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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第四章 帰雲
48/59

(十二)

 広間に入って平伏すると、飯島善十郎はゆっくりと顔を上げた。居並ぶ全員の目が、こちらへと注がれている。特に氏理の隣に座る氏行が、期待を込めた熱っぽい視線を向けてきていた。おそらくおのれが同じ心持ちであると信じているのであろう。そのことに心苦しさを覚えながら、まっすぐに前へ向き直った。

「さても善十郎よ。悪いが今日も、碁の指南はなしじゃ。すまぬの」

 氏理はいつもの飄々とした口調で言った。鬢には明らかに白いものが増え、眉間には深く皺が刻まれたまま。おそらく食事も碌に喉を通らぬのであろう、頬も()け顔色も良くなかった。それでも深き懊悩(おうのう)の末、すでに何かの決断に至っているのか、表情はどこか晴れやかにも見えた。

「かような折にございます。それも致し方なきことかと」

「それでな、今日はおぬしに、また別の指南を仰ぎたいのじゃ」

「別の、と申されますと?」

「そうよの……この局面、我らはどうすれば良いと思う?」

 その単刀直入な問いに、善十郎はしばし言葉を失った。それはこの場にいる氏行や大和守も同じであったようで、呆気に取られたようにおのが主を見つめている。されど氏理だけは平然と、|脇息≪きょうそく≫にもたれて手にした扇子を揺らしていた。

「今日ばかりは、わしが決めることなどと言って逃げるのは許さぬ。おぬしの存念、ここでしかと聞かせてはくれぬか」

「某の存念など、聞いたところで何の足しにもなりますまい」善十郎はゆっくりと首を振り、答えた。「殿も知っての通り、某は負け戦しか知らぬ者ゆえ」

「だからこそ、よ」

 氏理はそこで、我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。そうして身を乗り出し、こちらの顔を覗き込むように凝視する。

「今こそわしに、それを指南してはくれぬか。のう善十郎……我らはどう負ければ良い?」

 善十郎は三年前、尾上備前守とはじめて対面したときに言われたことを思い出した。その負け戦を、我らにご教示くだされ。かの者は慥かにそう言っていた。

「父上、我らはまだ負けてなど……!」

 氏行が堪らず立ち上がるが、氏理は静かに首を振ってそれを制す。

「負けじゃ。それはもう、認めるしかあるまい。すべてはわしの不徳の致すところよ」

 主にそうきっぱりと言い切られてしまっては、もはやもう誰もが黙るしかなかった。氏行もいきり立ちながらも、二の句を告げずに奥歯を噛み締めている。

「この戦の前から、備前はわしに羽柴へ降れと言っていた。わしも、家のためにはそれしかないとわかっておった。それでもこの道を選んだのは、わしの勝手よ。挙句がこの始末じゃ。わしひとりが腹を切って済むのであれば、いくらでも切るのだがの……されど今となってはそれでも済むまい」

「……殿」と、大和守時慶が静かに言葉を挟んだ。「その決断に異を唱える者は、ここにおりませぬ。今に至っても、なお」

 その言葉には、氏行も大きく頷いた。おそらく兵たちも、皆同じ思いで従ってきたはずだ。むしろ備前守氏綱の進言を伝え聞いて、憤りを露わにしていた者さえ多かった。いわばこの戦は、内ヶ島に連なる者たちの総意でさえあったのだ。

 だからこそ、の氏行の言葉なのだ。敗れたからと言って、今さら頭を垂れるわけにもいかぬ。我らは間違っていない。ならば最後まで戦って、誇り高く散ってみせん。それはかの者のみならず、内ヶ島の兵たちの代弁でもあった。

「それでも、だ。最後に決断したのはわしよ。ゆえに、わしがこの戦を畳まねばならぬ。だから善十郎よ、教えてくれ。わしはどうやって、この責を負えば良い?」

 善十郎は氏理の目を見返し、次いで氏行の覚悟を固めた横顔を見やった。脳裏には、数日前に別れたときの蔦の言葉が蘇る。さあ旦那さま、言えまするかな。そう、せせら笑うような声とともに。あの女はおそらく、言っただけのことはきっちりと果しているはず。ならばおのれも、おのれのすべきことをするだけだった。

 ただしそのためには、この若者の心を今度こそ折らねばならなかった。その苦々しさを噛み殺しながら、善十郎は再び口を開く。

「責の負いかたなど、某は知り申さん」

 声音は突き放したように投げ遣りに。されどしっかりと、一語一句に魂を込めて。

「某が知るは、雑兵(ぞうひょう)の戦のみ。名もなきひとりの兵が、いかに戦場を駆けるか。それのみにて」

「構わぬ」と、氏理は答えた。「我が知りたきは、まさにそれよ」

「ならばお答え致す。雑兵の戦は、ただ生き残ることのみが目的に候。のたうち回り、泥と血に塗れ……負け戦なら尚のこと、零れ落ちそうになる生を両手で必死に抱えて、光あるほうへひたすら走りまする。ひたすら、ただひたすらに」

「生き残ることのみ、か。されどいよいよともなれば、武人らしく誇りある最期を……とは思わぬのか?」

「露ほども思いませぬ」その問いにも、善十郎はきっぱりと言い放つ。「武人の誇りだの、潔さだの、すべて糞食らえにございます」

 師とも仰いでいた男の思わぬ言葉に、氏行が傷付いたように呻いた。「……善十郎?」

「何をしてでも、何を捨てても、まず生きよということか。で、わしにもそうせよと?」

 善十郎は再び床に拳をつき、頭を下げた。「某はただ、雑兵の戦を語ったのみにて」

「吐かすわ。おぬしはそう申したいのであろう?」

 氏理の口調は、決して詰るようなものではなかった。むしろいっそ愉しげで、今にも笑いを噴き出しそうに弾んだ声だった。

「わしらにも、まず生きよと。すべての領地を失うことになろうと、一族が流浪の身となろうとも。頭を垂れ、額を地に擦り付け、金森法印……いや関白に命乞いをせよと」

 善十郎はすぐには応えを返さず、目のみで一同を見渡した。氏理を除く誰もが、信じられぬといった顔でこちらを睨んでいる。まったくあの女も、面倒なことを人に押し付けるものよ。そうこころの中で毒突きながらも、これもまた偽りの言葉ではないとわかっていた。おそらくはすべて、胸の裡から、腹の底から、おのずと湧き出てくるものに他ならない。

「善十郎……嘘であろう。よりにもよっておぬしが、さようなことを言うとは……」

 氏行は今にも泣き出しそうに顔を歪め、握り締めた拳を震わせる。

「いったいどうしたというのだ、善十郎……まさか、臆したとでも言うのか。おぬしは申したではないか。我の命であれば、万余の敵とも戦うと。あれは偽りであったか?」

「偽りではござらぬ」

 善十郎は傲然と胸を反らしたまま、小さく首を振った。

「若殿の身を守るためでござれば、某は何者とも戦いましょう。降りかかる矢弾があれば、この身を盾にもいたしましょう。されど若殿がみずから命を投げ出すお手伝いなどは、真っ平御免にござります」

「我の身を守りはするが、我の誇りを守ってはくれぬということか?」

 あたかもそこにあるものを引きずり出そうとでもするように、おのが胸元をきつく掴みながら、若き主は悲痛に声を絞り出す。

「我らに、敵に頭を垂れて命乞いをせよと……そこまでして生き延びて何になる。そんなぶざまな生を繋いで何になるというのか。臆病者、表裏者と世の(そし)りを受けるだけであろう。申してみよ善十郎、かような生にいったい何の意味があるのだ?」

「虫けらが、生くる意味など考えましょうや?」

 縋るような視線をまっすぐに受け止め、善十郎はなおもせせら笑うように答えてやる。

「かの者らは、きっと何も考えてなどおりませぬ。ただひたすらに地を這い、泥を食む。そしていつか前触れもなく、空より鳥に啄ばまれるか、馬の蹄にでも踏み躙られるでありましょう。されどそのときまで、必死に、我武者羅に生くるのです」

「ぶっ……無礼者っ!」ついに堪らず、氏行は身を震わせて叫んだ。「おぬしは我らを、虫けらも同然と申すかっ!」

 氏理はそんな息子の激昂を止めようとはしなかった。ただじっと、どこか優しげな、そして哀れむような目で見つめるのみ。その若者らしい激情を、愚かしいと思うと同時に慈しんでもいるのであろう。

 それは善十郎とて同じだった。このどうしようもなく甘く、優しく、そしてお目出度い親子を、かようなところで死なせたくはなかった。だからこそ、なおも言葉を刃に乗せて突き立てる。

「同じでございましょう。何が違うと申されるのか。内ヶ島家など飛州の山奥の、取るにも足らぬ小さき家に過ぎませぬ」

「……っ!」

「されどそれは、我らだけに限った話でもありますまい。我らより遥かに広い領地と多くの兵を召し抱え、寄らば大樹と縋った佐々も、関白の前では風に揺れる小枝のようなものにございました。さらにその関白とて、はたしてどれほどのものか」

 慥かにかの関白秀吉は、この日の本をまさに一統しようとしている。十万を超える兵を数年にわたって動員する財力を持ち、抗する者を次々に力尽くに飲み込み続けている。されどそれとて、あくまでも日の本の中での話だ。

「かつて安土の城にて、かの右大臣信長より地球儀なるものを見せられた者が申しておりました。この世は大きな玉となっており、この日の本など大海に浮かぶ木の葉ほどでしかないと。ならば我らは誰もみな、その木の葉にしがみつく虫けらに過ぎませぬ」

「飯島どの……そなたはいったい、何が言いたい?」

 訝しげに大和守が尋ねてくる。善十郎はそちらにひとつ頷き返したあとで、わずかに身をずらして氏行に向き直った。

「若殿……所詮、人などみなその程度の小さきものということにございますよ。そんな小さき人が、生くるにいちいち意味などないのです。どうしても意味が欲しいのであれば、おのれでそれぞれに見出すしかない。されどそれは、途中で投げ出した者には見ゆるはずもなし」

「我は……投げ出してなど」

「投げ出しておられる。この窮地に深く考えることを諦め、世の人の目を気にして、愚かな蛮勇に酔っておられる。だからその若さで、生くる意味などと口にするのよ。そんなものは虫けらの如く惨めに無様に這い回り、されどその果てまで生き切った者にのみ見ゆるものでござる」

 おかしなものよ、と善十郎はひそかに自嘲する。あの高遠城のおのれこそ、まさにその通りであった。おのが不遇に絶望し、何もかも投げ遣りになり、どうなっても構うものかと死地に飛び出していった。されどそこで偶々生を拾い、流れ流れ、今こうして若者に生きよと説いている。いったい何の笑い話だ。そう呆れつつも、言の葉は口をついて止まらない。

「だから今は生きなされ。世の人にどう見ゆるかなど知ったことではありませぬ。何も今わざわざ進んで死を選ばずとも、我らもいずれは鳥に啄まれるが如く生を終える。おそらくそのときに、望んだ答えが得られましょう。それまで、生きなされ」

 氏行はかぶりを振るように目を逸らし、その場に力なく座り直した。氏理はそれを見て、ほっと息をついて小さく頷く。

「では……法印に会いに行くかの」

「……殿。まさか」と、大和守と太左衛門が声を合わせて呼んだ。されどその反駁にも、もはや力はない。「降るのでござるか?」

「最初から、それ以外の道などないわ」

 氏理は苦笑して答えた。その決断は、この主の中ではずっと前から決まっていたのであろう。善十郎にはそう思えた。ただ氏行をはじめとする臣たちを、どう得心させるかが難問だっただけだ。おのれはそのために体良く使われたわけか。

「さて善十郎、そこまで申したからには、おぬしにも付き合うてもらうぞ。わしの隣で、ともに額を泥で汚すのじゃ。異存はないな?」

 畏まりました、と善十郎は再び頭を垂れた。

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