(十九)
帰雲の城下は冬の訪れを前に、例年の如く賑わっていた。商人たちの荷車が忙しなく走り過ぎ、川面を高瀬舟が連なりながら遡ってゆく。声の大きさを競うように物売りががなり合い、童たちはそれを真似て笑いながら駆け回る。
そんな中を、善十郎はゆっくりと歩いていた。いつしかその情景に懐かしさを覚えるようになったおのれを可笑しく思いながら。
そうして街道を抜け、屋敷の前を通り過ぎ、その裏手へと回ってゆく。やがて木立の中に、半ば朽ちたような小さな庵が見えてくる。その庭には、身を屈めて茣蓙の上に何かを並べている女の姿があった。おそらくはまた、裏山で採れた山菜でも日干しにしているのであろう。
その前まで辿り着き、善十郎は足を止めた。そして言った。
「今、戻った」
女はとうに気付いていたはずだ。それでもまるで驚いたかのように顔を上げ、いつものように芝居がかった調子で答えた。
「これはこれは旦那さま……ご無事のお帰り、喜ばしきことにございます」
「……うむ」と、善十郎は頷く。そうして女の僅かな変化に気付いて尋ねた。「少し、痩せたかの?」
「はて、何のことでございましょう」
この地に帰ってからひと月近く床から起き上がることもできず、女御衆の世話になっていたことなどおくびにも出さず、蔦はしらじらしく答えた。そうしてゆっくりと立ち上がると、膝のあたりの土を軽く払い、主を庵の中へと迎える。
そのとき、不意に声が聞こえた。「おお、これは好敵手どのではないか。よくぞ戻った」
振り返ると、小柄な老人のだらしないにやにや笑いがそこにあった。髷の結も乱雑で、髭は手入れもせずに伸び放題。当人はそれも風流と思っているらしいのがまた困ったところだ。
「これは東どの、またこうして見えることができて嬉しゅうございます」
「心にもないことを……まあ、それも懐かしきものよ。ここにはわしに、さような世辞を言う者もおらぬでな」
そう言って、七郎常堯はゆっくりと歩み寄って来る。まだ日も高いというのに酔っているのか、上体が頼りなげにゆらゆらと揺れていた。
ともあれ立ち話も如何かと思い、善十郎は常堯を庵へと誘う。されど老人は苦笑しながら首を振り、手にしていた瓶子を差し出してきた。
「それには及ばぬよ。今日のところは、無事に帰った祝いを持って来たまで。何でも城では明日、宴を催すそうじゃが……わしは顔を出せぬのでな」
「それは忝い。有難く頂戴致す」
宴に顔を出せぬのはこちらも同じ。そう伝えようとも思ったのだが、理由を説明するのも面倒だった。ちと若殿の不興を買って、などと漏らせばまた話が長くなりそうだ。
「ところで聞いたか、飯島どの。此度の宴にはわざわざ能役者まで呼び寄せたのだが、肝心の笛の具合が良くないとかで、京へ帰ってしまったとのことじゃ。まったく、締まらぬ話よの」
「まあ、良いではありませぬか」と、善十郎も笑って返した。「それもこの内ヶ島の家らしきことよ。どうにも締まらぬまま、のらりくらりと乱世を渡ってゆくのが、あの殿には似合うておりまする」
常堯は「それもそうよの」と頷く。そうして踵を返すと、手をひらりひらりと振りながら歩き出す。
されど粗末な門のところでふと足を止め、肩越しにこちらへ目を向けてきた。
「そうじゃ。実のところわしも、最近碁の弟子を取っての。どうじゃ、好敵手どの。次は互いの弟子同士で手合わせといたすのは?」
この七郎常堯が弟子を。意外な話に少し驚きながらも、善十郎は頷いた。「なるほど、それも愉しきことですな」
おうよおうよ。満足げにそう繰り返し、老人は今度こそゆっくりと去っていった。
宴の支度に沸く帰雲城で、孫次郎氏行はひとり憤懣遣る方なき様子であった。その傍らで、小太郎義綱はおろおろとしている。何とか怒りを鎮めようと明るい話を振ってみても、まったく取り付く島もないありさまだ。
「そもそも、これはいったい何の宴なのじゃ。金森如きに頭を垂れ、命乞いをしたことがさほどに目出度いのか」
「されどこれにてお家は安泰、慥かに砺波は失い申したが、他の所領はこれまで通りにございますぞ」
「それが何じゃ。代わりに、我らは誇りを失のうたのじゃ!」
その大声に、部屋の前を通り過ぎようとしていた女衆が驚いて足を止める。されど事情は察していたのか、慌てて顔を伏せて立ち去って行った。代わって、やれやれといった顔で右近が入ってきた。
「かような顔をしておると、女御衆が怯えまする。若殿も、どうかお機嫌を直されませ」
しかしそんな右近の姿も、氏行にとっては苛立たしさをかき立てるものでしかなかった。いったい何じゃ、しばし会わぬ間にすっかり大人びおって。
「煩い。おぬしもおぬしじゃ、右近。妙にすっきりした顔をしおって、いったいどうしたのだ。我は案じておったのだぞ……備中のことがあって、塞いでおるのではないかと」
「若殿は、怒っていてもお優しゅうございますな」そう言って、右近はさばさばと笑う。「されど我は大丈夫にござる。父のことは無念でござりましたが、それも武士の運命というもの。これよりは我が川尻の当主、しっかりせねばなりませぬ」
「……ふん」と、氏行は鼻を鳴らす。かつては皆から気遣われてばかりであった男が、今ではすっかり頼もしくなっていた。そのことの密かな妬心すら覚えたが、もちろん口には出せない。
「そのくせ何だ、いつの間にか七郎なんぞと親しげにしておって。あれがどういう男か、おぬしも知らぬわけではなかろう?」
「そうですな。されどあの方は、我の師匠でもありますゆえ」
そう言って、妙に秘密めかして右近は笑う。そうやって余裕めかしていなされるのも、何だか面白くない。これではおのれひとりが子供みたいだ。
「ところで、半三郎はご一緒ではなかったのですか?」
右近はあたりを見回すような素振りをして尋ねた。それに答えたのは小太郎だった。
「半三郎さまは、ひとまず荻町に残られました。何でも先日の地揺れで、普請中の堤の一部が崩れてしまったとかで……」
「ああ……先日の。半三郎も大変ですな」
と、右近は頷く。このところ地揺れが続いていて、数日前のものはここ帰雲でも大きく揺れた。城下に特に被害はなかったが、領民たちの間に不安も広がりはじめている。その不安を紛らわすためにも、明日の宴は盛大なものにしたいところだった。
「はい。それでも明日には顔を見せるとの仰せにございます。右近さまにお会いできるのを楽しみにされておりましたよ」
「それは良うございました。然らば若殿、また三人で楽しく語らいましょう。若殿もそろそろ、酒などお召しになってもよろしい頃にございますぞ」
それは慥かに楽しみではあった。三人が揃うのは一年前、半三郎が荻町城へ帰る前夜に水杯で宴を開いて以来だ。それでも氏行はまたふんと唸るような声を漏らし、顔に浮かびかけた笑みを噛み殺す。
「では、またのちほど」と言い残し、右近は広間へと戻って行った。その背中を見送ると、氏行はじろりと目を巡らせ、小太郎を睨む。
「ところで善十郎はどうしたのだ。何ゆえ我のところに顔を見せぬ」
「さて、飯島さまもお疲れでございましょう。今宵くらいは、休ませて差し上げては」
「柔なやつめ」と、氏行はむくれたようにそっぽを向いた。「まあ良い。あんなやつのことなど、もう知らぬわ」
かように言いつつ、善十郎のことが気になって仕方ないのは丸わかりであった。小太郎は笑いを堪えながら、直になれぬ主に助け舟を出す。
「若殿もそろそろ、飯島さまに謝られてはいかがですか。あの方がかく申されたは、すべてお家の為。ひいては若殿の|御為≪おんため≫にございましょう。それはわかっておいででは?」
「うるさい、うるさい!」氏行は駄々をこねるように足を踏み鳴らす。「何ゆえ我が謝らねばならぬのだ。あの男、我を愚弄しおって。許さぬぞ。我は決して、決して……許さぬのじゃ!」
小太郎はまた困り果てながらも、ついつい苦笑いが漏れる。この若き主が、内心では善十郎を今でも慕っているのはよくわかっているからだ。此度はちと長いものの、短気な氏行のこと、じきに怒りも収まるであろう。そう思って「わかりました」と、調子を合わせて頷いた。




