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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第四章 帰雲
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(十四)

 上見城から届いた書状を読み終え、丁寧に折り畳み直して文箱に戻すと、右近はほっとひと息をついた。三木を滅ぼして鍋山城に拠を定めた金森法印は、あらためて帰雲を攻めるために軍勢を動かすつもりはないようだった。赤谷城の備前守氏綱も、向牧戸城に入った金森の兵に動きはないと伝えてきている。まず当面のところは安心してよいのだろう。

 とはいえ、状況は何も変わっていない。ひとたび金森勢が動き出せば、今のこの城ではひとたまりもないだろう。即席の守備隊を立ち上げてはみたものの、戦の経験がある者は数えるほどしかいない。鎧も槍も足らず、中には鍬や鶴嘴(つるはし)を手にした者もいるくらいだ。氏理の本隊が戻るまで、果たしてここを守れるものかどうか。

 それに氏理が戻ったところで、この内ヶ島がどうなるのかはまだわからない。ことによってはこの地を失い、おのれも流浪の身になるやもしれぬ。不安は尽きなかった。されど今の右近には、ただここを守り続けるしかできることはないのだ。ならば四の五のと言わず、できることをするのみ。そう物思いを振り払い、立ち上がる。

「……兄上」振り返ると、刑部が控えていた。「もう遅うございます。そろそろお寝みになられてはと、お方さまが」

「わかった。お前ももう戻って休むといい」

 刑部は「はい」と頷き、下がっていった。どうにも頼りなかったこの弟も、ここ数日で目に見えてしっかりしてきている。少なくともそれは、右近にとっても喜ばしいことだった。

 灯火を消して部屋を出ると、中庭に向かって大きく伸びをする。いつの間にか、夜もすっかり更けていた。もう夏も終わりなのか、吹き過ぎる風はいっそ肌寒いほどだ。

 ここからは、冬が来るまであっという間だ。されどいつもは気鬱でしかなかったこの地の冬も、今ばかりは待ち遠しかった。深い雪に閉ざされてしまえば、敵も兵を動かすことができなくなる。ならば少なくとも、その間だけは安堵して眠ることができる。

「いっそ今年は、盛大に積もってくれれば良いの……」

 そんなことを独り言ちたとき、誰もおらぬはずの中庭に気配を感じた。こんな夜更けにいったい誰が、と身構える。右近もまたこの数日の間に神経が研ぎ澄まされ、すっかりひとかどの兵となっていた。

「……誰ぞおるのか?」

 呼びかけてみたが応えはなかった。右近は腰の得物に手を掛け、摺り足で庭に下りた。そうして耳を澄まし、あたりの物音を探る。すると数間先の闇がゆらりと揺らぎ、人形の影となった。そうしてゆっくりと進み出て来て、目の前で崩れるように跪く。

 右近は慌てて刀から手を離し、その人影を支えた。ようやく見て取れた面差しは、慥かに覚えのあるものだった。

「あなたは……」

 燃える向牧戸城から、ともに落ち延びてきた者同士である。慥か蔦と名乗っていたか、善十郎とともに暮らしている女透波だ。されどあれほど毅然として頼もしかった面影も今はなく、額に脂汗を浮かべてぐったりとしている。どこかに深傷でも負っているのか。

「しっかりなさいませ。どうなされた?」

 女が細く目を開いた。そうして弱々しく笑みを浮かべ、囁くほどの声で言う。

「助平坊主にお灸を据えようかと思うたのですが……ちと、不覚を取りました」

「は……坊主とは。何を言っておられるのか?」

 そう重ねて尋ねても、女はまた目を閉じていた。右近は女を抱え上げ、屋敷の中へと戻ってゆく。まるで魂が抜けてしまったかのように、女の身体はひどく軽かった。

「誰かある、すぐに参れ!」

 するとすでに床に就いていたらしい女衆が、慌てて飛び出してくる。右近はそれでも蔦を抱えたまま、駆けるように奥へと向かって行った。

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