(十五)
八月下旬。八十ほどの兵を連れて、兵庫頭氏理は上見城を発ち鍋山へと向かった。留守居の総大将は大和守時慶である。備中守氏信亡き今、氏綱と並んで氏理の両腕とも言うべき重臣である以上、その差配は当然のことと言えた。
孫次郎氏行は、最後まで同行を求めて食い下がった。それを最後に断念させたのは、氏理のひと言だった。
「我らとて、無事に済むとは限らぬのだぞ?」
その言葉は、決して方便ではなかった。鍋山城に着き次第、八十の兵諸共に首を刎ねられることだって十分にあり得るのだ。
「ならばこそ、でございます。そのときは我もお供させてくだされ!」
「莫迦なことを言うでない。我が死したのちは、おぬしが内ヶ島の主ぞ。残る四百の兵と、帰雲の地を託さねばならぬ」
氏理は真っすぐにおのが子の目を見返して、重々しく言い切った。されどすぐにふっと表情を和らげ、言い聞かせるように付け加える。
「もっともそのときは、どうしようがおぬしの勝手じゃがな。籠城するなり、鍋山を攻むるなり、好きにするが良い」
そう説き伏せられ、氏行はようやく引き下がった。そして、最後まで善十郎と目を合わせようとはしなかった。
「若殿には、すっかり嫌われてしまったようですな」
上見城を出てしばらくして善十郎がそう漏らすと、馬上の氏理は困ったように笑った。
「すまぬの。孫次郎も、怖気を乗り越えようと必死なのであろう。許してやってはくれぬか」
「若武者とはさようなものにございましょう。某もかつては同じでした」
おのれの裡に、敵に怖じ死に怖じる心があるのが許せないのであろう。それを恥じるがあまりに、極端な蛮勇に走るというのは往々にしてあるものだった。いずれ怖気など誰しも抱くものとわかれば、幾らか余裕も出てくるに違いない。
「されど、若殿は強きこころをお持ちにございます。きっと良き将、帰雲の良き主となることでしょう」
「で、あればいいのだが」
「ならばこそ、ここは生き延びていただかねばなりませぬ。たとえ泥を啜ってでも、生き延びていただかなければ」
そう言うと、氏理もどこか眩しげに目を眇めて頷いた。ややあって、ぽつりとぼやくように漏らす声が聞こえた。
「わしは、甘いのかのう……」
「甘うございますな」と、善十郎は即座に答えた。「その為体で、よくぞこの乱世を生きてこられたものです。まこと、運に恵まれましたな」
歯に衣着せぬ物言いにも、氏理は気分を害した様子はなかった。そうしてしみじみと、「わしもそう思うわ」と答える。
「されど、わしはわしよ。今さら別人にもなれぬ」
「まあ、殿はそれでよいのでございましょう。尾上どのも山下どのも、殿がさようなお方ゆえにお支えしたいと思われるのでございます。良き|手下≪てか≫にも恵まれたものですな」
善十郎がそう答えると、氏理はいい齢をして童のように拗ねた顔を見せた。まったく、かような顔もこの主らしい。
「おぬしは支えてはくれぬのか?」
「……某は若殿の兵ゆえ」と、善十郎も巫山戯た仕草で頭を下げてみせる。「碁の指南以上のことを求められましても、手に余りまする」
氏理は「吐かすわ」と吐き捨てると、大声でからからと笑った。その笑いは青く抜けるような越中の秋空に響き渡ってゆく。ことによってはこれから首を刎ねられることになるやもしれぬのに、やけに晴れやかな心持だった。
善十郎は大きく息を吸い込み、その空を見上げる。そうして彼方にぽつりと、世から見放されたように漂う一片の雲を見つけた。きっとあの雲もあてもなく彷徨いながら、いずれ白川の空へ流れ着くのであろう。かの空は、浮雲の帰る処ゆえに。




