、我を愚弄しおって。許さぬぞ。我は決して、決して……許さぬのじゃ!」

 小太郎はまた困り果てながらも、ついつい苦笑いが漏れる。この若き主が、内心では善十郎を今でも慕っているのはよくわかっているからだ。此度はちと長いものの、短気な氏行のこと、じきに怒りも収まるであろう。そう思って「わかりました」と、調子を合わせて頷いた。

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