(八)
城で夜を明かしてゆけという勧めを断って、一行は陣へと馬を走らせた。道中、氏行は堪らず父に尋ねた。
「父上。羽柴に降られるのでございますか?」
しかし氏理はその問いには答えず、ただ「……さてな」と言うだけであった。氏行はその反応に不満だったようだが、善十郎には主君が答えぬ理由もよくわかっていた。ただ降るといっても、局面を見極め時宜を計る必要があるのだ。成政がああ言ったからと、すぐに羽柴方に走って頭を垂れればいいというものではない。それは武田が滅ぶ前に織田方に走った各将が、のちに辿った運命を見れば明らかだ。
ひとたび敵方に回ってしまった以上、すべての領地を守ることはまず不可能である。されど少しでも多くの土地を残し、家臣たちの禄を保ったまま降るにはどうすればよいか。おそらく氏理の頭の中は、その算段で一杯なのであろう。氏行の問いに生返事になってしまうのも無理はなかった。
「……善十郎」と、父との会話を諦めた氏行が、次はこちらに語りかけてきた。「父上は、何を考えておるのだろう」
「はて、某にもわかりかねます」と、善十郎は直に答えた。
「おぬしも、我をまだ童と見ておるのか?」
「そうではございませぬ。本当にわからぬのです。されど殿もこれまで長きにわたって、白川帰雲の地を守り続けてきたお方。きっと最良の選択をされると信じております」
氏行はまだ不満げに、「……むう」と黙り込んだ。とはいえ、この若殿とて羽柴に降ることが気に食わぬわけではなかろう。あの桁外れの武者の列に圧倒され、とても敵う相手ではないことはわかっているはずだ。
「では善十郎。おぬしはどうするのが良いと思っているのだ?」
「さようですな……」と、しばし思案する。「やはり内蔵助どのの申す通り、我らも降るしかないのでございましょう。とはいえ慌てて羽柴方へ走っても、ただの|表裏者≪ひょうりもの≫(卑怯者)と蔑まれるだけにございます。領地もすべて取り上げられ、我らには何も残らぬやもしれませぬ」
「そんな……では、どうすればいいのだ?」
「難しいですな。手があるとすれば、このまま急ぎ赤谷か向牧戸の城に取って返し、攻め来たる金森勢を全軍で迎え討つことかと。そしてどうにかして戦に勝つか痛み分けに持ち込み、まずは法印と和睦する。そうしてかの者の口添えで、羽柴方への渡りをつける……」
氏行は真剣な顔で頷きながら、策などとも呼べない素人考えに聞き入っている。その信頼を面映ゆく思いながらも、善十郎は頼もしさも覚えていた。大丈夫、この若殿の心はまだ折れてはいない。現実を受け入れ、おのれの甘さを痛感しながらも、若輩者なりにまだ必死でやるべきことを探している。
そうして明け方近くになって、一行は砺波へと帰り着いた。すると険しい顔の大和守時慶が氏理を迎えに出てきた。
「どうした、大和」
訝しげな顔で馬を降りた氏理を、時慶は無言で帷幕へと連れて行った。そうして善十郎は、ぽかんとした顔の氏行とともにその場に残された。同行していた馬廻の若武者たちは、すでに解散して休息を取りに戻っていこうとしている。
「何かあったのであろうか……」
氏行が誰に問うでもなくつぶやいた。出迎えに出てきたときの時慶の険しい顔に良くない予感が過ぎりながらも、善十郎は「……さて」と首を振る。そのとき、ふと背後の気配に気がついた。振り返ると、伝令と思しき陣笠姿の武者が跪いていた。
「無事のお戻り、祝着にございます……旦那さま」
聞き覚えのある声にはっとする。そして武者が面を上げると、陣笠の下の顔が露わになった。面頬はしていても、間違いなく蔦だとわかる。
「おぬしは……ここでいったい何をしておる」
「急ぎ、お伝えせねばならぬことがあったゆえ」
蔦は言って、また陣笠で顔を隠した。そうして驚くべきことを告げる。
「金森勢は成瀬橋よりいったん退いたのち、遠藤勢と合流して向牧戸の城に攻め寄せました。川尻備中さまも抗戦されましたが、十日の夜にあえなく落城の由」
善十郎は「何だと……」と呻くようにつぶやいたきり、言葉もなくただ立ち尽くす。同じ言葉を氏行も聞いていたのか、血相を変えて詰め寄った。
「そんな……では備前はどうなったのだ。備中は……右近は!」
「川尻さまはおそらく討死されたと思われます。ご子息と尾上さまは赤谷へと退かれ、態勢を立て直さんとしている模様。されど兵は五十にも満たず、攻められればひとたまりもないでしょう」
おそらく今頃は氏理も、大和守より同様の報告を受けていることであろう。しかしこれで、すべての算段が狂う。そもそも降る間もなく、金森勢によって領地を蹂躙されることとなる。
「善十郎……行かねば。備前と右近を助けねばならぬ!」
「いえ。今から戻ったところで間に合いますまい。向牧戸から赤谷は目と鼻の先にございます。されどここから馬を飛ばしたところで、山道ゆえ二日はかかりましょう」
「では見捨てよと言うのか!」
むろん、氏行が焦る気持ちもわかる。ことによっては今このとき、赤谷では氏綱と右近が絶望的な戦いに身を投じているのかもしれぬのだ。いても立ってもいられぬのは、善十郎とて同じであった。されど、どうすることもできない。
「すべては、殿がお決めになることにございます」
善十郎はそう言って、帷幕へと目をやった。あたりは静まり返り、今にも日輪が顔を出そうとしている稜線の上を、遠く渡り鳥が横切ってゆくのみだった。




