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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第四章 帰雲
46/59

(十)

 砺波の陣を引き払い、上見城に入って三日が経っていた。されど氏理はそれ以上軍勢を動かそうとせず、郭に籠もって大和守と太左衛門の三人で軍議を続けている。

「いったい父上は何を考えておるのか。はやく備前を助けに行かねばならないのに!」

 城の一室で、氏行は日に日に苛立ちを募らせていた。それを宥めるのは、またしても善十郎と半三郎の役目である。

「されど金森勢の動静がわからない以上、迂闊に動くわけにもまいりますまい。まずは早馬の戻りを待つべきでしょう」

 もちろん善十郎にも、氏行の焦りはよくわかっていた。だが半三郎の言う通り、慌てて動いても危険なだけだ。帰雲へ走らせた早馬もまだ戻らず、状況がよくわからないままでは、次の手も打ちようがない。もしも赤谷も帰雲もすでに落ち、三千の兵が今にもこちらに迫っていたとしたらどうする。こちらの五百に満たない勢が野で行き合ってしまったら、まずひとたまりもないだろう。その点この上見城は田畑や集落を堀の中に抱えた総構(そうがまえ)の城で、籠城するにはうってつけである。戦況が把握できるまでここに留まるというのが、現時点では最善と言えた。

「尾上さまは殿の義兄弟です。その身をもっとも案じているのは殿であるはず。どうぞ、お気持ちを察して差し上げては」

「わかっておる!」

 氏行とて、父と氏綱の絆の強さはよく知っている。されどそれでも、いても立ってもいられないのだろう。

「それにしても、いったい早馬はどうしてしまったのか。まさか、敵に捕らえられたのではあるまいな?」

「落ち着かれませ」と、半三郎はなおも静かに答える。「山道の上、この悪天候です。ときが掛かるのも已む無きことかと」

 善十郎は城の外へと目をやった。一昨日から降り出した雨は、依然として止む気配がない。それどころか風も強くなりつつある。富山城を包囲した羽柴勢も難儀していることであろう。神通川も水嵩を増して、ますます手出しし難い城となっているに違いあるまい。

 するとそこへ小太郎が入ってきた。おのれの主の険しい視線に一瞬怯みながらも、顔を上げて用件を告げた。

「孫次郎さま、殿がお呼びでございます。帰雲より早馬が戻ったとのことで……」

「まことか、すぐに参る。供をせよ小太郎!」

 氏行は大声で答え、慌ただしく立ち去って行った。あとに残された善十郎と半三郎は、苦笑しながら顔を見合わせる。

「山下さまは行かれなくてよろしいのですかな?」

「某はまだお呼びではないようですゆえ」と、半三郎は小さく首を振る。「あとで若殿から、詳しいことを聞くといたしましょう」

「尾上さまが無事であればよいのですが」

 善十郎はそう頷きながら、また刳り抜きの小窓から外を見やった。そうしてゆっくりと立ち上がる。その壁の向こう側に、かすかな気配を感じたからだった。おそらくこちらが気付くように、わざと物音を立ててみせたのであろう。

 善十郎は訝しげな半三郎を目で制し、壁越しに「構わぬ。顔を見せよ」と呼び掛けた。するとややあって、鎧に陣笠姿の武者が入って来る。やがて武者は笠と面頬を外し、その素顔を露わにした。

「あなたは……」と、さすがに半三郎も驚きを隠せないようだった。この若者も蔦とは、善十郎の庵で幾度も顔を合わせている。

「遅かったの。やはり、この雨のためか」

「はい。少々難儀いたしました。富山では雨のために堤が壊れ、羽柴方の兵が流されたりもしているようでございます」

 さようか、と善十郎は頷いた。とはいえあれほどの軍勢である。多少の被害があっても、羽柴方には痛くもないであろう。大勢に影響が出るとも思えない。

「それで、尾上さまはどうなのだ。それと帰雲の様子は?」

「尾上さまはなおも意気軒昂にございます。今も赤谷城にて守りを固めていることでしょう」

 その答えに、善十郎と半三郎は同時にほっと息をついた。

「帰雲も目立って混乱はありませぬ。領民たちもむしろ奮い立ち、即席の守備隊を立ち上げたとのこと。隊をまとめているのは川尻さまのご子息、右近さまにて」

「右近が……やるのう」

 半三郎のその声には、安堵とともにわずかな羨望も混じっていた。負け戦と父の死にも挫けることなく、故郷で奮い立っている旧友が、その目には眩しく映るのであろう。

「そうか……だが、金森勢はどうしたのだ。いくら尾上さまでも、小勢ではどうにもならないであろうに」

「それが……」と、蔦は一瞬言葉を淀ませる。されどすぐに、小さく頷いて続けた。

「金森勢は向牧戸城を落としたのち、再び軍勢をふたつに分け、法印率いる本隊は小鷹利(こたかり)城へ、長屋喜三の分隊は桜洞(さくらぼら)城へと向かいました。どうやら内ヶ島はいったん捨て置き、まずは一気に三木(みつき)を攻め滅ぼす腹積もりかと思われます」

 小鷹利城と桜洞城とは、いずれも三木の領地である。つまり金森勢は向牧戸城を落としただけで、あとは内ヶ島領には目もくれず、そのまま三木攻めに向かったということだ。

「帰雲は素通りということか……」

「関白の目的は飛騨を押さえ、富山へ南からも圧力をかけることかと思われます。そのために法印は一日も早く三木を滅ぼし、広瀬城か鍋山城に兵を集めねばなりませぬ。もしもその前に富山が落ちてしまえば、手柄どころか叱責を受けるはず。かの者も必死なのでございましょう」

 柳ケ瀬の戦では柴田方に与し、その後赦免された法印としては、ここでまた関白の不興を買うわけにはいかないということか。ならば内ヶ島のような小さき勢力に、いちいち手間取ってもいられなかったのだろう。それはひとまずのところ安堵すべき話ではあったが、所詮向牧戸は通り道でしかなく、我らは敵とすら見られていなかったというのは、何とも歯痒いものでもあった。

「向牧戸城での、尾上さまと川尻さまの抗戦が、敵方に思わぬ痛手を与えたというのもあるやもしれませぬ。帰雲も落とすにはときが掛かると踏んだのでしょう」

 こちらの顔に浮かんだ色を読み取ったのか、蔦が取り繕うようにそう付け加えた。善十郎は小さく首を振り、再び女に向き直る。

「それで、我らはどうするべきであろうかの」

「どうする、とおっしゃられても」と、蔦は首を傾げて笑った。「道はふたつしかございませぬが」

 そのふたつとは言うまでもなかった。降るか、滅びるか。それだけである。それは、ひとまずのときが稼げた今となっても変わらない。

「殿はどうお考えで?」

「わからぬ。まだ迷われておるようじゃ」

 氏理が迷うのもよくわかる。状況がこうなってしまえば、降ったところで滅びるのと同じことかもしれないのだ。領地はすべて取り上げられて追放されるか、良くて縁もない遠くの小城へと転封されることとなるか。どちらにせよ、受け入れられるものではないであろう。

「やはり、どうにもならぬのでしょうか」

 しばらく黙ったままだった半三郎が、淡々とした声でつぶやいた。やはりいつも通り冷静ではあったが、抑えきれない悔しさがその声には滲んでいた。その若者へ、蔦がどこかいたたまれないような目を向けている。されど見られていることに気付くと、慌てて能面のような無表情に戻った。

「……できる限りの手は打つつもりですが」

「まだ何かできることがあるとでも?」

「そうですね……まずは、上杉」蔦は小さく頷いて続ける。「越後には、わけあって以前より通じている者がおります。かの兵どもの間に、いくつか流言を広めておきましょう」

 かつて織田方と激しく争っていた上杉も、今は羽柴と和睦し、此度の戰でも関白の呼びかけに呼応して兵を出していた。本能寺の変ののち奪回した魚津城を拠点として、東から包囲に加わっている。されど羽柴からすればいまだ油断ならぬ相手に違いなく、その動向には注意を払っているはずだった。

「同様に金森勢にも、篠野(しのの)を張り付かせております。そちらにも上杉が不穏な動きをしているという流言を広めます。そう……表向き関白に呼応したように見せかけて、実は佐々に合力して飛州に攻め込んでくるとでも。流言とわかっていても、兵も動揺することでしょう」

「それで金森勢を鍋山に釘付けするということか。だが、そうそううまく運ぶであろうか」

「わかっております。他にもさらに、鍵となる者を動かせるか試してみるといたします。少々難儀ではあるかと思われまするが……」

 蔦はそこまで言って、あとは口を濁した。何をするかは訊くな、ということであろう。善十郎もそれ以上は尋ねず、ひとつ頷くだけにとどめた。

「わかった。それで、わしにできることはないのか」

「旦那さまに、でございますか?」

「そうだ。すべてをおぬしに任せきりでは心苦しいではないか。わしにできることがあるなら、何でも言うがよい」

 善十郎の言葉に、蔦は小さく、されどさも可笑しげに笑みを浮かべた。そうして静かに居住まいを正し、その場に深く頭を下げる。

「もちろん、旦那さまにはやっていただかねばならぬことがございます。それは最も大事な、そして旦那さまにしかできぬことにて」

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