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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第四章 帰雲
52/59

(十六)

 一行は一路西へ向かうと、小島城を大きく迂回して山道を進んだ。そうしてたっぷり二日かけて、ようやく鍋山まであと一、二里といったところまで辿り着いた。

 氏理は馬を降り、物見を走らせた。空はすでにほとんど暮れかかっている。降伏の意図はすでに早馬にて知らせてはあるが、夜襲を疑われて応戦されても堪らない。今宵はひとまずここで、暖を取り、朝を待って城に入ることとしたようだった。

 しかし急ぎ戻ってきた物見によると、金森方はすでにこちらに気付き、二百ほどの城兵が大手門を出て向かってきているとのことだった。氏理は一行に戦支度を整えさせ、自身も再び鞍に跨り馬印を掲げさせた。

 やがてすっかり夜闇に包まれた木立の向こうから、馬の蹄音が聞こえてきた。それは多くの具足が鳴る音と混ざり合いながら、徐々に近づいて来る。背後から、氏理を庇うように兵たちが前に進み出てきた。その先頭にあったのは善十郎だった。

「ただの出迎えであれば良いがの」

 氏理は呑気な口調で言ったが、声の底には緊張が見え隠れしていた。善十郎も小さく頷くと、「某もそう願います」とだけ答えた。されど闇の向こうからは、剣呑な気配が伝わってくる。

 そうして現れた兵たちは、無言のまま槍を構えてこちらを取り囲んできた。並んだ穂先には、明らかな敵意と戦意が込められていた。それでも善十郎は長槍を肩に担ぐように持ったまま、いきり立ちそうな背後の者どもを手で制した。

「金森ご家中の兵とお見受けするが、如何に?」

 夜気を震わすほどの声で、善十郎は言った。されど返答はない。

 取り囲む兵たちを目で威嚇するように、ぐるりと睨め回す。全体に若い兵が多いようであった。戦の経験もあまりないのであろう。いずれも同じように、息を呑んで身を固くしているのがわかる。

 善十郎はひとつ息をつくと、担いでいた槍を頭上で大きく回し、石突を地に刺すように立てた。槍はいつぞや、勘兵衛から取り上げた二間半の長槍だ。物としては決して悪くなく、意外に手にも馴染んだので、あれ以来使わせてもらっている。

「さて、こうして睨み合うていても埒が明かぬであろう。大将はいずこにおられる?」

 そう尋ねると、ようやく応えたように一頭の馬が進み出てきた。顔立ちは若く、まだ三十前とも思われる。金前立の兜の下に覗く細い目は、ほとんど憎しみとも思われる色を湛えて燃えていた。

「……長屋喜三(ながやきぞう)どのか」

 男は小さく頷き、「……いかにも」と答えた。

「我らは飛州帰雲城が主、内ヶ島兵庫頭が一行なり。お出迎え忝い、このまま鍋山城まで案内(あない)いただきたい」

 善十郎はそう口上を述べたが、馬上の若武者は微動だにせぬまま、「……よう申すわ」と吐き捨てるようにつぶやいた。

「ぬけぬけとよくこの鍋山へ……我らの前へ顔を出せたものよ。おのれが我らに何をしたのか、当然知ってのことよの?」

「……はて?」善十郎はわずかに首を傾げて答えた。「何のことにござろうか」

「わかっておろうがっ……我らが友軍、遠藤左馬助どののご舎弟久三郎どの、さらには重臣鷲見(すみ)弥五右衛門どのもおぬしらに首を取られた!」

 まさに赤鬼が如くに顔を紅潮させ、唾を飛ばしながら若者はまくし立てる。するとそれまで口を開かずにいた氏理が、いつもの飄々とした口調で言った。

「それはあくまでも、戦に於いてのことにございます」

「何だと!」

「向牧戸の戦では、此方も長年忠義を尽くしてくれた川尻備中を失い申した。おのが片腕を千切られたが如き痛恨事にございます。されどそれも戦に於いてのこと。つらつらと恨み言を並べたりはいたしませぬ」

 金森法印には男子がいない。嫡子であった忠二郎長則(ながのり)は麒麟児と名高く、若くして織田三位中将信忠の近侍として召し出されていたが、本能寺の変に際して二条城にて殉死したという。それだけに法印はこの喜三に目をかけ、いずれは養子として家督を継がせる心積もりであるとも聞いていた。かの者もその期待に応え、此度の飛州侵攻に於いては別動隊を率い、桜桐城を落とす戦功を挙げている。

 ただしその功績も、遠藤家の合力に(たす)けられてのところも大きかったのであろう。それだけに、向牧戸城で援軍から多くの死者を出したことは痛恨事であったに違いなかった。それを(もたら)した内ヶ島へ、ひとしおの憎しみを滾らせるのも無理はなかった。

「……なるほど、の」

 喜三はいまだ頬を紅潮させたまま、それでも必死で気を落ち着かせ、穏やかな声を作って言った。

「ではこれから起こることもまた、戦に於いてのことよ。よもや、恨みはすまいの」

「恭順の意を示し降ってきた者を討つのは、些か外聞が宜しくないとはお考え召されぬかのう?」

「何、外聞など知ったことか」喜三はせせら笑うように唇を歪めた。「野盗か落武者狩りの餌食にでもなったということにすればよい。おぬしらのような木っ端には似合いの末期であろう?」

 なるほど、と善十郎は頷いた。対手の出方さえわかれば、あとはそれに応じるのみであった。金森方がこうした対応に出ることは、当然予測もしていた。その場合、おのれはどうするかも。腹はとっくに据わっている。

「では、殿。ここは某が足止めしますゆえ、どうぞお退き下され」

「また恐ろしきことをさらりと言うものよ」と、氏理は依然として惚けた口調で言った。「善十郎、いくらおぬしでもこの数はどうにもなるまい?」

 そうですなぁ。善十郎も負けじと笑いながら答える。慥かにひとりで二百は手に余るであろうか。ただしこの山道、その上夜闇のなかである。時を稼ぐだけならどうにかなるようにも思えた。

 されど氏理は馬首を返そうとはせず、脇の兵より槍を受け取ってみせた。どうやらこの殿も、腹を括ったらしい。

「どうせ退いたところで先はないのであろう。では、わしもここでおぬしの戦を見届けようぞ」

 やれやれ、と善十郎は苦笑した。これはいよいよ、負けるわけにいかなくなってしまった。

 そうして長槍を再び持ち上げると、頭上にて寝かせて構えた。するとさすがに焦れていたのか、前に出てきていた金森兵のひとりが気勢を上げながら穂先を突き出してくる。善十郎は身を斜にしてそれを躱し、その勢いでつんのめってきた対手を真上から打ち据えた。

 それを契機にして、張り詰めていた場の空気が一気に沸騰した。取り囲んでいた兵たちも一斉に動き、めいめいに槍を振るってくる。されど若さゆえか統制はあまり取れておらず、穂先にも迷いと恐れが表れているようにも思えた。

 善十郎は一度振り下ろした長槍を横一文字に払い、右側の三人をまとめて薙ぎ倒すと、左から突き出されてきた槍を躱して脇に抱え込む。そのまま身体ごと大きく回り、持ち手を引きずり倒した。

 その一瞬の攻防で、周囲の若武者たちは揃って地に伏せてしまっていた。他愛ないものよ、と善十郎は誰に言うでもなくつぶやく。

「……なるほど」と、馬上から喜三が言った。「少しは心得があるようにも見ゆるの」

 その背後から、また兵たちが庇うように前へ出てきた。されど喜三はそれを手で制し、ゆっくりと鞍から降りてくる。そうして兵のひとりから、愛用のものらしい十字槍を受け取った。

「見世物の木戸銭代わりよ。わしが直々に素っ首撥ねてくれるわ。有り難く思うが良い」

 そうしてゆっくりと、ひとり前に進み出てくる。その足取りから、この者がただ名ばかりの大将ではないことが善十郎にもわかった。上背も拳ひとつふたつほど大きい。なるほどこれは鍛え甲斐があるのう。そう胸の裡で独り言ちる。

「名を聞こうか?」

「飯島善十郎。飛州白川、飯島の村より出でし、一介の雑兵にござるよ」

 そう答えて、再び槍を構え直した。

「では……長屋喜三どの。ひと槍、御指南仕ろう。遠慮のう励まれよ」

 そのひと言に喜三はまた笑みを消し、顔を紅潮させた。まずはその気の短さからかの、と善十郎は嘆息する。

 そうして、喜三のほうが先に動いた。大股で一気に間合いを詰めると、十字槍の穂先を渦巻くように回転させながら突き出してくる。なるほど自信があるのも頷ける、殺気と闘気の込もった鋭い攻撃で、善十郎としても大きく躱すので精一杯であった。

 おそらく膂力も相当なものなのであろう、突き切った槍先を引きもせず、今度はそのまま大きく跳ね上げてくる。そうして頭上高くで切り返し、風切る音とともに振り下ろされた。迂闊に槍で受け止めればへし折られる。それがわかったので、善十郎は大きくうしろに飛び退いて避けた。

 続けざまの攻撃が一段落すると、喜三は溜めていた息を大きく吐き出した。

「どうした」と、口角を吊り上げながら訊いてきた。「御指南いただけるのではなかったかの?」

「そうよの……」

 善十郎はまた元のように構えを直し、思案する。慥かにこれは、なかなかのもの。今のところは避けるばかりで、反撃に移れる隙は見えない。

「悪くはござらぬ。されどまだ、肝心なことがわかっておられぬようにお見受けいたしまする」

「何だと?」

「槍自慢、大いに結構。されど過信してはなりませぬ」

 言って、今度は善十郎のほうから間合いを詰めた。そうして再び突き出されてきた穂先を、半身になって躱す。

 続いてまた同じように大きく掲げられた槍を、今度はこちらも太刀打ちで受け止めようと構える。されど振り下ろされたその刹那に左手を引き、渾身の攻撃を斜に受け流した。

 大きく逸れた十字の羽根が、固く締まった地面に突き刺さる。それと同時に、善十郎は手にしていた槍を捨てて地を蹴った。二間の間合いを一瞬で無に詰め、驚いたように目を見開いていた若武者の顔面に肘を叩き込む。

 くしゃりという感触が伝わり、鮮血が散った。喜三の黒目がぐるりと裏返り、槍を取り落として身を傾がせる。善十郎はそのまま仰向けに押し倒すと、馬乗りに跨り再び拳を振り下ろした。一度、二度。さらにもう一度。

「さて、お分かりですかな……長屋どの?」

 応えはなかった。果たして声が聞こえているかもわからない。されど構わず、善十郎は続ける。

「貴殿の槍は成程見事。されど、槍とて万能には非ず。そして戦とは……何でも有りにござりまする」

 そうして最後にもう一度、すでに血で真っ赤に染まった手甲を喜三の顔面に叩き込んだ。見下ろすと、潰れた鼻からはぷちぷちと深紅の泡が浮き出してきている。されどまだ息はあるようだった。ならば良し。これを教訓に良き将となられませ、と善十郎は願った。

 ふたりを取り囲んでいた金森兵たちは、そのさまをただ見ているだけであった。おのが大将の敗北がまだ信じられぬのか、あるいは善十郎の鬼気迫る様子に怖気てしまったのか。そしてその呪縛を解いたのは、不意に聞こえてきた穏やかな声であった。

「そのくらいにしてはくれぬかの……『伊那の赤鬼』どのよ」

 顔を上げると、兵たちの群れが割れた。その向こうに広がる闇の奥から、ぼんやりと白いものが浮き上がってくる。それは葦毛の悍馬に跨り、さらに白い法衣に身を包んだ武者であった。馬上のまま軽く手を上げると、兵たちは構えていた槍を脇に立て、その場に蹲るように膝をつく。

 それで、僧形の武者が何者かわかった。金森法印素玄その人である。

「勝負はもうついたであろう。あまり恥をかかせんでやってくれ」

 善十郎は「……はっ」と答えると、喜三の身体から降りて同様に膝をついた。見ると、氏理も馬から降りている。

「さて、兵庫頭……おぬしは我らに降ってきたのか。それともまだ戦を続けるつもりか?」

「滅相もない」と、氏理は芝居掛かった仕草で大袈裟に首を振る。「我らにはもう、抗う力はございませぬ。あとはただただ、法印どのの寛大なる御心に(すが)るのみ」

 法印は「……白々しいわ」と笑った。いかにも楽しげに。

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